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【25】 奇婦人メアリの聖域③

「今日は私がコーヒーを淹れてきますね。アールグレーン様は、好きに見ていて良いですよ。でも、スイッチは押さないようにしてくださいね。中には危ないものもありますから」


 ユリウスが「わかった」と頷くと、メアリは応接室へ戻って行った。

 水を補充する音や茶器をセットする音が聞こえてきて、やがて全自動珈琲抽出機(コーヒーメーカー)がにぎやかな音を奏で始める。


 作業部屋に一人残されたユリウスは、初めて女性の部屋に招かれた思春期の少年のように頰を紅潮させながら、部屋の中を慎重に、かつ細部まで記憶するかのようにじっくりと眺めた。


 もしもメアリがその場にいたら「あなたの目は、まるで写真機(カメラ)みたいね」と目を丸くしていそうだ。


 メアリに言われるまでもなく、スイッチどころか小さな歯車一つ触れることはできない。

 だって、無理だ。一度でも触れたらこっそり持ち帰ってしまいそうで。


 自分の中にそんな変質者のような……いや、犯罪者的思考があったと知らなかったユリウスは、ちょっとショックを受けた。


「聖人として……いや、追放されたから元になるのだろうが……いろいろまずいだろう」


 育ててくれた大聖堂の面々に顔向け出来なくなるようなことだけは、したくない。

 夢見心地でふわふわしている気持ちに、ユリウスは「しっかりしろ、俺」と叱咤(しった)した。


 ひとしきり部屋の中を見たあとは、彼女が最も大事にしているであろう元・ミシン台の作業台へ近づく。

 土台にしているミシン台はもちろん、天板も年季が入っているように見えた。


 メアリがそうしていたように、そっと触れてみる。

 使い込んで丸みを帯びた角は、柔らかな質感をユリウスへ伝えてきた。


 何度も撫でたからこその触り心地だ。それだけ、メアリにとっては大切なものなのだろう。


 台の上を見ると、工具箱とメモの束が置いてあった。

 工具箱の中は使いやすいようにきちんと整頓されていて、メアリの几帳面(きちょうめん)さがうかがえる。


 作業部屋はゴチャゴチャとした印象を受けるのにまとまった感じもするのは、こういうところに起因しているのかもしれない。

 無機質なのに、あたたかみがある。チグハグだけれど、不思議と居心地が良い空間だ。


 メモに書かれた癖のある丸い字は、メアリの筆跡だろうか。

 幼い女の子が書くような字は貴婦人らしからぬ筆跡で、思わず顔が緩む。

 しかし、書かれた内容を理解した瞬間、ユリウスの顔に焦りがにじんだ。


「……しまった」


 メモには、ミストスクリーンやミストスクリーンプロジェクターについて書かれている。

 考え事をまとめようとしていたのか、字はあちこちに書き散らされていた。

 書き途中のものが多々あり、まとまりきっていないことがうかがい知れる。


「……相談されていたのに、すっかり忘れていたな」


 せっかくメアリが頼りにしてくれたのに。

 一体、なにをぼうっとしていたのだろう。


「いや、ただぼうっとしていたわけでも、ないのだが……」


 誰に聞かせるでもない言い訳が、口を突いて出る。

 でも確かに、ただ時間が過ぎていったわけではない。

 嫉妬して、メアリへの気持ちを自覚して、そうかと思えば性懲りも無くまた嫉妬して──、


「嫉妬してばかりだな」


 我ながら、なんて狭量な。

 ユリウスは自嘲するように卑屈な笑みを浮かべた。


「なんて、情けない」


 己の感情なのに、ちっとも制御できない。

 世の男性は、この醜い感情をどう隠して生きているのだろう。

 一度、ご教授願いたいものである。


 なにせユリウスときたら、こうしている今だって、コーヒーを準備してくれているメアリが新妻だったらどんなだろうなんていう妄想が捗って仕方がないのだ。


 ミストプロジェクターの利用方法について相談されてから、だいぶたっている。

 メモを見る限り、まだ意見は受け付け中のように思えるが、まだ間に合うだろうか。


 脳内に住んでいるメアリに問い掛ければ、「それはそれですわ!」と答えてくれる。

 確かに、彼女ならそう言いそうだ。

 たとえ問題が解決していたって、ユリウスの意見もちゃんと聞いてくれる気がする。


「……幽霊演芸(ファンタスマゴリー)を提案してみるか」


「ファンタスマゴリー?」


 すぐ後ろから声がして、ユリウスはびくりと肩を揺らした。

 そんな彼にキョトンとしながら、メアリはコーヒーカップを差し出す。


「ありがとう」


「いいえ、どういたしまして。ところで、ファンタスマゴリーって初めて聞いたのですけれど、どういう意味なのですか?」


「幽霊の演芸という意味なのだが……その……」


 様子をうかがうような視線に、メアリはまばたきを一つした。

 それから、ふわりとやわらかな笑みを浮かべて、ユリウスを見つめる。


「あら、遠慮することはありませんわ。ぜひとも聞きたいです、あなたの話」


 私、聞きたいと言ったでしょう?

 メアリに促され、ユリウスはまごつく。


 彼女を前にすると、どうにもらしくなくなるのだ。聖人の皮が剥がれるというか、年齢相応の自分になるというか。


 兎にも角にも、彼女の隣にふさわしい大人の男性でないことは確かで、ユリウスは今にもしゃがみ込んで盛大にため息を吐きたい気分になった。


 それでも、期待に満ちた視線で見つめ続けられれば、恋する男が黙っていられるはずもなく。

 観念して、口を開くユリウスだった。


「メアリさんは以前、ミストスクリーンの活用法について聞いてきたことがあっただろう? あれからいろいろ考えていたのだが……ミストスクリーンにゴーストの映像を写したら、本格的なゴーストショーができるのではないかと思ったのだ。王都では最近、交霊会が流行っているというから、もしかしたらこういう催しが好きな人は案外多いのではないだろうか」


「ゴーストショー……ファンタスマゴリー……」


「どう、だろうか」


 ユリウスは、固唾(かたず)を飲んでメアリを見守った。

 彼の前では、メアリがブツブツと独り言をつぶやきながら考え事にふけっている。


 かわいらしい小さな唇が震えるように何事かをささやく度に、ユリウスは奥歯をギュッと噛み締め、湧き上がる衝動と戦った。


 どれくらいそうしていただろうか。

 諦めてコーヒーを飲もうとしたその時、メアリと目が合った。


「すばらしいわ!」


 ズズイとメアリが近づいてくる。

 興奮すると距離を詰めてくるのは彼女のくせなのだろうか。


 やめてほしい、切実に。いろいろと我慢しているのだから。

 だが、まったくされないのも悲しいから、たまにはしてほしい。


 複雑な気持ちを涼やかな表情で覆い隠しながら、ユリウスはメアリが持っていたコーヒーカップの中身が今にもこぼれそうなくらい波打っているのを見て、慌てて支えた。


「まずはなにから始めましょうか?」


 ユリウスがコーヒーカップを回収して作業台へ置いていると、メアリはそう言った。

 両手が空いて自由になった彼女は、軽やかな足取りで棚へ向かい、物色しだす。


「それなら……まずは墓地でリサーチしてみないか?」


「リサーチ?」


 箱に顔を突っ込んでいたメアリが、振り返ってユリウスを見る。

 そんな彼女へ、ユリウスは至極真面目そうに頷いた。


「夜の墓地はいかにもな雰囲気だから、勉強になると思う」


「でも、夜間は立ち入り禁止でしょう?」


 ルフナ教会はいつでも開いているが、隣の墓地は夜間の立ち入りを禁じている。

 時間になると門扉は閉ざされ、朝になるまで開くことはないのだ。


 だが、墓地の管理を任されているユリウスは例外である。

 なんなら夜は、彼が本領発揮する時間なのだから。


「俺が、案内しよう」


「いいのですか⁉︎」


「いや、むしろこちらのせりふなのだが……メアリさんこそ、いいのか? 夜に、俺と会っても」


「大丈夫です。私、もうすぐオールドミスなので!」


 オールドミスというのは魔法の言葉なのだろうか。

 むしろオールドミスにならないためにも、ここは回避すべきなのでは。


 そんな疑問が脳裏を過ぎったが、ユリウスは無視した。

 だって、メアリとデート。メアリとデートなのである。これを逃す手はない。


 手を繋ぐ理由はあるし、あわよくばつまずいたメアリを助けるために腰を抱き寄せることだって、あるかもしれない。


 ああ、妄想が止まらない。

 にやけそうになる顔を必死に取り繕いながら、ユリウスはデートの約束を手際よく取り付けたのだった。


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