【37】 聖人ユリウスのファンタスマゴリー計画
「──といった様子で、何度言っても聞かなくて。どうしたら諦めてくれるのか、悩んでいるのです」
送風機の準備をしながら、メアリは今日あった出来事をユリウスへ話していた。
今こうして準備している機材だって、デンバーに悟られないように少しずつ作業部屋から自宅へ運び出して組み立てたものである。
重い什器を所定の場所へ運びながら、ユリウスは「なるほど」と小さく頷いた。
「彼はあまり良いうわさを聞かないが……大丈夫なのか?」
「見る限り、交霊会の準備はまだ時間がかかりそうなので……ギリギリセーフといったところでしょうか」
「いや、そういう意味ではなく。どうやら彼はあなたに対してボディタッチが多いようだから」
「……そちらでしたか」
そもそもメアリはデンバーに女性扱いされていないので、すっかり失念していた。
心から心配しているらしいユリウスに言ったところで、信じてもらえなさそうだが。
今夜の霧はまぁまぁといったところだ。
欲を言えばもっと濃い方が良かったのだが、こればかりは運なのでどうしようもない。
(霧が足りないときのために、霧を発生させる機械もつくるべきね)
まっさきに思いつくのは加熱式だが、最近発表された超音波も応用できるかもしれない。
忘れないように手帳へメモを書きつけながら、メアリは準備を進めた。
「耳元でささやくなんて、少々距離が近すぎないか?」
「ええ、そうなのです。私を困らせようとしてやっているのでしょうが……それくらいで動揺するような私ではありませんわ」
言いながら、メアリは設置した機械の最終点検を始めた。
機械は全部で四つ。それぞれにプロペラがついていて、これが回ることによって霧を集める仕様である。
「それくらいは、慣れていると?」
「慣れているというか……デンバーは弟みたいなものなので、意識しようがないのです」
「……俺が相手だったら?」
「アールグレーン様が相手だったら? それはもちろん……勘違いするので絶対にしないでくださいね」
あなたはご自分の容姿の素晴らしさについて、よくよく知るべきです。
メアリはそう言って、機械から顔を上げた。
「さぁ、では試験を始めましょうか」
「……わかった」
ユリウスの言う「わかった」は、絶対にささやかないという意味だったのか、それとも試験開始へ向けてものだったのか。
気にしだしたら止まらなくなりそうで、メアリは考えを頭から押し出した。
機械の電源をオンにすると、フォンフォンと音を立ててプロペラが回り出す。
辺りを包んでいた霧が巻き上げられるように集まりだして、次第に大きな塊へ、一枚のスクリーンへと姿を変えていった。
濃密な霧でできたミストスクリーンは、触れるとじっとりと湿り気を感じる。
同じように隣でミストスクリーンに触れていたユリウスは、メアリの視線に気づくと嬉しそうに破顔した。
「うまくいったな!」
「はい!」
差し出されたユリウスの手のひらに、メアリはぴょんと飛び上がってハイタッチする。
(これよ、これ!)
メアリが機械をいじることが何から何まで気に食わないデンバーと違い、ユリウスはなんでも楽しんでくれる。
誰かと感動を共有できることがこんなにも嬉しいことなのだと、メアリは知らなかった。
知らなかったことを知るのは、すてきなことだ。
でも、とメアリは思う。
知れば知るほど深みにはまって、「また次も」と欲張りになっていくのではないか。
(いつか彼を独占したいと……街の女の子と同じになってしまいそうで、怖いわ)
少し、近づきすぎたのかもしれない。
さまざまな誤算が重なって、今は親しくしてもらっているけれど、本来ならばメアリはユリウスと気楽に会えるような立場ではないのだ。ましてや、実験に立ち合わせるなど恐れ多い行為である。
権力的な意味では問題ないが、街の治安維持という意味では絶対にバレてはいけない関係だろう。なにせ、メアリはみんなから遠巻きにされている変わり者なので。
ユラユラと揺れるミストスクリーンを観察しながら、メアリは思案する。
そこへ、ユリウスが唐突に「そうだ」と声を上げた。
「なっ、なんですか⁉︎」
「驚かせてしまってすまない。言うことを聞いてくれないという従兄弟を、どうにか懲らしめられないかと思って考えていたのだが……」
保管庫にはユリウスの蓄音機も置いてある。
きっと彼も、誰かに知られたら困るような秘密を、預けているのだろう。
熱心に考えてくれたのはそのためであって、メアリが困っているからではない。
だから勘違いするなと、メアリは自身を戒めた。
ユリウスの蓄音機が間違って表に出ようものなら、間違いなく街中の女の子たちが群がる。
(それくらいで済むはずがありませんわ)
血で血を洗う、恐ろしい戦いが大真面目に開催されそうだ。
もしくは、ファンクラブ限定のシークレットオークションとか。
(うわぁ、本当にありそうで怖い)
なんなら、ユリウスの私物もオークションにかけられていそうである。
パンツ一枚でいくらになるだろう。
身ぐるみ剥がしてオークションに出品したらとんでもない金額になりそうで、メアリは震えた。
(盗難防止用に何かつくってあげるべきでしょうか……?)
絶対にユリウスの蓄音機は死守してみせる。できれば、彼の私物も。
メアリがこっそり決意を胸に抱いたところで、ユリウスは言った。
「ファンタスマゴリーを使うのはどうだろうか?」
「ファンタスマゴリーを?」
キョトンとした顔で不思議そうに見上げるメアリに、ユリウスはいたずらっ子みたいな顔でニヤリと笑んだ。
それから、内緒話をするように口元で人差し指を立てる。
少しだけ突き出た唇が妙に色っぽく、メアリは思わず視線を泳がせた。
クスッと小さな笑い声が聞こえて、ますますメアリは恥ずかしくなる。
「ファンタスマゴリーに向けて、ミストスクリーンとプロジェクターの調整は何度も行う必要がある。そのうちの一回を利用して、彼を死ぬほど怖がらせて交霊会なんてしたいとも思えなくしてやるのはどうだろう?」
「死ぬほど怖がらせるのですか?」
「そう。ガタガタ震えるくらい」
ユリウスはニッとおどけるように笑う。
ガタガタ震えるデンバーを想像したら、メアリも楽しくなってきた。
「かわいそうじゃないかしら」
そう言いながらも、メアリの目は笑っている。
「言っても聞かないのなら、そこまでやらないと。それに、生半可なものをつくったって面白くないだろう? 本気でやるから、面白い。ブレゲの著書にもそう書いてあった」
敬愛するブレゲの言葉を持ち出されて、ますます乗り気になってくる。
デンバーのことだ。メアリが前向きに検討するための条件を出したら、飛びつくに違いない。
「まずは私が交霊会を試して、それで良ければ公爵夫人へ進言する。そう言えば、デンバーは間違いなく来るでしょうね」
「じゃあ……」
「ええ、やりましょう。デンバーのことを、死ぬほど怖がらせてみせるわ」
邪悪な顔で、二人は頷き合う。
誰もが震え上がるような、恐怖のファンタスマゴリー!
新たな目標を掲げ、二人はかたく握手を交わした。
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