21.
凄まじい夢を視た。
熱に浮かされながら考えに考え、だした結論はそれだった。夢は記憶の整理動作というが、願望以上の未知のものも視ることがあるらしい。
ずいぶん心臓に悪い夢もあるものだと、意識がはっきりした頃に、ニナは疲労を感じた。寝込んで唸っていた間より、その前の感情の負荷が大きすぎたためだろう。
ベッドから起きあがり、そっと片手で二の腕辺りに触れる。婚約者の彼にあんなに強く抱きしめられ、感触がまざまざと思い出される。背中にまわった掌どころか全身が包まれるようだった。彼は汗臭いだろうといったが、むしろ彼の匂いに胸いっぱいになった。
五感に訴えてくる夢だったので、思い出すだけでぽぽぽ、とニナの頬が熱を帯びる。
「フィリベルト様が会いたがってくれてたなんて……」
なんていい夢だろうか。嬉しすぎて、耳朶に響いた低い声ごと覚えている。
夢の余韻に浸っていたニナだったが、ふと首を傾げる。しかし、一体どこからが夢だったのだろう。彼が父に面会を求めて来訪したのも夢だろうか。父に会いたがる理由に心当たりはないし、彼が邸へ訪れた事実すらなかったのではないか。すると、夕陽を眺めている間に、彼恋しさに自分は熱をだしたのか。
「起きてるじゃない。おはよ」
「エリデっ」
首を捻っていたところ、親友のエリデが見舞いにきた。見舞いの品の梨を剥くようにメイドに頼んで、自身は彼女のベッド脇の椅子へ落ち着く。親友の顔をみれたことで、ニナは喜色満面になる。それにつられて、エリデも笑む。
ほどなくして皮を剥いて、切り分けられた梨をメイドがもってきた。熱がさがったばかりのニナは水分を欲していたところだったので、瑞々しい果汁が身体に染み渡る。
「んん~っ、美味しい! ありがとう、エリデ」
「ほんと、餌付けしがいあるわ」
果物ひとつでこれだけ幸せそうな表情をする親友が可笑しくなる。食べ物に関しては、美味しいものに出会ったとき恋人より先にニナが浮かぶ。それだけいい食べっぷりの親友を眺める。
「あの男が帰ってきたぐらいで知恵熱だすなんてね」
器を空にして満足していたニナは、エリデの苦笑交じりの言葉に小さく驚く。
「え。フィリベルト様、本当に帰ってたの?」
「なによ。昨日会ったんでしょ」
寝耳に水の反応に、エリデは小首を傾げる。親友がそろそろ堪えている頃だと思い、外出の誘いをしようとトッリ男爵邸に連絡したら、婚約者が帰ってきただけで寝込んだときき見舞いに訪れたのだ。
「だって、あれは夢じゃ……??」
恋しさゆえの夢だとばかり思っていたニナは、混乱しだす。
戸惑いをみせる親友をみて、エリデは呆れる。親友の婚約者が何をしたのかは知らないが、実感させるに至っていないではないか。まぁ、身から出た錆だろうが。
「伝わってるかも確認しないなんて、なっていないわね。あの男」
「それは面目ない」
詰めが甘いという指摘に、それを認める謝罪が返った。お互いのものではない低い声に、二人は声のした方へ首を向ける。メイドにより部屋のドアが開けられ、暖色の花束をもつフィリベルトが立っていた。
「あれから熱をだしたと聞いたが、大丈夫なのか?」
心配で憂えるアメジストの瞳を向けられ、ニナは羞恥がせり上がってくるのを感じた。
「どうして通しちゃうのぉ!?」
「あら、だってお嬢様に早くお会いしたいご様子でしたので」
明かな寝起き姿であるというのに、どうして婚約者にその姿を晒すのかと抗議すれば、メイドは気を利かせた結果だと生あたたかい笑みを返す。恥ずかしくはあるが、自分が彼に会えて嬉しいと断定しての行動に、ニナはそれ以上の文句がでてこない。その通りであるからだ。
フィリベルトは気取られるような言動をしていただろうかと、内心首を傾げる。一般的な来訪の挨拶しかしていなかったはずだ。昼頃モレロから手紙が届き、彼女が知恵熱をだして寝込んでいるので、時間帯は気にせず好きなときに見舞いにきていいと許可の旨のものだったので、定時であがり直接トッリ男爵邸に来訪した。馬車ではなく、愛馬できたせいだろうか。
察せられた原因は特定できなかったが、婚約者が心配だったのは事実であり、彼女の顔をみて安心できたのでフィリベルトはメイドの言葉を否定しなかった。
「もぉ~、お化粧だってしてないし、髪だって……っ」
「そうなのか? 今の君も、充分愛らしいが」
満足に身支度できていないニナが慌てて手櫛で髪を撫ではじめるも、婚約者からの不意打ちの言葉に手が止まってしまう。
「六十点。化粧しても大して変わらないようにも聞こえるわ」
「すまない。精進しよう」
女の努力を否定するものではないとエリデに忠告され、そのようなつもりはなかったフィリベルトは至らない点を反省した。ただ素顔の彼女も愛らしく感じることに変わりはない。白粉がない分、朱の染まりようがありありと分かり、これはこれでよいと思えた。
エリデの五十点以上は及第点だ。親友の頬の染まり具合から、今回は齟齬なく伝わっているための評価点である。
ベッド脇の椅子が追加で容易され、フィリベルトも腰を落ち着ける。自身の部屋に想い人がいる光景に緊張し、ニナはベッドのうえでがちがちに固まる。
「前回と変わり映えしないかもしれないが、君の好きな色だと聞いたから」
そういって花束を差し出され、ニナはぎこちない動きでそれを受け取った。
「あ、ありがとうございます」
オレンジや黄色の元気がでる色合いの多い花束だった。嬉しすぎてニナは感謝以外の言葉がうまくでてこない。好きな色を覚えていてくれたことも、時間から終業後すぐにきてくれたであろうことも、それなのに見舞いの花束まで用意してくれていたことも、ぜんぶが嬉しい。彼が自分のためにここまでしてくれるとは。
「少し散ってしまい、申し訳ない。君に会うため急いてしまった」
ほんの一部、花弁の数が足りない箇所に目を止め、フィリベルトは詫びた。
モレロから連絡を受け取ってすぐに行きつけの花屋へ手配をするよう部下に頼んだ。オレンジ色主体の花束を終業時刻までに届くように依頼し、定時で仕事を終わらせ花束だけ抱え愛馬に跨ったのだ。騎乗での移動は馬車より振動も風もある。花束が十全でいられるはずもない。
「い、いえ……っ」
問題ない旨を返すだけでも、ニナは精一杯だ。まるで自分に早く逢いたがってくれたようにきこえ、朱が増す。欠けた花弁がその裏付けをしているように感じて、むしろ嬉しい。
「そっ、そういえば、フィリベルト様と婚約してから病気したのははじめてですもんね。そりゃ心配しますね。ご心配をおかけしてすみませんでした」
空笑いをして、自惚れないよう口にだす。これまで、身体を冷やしそうになったらフィリベルトは上着を肩にかけてくれたりと、ともにいる間は紳士的だった。それゆえ、階段を自身で踏み外して負傷したことを除くと、ニナはずっと健康を維持していた。だから、今回は異例ゆえの臨時対応であって、彼の言動を自身に都合よく解釈してはいけない。なんだか甘やかに響いて聴こえるのは、きっと夢の余韻のせいだ。
「あぁ……、いや、もちろん心配ではあったんだが……」
ニナの確認に、フィリベルトは曖昧な肯定を返す。彼が言葉を濁すのは珍しい。
「単に君の顔を見たかったから、口実ができて都合がよかった。昨日も会ったが、半月以上会えなかっただろう。それに、今日は火曜日だ」
火曜日はニナが手作り菓子を差し入れする日だ。
「火曜日、ですね!」
口実と前提されての理由に、同意を示しながらもニナは真っ赤だ。知恵熱は治まったというのに、彼はどれだけ自分の体温をあげる気だろう。さきほどから内心で叫び倒している。きっと、半眼で自分を眺める親友には、騒がしい心境を見抜かれていることだろう。
言葉が続かず、妙な間ができる。沈黙している間にメイドは花を生け終えてさがったし、親友のエリデは助け舟をだしてくれないようだ。ニナは話題を探す。
「あっ、昨日お戻りになられたばかりなんですよね。予定より時間がかかったということは、大変だったんでしょう?」
「ドラゴンがなかなか山へ還らなくてな。原因の特定に手間取ったんだ。だが、竜守の協力を得て、棲み処を調査したところ仔ドラゴンが生まれていたことが分かり、おかげで交渉できた」
領内にドラゴンの棲む山を抱えるメヴェル領には竜守がおり、山の麓にいる彼らの許諾なしに棲み処の山には立ち入れない。その竜守の案内を得て、ドラゴンの巣を調べたおかげで子供がいることが判明した。カヴァレッタを焼き払うために人里にきていたと思われたドラゴンが、家畜も襲っていたのは仔ドラゴンを育てるためだった。
仔ドラゴンが自身で狩ることを覚え、冬眠できるほどの体躯に生育するまで、本来親ドラゴンはつきっきりで育てる。だが、そうなると食糧難に瀕しているメヴェル領はドラゴン対応が続き冬越えも困難となる。そのため、親ドラゴンが冬眠している間、竜守が仔ドラゴンを預かり育てることを約束した。騎士団は仔ドラゴンの餌となる魔物を狩る役目を担うこととなった。
領内の人員で対応できるまでに事態が収束したため、フィリベルトたち支援部隊は王都に戻れたのだ。今後も定期的な状況確認はするが、王都の国庫からの食料支給と、近隣の領地からの支援物資の運搬が主となるので現地の人員でおおむね事足りる。警護含めた不足分の運搬要員の補充程度で済むだろう。
「わぁ、子どものドラゴン!? 可愛かったですか?」
「どうだろうな。私は報告を受けて、親のドラゴンと交渉しただけだから、実際に見てはいないんだ」
ドラゴンは人間の侵入を厭う嫌いがあるので、棲み処に立ち入る調査部隊は最低限の人員であった。報告の限りでは一食がヤギ一匹程度とのことだったので、すでに人間が抱きかかえられる大きさではないだろう。ニナより目線の高さがうえだろうから、彼女が可愛いと思えるかは微妙だ。フィリベルトは、婚約者の想像と実際には相違があると感じた。
会話を終了してどうする、とエリデは二人の間で思った。親友が取り上げた話題を、はずませる努力ぐらいしてはどうか。正直に答えるにしても返し方によっては場がもっただろうに。
仔ドラゴンの様子をきけず、しゅんとする親友を認め、エリデは隣の膝をつねってやろうかと画策する。
「ニナ嬢、体調に問題がないようであれば、昨日伝えそびれたことを話したいのだが構わないだろうか?」
だが、エリデが行動に移すより前に、フィリベルトが申し出た。
「体調は全然大丈夫です。けど、昨日って……あれは、夢じゃ??」
きょとりとする婚約者の反応に、フィリベルトは口のなかに苦さがひろがったように感じる。それだけ、自分の態度が彼女には思いがけないものだったのだろう。
「夢ではない。私は確かに君に会いたかったし、そう言った。男爵から許可を得る必要があったので、君に話すのが遅くなってすまない」
昨日のうちに話すつもりであったが、ニナを休ませた方がいいとモレロから提案され、引き下がったのだ。彼の読み通り休む必要がある状態に陥っていたので、彼女の父親は娘のことをよく分かっている。
現実であると伝えるため、彼女の手を握る。緊張で冷えた自分の手と違い、握った手はあたたかい。
「まず謝罪したい。適当に婚約者を選んだことを私から言わずにいた。そして、これまで君にはなおざりでしかない対応だったことで、きっとたくさん傷付けたことだろう。本当に申し訳なかった」
婚約者から深く頭をさげられ、ニナは狼狽える。
「え。そんな、平気ですよっ。見てて受けたのわたしですし、フィリベルト様はずっと紳士的でしたから!」
大丈夫だというニナに、フィリベルトは悲しげに眉をさげ、エリデは半眼になった。
「しかし、記憶がない間毎夜泣いていたとメイドから聞いた。傷付いていないと君は言うが、昨日のように寂しがらせたり、残念に感じさせたことが多々あったんじゃないか?」
「あ……、う、それは……」
昨日の出来事が現実だというなら、ニナは確かに寂しかった事実を明かした。彼のことで泣いたことがないかといえば、嘘になる。心配かけまいと、重荷にならないようにと、彼に涙したことをいわないのは、記憶がなくても変わらなかった。
「アタシ、何度も愚痴聞いたけど」
「エリデ!」
なにもこのタイミングでバラさなくてもいいではないか。ニナは一番の証人がいることに焦った。
「あのっ、フィリベルト様は悪くないですよ⁉ 分かってて期待しすぎて、勝手にわたしが落ち込んでただけで……!」
ニナが弁解すればするほど、フィリベルトの握る力が強まってゆく。
「だから、君は私に期待しなくなったのだろう」
エメラルドの瞳が揺れる。それはニナが、してはいけないことだと自身にいいきかせてきたことだ。口にせずとも肯定と分かり、フィリベルトは苦く笑む。
「この婚約がこれまで持っていたのは、ひとえに君の努力があってこそだ。そのことに気付けずいた私を許さなくてもいい。けれど、どうか私に贖罪する機会を与えてもらえないだろうか」
「償うも何も、謝るようなことはされていないのに……」
愛されなくても隣に、と願ったのは自分だ。想いが消せないゆえに時折凹むこともあったが、それも覚悟のうえでニナは彼との婚約関係を維持しようと努めていたのだ。だから、ニナには自身の心の傷があったとて、それは婚約者の非ではない。
「すまない。私が楽な願いを言った。私は君のこれからがほしい。君の隣を他の男にやりたくないし、叶うなら君に私を求めてほしい」
そのためなら何でもする、と真摯なアメジストの瞳に射貫かれた。ニナの鼓動が強く打つ。こんな夢のようなことがあっていいのかと思う。しかし、強く握られた自分より大きな手が現実だと伝え、幻想だと逃避することができない。
嬉しい。すごく嬉しい。そう胸が高鳴るのに、彼の手を握り返せない。本当に求めていいのか、と迷いが生まれる。
このままでも、婚約状態も、婚姻する未来も変わらない。けれど、ニナが想定していた関係ではなくなる。その心の準備ができていなかった。彼が変わった理由も分からない。
困惑がありありと浮かぶ婚約者に、フィリベルトはずくりと胸に痛みを覚えた。彼女が肯けないほど、それだけ信用を失っている事実に。いっそ、責められた方が楽だというのに、彼女はそれすらしない。彼女の人柄ゆえと分かっていても、責める価値すらないのかと卑屈にもなる。
「どうすれば、私の想いを信じてもらえるだろうか」
「どう、って……」
手段を訊ねられ、ニナも弱る。彼の言葉を、彼の態度を、信じ切れない自分が信じられない。どうして迷うのか。肯けばいいではないか。彼のことが好きなのに。
ぱんっ、と音がして、二人の膠着した思考が一瞬弾ける。音の元は、立会人状態だったエリデの打った拍子だった。
「ニナに相応しいか、アタシが試してあげる」
「そんなっ、フィリベルト様に相応しくないのはわたしのほ……」
彼を試すなど畏れ多いと、親友を止めようとするも、その親友にひと睨みされてしおしおと引き下がる。話の埒があかないから黙っていろとその目がいっている。
「何をすればいいだろうか」
フィリベルトの方は臨む気だ。当初から反対していた彼女の親友に試しの機会を与えられるだけありがたい。彼女の大事な人からも認められる努力はしたい。
「土曜日のジョフレ夫人のパーティには、招待されているわよね」
「ああ、されていたはずだ」
ジョフレ侯爵夫人主催の夜会は、家単位での招待のためいく者が誰と決まっていない。そのため、パートナー必須のものでもなかった。ボーヴィ伯爵家にもその招待状は届いている。
「じゃあ、そこでニナを見つけてみせて」
それがフィリベルトに課す試練だと、エリデは告げる。
つまり、同伴での参加せずに多くの人のなかから婚約者を探しだせばいい、と。見知った相手を探すというのはそう難しいように思えなかったが、何かしらの意図があるのだろう。
「わかった」
挑戦的な眼差しを、アメジストの瞳は真っ向から受けたのだった。






