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第100話「人類の平和のためとあらば」

第100話に到達しました。

 ファルマー条約というものがある。

 五大国を含むファルマー大陸に現存する人類国家全てが同意している、国ごとに定めた法よりも更に上位の法。これを破ると周辺国家全てから即刻攻撃対象として粛正される人間社会で最も強いルールである。

 このファルマー条約に同意するのは国として認められる前提条件とされており、五大国最強とされるエルメス教国であっても……その中でも最高位に位置する七聖人であっても無視はできない人類の法だ。


 その中には広範囲に及ぶ無差別殺戮を可能にする超危険指定の毒物の使用に関する項目から、正当な理由なく他国に攻め入ってはならないといった平和条約まで含まれている。

 と言っても中には形骸化しているものも多々あるのが現状であるが、その中に興味深い項目があることは有名だ。


 それは『勇者、聖人の領域に対する独断攻撃の禁止制限について』というタイトルが付けられたものである。


 簡単に言えば、領域を形成する魔物は人類にとって討伐すべき敵であると同時に、生活に必須となる魔石の原料であったり異界資源を生み出す宝の源泉であったりするのだから無闇に絶滅させてはいけませんよ……というものである。

 常人の枠から外には出ないハンターなどは、領域支配者(ルーラー)を殺すことはできても一つの領域の魔物を比喩表現ではない意味で全滅させることなどまず不可能。仮に目に見える範囲の魔物を全て狩り尽くしたとしても、その内新しい領域支配者(ルーラー)が台頭して新たな生態系を築くことになるだろう。

 しかし勇者、聖人という神の力を持つ規格外の力の持ち主である場合、本当に土地ごと魔物を消し去ってしまうことが事実として可能である。

 もしそんなことをされた場合、その領域から採取できる異界資源を頼りに生きている街や国からすれば破滅的な被害であり、長い目で見れば人類という規模での損害だ。

 そのため、勇者、聖人はその土地の所有者――多くの場合は領域の運営権を持つ領主――から特別に許可を得ないと領域へ入ることを禁止されているのである。

 領域の本当の主である魔物からすれば何で人間に運営権なんてものがあるんだと抗議したい話であろうが、人間は人間の中だけで勝手に世界の所有権を分け合い奪い合う習性があるので仕方がない。


 いくら彼ら神の戦士にいかなる権力にも対抗できる武力があると言っても、このファルマー条約だけは無視できない。もしファルマー条約を無視して暴れるようなことがあれば、他の勇者聖人が討伐に赴くということになっているのだから。

 そのため、本心では魔物など根絶やしにしてしまいたいという過激思想を持っている聖人であったとしても、領域の中に籠もっている魔物に手出しはできず、領域から外に出た魔物であっても逃げ帰ったのならば追うことはできないのだ。

 領域の管理者の、許可がない限り――




「……本当に、よろしいのですか?」

「えぇえぇ。もちろんですとも。仮にも我が領内に、そのような危険な魔物が現れたとなれば無視できません。今ここに聖女アリアス様がいらっしゃるのも、また神のご意志ということなのでしょう」


 ウ=イザーク城下町、公爵城の応接室にて、珍しく聖女アリアスは驚きを露わにしていた。

 普段は聖女に相応しい凜々しい姿を意識して保っている彼女がこうして感情を表に出すのは珍しいことなのである。

 そしてそれは、彼女の手の中に収まった一枚の紙切れがそれほど特別なものであることを意味していた。


「……まさか、聖人に対する領域侵入許可証をいただけるとは思っていませんでした」


 今まで様々な地で求め、しかし一度も手にすることがなかった許可証。それが今聖女アリアスの手の中にあった。

 神の法――意思は人の法を超えると信じて疑わない彼女は、本来ならばファルマー条約など無視して魔物を殲滅してしまいたいという思いを常に持っていた。

 しかし異界資源で生きる人々が大勢いることは知識として持っており、それを失えば多くの人間が路頭に迷う――言葉を濁さずに言えば、死ぬ。それを理解しているからこそ踏みとどまっていたのだ。


 神は人を愛し人を庇護した。神に背いた邪悪なる者どもに正義の剣を振るった。


 これはエルメス教の聖書の一節であるが、つまり神のご意志は人の命を守り魔物を殺すことですよ、と解釈される。

 アリアスはこの一文を根拠に魔物狩りに精を出しているわけだが、そのために前半部分を無視するというわけにもいかない。魔物は殺したが人も死にました……というのは彼女が目指す神の正義ではないのだ。

 そのため、領域の外に出て人の生活を脅かす魔物のみをターゲットとし、殲滅してきたのである。

 だから、人の営みに必要であると言われれば、領域内への侵攻は自制してきたのである。信仰という名の狂気を隠さない彼女には領主の許可……それをただの一度も得られなかったから。


「確かに、シルツ森林は帝国との領土の境であり、ア=レジルを初めとする多くの街を潤すための重要な資源です。もしシルツ森林がなくなれば帝国の侵攻を防いできた天然の防壁を失い、今まで得られてきた異界資源も失うことでしょう。……しかし、民の安全には代えられません」


 自分の利益を捨ててでも民の安全を願っています……という苦渋の決断をしたと、如何にも民思いの領主ですという顔を作って話すウ=イザーク公爵領の支配者であるエリスト。

 もちろん、彼の頭の中に領民の安全だの平和だのなんて言葉はそもそも存在しない。が、御高潔な聖女様にはこの顔が良いだろうという理解はあるのだ。


「失うものは確かに大きいですが、聖女様を以てして危険だと判断なされるような凶悪な魔物が外に出てくるとなれば、それは一大事。恐らくは最近何らかの異常事態に遭遇していると思われるア=レジルの異変もその魔物が原因でしょう」

「それは……そうだと思います」

「それに、謎の魔物の脅威があるとかで、ここ一年ほどあの森から異界資源の回収を中断しておりますからね。それによる様々な損害はあるのですが……まあ我が公爵領は幸いにも豊かだ。異界の一つを失ったからと言って食うに困ることはないというのは実証済みなのです」


 もちろん、食うに困らないというのはエリスト公爵だけの話であり、領民の貧困など彼は全く興味がない。領主として当然の心得に則って、生かさず殺さずのラインを見極めた税を搾り取るばかりだ。

 もっとも、仮にシルツ森林が正常に稼働していたとしても、その利益は全て公爵家に入るだけなのでどのみち領民の暮らしは変わらないのだが。


「では、シルツ森林の領域が失われても構わないと、本気で仰るのですね?」

「えぇえぇ。もし魔物の侵略なんてことになれば、被害はそれどころではないですからね」

「なるほど。ご理解感謝いたします」


 魔物の危険性と邪悪さを正しく理解し、聖女の進む道を用意する。何と聡明な貴族なのかと、アリアスの中でエリスト公爵の評価が跳ね上がっていった。

 今まで他の領域で同じようなことがあり、殲滅願いを出しても何だかんだと理由を付けて断ってきた他の領主とは一味違うと。

 ……まあ、結果として放置していても魔物の大侵攻など起こったことがないので、シルツ森林はともかく他の領域に対するアリアスの殲滅願望はただの暴走なのだが。


「ところで……一枚だけなのですか?」

「……それは、勇者殿の分、ということですか?」


 ひとしきり感動と感謝を終えたところで、アリアスは一つの疑問をぶつけた。

 確かに、今アリアスの手の中には何度求めても手に入らなかった許可証がある……が、それは一人用だ。

 元々人類の切り札である聖女、勇者が合同で行動することが珍しいというのもあるが、条約に従えば許可証は個人名を記入することで初めて効力を発揮する。つまり一人一枚用意しなければならない。

 この許可証に記されているのはアリアスの名前のみ。これではアリアス以外の聖人、勇者がシルツ森林の領域へ入ることは叶わない。


(……もっとも、あの怠惰な勇者殿が同行してくれるとは思えませんが)


 アリアスからすれば使命を妨げる厄介な障害であるファルマー条約も、ダラダラと遊んでいたい勇者カインからすれば余計な仕事をしないでいいという福音だ。

 それを消してしまう許可証など、受け取ってもなかったことにするんじゃないか……と内心で考えるアリアスであった。


 が、エリスト公爵はまた別の意見を持っているようだ。


「申し訳ありませんが、流石に二人分……というわけにはいきません。先ほども言ったとおり、シルツ森林はかの戦争好きの帝国との境になっている地。もしあそこが文字通りの意味で無くなるなどということになれば、魔物の脅威が無くなる代わりに侵略の脅威に怯えることになります」

「はあ」

「帝国は近隣の小国を武力で征服して力を蓄えてきた歴史を持つ国。そろそろ五大国……我がル=コア王国を狙うのではないかと予測する学者もいることですし、シルツ森林という防壁は失いたくないのです。聖女であるあなた様とて、人間同士の殺し合いは望みますまい?」

「当然です。人、皆神の愛を受けしもの。その愛に背く事なかれ……ですよ」


 人間であるというだけで優れ、認められ守られるべき存在であるという人間至上主義を掲げるエルメス教にとって、人間同士の争いというのは頭痛の種だ。

 まさか戦争を止めるために戦争に参加するわけにもいかない。いくら最強の国力を持つと言っても、犠牲ゼロで争いを止められるほど世の中は甘くないのだ。

 どちらか片方を殲滅する……という方法で止めることならばあるいは可能かもしれないが、本末転倒なのは言うまでもない。

 結局、人間の国同士で争いが起きる場合、よほど悲惨な事にならない限りは静観し、外交により圧力をかける……くらいで収まっているのが現状である。


 ようするに、エルメス教国として人間同士の争いに否定的な立場を取っている関係上、帝国と王国の全面戦争の引き金を引くかもしれない……と言われれば流石の聖女も二の足を踏まざるを得ないということである。


「長々と語ってしまいましたが……ようするに、シルツ森林の魔物(異界資源)を滅ぼすのは許容しますが、森がなくなるのは流石に困る……ということですな」

「なるほど……彼と私の二人が同時に出陣すれば、そのリスクがあるということですか」


 軽い通常攻撃が爆弾に等しい威力を持つ聖女と、神の力を戦闘能力に特化した形で与えられている勇者。そんな怪物二人が全力で戦うようなことがあれば、あるいは本当に森を消滅させかねない。

 それだけの力があるのが人類の切り札であり、だからこそ条約にてその力に制限をかけているのだ。


「そのとおりです。同じ理由で、いくら許可証を出したと言っても無闇に森を傷つけるようなことはしないでいただきたい。完全に消滅させるようなことはもちろん、派手な破壊跡を残して帝国側に異変を察知されるようなことも無いように願いたい」

「わかりました。人類の平和のためとあらば、断るわけにはいきませんね」

「ありがとうございます。それと、可能ならば次の領域を産む魔物もそれなりに残していただきたいところなのですが……」

「それは、お断りします。森を残すことはお約束いたしますが……しかし、一度攻め込む以上、魔の者を見逃すことはできません」

「……ええ、わかっております。存分にお役目を御果たしください。では、こちらの契約書に同意のサインをいただけますか? 疑うわけではありませんが、何もせずに許可証を発行するというのも立場上……」

「問題ありませんよ。……契約書にサインいたします」


 エリスト公爵から差し出された契約書……シルツ森林そのものへの攻撃を禁じる代わりに許可証を発行するという内容を確認した聖女は、頷いてサインを行った。


 こうして、聖女は魔の領域へ……魔王ウルの拠点への侵攻権利を条件付きで入手した。

 その『シルツ森林を極力傷つけない』という条件など、聖女の圧倒的な力を以てすれば大したハンデにはならない。その自信と確信を持って、聖人として決して曲げられない誓いを立てたのだ。


 そのまま、聖女は戦いの準備をすると退室していった。

 その後ろ姿を見ながら、エリスト公爵は疲れたようにため息を吐いた。


「ふぅ……何だか知らんが、これで契約とやらは全て完了だな。シルツ森林を失うのは痛いが、あんなものをばらまかれるよりはマシというものだ」


 そう言って、自分の執務机の二重底から一枚の黒い紙を取り出した公爵。


 そこには、このような文言が記されていた。


『契約者

・シャルロット・イザーク(以下シャルロット)

・エリスト・イザーク(以下エリスト)


契約条件

・エリストは聖女アリアス、勇者カインに対し以下の提案と許可を行うことを誓う

 1.夜会に招待する

 2.夜会で聖女アリアスを感知の魔道具を仕込んだ舞台に立たせる(魔道具はシャルロットが用意する)

 3.聖女アリアスのみに対し、指定の用紙を使いシルツ森林への侵攻許可を与える

 なお、これらは提案を行う時点で条件を達成したと見なし、聖女アリアス、勇者カインが拒否した場合であっても契約は履行されたと見なす。


・シャルロットは契約成立後、以下をエリストへ渡す

 1.ガルザス帝国への密輸の証拠

 2.違法奴隷の名簿

 3.違法薬物の取引帳簿

 4.暗殺者との契約書

 5.その他イザーク公爵家にとって不利な証拠品

・エリストが全ての契約条件を達成した後、シャルロットはこれらを口外しないことを誓う


 以上のことを理解し、同意することを誓う


エリスト・イザーク』


(ふん……魔道契約書か。どこでこんなものを手に入れたのかは知らんが、これであの小娘が情報を漏らす心配は無くなった。どうやって執務室に侵入したのかは後でじっくりと聞かねばならんが……)


 魔術的な契約書の内容を完遂したと、エリスト公爵は一先ず安心だと深く椅子に腰掛けた。

 ……決して契約を拒めない材料を集めた上で迫るやり方ははっきり言って脅迫であるが、似たようなことは何度もやってきたエリスト。やり方への善悪などという下らないものには興味を示さず、一体どうやって堅牢な要塞と称しても過言ではない自らの執務室へ侵入したのか自分の娘を問い詰めねばならないと思考を向けていった。


「聖女と勇者を歓待し、魔物狩りに精を出してほしいなどと……愚か者の考えることはわからん」


 わざわざ機密書類を盗み出し、どこからか魔道契約書まで入手してやることが勇者と聖女のご機嫌取りに、仕事のアシストである。

 一体誰が途中で使用した魔道具を含めた支援をしているかは現在捜査中であるが、公爵家の情報網であればさほど時間を必要とせずに掴めるだろう。

 エリストの価値観では娘の目的が理解不能という気持ち悪さはあれど、彼は勝利を確信していた。


 ……その姿からは、本来の狡猾な悪党としての輝きがくすんで見えた。

 自慢の私兵と堅固な守りでがっちりと固めた自らの城に侵入できる外敵などいるはずがないという過信。内側にいた不穏分子が動いたというところで思考を止めてしまった浅はかさ。

 どちらも、本来の大悪党エリストならばやらないミスである。

 その正体は、恐怖……と呼ばれる感情だろう。自分が理解できない、対処できない悪意が迫っている――という事実を、彼の知る限り最も巨大な悪であったエリストは認めたくなかったのだ。

 悪の真の敵は正義ではなく、より巨大な悪。その恐怖が、彼の目を本来真っ先に向けるべき可能性に目をつぶってしまったのだ。


 だから――即断即決の聖女が再び出撃してからしばらくして飛び込んできた部下の報告に、大口を開けて阿呆面を晒すことになってしまうのだった。


『ウ=イザーク城下町にてクーデター発生』


 その緊急報告に、訳がわからないと愕然としてしまうのであった。

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他力本願英雄
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