第101話「特権とでも思っているのかい?」
「俺は貴族だ……」
暗い部屋の中、ぼんやりとした、どこか焦点の合っていない目で一人の男がぶつぶつと何かを呟いていた。
「俺は偉いんだ……」
その呟きに深い意味は無く、頭に浮かんだ言葉がそのまま零れているだけだろう。
「俺は尊いんだ……」
その言葉はどれをとっても、自らを肯定するようなものばかりであった。
「俺は凄いんだ……」
何かに怯えるように、自らを讃える言葉だけを繰り返す。
「俺は偉大なんだ……」
その姿は、とても言葉の通りこの男が偉大な人物であるとは思えないものであった。
むしろ、その逆。卑屈で陰湿で、根本的に自分に自信が無いことを示しているように、口にし続けなければメッキが剥がれると言わんばかりに中身の無い虚ろな言葉で自らを飾り立てているかのようであった。
「俺は、弟よりも優れているんだ。オヤジは俺を認めるべきなんだ……」
それから、零れる言葉は徐々に自分の身内に関するものへと変っていった。
どうやら、この男のコンプレックスは家族にあるらしい。優れた能力を持つ父親に評価されない事実を認められず、自分を追い抜かすかもしれない弟に能力という物差しでの嫉妬と危機感を覚えていると推察できた。
『お前はどうやって認めてもらうつもりだったんだ?』
虚ろな男に、何者かの声がかけられた。
しかしまともな思考を失っている男はその声を正常に認識することもできないまま、ただ素直に答えを述べるのであった。
「貴族は偉い……平民を従える存在……誰しもが平伏する存在……オヤジはそう言ってた……」
『だから平民を虐げたのか?』
「平民を叩いて……潰して殺して……俺への恐怖を持たせる……そうすればオヤジみたいな強い男になる……」
その口から出た論理は、到底真っ当とは言えないものであった。つまりは恐怖政治を敷くということらしいが、あまりにも幼稚な発想。
支配者が与える恐怖とはもっと知略に富み、単純な暴力では計れないものであるべきだ。ただ暴力で恐怖を与える……と言うだけならばその辺の盗賊と変わらず、子供の理屈としか言いようがないものであった。
しかし、その幼稚な理論を聞いた謎の声は楽しげに、次の言葉を甘く優しい声色で続けるのであった。
『おぉお前は正しい。実に正しいぞ』
「そうだ……俺は正しい……」
『しかし何故正しいお前は認められないんだ? お前の父親は何故お前を認めない?』
「弟が……弟も俺と同じことをしてるから……だから俺を認めない……」
『弟も平民を殺しているのだな? お前と同じことをしているのだな? ならばどうする? どうすれば弟と差を付けられる?』
普通に考えれば、庶民に支配者として恐怖を与える手段に単純な暴力しか思いつかないから認められないのだと誰もがわかるだろう。
父親が恐怖による支配を是としているにしても、もっと他に効率的な手段を考える頭が無いからダメなのであって、弟の存在はこの際関係ないと考えるべきだ。何せ、つまりは兄弟揃って同レベルでダメということなのだから。
しかし、謎の声は弟との対立を煽り、更に男に内なる思いをさらけ出せと言葉を紡ぐのであった。
「もっと……がんばる?」
具体性の欠片もない、幼児の努力目標のような言葉。いくら朦朧としていると言っても、もう少しまともな言葉は無いのかと呆れてしまうものだ。
だが、謎の声からすればそれこそが求めていたもの。何も考えていない男の思考に、毒を混ぜるに相応しい空っぽの言葉だ。
『そうだ。頑張ろうではないか。もっともっと、今以上に頑張るのだ』
「そうだ……頑張るんだ……」
『お前が頑張るべきこととはなんだ?』
「オヤジに認められる……」
『そのためにやることは?』
「平民……殺す……」
『そうだ。殺せ。殺して殺して踏みにじれ。今までのようなチンケなものではなく、もっともっと頑張ってな』
「そうだ……頑張るんだ……頑張って殺すんだ……」
『お前には素晴らしい力があるはずだ。権力があり権利があるんだ。お前一人でやるのではなく、もっと沢山の剣があるはずだろう?』
「おお……そうか……俺は権力者なんだ……」
そこまでの会話で、何か天啓を受けたといった様子で男は立ち上がった。
そのまま、正気を失った顔のまま、しかしどこか確固たる何かを宿した瞳でフラフラと歩み出した。
男――イザーク公爵家の長男、ズック・イザークは、植え付けられた狂気を宿して自らが住まう城へと戻っていくのであった。
「……ふん。やはり失った力を無理矢理行使するのは消費が激しいな」
ズックが出て行った部屋の中で、一人潜んでいた魔王ウル・オーマが喉を押さえながらそう呟いた。
当然、謎の声の正体は魔王ウルその人である。コルトに作らせた興奮剤を適量の四倍以上……全部ズックに投薬し、意識を朦朧とさせた上で洗脳したのだ。
元がどうしようもないというのが大きいものの、巧く誘導したのは魔王としての経験の賜だろう。これで、ズック・イザークは自らの名で殺戮の限りを尽くすことは間違いない。
そうなれば、戦う力と大義名分を得た民達も黙ってはいない。今日をもって、どんな形にせよウ=イザークの歴史は大きく変わることになるのだ。
「精々踊ってくれよ? クロウの奴はもう配置につき、コルトも準備はOK。聖女は既に出立し、勇者は公爵の屋敷で爆睡……ここまでは予定どおりだな」
最高の形でウ=イザークの滅びを決めるため、暗躍してきた魔王ウル。
そのフィナーレは近いと、ほくそ笑む暇も無く闇に消えるのであった。
◆
「出陣だ! 愚かにも我が公爵家へ反逆を企てる反逆者がいると情報を得た! 至急成敗に向かう!」
突然公爵家お抱えの私兵団――海の騎士団に号令をかけたのは、公爵家次男坊であるルーイ・イザークであった。
常日頃から兄と競うように非道を繰り返してきた彼の言葉を聞いた公爵自慢の精鋭戦士達は「またか」と思っただけであった。
彼ら海の騎士団は幼少の頃より公爵家に仕え公爵家のために死ぬことを徹底する洗脳教育を施された、聖女とは違うベクトルの狂信集団であり、基本的に公爵家の命令には逆らわない。
その忠誠の優先順位一位は当主であるエリストであり、その下は公爵家に属する人間ならば平等に同列とされている。なお、末娘のシャルロットは例外で命令権を有していない。
そんな彼らなので、公爵の息子であるルーイの言葉には素直に従う。そこに個人の意思など関係はないのだ。
もっとも、自由意志を剥奪されていても残る思考力では「また坊ちゃんの病気が出たか」と考えており、反逆者などという言葉が真実であると思っている者はいなかったが。
「全ての騎士は私に続き、反逆者共を根絶やしにせよ!」
愛用の戦車に乗り込むと同時にかけられたその号令と共に、彼らは民衆の虐殺のため動き出した。
ここまではいつものことであり、後は適当に目に付けた庶民を数人嬲り、偶に殺してお終いだ。公爵家の力と恐怖を民に叩き込むというニュアンスもある行いとして父である公爵から許されている公務というところだろうか。
「ハァッ!」
公爵家次男坊、ルーイを戦士として評価するのならば、落第点と言って良い。
剣を振るい馬が引く戦車を乗り回すことができるくらいには鍛えているが、戦闘を専門とする軍人やハンターと比較すれば平均点にも遠く及ばないだろう。
それは海の騎士団も理解していることであり、普段は彼らが狩りやすいように庶民を追い込み、ルーイはトドメを刺すだけで良いといった具合で遊びを行っていた。
しかし、今日のルーイは一味違った。
「さあ殺せ! ここにいるのは大罪を犯す反逆者達だぞ!」
偶々道を歩いていた男を、戦車から飛び降りると同時に一刀のもとに斬り伏せたルーイ。
その度胸、跳躍力、腕力……どれをとっても、今までのルーイにはなかったものだ。剣を専門とする海の騎士団の目から見れば剣の技量はまだまだ未熟……というより素人も同然だったが、それをカバーする身体能力は目を見張るものがあった。
その時点で、彼らは疑問を口にすべきだっただろう。なにかがおかしいと、行動を起こすべきだっただろう。
しかし……海の騎士団は自由意志を認めない。命令を遂行することのみを義務とし育てられた彼らは、その異常を異常と認識しながらも行動に移すことは無かったのだ。
「命令に従い、処刑を開始する! 抜剣!」
海の騎士団分隊のリーダーが、ルーイの命令に従い剣を抜いた。
「ひぃ!?」
「ふ、伏せろ!」
「私達は何もしてません!」
剣の輝きにざわめく民衆は、頭を伏せて嵐が過ぎるのを待つ他ない。
公爵家の気まぐれで命が失われるのが避けられないのならば、せめて自分と自分の家族だけは助かりたいと、震えることしか民衆には許されないのだ。
だが――
「武器を抜いた相手を前にその姿勢は……殺してくれってことか?」
ルーイは平伏する民衆を一瞬不思議そうに見た後、躊躇も容赦も無くその背中に刃を突き立てた。
鮮血が噴き上がり、失われた命の証明として血の海が広がる。
今までだったら、平伏すれば許されていた。公爵家に逆らうつもりはない、これからも服従しますと態度で示せば満足げに彼らは剣を引いていたのだ。
それが、破られた。頭を下げたらそのまま刺された。その事実に民衆は――そして海の騎士団も動揺を露わにした。
――これは、いつもの公爵家の息子達の遊びではないのか?
その思いが、彼らの心を現実から放してしまったのだ。
「言わなかったか? これは反逆者への制裁である! 慈悲は無い!」
何故か動きを止めた海の騎士団を叱咤するルーイ。
その一喝に、動揺したまま、教育を施された騎士達の身体は勝手に動き――平伏する民を次々と殺していったのだった。
「や、止め――」
「この子だけは――」
民衆の断末魔の叫びが、血しぶきにかき消されていく。
これは、今までの戦車遊びなどではない。正しく虐殺――大虐殺の始まりだと人々に理解させるには十分な地獄の光景であった。
「逃げるんだ!」
「こいつら正気じゃない!」
ようやく心が現実に――現実が地獄と化したことを認識した民衆達は、慌てて立ち上がって逃げ出そうとする。
その背中を容赦なく追い掛ける刃。逃げる獲物の背中を刺すことに一切の躊躇いを見せないルーイの姿は、さながら狂戦士。同族を相手に行うとはとても思えない、狂気の体現者であった。
そんな虐殺がしばらく続いた頃――遠くで角笛の音が響いた。
「……ズック様の角笛です」
「出撃……で、いいんだよね?」
「はい。どうやら、ズック様も軍を動かしたようです」
ルーイと同じく、兄であるズック・イザークにも海の騎士団指揮権がある。
ルーイが派手に暴れ出したことを知り、動き出したのだろう。海の騎士団はそう思ったが、一人ルーイは小さく笑ったのだった。
「これで僕の仕事は終わりで良いのかな?」
「は?」
「あー、うん。そこそこ被害も出して、もう止まらないところまで追い込めたと思うし……クロウの方の仕込みもできてるはずだからね。後は人間同士が勝手に争うらしいから、後始末をしなきゃ」
「え……」
何度も繰り返された、皮が裂け肉が抉られ血が噴き出る音がした。
突然口調が変わり、どうしたのかと近づいてきた海の騎士団の胸を、ルーイの剣が貫いたのだ。
「ルーイ様!?」
「なにを!!」
いくら絶対服従の洗脳教育を施されていると言っても、自分達の仲間が突然殺されれば声を上げざるを得なかった。
理由があっての処刑ならば仕方が無いが、錯乱したとしか思えない凶行を前にすれば、人としての本能が前に出てくるというものだ。
「もうこれも限界だったし、丁度いい時間だね」
そう言って、ルーイは自らの顔を右手で掴み――皮を剥いだ。
衝撃的なスプラッタ映像であるが、皮の下から現れたのは肉でも血でもなく、毛皮。コボルト種に属するのだろう、魔物の顔が現われたのだ。
――術の名は[命の道/四の段/皮剥の衣]。
まず死体を用意し、その皮を丸ごと変装道具に加工する魔道。ある程度ならば骨格の違いも誤魔化せるようになっている魔道具を作り出す術であり、その効果は尻尾を隠し人間より明らかに長い犬顔であっても違和感を持たせないほどの精度がある。
欠点としては死体を用意する手間がかかることと、所詮薄皮を元にしているので脆く維持できる時間が限られることだ。
そのあまりにも邪悪な性質から、人間社会では使用を法で禁じられた禁術指定とも呼称される禁忌の術。そんなものを使ったのは――ウル魔王軍が一翼、コボルトのコルト。
高位段の魔道を使うべく、自らの肉体を進化させ――より魔道発動に適した力を得た犬頭人の妖術師の姿を取っていた進化種の魔物であった。
「魔物……!」
「まさか、変装して我らを謀ったのか!?」
「なんと非道な! 罪のない民を虐殺するとは!!」
自分達が騙されていたことを知った海の騎士団の面々は、怒りを露わにする。
しかし――そんなことで非難されるのは、コルトからすれば見当違いも甚だしい話であった。
「何を言っているのさ。ただ暮らしていただけの弱者を殺し回るのは、人間だけに許された特権とでも思っているのかい?」
同じ王の下に膝をついた人間は受け入れる。
だが……そうでない人間は、いくら殺しても飽き足らない。
そう考え、実行できるくらいに人間を恨んでいるのが、普段は弱気で温厚なコルトという魔物なのだ。
事実、この程度の……街の一角に偶々いただけの人間を殺した程度ではとても釣り合いが取れない。コルトの群れも、それ以外の多くのコボルトが、ゴブリンが……人間の都合で一方的に殺されてきたのだ。
それなのに、自分達が攻撃されることは考えてもいなかったのかと、海の騎士団の糾弾の言葉はコルトの心に汚泥のようにこびりつく怒りに更に油を注ぐことになった。
「ま、どっちにしても……ここでの情報は完全遮断じゃなきゃいけないらしいからね。君たちは僕が纏めて面倒を見るよ」
獣人型の進化種となった今のコルトは、幼いコボルトであったときよりもやや体格が良くなっている。
それでも精々人間の成人女性よりやや低い程度の背丈しか無いが……その力を背景とした威圧感は、既に並みの魔物を超えている。
「ま、もう終わってるんだけど」
その言葉と共に、突然海の騎士団はビクッ! と動きを止めた。
続けて痙攣を起こし、口から泡を吹いてその場に倒れ込む。そのまましばらく陸に上がった魚のようにジタバタ跳ね、やがて痙攣は止み――心臓の動きを止めたのだった。
「実験成功。この薬、そこそこ強い人間相手でも効果は十分だね」
コルトは薬学研究班の長であり、真骨頂は自らが調合した薬物の使用だ。
敵の大将に扮して仕込みをできる状況ならば、敵兵に対して何もしないわけがない。ただ時間を調整し、致死性の毒薬を民衆の虐殺を行う海の騎士団の後ろから小さな針で盛っていたというだけである。
ア=レジル攻略戦の際に手に入れた実験台を相手に試しながら作った毒薬であったが、実戦でも効果は十分だと一人笑顔になるのだった。
「……じゃ、僕はこれで一旦退場かな。聖女ってのも気になるけど……次は裏方の仕事だしね」
息をする者が自分しかいなくなったウ=イザークの一角で、コルトはもう次のことに思考を切り替えていた。
死体となって転がる人間達のことなど、興味は無い。後で切り分けて食材にしなきゃなと思いつつも、今必要なのは民衆が大量に殺されたという事実と、海の騎士団が毒で殺されたという事実の二つだ。
これを裏から姿を現すこと無く宣伝するのが次のコルトの仕事であり、これにより突如起こったウ=イザークの悲劇は加速する。
まるで、コボルトの群れを人間が襲ったときのように、残酷に。




