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千里を歌う者  作者: 友野久遠
エピローグ
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エピローグ

 カラル・クレイヴァ城下の表通りは、朝からたくさんの人で賑わい、花火が上がる音が盛んに響いていた。

 豊穣祭(クラステ)2日目の朝は、今年も快晴の秋空が広がっている。


 「やべえ! 寝過ごした!」

 朝日に顔をなぶられて目を開けるが早いか、歌人フライオはベッドから飛び起きた。

 2階の窓に駆け寄ると、眼下にはパレードの花車が、列をなして通過するのが見える。 こんなに日が高くなるまで目が覚めないとは不覚の至りだった。

 「やべえ、やべえ」

 寝具の周囲を走り回りながら、いつもの旅装束を身に着け、荷袋とヴァリネラをつかんで窓枠に足を掛けたところを、いきなり襟髪をつかんで引き戻された。

 ベッドの上に起き上がったのは、小山のように大きな、太った女だった。


 「どこへ行く気よ? ひどいじゃないのフライオ。

  相変わらず素泊まりで逃げ出すつもりなの!」

 「わ。 あははは、起きちまったか、デラモナ。

  い、いや悪いんだがその、もう出かけねえとまずいのさ。 昼までに王宮へ行かねえと」

 「ああああら、そおおおお! イリスモント総領主陛下のお召しってことお。

  そりゃー楽しみねえ、あたしなんかよりずーっと大事な用事よねえ」

 「ひ、皮肉を言わねえでくれよ。 すっぽかすわけにゃ行かねえだろう」

 するとデラモナは、ふてくされた顔を突然崩して泣き始めた。


 「なによなによ、クラステが無礼講だなんて嘘ばっかり。 やっぱり偉い人が優先なんじゃないの。

  おまけにイリスモント陛下は子持ちだけどいつまでもおきれいで、あたしなんて結婚してからこんなに太っちゃって不細工だし魅力なんかないわよねえ。 あああ、なんだってあたしの旦那様はあんなにみっともなく禿げちゃったのかしらもういや!」

 「モ、モナ……。 だいぶ溜まってんな」

 「そうよ、溜まりますとも。 実家に帰った時くらい、お祭りの気分でパーッと遊びたいって思っちゃ悪い? 

  それなのに、今日着て行くドレスを見て、小間使いが何て言ったと思う?

  『あら、ソファのカバーがどうしてこんなとこに』って言ったのよ!

  使用人のくせに、あんな言い方ってないじゃない、絶対わざとよ。 そう思うでしょう、フライオ……って、あら?」


 デラモナが真ん丸に太った顔を泣きながら上げると、部屋にいたはずの歌人の姿は消え失せていた。

 「やだ冗談じゃないわ。 6年ぶりにやっと彼を捕まえたんだから。

  お母様、お母様。 御屋敷の兵隊さんを貸してちょうだい」

 


 パレードの人混みを避けながら、王宮への道を急ぐフライオに、3人の貴族雇用兵士たちが追いついたのは、いよいよ城門前広場に到着するすぐ手前の通りであった。

 3人の兵士に行く手を塞がれ、両脇から腕をつかまれた歌人は、思わず声を荒げてその手を振りほどこうとした。


 「おいおい、抵抗するとためにならんぞ。

  おとなしくお屋敷に戻れば乱暴はせん」

 兵士の1人が、脅しのつもりか剣を抜いて凄んで見せた。

 「いや、だからヤバいんだって! 頼むから勘弁してくんなよ」


 問答無用で連行しようとする兵士の行く手を、両手を広げて塞いだ者がいた。

 小さな、ほんの5歳くらいの男の子である。

 目の覚めるような金髪を風になぶらせて、青い瞳を見開いた様子がとてもかわいらしい子供だった。 祭りの仮装なのか、剣士の服装に、背中に背負う形の釣り帯を付けて、子供サイズの木刀を装備している。

 「なんだ? このガキは。 正義の味方クンかい」

 「危ないぞ。 おじちゃんたちはお仕事でやってるんだよ」

 兵士たちの言葉に、男の子は迷いのない言葉で答えた。

 「お仕事はご苦労さまです。

  でも、この歌人どのは我が家のお客様なので、離してあげてください」


 兵士たちは取り合わなかった。 子供のたわごとと侮ったのか、鼻で笑いながら、膝で男の子の体を軽く蹴りつけて、歌人を連行しようとした。 蹴られた子供がよろめいて、石畳の上に尻餅をつく。 

 「おい! 子供に乱暴することはねえだろう!」

 フライオが思わず兵士の胸を小突くと、勢い余った手の甲が相手の顎に当たった。

 「こいつ!」

 「わっ、危ねえ、やめろ!」

 兵士に剣を突き付けられて、歌人はとび下がる。 残る2人の兵士も、こぞって剣を鞘走らせた。


 ところが、次の瞬間、信じられない速さで、兵士は剣を次々と取り落としたのだ。

 立ち上がった幼い男の子は、背中の木刀を抜くや否や、まず左の兵士の小手に一撃、そのまま横に動いて、右の兵士の懐に飛び込み、脛に打撃を加えた。 

 返す刀で同じ兵士の剣を跳ね上げ、一足くるりと回転した時には、最後の兵士の剣を弾き飛ばしてフライオの正面に戻っている。 

 あまりにも鮮やかで、芝居の舞台を見ているようだった。


 「このガキ……よくも!」

 一瞬の放心状態から覚め、剣を拾い上げた途端に、兵士たちはいきなり気色ばんだ。

 こんな幼子をして勝ち誇らせたとあっては、武人の沽券にかかわるという訳だろう。

 「剣士ごっこなんかで大人の邪魔をしちゃ、いけないねえ。

  そういう悪い子は、ちゃんとした躾をしてやるのが、年長者の義務ってやつだよなあ」

 「然り然り。 さっきは油断したけど、今度はきちんと相手をしてやるよ」

 幼い剣士に向かって、3人揃って剣を構え直す。


 「そこまでにしておいた方が良いぞ」

 不意に、路地の向こうから声がした。 

 続いてハイヒールを軽快に鳴らし、近付いて来たのは若い女が一人。

 「そこでやめて置けば、少なくとも後日、大人げないと謗られることだけは避けられよう。

  ただし、何度やってもその子に勝つことは叶わぬであろうがな」

 「母上!」

 子供が笑顔になって女に駆け寄った。

 スッキリしたデザインの深緑色のドレスを纏った、美しい女だった。 その顔を見た兵士たちが、突然身震いして後退りをする。

 「まさか、イ、イリスモント陛下。 ということは、その子は噂の、ギ、ギ、ギ……」

 「黙れ、野暮天め。 クラステでみだりに人の名前を口にするなど、カラリアっ子の恥を知らぬか!

  一体どこの私兵だ、(あるじ)の名を言え」 

 「ご、ご勘弁を」

 「申し訳ござりませんっ」

 兵士たちは慌てふためいて逃げ出した。



 ぽかんと口を開けたままのフライオに、女は笑いかけた。

 「私の歌人はずいぶん朝寝坊だな。

  稼ぎ時であろうに、いつまでも声が聞こえて来ぬので、探しに出て来たのだぞ」

 「あ。 すまねえモニー。 ちょっとその」

 「良い。 おかげでギリオンに祭りが見せてやれた」

 機嫌を損ねている様子はない。 子供らしい仕草に戻ってドレスにすがって来る息子に目をやり、その頭を優しく撫でた。

 

 「ギリオン、怪我はないか」

 「大丈夫です、母上。 

  やはり母上のおっしゃる通り、こうして刀を背負うと、足に絡まないので楽に戦えました。 ただ、抜くのに時間がかかるから、もっと練習しないと」

 「充分早い」

 「まだです。 この姿勢になった時に相手が先に抜くと、胸が無防備で危険ですから」 

 子供が生真面目に素振りをして見せる。 イリスモントは歌人に向かって肩をすくめて苦笑した。

 「もう私では相手にならぬのだ。

  近衛の将校を2人、指南役に付けたのだが、いつまでもつかな」

 「……赤ん坊の時に、こいつがギルだと言われてまさかと思ったもんだが、ホントにそうだったんだな。

  剣だけじゃねえ、なんとなく性格も変わってねえや」

 「そなたも、変わらぬ」

 不意にイリスモントの眼が、歌人を愛おしげに捕えた。

 「会いたかった」

 「俺もだ」

 どちらからともなく手を取り、ゆっくりと互いの体を抱き寄せる。 1年ぶりの抱擁だった。


 「モニーは変わったな。 ドレスが似合うし、女らしくなったじゃねえか。

  もう男装はしてねえのか?」

 「いや、家督を継いだ身だから、執務中は今でも昔通りだ。

  その代り、社交場やこう言った祭りの場では、出来るだけ長い物を着るようにしておる。 裾さばきがだいぶ上達したであろう?」

 「見違えたよ」

 照れた口調で答える歌人の横顔に、空高く上がった花火がきらびやかに反射した。



 「ラヤ、早く!」

 小さなギリオンは、城へ向かって戻る道を歩き出した。 軽快な足取りを一旦止めて、大人たちを振り向いて手招く。

 イリスモントがそれに続いて歩き出しながら、歌人の手を引き誘った。

 「さあフライオ、城へ来て、懐かしい連中に会ってやってくれ。

  皆で待ちかねておるぞ。 イーノもマルタもピカーノも。

  ユナイは近衛隊に昇格したのだが、今日はわざわざ休暇を取って待っておる。 

  それから今年は、自治領国を代表して、ロンギースどのがなんと『国賓』でご滞在中だ」

 「うへえ、世も末だ。 盗難に気をつけろよ」

 おどけて目を丸くしながら、フライオも城へ足を向けた。




 懐かしい城門前広場の人ごみを抜け、城への一本橋を渡り終えた時。

 突然、歌人の全身を戦慄が駆け抜けた。

 歌声だった。

 響き渡るのは豊かで甘く、それでいて雄々しい声。

 月が子守唄を歌ったら、きっとそんな声であっただろう。

 一体どこから聞こえるのか、歌は空の高みいっぱいに広がって、そこからカラル・クレイヴァ全体に降り注いでいた。

 曲は叙情たっぷりのアリアだ。 それも聞き覚えがある。


 「……俺の新曲じゃねえか!」

 驚くよりも、信じられない気持ちが勝って、歌人は夕べの自分の行動を大急ぎで思い起こした。

 その曲は、間違いなく夕べ初めて披露した新曲だった。

 歌ったのは、城門前近くの路上でたった一度だけだったはずだ。

 「あり得ねえ。 一度でこんなに完璧に覚えるのは無理な歌なんだ。

  このすげえ声と言い……一体誰が歌ってんだ?」

 するとイリスモントはいたずらそうな目つきになり、王宮のバルコニーを指さした。

 以前フライオが、イリスモントの要請で国王逝去の知らせを歌にした、あのバルコニーである。 そこには小さな男の子がひとり、母親らしき女に付き添われて手すりに腰を下ろしていた。

 男の子の膝の上には、子供用に作られたらしい小型のヴァリネラが見える。

 「ウソだろう? あんなちっせえガキが、今の声を出してたってか?」




 「ロンギースの国賓よりも驚きの客人だぞ。

  子供とは初対面であろうが、母親は誰だかわかるであろう?」

 広間に入るなり、イリスモントはそう言って、フライオをその母と子に対面させた。 驚きの余りガチガチに固まってしまった歌人の手を取り、その母親と握手させてやる。

 拍手が起こった。 広間を埋め尽くす人は、偉そうな貴族や高官ではなく、少しばかりよそ行きの晴れ着を着た、普通の市民ばかりのように見えた。


 フライオにはなじみのある顔ばかりだった。

 もと親衛隊長のイーノ・キャドランニ。 同じく親衛隊のピカーノと砂漠のマルタ。 どこの成金かちょっとわからない服装になっている大男は、もと山賊の頭、ロンギース。 そのロンギースの盃に注がれた酒を、代理で無理矢理飲まされている不憫な男は、髭が伸びて貫禄が付いたヴィスカンタだろう。 

 身長が伸びて青年になったユナイもいる。 その横で盛んに笑いながら大きく拍手しているひょろりと痩せた少年は、もと魔導師のポータだった。


 フライオは満場の客人を見渡して目を白黒させたあと、自分の手の中にある白い手を見下ろした。

 その手を辿って視線を動かし、ゆっくりと半ば恐る恐る、相手の婦人の顔に目を移した。

 「もう! フライオってば、いつあたしの名前を呼んでくれるの?」

 ストロベリーブロンドの髪を優雅に結い上げたその婦人が、指先でぴしゃりと歌人の額をはたいた。

 「ルーラじゃねえか! ってことは、こ、この男の子は」

 「あ・な・た・の・子よ! どう見たって間違いないでしょう?」

 また拍手が起こった。 

 「ギリオン殿下以上にわかりやすいな」

 キャドランニが言うと、もと親衛隊のメンバーがげらげら笑い転げた。

 

  

 「黙っていてごめんなさい。 本当はね。 ギリオン・エルヴァ様を産む役をあたしがやりたかったの。

  でもあの時は体調が悪くて、あなたの所に行けなかった」

 小さな盃を受け取って乾杯した後、底抜けルーラは歌人にその後の事情を話し始めた。

 「あたしはもともと天涯孤独だったし、勤め先もなくしてしまったし、もう何も頼る物が無かったから。

  せめてあなたのお兄様をあたしが育てることにすれば、風来坊のあなたが時々でも会いに来てくれるって思ったのよ。 でも、あの時にはもう、この子がお腹にいたんだわね」

 「知らなかった。 よくあの吹雪の中を耐えたもんだな」

 「この子は生まれたかったのよ。

  生まれて歌いたがってたの。 今ならわかるわ、この子ったら、一日中歌ってるか、曲を作ってるかどっちかしかしないんだもの」

 ルーラの息子はフェディリオと言った。 同じ年頃のギリオンとすぐに打ち解けて、部屋の隅に二人で座って何やら話し込んでいるのが可愛らしい。



 ルーラは微笑みながら、袂から小さな紙片を大量に取り出して見せた。

 「ここに来る前に、城門前広場で突然歌いだしたの。

  ほら、夕べ覚えたあなたのアリアよ。 そしたらサロンからこんなにいっぱい依頼が集まったわ。

  子供なので夜のお席は御遠慮しますと言って断ったのだけど」

 「人の歌でな。 ちゃっかりしてるとこも俺の血か」

 「ううん、あたしの血よ」

 ルーラがちょっとに申し訳なさそうに、イリスモントとギリオンに目を向けてから、その視線を床に落とした。

 「本当はギリオン殿下の前に、堂々と連れて来てはいけない子なんだろうけど。

  でも、一度あなたに会わせたくて、モニーに頼んだのよ。 あなたにひとつ、お願いをしたかったの」

 「何を?」

 「この子ね、オルムソに行くって言ってきかないのよ。 竜神様に呼ばれてるんだって、そう言って毎日お祈りをするの。 だから連れて行って欲しいの」

 「オーチャイスに?」

 「そうよ。 あたしも一緒に行くから、一度だけ」

 「……そうか、俺ももうずっと帰ってねえもんな」

 フライオはうなずいた。 うなずきながら、こんなに素直に故郷に戻ることを考えられるのは、不思議なことだと思った。 その理由を、なんとなく理解している自分がいる事にも気づいていた。


 フライオの眼の前に、とても神秘的な小さな男の子が2人いた。

 初対面だと言うのに、ぴったりと体を寄せ合ってサロンの腰掛けに座り、懐から祭で買ったおもちゃを取り出して、互いに見せ合って笑っている。 その様子が旧知の友人か兄弟のようで微笑ましく、見ている客人たちが自然と笑顔を浮かべる。

 「フライオ、どうしたの」

 ルーラが驚いて声をかけた。 歌人の唇には笑いが浮かんでいたが、目には涙がにじんで来ていた。

 「どうした、歌人」

 イリスモントも、客人の相手を中断して側に寄って来た。

 フライオの頭が深々と、ふたりに向かって下げられた。


 「ありがとう、モニー。 ありがとう、ルーラ。

  あの2人の姿を見て、俺はもう、胸のつかえがすっかり下りて無くなった。

  失ったものは、それっきりじゃねえ。 いつでもこんな風に取り戻せるんだな」

 「なんのことだ?」

 「あたしにもよくわからないけど、よかったんじゃない?」

 ルーラとイリスモントが顔を見合わせて、大雑把な納得をした。


 「さあ、せっかく2大歌人が揃ったことだし、何か一曲やってもらおうではないか。

  イーノももちろん、例のかくし芸を見せてくれるんだろう?」

 満面の笑顔で立ち上げったサロンの客人たちの前で、イリスモントが促した。

 フライオがうなずいてヴァリネラを取り出すと、隣で幼いフィデリオが澄まして自分の愛器を構える。

 椅子を並べて親子は腰を下ろし、おもむろに最初の弦を弾いた。 

  

 これからの伝説を、歌で紡ぐために。

 大変長らくお世話になりました。 おかげさまでやっとのことで完結しました。

 書いている間にいろいろ不都合もあり、最初に計画したことと少々路線がかわってしまったり、パソコンが壊れて読み返せなくなったり、とにかくトラブル続きの連載でしたが、私にとってはファンタジー処女作で、とてもよい勉強になりました。


 できれば次にこの分野を描く時はもう少し、甘ったるい話が書きたいかなと思いながら、今作は筆をおかせて頂きます。

 こんなにつっかえつっかえの作品に、お気に入り登録をしてくださった方、アクセスをしてくださった方、感想をお寄せくださった方、本当にありがとうございました。

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