【23】 奇婦人メアリの聖域①
ユリウスは、自分でも呆れるくらい気分が高揚していることがわかった。
それは、誕生日の朝、今日はどんな風に祝ってもらえるのだろうとワクワクした気持ちで目を覚ました時に、よく似ている。
ユリウスを驚かせようと、数日前からみんながひっそり準備をしていたことを、彼は知っていた。
準備中のみんなをこっそりのぞいた時に見えたあれは、どうなったのだろう。
考えると胸がいっぱいになって、ベッドを降りる足が軽くなったものだ。普段は、起床時間になってもなかなかベッドから出られないくせに。
行くたびに見せてくれるメアリの機械は、作業部屋への興味を誘った。
いつまでたっても中をチラリとも見せてくれないから、きっと彼女しか入れない聖域のような場所なのだろうと、残念に思いながら納得させていたのだ。
だからこそ、こうして招いてくれることが、どうしようもなく嬉しい。
今しがたまで感じていた、男性スタッフとやらへの嫉妬も吹き飛ぶくらいに。
どうやらユリウスは、自身が思っていたよりも嫉妬深い性質のようだ。
女性を男と見間違えるほど目が馬鹿になったり、普段は気にならない香水が気になるほど鼻が敏感になったり。メアリを好きだと自覚してから、恋というものがもたらす弊害を、これでもかと突きつけられている。
まるで、改心させようとしているかのようだ。
今までずっと、自身へ向けられてきた好意を一蹴してきたが、今はもうできそうにない。
だってきっとそれ以上に、ユリウスはメアリに恋をしている。この気持ちは、執着と言っても過言ではないだろう。
初恋は実らないとはよく言うらしいが、自分に限ってそれはないと、ユリウスは思っている。
よくある、自分だけは大丈夫だという思い込みかと思いきや、そうでもないようだ。
また、類稀な美貌で籠絡しようとも思っていない。
そもそも顔で釣れるような女性ならば、とっくに両思いのはずである。
初恋ゆえの盲目か、若さゆえの潔さか。禁欲的な大聖堂で育った彼だからこその、決断だったのかもしれない。
抱えきれないほどの激情なんてこれっきりで十分だとばかりに、ユリウスは、これが初めての恋だというのに、これを最後にすると決めていた。
いつか、メアリに告白する時がくるだろう。
もしもその時、彼女がユリウスを受け入れてくれなかったら。その時は潔く身を引き、彼女のことを想いながら、生涯独身を貫くつもりだった。
彼に恋する乙女たちが知ったら、卒倒しそうな内容である。
清々しい顔の下で、ユリウスがこんな決意をしているだなんて、当事者であるメアリも知る由がなかった。
作業部屋への誘いで現金にも機嫌を直したユリウスに、メアリはクスリと笑んだ。
このお誘いは、そのための提案だったのだろうか。
翻弄されているようで、はずかしい。だけど、理解してもらえているようで嬉しくもある。
ふわっとした優しげな笑みは、母親が子どもに見せるそれのようで、ユリウスは嬉しいような悔しいような気持ちになった。
きっと彼女の好みは、元婚約者であるコンラート・ヴェルマーのような、熟成された大人の男なのだろう。
もしかしたらユリウスのような、見た目ばかり大人で精神はまだ子どもから抜けきれていない半端な男は、お呼びじゃないかもしれない。
そう思っているから、子ども扱いされているのが面白くないのだ。
しかし、それを言うともっと子ども扱いされそうで、結局は素直な気持ちを吐露することしかできなかった。
「ずっと気になっていたから……嬉しい」
そう言うと、メアリははにかんだような笑みを浮かべた。
かわいい。抱きしめたい。
思わず手を伸ばしそうになって、ユリウスは慌てて拳を握った。
メアリが歩き出す。
応接室の奥には二つの扉があって、一方は蓄音機が置いてある部屋、もう一方はメアリが作業部屋と呼んでいる部屋になる。
蓄音機が置いてある部屋は、思い出あずかり屋を利用した時に入ったことがあった。
オフホワイトの壁に、使い込まれた飴色の床。広さは、ガラス張りのガーデンルームくらいだろうか。
長時間くつろいでも疲れないようなちょうど良いかたさのソファと、アンティークのテーブル。テーブルの上には、ガラス製の鈴蘭の花のような形をしたランプが置いてあって、柔らかな光が蓄音機を照らしていた。
重厚感がありながら、それでいて懐かしさも感じる、不思議な空間だった。
思い出に浸るには、あまりにも適している。教会にも欲しいくらいだ。
「今日、お招きする予定ではなかったので片付いていないのですが……本当に大丈夫ですか?」
扉の取っ手に手をかけながら、振り返ったメアリが不安そうにユリウスを見上げる。
どれほど汚れていようが、たとえ扉の向こうにゴミの山が形成されていたって、ユリウスは喜んでついていくだろう。なにせ、機械油の匂いをいい匂いだと思っている男だ。
「大丈夫だ、気にしない」
「そうですか。じゃあ……どうぞ?」
開け放たれた扉の向こうから、機械油とバニラの甘い香りが漂ってくる。
応接室で感じるよりも濃い匂いに、ユリウスの口元が自然と緩んだ。
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