4-14
唇に触れる柔らかな感触。
触れていたのは僅か一瞬の事だと思うのだが、何かが俺の中に入り込んでくる。
その何かは暖かい。そして形無く、俺の中で様々な形に姿を変える。まるで俺の中を調べるかのように縦横無尽に動き、俺と一つになっていく。まるで失ったパズルのピースを埋めるかのように。
それは、俺が高校三年生の頃、初めて出会った美玖の様子。
それは、俺にとって人生初めてのデートで、二人一緒に映画を観に行った時の様子。
それは、人生の晴れ舞台である結婚式。両家の両親や友人たちに祝福された時の様子。
それは、俺たちにとって何よりも大切な、小さな小さな命が誕生した時の様子。
それは、
それは、
それは……。
真っ白な世界で、どこか懐かしく、とても暖かい、数えきれない程の想い出が俺の中に還ってくる。
それは、失われていた俺の記憶。前の世界で、美玖と共に築いた記憶。
「美玖!」
白い世界から突如意識が戻り、俺は目の前の幼い少女を抱きしめる。
「勇ちゃん!」
美玖の小さな手が俺の背中に回され、ぎゅっと力を込めて抱きしめてくる。
どうして忘れてしまっていたのだろう。どうして思い出せなかったのだろう。
俺は――春日勇樹は、春日美玖と結婚していることを。
今度は美玖が背伸びをして、自分からから俺に顔を近づけて唇を重ねてくる。拒む理由はどこにもなく、俺もそれを受け入れて、
「あー、あのー。勇樹君? そーゆーのは二人きりの場所でしてくれないかしら」
ラブルの呆れた声でハッと我に返り、周囲を見渡すとラブルはジト目。ティディは顔を真っ赤にしながらもこっちを凝視。和佳さんに至っては左手で顔を覆いながらも、指の隙間からしっかり目を出していて、
「って、和佳さん? その右手に持っているものは何ですか?」
一旦美玖を地面に降ろしながらも、俺の右腕にしっかり美玖が絡み付いたまま。だが俺もそれを良しとしたまま問いかける。
「あ、旦那様。これは『空間撮影機』と言いまして、このレンズで写した空間を立体的に記録し、後で何度でも再生出来るのですよ。もちろん音声も聞けますし、全方位を観る事が出来ます。なので、あたかも自分がその場所に居るかのような体験の出来る優れものです」
「今すぐ、止めてください!」
「えぇー、せっかく奥様からいただいた初任給で購入したのですよー。ちゃんと編集してプレゼント致しますから、どうぞ続けてくださいませ」
「いやいやいや。ちょっと、美玖からも何とか言ってよ」
と、美玖に視線を向けたのだが、
「あ、いいんじゃないかな。後でプレゼントしてくれるって言ってるし」
ダメだー! 美玖の頭がお花畑になっている。妻と抱き合ってキスしている映像なんて、誰得なんだよ!
「そんな事より旦那様。あちらの方がもの凄く困っておられますが」
和佳さんの示す先には、ただただ呆然と立ち尽くすディオニュソスと、その眷属であるグリュプス。
無表情というか、仮面で表情はわからないけれど「用が無いなら帰っていい?」という空気が出まくっている。
「あ、えーっと。うちの美玖がこんな状態で申し訳ないのですが、あと数分したら自動的に元の場所に帰れますので、少しお待ち願えますか」
もしかしたら今回一番可哀想なのは、この人(いや神か?)かもしれない。
美玖に無理やり呼び出され、能力を使って攻撃していたのだが、突如美玖の態度が一変。放置されて空気化した上に、呼び出し主がその攻撃対象に甘えまくっているというこの状況。
もしも俺なら、今宵は涙で枕を濡らしてしまうかもしれない。
……
そして数分後。見慣れた光の輪が若干いじけ気味のディオニュソスを包み、数秒後にはその姿がなくなっていた。
「ふぅ。これで一先ず落ち着いたのかな」
俺の右腕にくっつき、ぎゅっと離れない美玖。巨大なプレッシャーから完全に解放されて安堵しているラブルに、疲れたーと言って座り込むティディ。流石に和佳さんは撮影を止めていて、俺たちの――美玖の近くで畏まっている。そして、待たされ過ぎたのか、うとうとしているグリュプス。
ん!? グリュプス!?
どうしてだ!? ディオニュソスが帰っていったのに、その眷属であるグリュプスが帰って居ないのは何故なんだ!?
そして俺は思い出す。美玖の『強制召喚』では、あくまで呼び出された本人だけが帰還対象であり、その時持って来たものは置いていけるということを。
「グオォォォ!」
主であるディオニュソスが居なくなったからなのか、グリュプスが突如目覚める。
先程までの大人しさは一切無く、その瞳には狂気と凶暴性が溢れ出ていた。




