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五杯目 『衝突する二人の鬼と恵司郎の決意の巻』

「私と力比べでもしようというのか?」

 悲田院で人さらいをしようとして止められた蒼親が望むところだとばかりに白童と向かい合う。

 蒼親と力比べなどして勝った試しはない。

 一体何が望みだ。こんな乱暴な人さらいをしたことは今までになかった。いつも、朱峰を通して誰かいないか聞いていた。もしくは玄翼を通して。

 そういえば、いつからだ。昔は四六時中泥にまみれて遊んでいたのに、いつの間にかお互いにあまり寄り付かなくなった。

 いや、自分が極端に酒に弱い体質だとわかってからだ。力でも、酒でも、商才の確かさでさえ彼にはかなわないと蒼親を避けてきた。ここの賄いの手配をしてくれているのは、結局、人や妖を使って田畑を耕し、産物で仕込みをしてくれている蒼親だ。朱峰と協力して都の妖達と商いをしながら、ここの費用を捻出しているのもそうだ。自分は何を偉そうにしていたのだ。

 白童の顔から怒気が消えていく。

 膝間づき、両手をつくと蒼親に頭を下げた。

「いつも蒼親には感謝している。皆が飢えずにこの里で健やかに育っていくのも、働き場を作ってくれているのも蒼親だ。感謝してもしきれない」

「なんのまねだ」

「いつも感じていたことだ。面と向かっていったことがなかった」

 白童と蒼親の間に恐ろしく緊張した空気が流れている。子供の泣き声さえも聞こえなくなった。鼻をすする音だけが、不規則にあちらこちらから聞こえる。

 白童は蒼親の顔を見上げた。

 蒼親の瞳は見開かれ、眉の両端がぐっと上がっている。仁王像さながらの迫力だ。怒っている。さっきよりもずっと。白童の顔から消えた怒気がそのまま、蒼親に移ったかのようだ。

「お前の軟弱さにはうんざりだ」

 そういうともう一度、志乃を抱え、志乃の傍で泣いていた五つを迎えたばかりの男児を脇に抱えて歩き出した。再び子供達の悲鳴と鳴き声、年長者の懇願の声が響く。

「蒼親! だめだ!」

 行かせるわけにはいかない。白童は後ろから体当たりをした。蒼親の両腕から子供達がばらばらと落ちる。

 志乃が男児をひらって素早く白童の後ろに隠れた。

「やっとやる気になったか」

 蒼親が両指を交差させて、骨の節をぼきぼきと言わせた。

「いいや。蒼親、お前が何を欲しているのかちゃんと聞かせてくれ。私はお前と話をしたいのだ」

「話だと? 俺を止めたくば、真っ向勝負しろ。力でだ」

「なぜだ。蒼親」

「誰がこの山で一番強いのかをはっきりさせようじゃないか」

 蒼親は腰にさしていた二本の木刀を抜き、一本を白童の前に転がした。白童はそれを見つめたが、手は伸ばさない。やりあうつもりはない。

 鬼が暴れて山が無事ですむはずがない。人を保護している場所で勝負などできるはずもない。

 白童とて鬼の端くれ、だが、滅多にその力を使いはしない。なぜなら、火事場の馬鹿力を出すことはできるが、いったん発揮すると丸一日使い物にならなくなる。これも半分は人の血が入っているためだろうと思っている。だが、そもそも、そんな力は必要ない。それを人に見せる必要もない。なぜなら、力が強いからと言って、人を病気や怪我から救えるはずがないからだ。一体、蒼親は何をしたいのだ。

 白童は静かに言った。

「お前が一番強いのはだれもが知っている」

「そうさ、俺が一番強い」

「なら、なぜ、証明したがる」

「俺が一番強いとわかっているというのに、なぜそうも、お前の周りには人も妖も群がるのだ……」

「蒼親……」

 いつも自信満々の蒼親の言葉とは思えない。どんな妖の長たちとも堂々と渡り合っている蒼親のほうが人望も、妖望もある。人が寄ってくるからといって慕われているわけでもない。いわば、同列だと思われているから人が寄ってくるだけなのだ。改めて白童には山の主になる資格などないと思わされる。なのに、蒼親はそれに気づいていない。

 気持ちが満たされていないとは気の毒だ。その思いが一瞬、白童の表情に現れたのだろう。

 蒼親の顔が気色ばんだ。

「俺を憐れむな! とれ。刀をとれ!」

「打つなら、私を打つがいい」

 蒼親の視線が白童の周りを取り囲む人達に注がれる。蒼親は、膝間づいている白童の肩を足で思い切り蹴り上げ、雄叫びを上げて後ろにうずくまっていた美和と男児を抱えた志乃に木刀を振り下ろした。

 カーンという音が響く。

 白童はとっさに木刀を拾い上げ、蒼親の木刀を受けた。その下で美和が平たくなって二人を守っている。

「お、お美和さん。下がって、早く……中に……」

 他の年長者が、手を貸して美和達を悲田院の中に引きずり込んだ。後ろでしっかり扉が閉まる音がした。

 抑えた木刀からいったん力を抜いた。蒼親も木刀を引くと、大きく空中で振り回した。

「ふん、客がいないのでは面白くないではないか」

「そんなものはいらない」

「やっと本気になったな」

 白童は覚悟を決めて木刀を握り直した。まずここから離れる。施薬院の前の薬草畑まで走ると、山を登り始めた。木々の間を全力で駆け上がる。逆に蒼親は音を立てて威嚇するようにゆっくりと山を上がってくる。背後から木々がなぎ倒され、石が蹴散られる音が響いている。

 山頂付近の妖の館のない場所までたどり着くと蒼親を待った。

 昔は枯れ木を刀代わりに使ってしょっちゅうこんなことをしていた。たいてい、蒼親にぼこぼこに打たれ、けがをしていたのは白童だ。朱峰も一緒に遊んだが、彼は自分から絶対に切り込まない。だからと言って逃げもしない。防御をしながら、相手がへばるのを待っていた。白童は防御も攻撃も中途半端だった。そのうち、蒼親は面白くないと、この手の遊びをやめた。

 何をやっても負けっぱなしだった。父、銀童から、型をある程度覚えろと言われ、一人で練習していた。少なくとも大事な人を守れるくらいの強さは持っておけと言われた。そして、その力を発揮するのは今だ。

 岩の上に立った。と、足元が揺れた気がした。地震か。そういえば、さっきからギシギシと木々が揺れている。蒼親が山の木々をなぎ倒しているからかと思ったが、それだけでもない。

 上ってきた蒼親が、飛び上がって、頭上から木刀を振り下ろしてきた。飛びさすってかわし、広い地面に転がった。蒼親のおろした木刀が、白童の立っていた大きな岩を砕く。蒼親はまるで山を砕くかのように、無駄に岩を木刀で砕いていく。

 小さいころと同じ、まるで子供の脅しだ。

「まて、いま、揺れなかったか?」

「そんな言い逃れをいまさら言うなど、軟弱の極みではないか」

「そうではない」

「いつからそんな腑抜けになったのだ」

「これが腑抜けというのなら最初からそうだ。最初から腑抜けだったのだ。認めたくなかっただけだ。お前の言う通り、私は全く見えていなかった」

「そんなことは聞きたくもないわ」

 何といえば伝わるのだろう。蒼親は何に怒っているのだろう。自分の至らなさを認めているというのに。聞きたい言葉があるのだろうか。何といえばいいのだろう。

 朱峰の言葉がふっと横切った。

 もっと頼りにしてくれという言葉。

「蒼親……私は……」

 だが、蒼親に声は届かない。蒼親の木刀が横から勢いをつけて襲ってきた。木刀を立てに構えて受ける。

 と、お互いに、体が沈むのを感じる。足元の地盤が揺れている。

 ごうっという山鳴りがしたと思ったら、山全体が揺れた。木々から枯れ葉や枯れ枝が一度に降り注いだ。今、蒼親がくだいた岩達がゴロゴロと山を滑り落ち始めた。

 地震だ。やはりさっき身体に感じた揺れは嘘ではなかった。

 悲田院がこの真下にある。

 蒼親も峰の奥を見ている。あのあたりには酒蔵や味噌蔵が配置されている。

「休戦だ……」

 そう言い残すと、あっという間に蒼親の姿が峰の向こうに消えた。

「悲田院が……」

 白童は落ちてくる土砂に足を取られながら山を駆け降りた。

 駆け下りながらも、悲田院の屋根が動いているのがわかる。少し大人になった子供達に付き添われて乳飲み子を抱いたお年寄りがぞろぞろと悲田院から出てきている。悲田院も施薬院も安普請ながらも、なんとか持ちこたえている。

 院の前まで何とかたどり着いたときには何とか揺れは収まっていた。

「皆、無事か?」

 志乃が白童のところに駆け寄ってきた。

「お美和さんが、まだ中に。私行きます!」

「お志乃、だめだ、崩れるかもしれん。私が行く」

 そういって悲田院の中に入ろうとしたとき、風が動いた。背後で、めきめきという木を砕く音がしたと思ったら、山の上から勢いのついた土砂が雪崩れてきた。このままでは悲田院を直撃する。

「お志乃、逃げろ」

「でも、お美和さんが」

「私が行く。皆と合流しろ」

 志乃が走った。幸い、皆が避難した場所は、薬草園の奥で広い空き地になっている。薬草園を広げる予定地だ。

 悲田院の入り口で美和がうずくまっていた。さっきの無理がたたったのだ。

 美和は白童の顔を見るなり、うれしそうな顔をしたが、声は弱々しかった。

「先生……逃げてください。私はもう、もともと、死ぬつもりでこの山に来たんやから」

「何を言ってるんだ!」

 白童は美和を肩に担ぎあげると、扉へ走った。目の前の土砂が迫りくる。まるで、波打ち際の波に追いかけられるかのようだ。土砂に半分足を取られながら、なんとか施薬院の影にはいり、道具箱に飛び上がって屋根に上ると、反対側の薬草園の空き地まで飛び降りた。その瞬間、どうという音とともに、悲田院は完全に土砂に埋まった。

 それぞれの落胆の悲鳴のような、うめき声のような声が後ろから聞こえる。

 美和が背中で震えているのがわかる。

「お美和さん!」

 志乃が美和に駆け寄ってきた、そのまま、美和の身柄を志乃に預けた。

 先生と口々に言いながら皆が駆け寄ってくる。だが、ぐずぐずもしていられない。

 まだ、山鳴りの音がする。なにかが落ちてくるような。さっきの蒼親との小競り合いがこの地震の被害を大きくしている。

 白童は目を凝らした。木々をなぎ倒して落ちてくるのは熊ほどもある石の塊だ。転がれば、薬草園をつぶして、皆が避難しているところまで落ちてくるだろう。

 白童は走った。

 がっしりと岩を食い止める。

「うおぉぉぉ!」

 白童は力の限り岩を支えた。足が地面にめり込む。なんとか体全体でその岩を止められた。だが、それをおろす場所がない。横に倒しても薬草園をつぶす。後ろに落とせば、施薬院の一部を壊す。かといって、ふもとに落とすわけにもいかない。結界を張ってあるからわからないものの、里への被害は、いらぬ詮索を呼び起こすだろう。だが、もう限界だ、これ以上は支えられない。どちらを犠牲にするべきだろう。悲田院を失った今、施薬院まで失うわけにはいかない。

 ふっと、少し岩が軽くなった気がした。

 下から声がする。

「薬草園に……落とすしかなかろう」

 隣にいつの間にか朱峰がやってきて、一緒に下から岩を支えている。

「しゅ、朱峰……だが……」

「薬草園の種は一部、私の館にも取ってあるし、施薬院にもあるだろう。今は、皆の無事が最優先だ」

「……わかった」

 母が心血注いで育てた薬草も、白童の短い修行時代になんとかして持ち帰った種もあった。だが植物はまた育てられる。

「行くぞ」

 掛け声とともに、二人で畑に岩を落とした。

 どうっと山が震えた。

 畑にめり込むようにして沈み込んだ岩の底に下敷きになった薬草たち。がくがくとした足を引きずって、白童はそのそばに座り込んだ。

 やっと育った薬草人参が完全に岩の底だ。

 そして、座ったと同時に急激な眠気が襲ってくる。

 近くで、朱峰が白童の名前を呼んでいる。

 こんなところで眠るわけにもいかない。皆の寝るところを作らなくては。とはいえ、体は言うことを聞かない。ほとんど、倒れるようにして土に突っ伏した。

 その瞬間、白童の体はふわりと浮いた。

 何とか目を開けて見上げると玄翼が自分を抱えて飛んでいる。

「お、おろしてくれ、玄翼。私にはまだやらねばならないことが」

「そんな体でうろうろしていても、邪魔になるだけだ。後片付けは朱峰が眷属と一緒にやってくれる。悲田院で暮らしていた者たちはいったん、天狗の里で面倒を見る。峰の向こうは被害がほとんどないと蒼親が言ってきた。悲田院は蒼親の元にいる元大工がすぐ立て直してくれるそうだ。材料は塗り壁族と木霊族が調達してくれる。お前はまず体力を回復させろ」

「玄翼……」

「よくあの岩を食い止めたものだ」

「何も、何もできていない……」

 眼下には大江山の峰とその奥に広がる若狭の海が見える。若狭にも小さいが火の手が上がっている。

「都は? 都はどうなった? 都も揺れたのだろう?」

「ああ、結構揺れたな。だが、火は起きてない。幸いなことにな」

 だが、恵司郎の店はどうなったのだろう。あれだけの酒がおいてあったのだから、揺れれば、相当の被害がでたのではないだろうか。眠ってはいけないと思いながらも閉じた瞼は上げられなくなった。


 わっと声を上げたつもりだった。

 本当に叫んだかどうかはわからない。目が覚めた瞬間、飛び起き、何かを支えようとして手を差し伸べた。だが、手には何も支えられなかった。

 土煙を上げていた都の姿を眠り込む直前に見たことで、白童はずっと都をさまよう夢を見ていた。

 地面が揺れる。

 山も揺れる。

 都も揺れる。

 家が壊れる。

 お店も壊れる。

 家の中も揺れる。

 人が下敷きになる。

 手を差し伸べて助けるつもりだった面影は、施薬院の人たちでも、妖の知り合いでもない。

 恵司郎だ。

「目が覚めたか」

 誰もいないと思っていた部屋の隅には玄翼がいた。薄暗い。今、なんどきだろう。

「玄翼……?」

「そうだ」

「ここは?」

「天狗の里だ」

「運んでくれたのか」

「ああ」

「ありがとう……皆は?」

「皆無事だ。他の棟で休んでる」

「そうか……」

「まずは握り飯でも食え」

 そう言って、玄翼は皿に乗った握りめしを差出した。

 食べている暇があるのだろうか。彼は無事だろうか。地震の原因は山で自分と蒼親が暴れたせいではないのか。

「私はどれくらい眠っていた?」

「半日くらいだ。もう少しで夜が明ける。珍しく早く起きたな。というか、うなされ通しだったぞ」

「今すぐ都に連れて行ってくれ、玄翼。頼む」

 そういった白童の口に、握り飯が押し込まれる。

「うぐぅ」

「焦るな。あれからも火は出ていない。被害は思ったほどでもない。里のふもとの土砂崩れぐらいだ。そこにだって畑側に流れ込んだから、人の被害は今のところない」

 口に押し込まれた玄米握りを自分の手で持って、あらためてかみしめる。口の中に米の甘い味が広がった。そういえば丸一日ほとんど何も食べていない。あの状態で大岩をよくも支えられたものだ。朱峰が助けに入らなかったら、途中で力尽きて、自分が岩の下敷きになっていただろう。

「そうだ、山はあの後大丈夫だったのか」

「ああ、揺れはあれ一回だった。妖の里はどこもさほど被害は出なかった。お前の実家も親父殿の銀童も大丈夫だと連絡が入った。朝から建材がそろい次第、悲田院の立て直しがはじまる。江戸で働いていたっていう大工を蒼親が回してくれるそうだからあっという間だろう。薬草園も朱峰が面倒見てくれている。岩の落としどころが悪くなかったらしく、数は減っても育てている種類が減ることはないそうだ」

「そうか、あ、ありがとう」

 そうだ、本当は今すぐにでも、悲田院の立て直しの手伝いに行かなくてはならない。あそこは、子供や年長者をふくめて十人は暮らしているのだから。それでも、心は別の人の心配をしている。

「礼は会って直接言うんだな。蒼親にも、朱峰にも」

「わ、わかった」

「一度、銀童の顔を見てきたらどうだ」

 玄翼が言った。

 白童は首をゆっくり横に振った。

 最後に父と会ったのは一年以上前、白童が都の修行場所から追い返されてきたあとのことだ。

 蘭方医のところを無様に破門になり、大江山に帰り着いた。施薬院ではまだ青陽が頑張ってくれていたが、病を得ていてもう一月も持たないだろうと本人が言った。

 施薬院の奥の座敷で青陽を看病しながら、施薬院で働いた。

 短期間ではあっても蘭方医に弟子入りさせてもらえた知識は役にたった。

 流行り病の特効薬というものはないのだということもその時に知った。その時その時流行る病は生き物のように変化していくものなのだと蘭方医は言った。きっと得体のしれない病に人は鬼の仕業だと決めつけるしかなかったんだろうとも言った。これは人と病気との終わりのない戦いなのだと。だが、あの時蘭方医は言った。

 ―確かなことは、人には病と闘う力がある。その力を十割引き出すのは、清潔で居心地のよい環境と十分な食事に睡眠なのだ。都が安泰で、人々の生活が安定していれば、人が流行り病にかかっても生き延びる可能性はある―

 この話を聞いて納得もしたが、何と難しいことかとも思った。多くの人は生活に困窮し、家族を犠牲にせざるを得なくなり、人々は病にかかる。病にかかったものは自分を犠牲にしてでも家族を食べさせようとする。だから大江山にも人が捨てられていく。

 施薬院を青陽から預かりながら、短い間に学んだことを一つ一つ青陽に話をした。彼は言った。やはりここはなくてはならない場所なのだなと、蘭方医の言う、人と病の闘いの人の勝利がはっきりするまでは。

 青陽はやせ細った手を差出して白童の手に重ねると言った。

 ―白童、頼んだよ。

 それが青陽の最後の言葉になった。

 白童は握り返した手にだんだんと力がなくなり、冷たくなりかけるまで手を放さずにずっと泣いていた。

 弔いの翌日、見計らったように施薬院におりてきた銀童は、白童に、四の五の言わずに主を継げと言った。

 親父と喧嘩になった。

 白童は言った。ここは自分が守ってみせる。人が病に勝利するまで。二度と酒天の里へは帰らない。山の主も継がないと。

 玄翼は今更どの面を下げて会いにいけというのだろう。

 銀童はいつも細かい説明はしない人だ。

 本当に守りたいものがあるなら、主を継げという意味だったのかもしれない。けれど、自分がやりたいことは頂点に立って管理することではない。やはり、日々、人を助ける一人になりたいだけだ。身近にいる誰かを助けたいだけなのだ。だが、どちらも必要なのだというのなら、どうすればいいというのだろう。なにもかも中途半端な自分に両方をできるはずもない。

 彼なら何というだろう。やはり、考えは都の人に思いが向いてしまう。自分にはっきり言ってくれた彼に会いたい。

 都に降りよう。彼が無事かどうか心配だ。

 白童は立ち上がった。

「どこに行くんだ」

「都に」

「お前が行って何をしようというのだ。道端で養生所でも始めるつもりか」

 確かにそんなことができればうれしい。だが、今は万人のことよりも、何よりも消息を知りたい人がいる。

「気になるお方がいるのだ。私を助けてくれた方だ。きっとお店に被害がでて困ってらっしゃる。本人の無事も確認したい」

「『小島屋』のことか」

「玄翼……」

「店主なら無事だ」

「なぜそれを?」 

 そういえば、玄翼は地震の直前にはすでにいなかった。天狗には予知能力を備えた管狐という眷属がいる。なら、あの時、予知をしたからいなくなったのか。

 玄翼が頷いた。

「都の被害は今以上に大江山に人が分け入る原因になる。だから、天狗一族で火の出そうなところはあらかじめ消して回ってきた。山崩れを助けてやれなくてすまなかった」

「では、恵司郎さんのところは……」

「あの一体は多少の被害はあるが、もともと、酒蔵や味噌蔵が集まっている。家屋に被害はあっても、蔵がくずれることはない。それも確認済みだ。ま、もっとも、甕や徳利で品をもっているような請負酒屋に被害は出ていると思うが……」

「私達が山で暴れたからなのか」

「そんなわけあるまい。これは大地の質のようなものだ。からくりはわからぬが、お前たちの悪ふざけぐらいで地面が揺れていては、今頃、だれも生きておらん」

「そうなのか……」

「ま、最も、昔からこの手の類は天狗の仕業と言われてきていたから、都の動向がきにはなるが」

「それは、この山のことか」

「そうだな。多少調べに人が入ってくるかもしれぬな。山崩れがあったことは都も把握しているだろうから」

 そういえば、小島屋ではたくさんの他所酒を扱っていると言っていた。品揃えが命の請負酒屋だ。だめになった酒が多ければきっと大変にちがいない。恵司郎はどうしているだろう。一つでも二つでもいい。自分に手伝えることは無いだろうか。

 玄翼がため息をついて立ち上がった。

「玄翼?」

「小島屋に行きたいのだろう?」

「私の頭の中を読んだのか」

「読まなくてもわかる。そんな切ない顔をするとは……こっちが悪いことをしているような気になる」

「切ない……」

「白童、帰ったら、一度銀童と話をすると約束するか」

「する! 約束する!」

「仕方ない……まずは風呂で体を清めてこい」

「わかった」

「それから、これ」

 玄翼は白い手ぬぐいを白童に差し出した。

「吸い込まないようにしっかり巻き付けていけ。埃もさることながら、あのあたりの酒蔵からいろんな酒の匂いがしておるからな」

 風呂で体を清めた白童は、受け取った手ぬぐいを顔に巻き付けしっかり後ろで結んだ。


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