ミズチの視線…無駄に色気を振りまくな…
はぁ……はぁ……。もう、本当に何なのよあのバカ蛇……」
中庭の芝生の上で、私は大きく深呼吸をして乱れた呼吸を整えた。
手元にあるプラスチックボトル(ファミチキ臭)の中では、紐ヘビ形態のミズチが「反省中だぉ……」と言わんばかりに小さく丸まっている。速操でリュックの奥底へ叩き込み、チャックをこれでもかと厳重に閉めてやった。
一度は肉体関係(そういう意味)で美味しく食い尽くされ、魔力をゴリゴリに吸い上げられたあの夜の恥ずかしいトラウマ。それをまさか大学の中庭で再演されそうになるなんて、思い出すだけで顔から火が出そうだ。
さて、問題はここからである。
顔の火照りをパタパタと手で仰ぎながら、私は重い足取りで講義棟へと戻り、自分の講義室の引き戸をそっと開けた。
「……何これ、お札の展示会?」
絶句した。
ついさっきまで普通の大学の講義室だったはずの空間は、窓際を中心に、びっしりと怪しげな「清めの呪符」が貼り巡らされ、さながら特級呪物の封印部屋のようになっていた。
その中心で、靈影暁人が青白い顔をしてゼーハーと荒い息を吐きながら、まだ呪符を壁にペタペタと貼っている。
「おい、佐藤……! 水無瀬が戻ってきたぞ……! 近付くな、お祓い(物理)されるぞ!」
「いや靈影、お前さっきから何一人でパニックになってお札貼ってんだよ……? 地震で頭打ったか?」
霊感が一切ない佐藤くんは、完全に引いた目で暁人を見ていた。それはそうである。普通の一般人から見れば、地震の直後に三白眼のイケメンが突然発狂して、カバンから大量のお札を出して窓に貼りまくっているのだ。不審者は私ではなく、完全にアイツだった。
「水無瀬さん、大丈夫だった!? 凄い揺れだったね!」
亜美ちゃんが心配そうに駆け寄ってきてくれた。あぁ、友人の一般人オーラが心に染みる。
「あ、亜美ちゃん、うん……私は大丈夫。ちょっと外の様子を見に行ってただけだから……。あはは……」
私が一番後ろの席に座ろうとすると、呪符の隙間から、暁人がギロリと私を睨みつけて(怯えながら)声を潜めて言ってきた。
「水無瀬……お前、昼間から大学の中庭であんな、あんな濃厚なお色気の神格怪異と何をしていたんだ……! 気配だけでこちらの血が沸騰するかと思ったぞ……。あれは靈影家の禁忌呪術でも太打ちできん……!」
顔を真っ赤にしながらも必死に警戒してくる暁人に、私は冷ややかな視線を向けた。
「あのねぇ、三白眼。何にもしてないわよ。ただの『害虫駆除』。それよりあんた、せっかく山梨で菩薩の愛に触れて浄化されたのに、またそんな裏社会の呪符まみれになって。早くそれ剥がしなさいよ、教授が戻ってきたらあんたが怒られるわよ」
「くっ……! この恐怖が、お前には分からんのか……!」
分かっている。というか、その恐怖の当事者は私だ。
◇◇◇
ただでさえ、あのゴールデンウィーク。
居候神だったミズチに、それはもう文字通り肉体的に隅々まで貪られ、可憐な乙女の純潔を散らされたのだ。おかげで心身ともに限界を迎え、死にかけながら過ごす羽目になった、あの最悪の連休のトラウマは今も鮮明に焼き付いている。
「はい、ご飯だよ……」
私は帰宅後、リュックの奥底から取り出したプラスチックボトルからようやくミズチを解放してあげた。そして、せめてもの罪滅ぼし(と機嫌取り)を兼ねて作った、揚げたての鶏の唐揚げ(爆弾サイズ山盛り)と、生卵(今日は特別サービスね)をお皿に乗せて、リビングの小さなテーブルの上に置いた。
ぽふんっ――
軽い煙を上げて、ミズチは紐ヘビから一瞬で人間の姿へと戻った。215センチの巨体を持て余すようにしながら、狭いアパートのソファに行儀よくちょこんと腰掛ける。
黒い着物をだらしなく着崩したような格好で……って、何よその格好。部屋の中だからって、無駄に色気を振りまかないでほしい。胸元がはだけていて、目のやり場に困るじゃないの。
私は、彼の巨体のせいでほとんどスペースの残っていないソファのわずかな隙間に体を滑り込ませ、自分の分のお箸を持った。
「これ食べて、今日のところは大人しくしててよね」
『カイ……から揚げ、美味しそうだぉ。でも、ミズチはから揚げよりも、カイの霊力が――』
「はいはい、まずはご飯! ほら、生卵も絡めて食べなさい!」
ミズチは、私が差し出した唐揚げを大きな口でパクリと咥えながらも、その妖艶な赤い瞳をじっと私に向けて離さない。その瞳の奥には、いつも私を肉体関係(そういう意味)で貪り尽くす時の、あの濃厚で底知れない執着の炎が静かに揺らめいていた。
私と深く交わることだけが、この孤独な大蛇神にとって、自分が「カイの唯一の神様」だと実感できる唯一の証。
(そんな目で見られたら……また、ゴールデンウィークの時のように、全部食い尽くされちゃうじゃないの……)
箸を持つ手が、緊張で少しだけ震えた。




