26.
婚姻までの数か月は目まぐるしく過ぎた。
フィリベルトに会うたび、ニナが満身創痍で帰宅し、知恵熱をだしやすくなったので、親友のエリデから規制がかかった。自分が親友と遊べなくなるのは困るとの主張だった。そのため、婚約してから婚姻までの一年間、木曜日のデート以外は火曜日の差し入れと同伴要の夜会でのみ二人の逢瀬となる。ニナが一時的に記憶を失った転機からの違いは、火曜日の差し入れ分が増えた程度だ。
それ以外の例外となる逢瀬は遠征前後のもの程度で、片手で足りた。逢瀬の頻度を増やせない代わりに、手紙のやり取りをするようになった。
ニナは、手紙を受け取った日の夜はそれを抱いてひとしきりベッドのうえを転がった。フィリベルトは、手紙を眺めて晩酌することが増えた。
式の段取りは、互いの両親と揃って何度か話し合い、婚礼衣装の選択にも協力をしてもらった。ニナの候補のドレスを一通り試着してみせたら、フィリベルトが他人に晒すのを渋ったものだから、娘の晴れ舞台のため両家の母親が説得するという一幕もあった。ごねはしなかったが、ニナも彼の礼服姿に似た想いを抱いたので、彼の気持ちが分かる分だけ嬉しかった。
純白のドレスをまとい、精緻なレースのベール越しに彼を想いはじめてからのこれまでが過った。あまりにも満たされた想いで、教会のドアのまえに立つ自分がいる。
隣の父の腕に添える手に、力がこもった。
「……っお父さん、わたし、幸せになるからね!」
「ははっ、なんでニナの方が泣くかな」
涙声での宣言に、父親のモレロは朗らかに笑う。なぜ娘が父親のセリフをとるのか。他者との共感性が高いゆえに、感受性豊かな娘が面白い。それだけ、今幸せを感じているのだろう。
「まぁ、うん。そうだね。なれるなら、なれるだけ一緒に幸せになっておきなさい」
子の幸せを願わない親はいない。一生をともにする相手と幸せになれるなら、それに越したことはないのだ。
父親の言葉に、ニナはぎりぎりで堪えていた涙の関を決壊させた。せっかくこの晴れの日のために施された化粧をすでに崩しかけている娘が、愛おしい。えぐえぐと幼子のように泣きながらバージンロードを歩く娘を、モレロは伴侶となる男の許までつれてゆく。娘の涙は、満たされたゆえのもので憂いなど微塵もない。娘が、愛されている自負をもってこの場に臨んでいることを、喜ばしく思う。
「泣かせちゃって、ごめんね」
「涙に濡れても愛らしいだけなので、問題ありません」
素直な想い人に愛しさが湧くだけだと、真顔で婿に返された。それで、娘は涙をひっこめ真っ赤になるから、モレロはまた可笑しくなる。彼も涙の意味を理解しているのだろう。娘はこのように分かりやすいから。彼も娘との接し方を把握しはじめていると感じながら、モレロは愛娘を委ねた。
教会への入場からそのようだったものだから、参列者だけでなく進行を務める神官すら和やかに二人、主にニナを見守った。宣誓後の誓いの口付けでも、化粧が崩れているはずだからとベールをあげられるのを恥じらい。フィリベルトが、彼女のためにハンカチで崩れた部分を拭ってから交わした。
モレロは、この一幕が、定番の笑い話のひとつになるだろう予感がした。
教会で誓いを交わしたあとは、ボーヴィ伯爵邸で宴が催され、参列者へ食事が振る舞われる。主役の二人はお色直しのうえ、宴に参加した。オレンジの差し色ある揃いの衣装だ。あわせて化粧も直したニナの髪には、同じ色の小さな花飾りが散らされ、季節外れの金木犀のようだった。
それもそのはず、秋にあった自身の誕生日に贈られたドレスに合わせた装飾だ。結局、披露できず仕舞いだったので、婚姻の宴でリベンジしたいとニナが乞うたのだ。
首には、人気あるトゥーリの雫型のペンダント。デートの際にニナが目を奪われたものだったが、フィリベルトが特注しオレンジ色のファイアオパールが嵌められている。彼に贈られた一式を身にまとっているので、もちろん靴のヒールは高い。
食事がひと段落し、あとは各々酒を飲むなり、踊るなり自由に過ごしてよい頃合いとなる。ファーストダンスは主役の二人だ。フィリベルトのリードに、ニナは難なくついてゆく。二人が浮かべるのは笑顔だ。
「ダンス、楽しいですね」
「君が頑張ったからだ」
「はいっ、頑張りました!」
ヒールが高いにもかかわらず、体幹のブレが一切ない。リードするフィリベルトには、今楽しめるだけの余裕ができるほど、彼女が研鑽したのだと分かる。努力家な彼女を称賛すると、元気な肯定が返った。
溌溂とした笑顔が眩しい。
「ニナの顔が近くなって、いいな」
慣れない高さの靴を贈ったと判明したときは申し訳なく感じていたが、寄らずとも彼女の笑顔が間近にあるのは悪くない。フィリベルトがヒールが高いことのメリットを見出すと、ニナは小さく笑みを零す。
「ふふっ、わたしもそれが嬉しくて階段踏み外したんで、気を付けてくださいね」
「それは困るな。浮かれすぎないよう、気を付けよう」
ステップを誤って、一時的にでも記憶喪失になっては事だ。
「たった三日でも君への想いを忘れたくなどないからな」
たとえ忘れたとしても、彼女の魅力に気付き自分はまた恋に落ちるかもしれない。けれど、記憶を失って傷付くのは彼女だ。そのような涙を今後自身のせいで流させたくはない。それに、他の記憶はどうとでもなるだろうが、彼女と重ねてきた日々の記憶を片時も失いたくないのだ。
彼の言葉が本心と分かるがゆえに、ニナは頬を熱くする。想えば呼応する想いがある。届かないとばかり思っていた存在が、自分と同じ想いを抱えている。奇跡などではなく、誰にでも起こり得るのだとニナはもう知っていた。
目の前の彼と、これからも互いのありふれた想いを伝えあって日々を重ねてゆくのだろう。その先が笑顔の多い未来であればいいな、とニナは願う。
恋が叶うのを夢にみていた少女はもういない。いるのは、愛し愛される生涯の伴侶をみつけた花嫁だ。
とりあえず、伴侶となった想い人の言動に頬を染めずにいられる未来は今のところみえないニナだった。
fin.
誰にでもある、誰かと分かち合える気持ちでも、感じてるのはあなたです。
あなたの気持ちをないがしろにせず、どうか大事になさってください。







