第191話 社畜、異世界から帰還する
日本に戻ると、朝方だった。
路地はまだ暗く、道端から生える雑草にうっすらと霜が降りている。
季節的に一番寒い時期は過ぎたとはいえ、早朝の冷え込みはまだまだ厳しい。
「寒っ……」
そう口にした途端、目の前にふわっと白い息が現れた。
異世界が温暖な気候なので、こちらに帰ってくるたびに寒さが身に染みるな。
一応、ダンジョンの入口付近に防寒着は置いてあるから着替え済みではあるが、寒暖差のギャップが激しくて風邪引きそう。
こういう時は、クロのモフモフの毛並みが羨ましくなるな。
思わず抱き上げて暖を取りたくなるが、我慢する。
……そういえば、魔眼を得てからまったく風邪とか引いてないけど、この身体って病気になるのだろうか?
というか身体能力の強化って免疫にも影響するんだろうか?
異世界ではヘイリィさんとかアルマさんのステータスを覗いた時に、なんかヤバそうな流行り病の情報を見たりしているからな。
ちょっと不安ではある。
まあ、それより自分がこっちの世界に異世界産の病気を持ち込んだり、逆に向こう側にこっちの病気を持ち込んでしまったりする方が怖いけどな……などと考えてしまうのは、俺が日本人だからだろうか。
こっちでも定期的にインフルエンザやらもっと怖い病気が世界中で流行することはあるので、不安感はぬぐえない。
そもそもこっち側と異世界側は、どうも緩く繋がっている気がするんだよな。
そこでどうしても人やら魔物やらの行き来が発生しているわけで。
俺は当然のこと、ソティも元異世界人だと言っていたし。
それに以前戦ったクリプトを始め、異世界勢がちょくちょくこっち側にやってくるイベントはあるっぽいし。
俺が知らないだけで、現在でも俺以外に地球と異世界を行き来しているヤツがいてもおかしくない。
そう言う意味では、皆が気づかないだけで過去流行った病気の中にも異世界産のものもあったりして……
などと怖い想像が脳裏を駆け巡る。
「…………まあ、いいか」
とはいえ、この辺の問題は今さら考えても仕方ない気がする。
法律でも制度上でも、異世界を行き来するときの防疫体制なんて整えられているわけがないからな……
それより今は、時差ボケの方が辛い。
半日の時差は地味に堪えるんだよな……
こっち側で飛行機に乗って移動するのと違って、いきなりだし。
ダンジョンを介しているとはいえ、それでも体感的には日本とアメリカを反復横跳びしているような気分だ。
ヤバ……想像したらめちゃくちゃ身体がダルくなってきた。
俺は欠伸をひとつして、それからさらに伸びをした。
『…………』
ふと足元を見れば、クロも俺と同じように欠伸と伸びをしていた。
「はは、お前もか」
空の明るみが、ビルの天辺からじわじわと空に広がっている。
時計を見ると、朝6時をちょっと過ぎたあたりだ。
とりあえず帰宅してシャワーを浴びよう。
◇
午前中は軽く仮眠を取ったりのんびりして、午後からは買い物のあと、アンリ様の様子を見に行くことにした。
よくよく考えたら、数日前にアンリ様をこちら側に連れてきてから一度も会っていない。
一応ソティがある程度面倒を見てくれているはずだし、女子寮ということで管理人さんもいる。
さすがに飢えているようなことはないと思うが……もしかしたら寂しい思いをさせてしまっているかもしれなかった。
近所で日用品やら食料品の買い出しなどの用事を済ませたあと、再び家を出た。
駅前のコンビニで差し入れ用のお菓子を購入してから、すぐ近くの彼女の住むマンションの前までやってきた。
ええと、アンリ様の部屋は……たしか506号室だったかな。
ひとまず管理人さんに挨拶をしてから、エントランスにある端末から506と入力し、インターホンを押す。
ピンポーンと呼び出し音が鳴り、しばらくしてから、
『ハイ! コニチハ、ヒロイ、サマ!』
と元気な返事があった。
どうやら飢えてヘロヘロになっていたりはしないようだ。
ちょっとだけ安心する。
それからすぐ『なんで俺だと分かったんだ!?』と混乱してしまったが、すぐにインターホン付近にカメラが埋め込まれているのに気づく。
どうやらアンリ様は部屋から俺をモニターで確認したうえで、返事を返してくれたようだ。
すでに文明の利器を使いこなしているようで、適応能力の高さにちょっと感心する。
返事も片言だが日本語だし。
それにしても、なぜか返事の後ろにザワザワとアンリ様以外の誰かの気配がするんだが……来客中だろうか?
『ドウゾ、イラッシャイマセ』
さらにアンリ様の続けた言葉と共に、ガーッとエントランスの自動ドアが開いた。
ドア開閉も完璧にこなしている。
アンリ様、俺の想像以上にこちら側の生活に馴染んでいるようだ。
『男子三日会わざれば刮目して見よ』なんて格言を思い出すが、女子も三日会わなければ刮目して見る必要があるらしい。
まあ、考えてみれば別に男子に限定するような格言ではない気がする。
「お邪魔します」
一声インターフォンに声を掛けてから、内部へと入った。
エレベーターに乗り、アンリ様の部屋の前へ。
静かな廊下に、ドアの向こう側から漏れ聞こえる楽し気な声。
やはり来客中のようだ。
誰だろうか?
なんかやかましいというか姦しいというか……
とりあえず寮の中にいれてくれたし、顔だけ見せておこう。
ドア横のインターフォンを押す。
一瞬内部の騒がしさが収まり、ややあってからロックが解除される音が響き、ドアが大きく開いた。
「いらっしゃいマセ、ヒロイ様!」
パーカー姿のアンリ様が、満面の笑みで玄関に立っていた。
血色は良く、やつれた様子はない。ちゃんと健康そうだ。
彼女の姿を直接見て、ようやくホッとする。
「お久しぶりです、アンリ様。ちょっと近くに寄ったので、差し入れでもと思いまして」
「ありがとうござマス。どうぞ、中へお入りくだサイ!」
とりあえず差し入れのお菓子を手渡したところで、ギュッと手を握られた。
そのままアンリ様は俺を部屋の中に招き入れようとする。
「えっと、アンリ様。今、来客中では?」
「全然大丈夫ですヨ! 皆、ヒロイ様のコトを知ってイルデス!」
「そ、そうなんですか?」
ということは、部屋にいるのはソティだろうか。
それか、もしかして桐井課長とか?
仕事は俺と一緒にすることになるだろうから、ソティが先に紹介していてもおかしくはないが。
それにしては騒がしかったような気がするが……
「さあサア、どうゾ!」
アンリ様にグイグイと引っ張られるまま、彼女の部屋へと上がりこんだ。
そして、居間まで通されたところで来客者が誰かに気づく。
お菓子とジュースがてんこ盛りになったローテーブルを囲み、思い思いにクッションやベッドに座るのは三人の女の子たちだ。
彼女らの視線が一斉にこちらに向く。
「あー……ちょっとお邪魔します」
これは……一体どういう風の吹き回しだろうか。
そこにいたのは、朝来さん、加東さん、そして能勢さん。
つまりは先日の怪人討伐チームこと魔法少女三人組だった。
※補足※
病気について……異世界の病(特に奇病の類)は『マナ』が関係しているものが多く、マナが薄い地球側では病原菌(?)の毒性が極めて弱くなりただの風邪としか認識されなかったりそもそも存在できなかったりするので、異世界⇒現実世界の方向で異世界特有の病気が広がる心配は基本ありません。
現実世界⇒異世界のケースも、同様の理由から似たような感じです。
まあこの辺りはテーマでもないので、ふわっと『そういうものか』くらいに理解して頂ければ。




