#18
「朧露堂の手違いじゃない。初めから、戸辺山田さんに使用させるつもりで靴を入手して、それだけだと目立つから、色々一緒に送らせたわけか」
美術室に響く里崎の声は非常に冷たかった。里崎は直立不動、代田、坊坂の二人は机に腰を預けて立っている。床に座り込み、本当に痛いのか少しでも同情を買おうとしてのふりなのかは分からないが、蹴りを入れられた脇腹を押さえている大崎を、三者は取り囲み、冷ややかに見下ろしていた。
「知らない!勝手なことほざくな!」
大崎は顔を真っ赤にして叫んだ。片方の頬が痙攣するようにぴくぴくと動き、ひきつれ、大崎の顔は左右非対称になっていた。
「朧露堂に問い合わせれば簡単に分かるな」
およそ情というものの感じられない声で、坊坂が淡々と続けた。とにかく否定し続けてやり過ごそうとしている大崎の態度は、理解出来ないでも無いが、この場をやり過ごしたところで、戸辺山田はすぐに捕まるだろうし、付喪神が暴走したということで、教師たちは経緯をきっちりと調査する。大崎があくまで朧露堂の過失を主張すれば、当然朧露堂に確認が行くだろうし、朧露堂は、自社の過誤が原因で高校生が被害を受けたなどという汚名を着る筈がないので、すぐに事実関係が明らかになる。それを思えば、大崎は自分の立場を悪くしているだけに過ぎなかった。ここで認めてしまえば、少なくとも朧露堂に、学院外にまで話しが及ぶことはないのである。
「違う!違うって!俺のせいじゃない!大体、騒ぎ過ぎだろ!お前らが騒ぐから大事になってるんだろ!」
「一番騒いだのは戸辺山田さんだな。つまり、戸辺山田さんが悪いと」
「違う!」
呆れてつぶやいた代田に向けて、大崎は、違う違う、と壊れた音響装置のように繰り返した。この状況で戸辺山田まで敵に回せば不味いということは理解しているらしい。もっとも、大崎以外のこの場にいる三人は、現在進行形で意に添わない長距離走を強いられている上、付喪神に良い様に弄ばれたという、除霊や浄化を生業にしている家のものとしては相当に破壊力の高い恥を晒された戸辺山田が今後も大崎を庇うとは思えなかったが。
「だから、騒ぎ過ぎなんだよ!死霊が憑いているにしろ、呪いにしろ、消えるだろ、すぐ!」
「何を言っているんだ。あれは付喪神だ。山の霊気で消えるようなことはない。きちんと手順を踏んで供養してやらない限り駄目だ」
坊坂が眉をひそめて諭した。大崎は唾を飛ばしつつ、叫んだ。
「そっちこそ何言ってんだ!その書類見ろよ!死んだ陸上選手がどうたらって書いてあるぞ!」
「確かに、元の持ち主と入手経緯にはそのようなことが、書いてあるけど…」
里崎は、手に持った『赤い靴(サイズ二十六センチ、紳士用)』の説明書を見ながら、つぶやいた。
「ほら見ろ!」
大崎は、顔を輝かせ、鼻を鳴らしつつ坊坂を見た。
「それ以前に、太字で、付喪神、と書いてある」
里崎は説明書を片手で掲げ、逆の手で、指差してみせた。坊坂は少し身構えて、大崎が証拠隠滅のためにその書類に飛びかかったときに備えたが、大崎は目を瞬かせただけだった。説明書は履歴書のように右上に対象の物品の写真が印刷されている。その横、一番上には『赤い靴(サイズ二十六センチ、紳士用)』、そのすぐ下に『付喪神』とそれぞれ太字で書いてある。太字なのはその二箇所だけで、他の、外見の詳細な文字での説明や、入手経路は細字だった。ちなみに、細字ではあるが赤字で、注意事項に『足に履くと走り出す。それ以外では動かないので、注意を怠りがちだが、絶対に履かないこと』と書いてあった。
「随分、都合のいいように、読んでいるな」書類を覗き込んだ代田が、更に呆れた声を出した。「それに、二年の、久井本先輩の、あれもお前だろ。脱毛剤かけたって」
「知らない!知らない!ってか、何か証拠あるのかよ!」
坊坂は腕を伸ばすと、油絵具の画溶液として近くの棚に置いてあった、使い差しの松精油の瓶を取ると蓋を開け、無造作に、わめく大崎の頭に振りかけた。強い、独特の匂いが当たりに充満し、里崎と代田は思わず鼻と口を押さえた。
「…っ!何するんだ!」
「ああ、悪い。手が滑った。これで拭くと良い」
坊坂は面倒臭そうに言うと、これも手近にあった雑巾を投げた。反射的に受け止めた大崎は、顔を歪ませ食って掛かった。
「はあっ!?わざとだろ!」
坊坂は無表情にうそぶいた。
「証拠は?無いよな」
「はあああっ!?何言ってんだっ!先生に言い付けるぞっ!」
他に何も無いので、仕方なく雑巾で顔周りの松精油を拭い取りつつ、大崎は叫んだ。
「言えば。ああ、気を付けろよ。それ、燃えやすいから。何か発火源になるものが身近にあると危ないな」
変わらず無表情の坊坂に、更に大崎は何か罵ろうとしたが、動じない坊坂に言うべき言葉が見つからず、ひゅうひゅうと荒い息をしつつ、口を引き結んだ。
「…戸辺山田さん、そろそろ捕まったんじゃないかな。意見を聞きに行こう」
里崎が提案して来た。大崎は肩を震わせた。うなずき、もたれ掛かっていた机から腰を浮かせた坊坂と代田と異なり、大崎は、ぱっと、両手で頭部を包み、床に突っ伏し、頭を引っ込めた亀のような体勢を取ると、梃でも動かない、といった風情を装った。坊坂と代田は溜め息を吐くと、乱暴に大崎の両腕を掴み、両脇に手を入れた。大崎は腕を振り回して抵抗しかけたが、坊坂の肘が、つい脇腹…赤い靴の付喪神の蹴りを受けた箇所…に当たってしまうと、うめいて抵抗を止めた。それを立たせ、引きずるように歩かせ、三人は、屋外に通じる引き戸から出た。その後ろから、朱塗りの葛篭と、若竹色の、中に予備の札が入っている朧露堂の封筒を抱えた里崎が続いた。
校舎の外に出て、現況を確認すべく辺りを見回した坊坂は、倉庫の前で段ボールや木材、用途の分からない何かの器具を、バケツリレーの要領で受け渡していて、ちょうどこちら側に顔を向けたところだった倉瀬と目が合った。坊坂が話しかけるより早く、倉瀬が声を上げた。
「坊坂!こちらを手伝ってくれ!ネットを出す!」
ネット、と言われて意味が分からず、坊坂と代田、里崎は戸惑った視線を交わしつつ、倉庫に近づいた。倉瀬の声を聞きつけた、倉庫内に向けて指示を飛ばしていた教師が、四人の方に向き直ると共に詳細を教えてくれた。戸辺山田は、意識は取り戻したようだが、まだその辺りを駆け続けている。大柄な体に突進力を併せ持った今の戸辺山田を捕まえるべく、サッカーゴールを底辺に、左右に害獣対策用の網を張って『凹』の形にして待ち受け、そこに戸辺山田を追い入れて動きを押さえよう、という方策が出され、それに使う網を倉庫から取り出しているところだった。
坊坂たちは、手伝うのはもちろん構わないのだが、大崎をどうするかという問題があった。里崎が、戸辺山田を暴走させている『赤い靴』も含めて、朧露堂から大崎に送られた付喪神について説明すると共に、その動きを封じておくことの出来る札を示した。元凶が大崎だと聞かされた教師と、その場にいて自然と話しを聞いてしまった倉瀬たち、一年二組のほぼ全員と、二年生と三年生の一部が、呆れたような、面白がっているような、様々な視線を大崎に送って来た。大崎は紅潮させていた顔を若干青くして、下を向いて視線を避けた。
「ああ、そういうことなら、その生徒は事務所で預かっておきますよ。あと、伊東先生、この札を、それぞれ付喪神を追いかけて行った生徒たちの元に届けてあげてくれませんか」
倉庫の横にある武道場の壁に背をもたせかけ、半眼で、般若心経の書かれた扇子で顔を扇いでいた事務長が、声を掛けて来た。その言葉に、生徒たちに混じって倉庫の中のものを搬出していた、身長が百五十センチ台と小柄で、少し足を引きずっている教師がうなずいた。里崎が、付喪神の目録と朧露堂の札を封筒ごと渡すと、伊東は早足でまず武道場とプールの方に向かって行った。事務長は、青い顔に血走った目をしていて、葛篭を持たされた大崎の腕を取ると、行こうか、と一言掛けて、年齢の割りの健脚を発揮して、すたすたと事務所に向かって行った。その間も、大崎を掴んでいない方の手で、扇ぎ続けていたので、単に空調の効いている事務所に戻りたかっただけとも思われた。
坊坂、代田、里崎は、倉庫の荷物を運び出す作業に加わった。芯に巻き付けられた形状の害獣対策用の網は、重さと大きさがあることも問題だったが、それよりも、保管されている場所が倉庫の一番奥で、手前に山と積まれた様々な備品を移動させなければ取り出せないことの方が問題で、手間も掛かっていた。搬出出来るだけの道筋をつけると、今度は、網の巻き付けが緩まっていたらしく、垂れ下がっていた部分が別の用途の網と絡んでいて、それを取り外すのにまた時間が掛かった。それでも何とか網を取り出すと、支柱にする竹の棒に結びつけ、体育祭で使用していた旗立台に立て、柵として形を整えた。運動場のサッカーゴールを行き止まりにし、左右にその柵を立て、その場にいた生徒の中で腕力に自信のあるものが軍手を嵌めて、網とサッカーゴールの支柱を掴み、即席の捕獲用設備が完成した。
「よし!足に自信のある奴!勢子だ!戸辺山田を追ってこい!」
『おう!』
妙に威勢の良い声が上がり、勢子を務めるべく生徒たちは駆け出して行った。坊坂も加わった。




