01.
事の発端である二人の婚約は半年前の夜会がきっかけだった。
ボーヴィ伯爵令息のフィリベルトは、栗色の髪とアメジストの瞳の美男子だった。鼻筋の通った顔立ちに、騎士団副団長の立場もあり、独身男性のなかで一番の優良物件だった。そのため、夜会にでれば令嬢に囲まれた。
ニナもその囲んでいた令嬢のひとりで、よくある赤みがかった金髪とエメラルドの瞳なうえ、男爵令嬢という立場の低さからダンス相手になることすらないため、彼の認知外だった。
その日は、断られるとわかっていているダンスの誘いの声すらかけること叶わず、フィリベルトと言葉を交わすことなく夜会が終わることが確定し、ニナは意気消沈していた。とはいえ、いつものことで、挨拶だけでも言葉を交わせたら幸運なので、また次回挑もうと奮起するのだが。
宴もたけなわになり、休憩室などで休む者もちらほらといる頃、化粧室をでたニナはそろそろ帰ろうかと思っていた。化粧直しをしたのは、彼の視界に入る可能性のある間は最後まで綺麗でいたいからだ。
ダンスホール近くの化粧室が混んでいたので、少し遠くまで足を延ばした。だから、ホールに戻るにもしばらくかかる。いくつかの休憩室を通り過ぎ、そのひとつから聞き覚えのある声がした。
「お前の事情も分かるが、いい加減肚をくくったらどうだ」
「わかっている」
苦虫を潰したような調子だったが、その声は紛れもなくニナの想い人のものだった。休憩室のドアは基本的にわずかに開いている。客に不審なところがないという証明のためだ。閉まっている部屋があれば、それは家主の許可を得たうえで利用している場合に限る。
ただ男性専用に設けられた休憩室からきこえたので、さすがに中に入る訳にはいかない。せめて最後に顔だけ拝見しようと、ニナはドアの隙間から彼の姿を探した。
フィリベルトの姿をみつけたとき、彼の上司が手紙の束を扇状に広げてみせたところだった。
「こんなにより取り見取りだってのに」
「じゃあ、これにする」
フィリベルトは無造作に扇形の封筒から一通を引き抜いた。
ニナは、あ、と声なく口を開いてしまう。彼が手にした手紙の封蝋の家紋と封筒の色にとても見覚えがあったからだ。間違いなく、それは自分がだした手紙だった。
「酒が強すぎたか?」
自棄な選択の仕方に、上司が酔いが回ったかと危惧した。
「どうせ誰と結婚しようと同じだ」
いたって正気だと、フィリベルトは上司の心配を一蹴した。
結婚の単語に、ニナは開いた口を閉じるのを忘れる。短いやりとりしか確認していないが、聞き間違い、見間違いでなければ、彼は手に取った手紙の主と結婚すると宣言した。つまり、自分と。
さすがに都合のいい幻覚をみすぎではないかと、ニナは近付いた休憩室のドアから離れ、帰途につくことにする。自分が夢をみている疑念が晴れず、家に着くまで馬車のなかでずっと頬をつねっていた。
翌日、朝目覚めたときには昨夜の垣間見は夢と断定した。
しかし、昼過ぎにフィリベルトがトッレ男爵家を訪ねたことで現実と証明された。
自室にいたところを男爵の父に呼ばれておりていったら、階段の真下に栗色の艶のよい髪の男性がいた。その瞳はアメジスト。その深い紫は、見間違えようもない。
「ニナ・トッリ嬢」
やわらかな笑みを向けて彼に呼ばれた。疑問符はついていなかったが、今自分の名前と顔を一致させたと分かった。だって、これまで彼の視界に入っても自分に焦点があうことなどなかったのだから。
階下におりてきた自分の手をとり、首を垂れ、手の甲へ唇を寄せる。触れる寸前で止まるそれは挨拶だとわかっているが、かかる吐息と初めて触れた彼の手の熱にニナの頬は紅潮した。
「どうか私と婚約していただけませんか?」
断られるなど思ってもいない問い。それは正しい。
「はい」
ニナは夢見心地すぎて喜んで、と返すことができなかった。ただ肯くだけで手一杯だ。
父に先触れをして正式な訪問だった彼は客室に通され、父とニナに向き合い婚約の段取りを相談して帰っていった。
フィリベルトが去ってからトッリ家は大騒ぎで、父からどうやって見初められたのかと問い質されるも、放心状態のニナは返事を返せなかった。
ニナですら夢と思ったのに、昨夜の彼は確かに正気だった。そして、昨日の今日の出来事で決断力だけでなく行動力もあるのだと知った。
こうして取り巻きでしかなかったニナは、令嬢たちが羨むフィリベルトの婚約者の座についた。






