第八十四話 護衛騎士?ヴィンセント
「ええっ!?」
皇帝の驚いた声が、執務室いっぱいに響いた。
エルナは静かに座っている。
その隣では、アイリスも当然のような顔をしていた。
「待て」
皇帝が片手を上げる。
「少し待て」
「はい」
「エルナがヴィンセントとの婚姻を考えている」
「はい」
「そこまでは分かった」
「ありがとうございます」
「いや、まだ認めたわけではない」
「そうですの?」
「そして」
皇帝はアイリスを見る。
「なぜお前まで入ってくる」
「取られるのは嫌ですもの」
「…………」
「ですから、わたくしも一緒なら問題ありませんわ!」
「問題がないように言うな!」
皇帝は額へ手を当てた。
「そもそも、お前はヴィンセントと婚姻したいのか?」
「それは……」
アイリスが考え込む。
「まだ、よく分かりませんわ」
「分からんのか!」
「ですが、ヴィンセントがお姉様のものになるのは嫌ですわ!」
「それを先に整理してから来い!」
「ですから、お姉様と相談して整理しましたの!」
「これが整理した結果なのか!?」
「はい!」
「胸を張るな!」
エルナが口元へ手を添えた。
「お父様」
「何だ」
「アイリスだけを叱らないでくださいませ。わたくしも了承しておりますもの」
「そこも分からん!」
皇帝は今度はエルナを見る。
「お主まで、なぜその結論を普通に受け入れておるのだ」
「アイリスと争うより、よろしいかと思いまして」
「他にも選択肢はあるだろう!」
「ですが、わたくしはヴィンセントがよいですわ」
「わたくしも取られるのは嫌ですわ!」
「お前はまず自分の気持ちを確かめろ!」
◇
しばらくして。
皇后とノリス。
そして当事者であるヴィンセントまで、執務室へ呼ばれることになった。
「……ということだ」
説明を終えた皇帝は、疲れた顔で椅子へ背を預けた。
「なるほど」
ヴィンセントが頷く。
「なるほど、ではない」
「はい」
「お主は驚かんのか?」
「驚いてはいます」
「そうは見えんぞ」
ヴィンセントはエルナを見る。
次に、アイリスを見る。
「それで」
皇帝が尋ねる。
「お主自身はどうなのだ」
「どう、とは?」
「二人との婚姻だ!」
「ああ」
少し考えて。
「お二人が、それでよろしいのであれば」
「よいのか!?」
「はい」
あっさりしていた。
「エルナ殿下もアイリス殿下も、大切な方ですので」
「…………」
エルナが少しだけ頬を緩める。
アイリスも嬉しそうに笑った。
皇后は。
「あらあら」
いつものように口元へ手を添えている。
「あなた」
「何だ」
「よろしいのではありませんか?」
「お前まで!」
「エルナも望んでおりますし」
「うむ」
「アイリスも」
「本人もまだよく分かっておらんぞ」
「取られるのは嫌なのでしょう?」
「はい!」
「ほら」
「それでよいのか!?」
皇后は楽しそうに笑うだけだった。
◇
「ですが」
ノリスが口を開いた。
「正式に婚姻となれば、整理すべきことは多くございます」
「そうだ!」
皇帝が勢いよく頷いた。
「そういう話をしておるのだ!」
「身分、継承、今後のお立場。皇女殿下方との婚姻に際して決めるべきこともございます」
「ほら見ろ!」
「ですので」
ノリスは普通に続けた。
「そのあたりを今後詰めていけばよろしいかと」
「そちら側なのか!?」
「皆様が望まれているのであれば、反対する理由もございませんので」
「…………」
皇帝は黙った。
味方がいなかった。
「お父様」
エルナが穏やかに呼ぶ。
「まだ、すぐに婚姻するという話ではありませんわ」
「まあ、それはそうだが」
「アイリスも、もう少し大きくなってから改めて考えればよいと思います」
「わたくしもですの?」
「あなたはまだ、自分でも分からないのでしょう?」
「……そうでしたわ」
「忘れておったのか?」
「忘れてはおりませんわ!」
皇帝は大きく息を吐いた。
「まったく……」
第一皇女は、大国からの縁談を相手の名前すら聞かずに断り。
第二皇女は、自分の気持ちもよく分からないまま、護衛騎士を取られるのは嫌だと言う。
「皇室の娘なのだが」
「はい?」
「なぜこうも自由奔放に育ったのだ……」
「あなたに似たのではなくて?」
皇后が微笑んだ。
「余のどこがだ!」
◇
それから。
季節はゆっくりと進んでいった。
皇后と、生まれたばかりの皇子は順調に過ごしている。
エルナも。
アイリスも。
以前と変わらず公務に励んだ。
ヴィンセントも。
相変わらずアイリスの護衛騎士として、その隣にいる。
街道は伸び続けた。
南へ。
西へ。
北へ。
各国との交易は増え。
四か国の定期的な協議も始まった。
サウレア。
ウェストリア。
ノルディア。
そしてアルセリア。
それぞれ別の国でありながら。
以前より近く。
必要な時には話し合い。
困った時には助け合う。
そんな関係が、少しずつ形になっていた。
有線通信も。
まだ国中どこへでも届くわけではない。
それでも。
以前なら何日も掛かっていた知らせが、早く届く場所は増えている。
野球も。
すっかり皇国だけのものではなくなった。
酒も。
料理も。
化粧品も。
道路も。
いつの間にか。
国境を越えて広がっていた。
◇
ある日の皇宮。
皇帝は、窓から外を眺めていた。
庭では。
アイリスが何かをヴィンセントへ話している。
少し離れたところにはエルナ。
その護衛としてリゼットもいた。
「…………」
思えば。
始まりは。
一人の少年を、アイリスの護衛騎士に選んだことだった。
副団長の大盾を素手で吹き飛ばし。
命令を聞くかどうかも怪しく。
妙な板から見たこともない物を取り出し。
気がつけば道路を作り。
料理を広め。
西国と戦争になれば一人で軍を止め。
太陽教では理由も分からず光り。
鐘まで勝手に鳴り。
最後には。
皇女二人との婚姻の話まで出てきた。
「……なんだったのだろうな」
「何がです?」
ノリスが尋ねる。
「いや」
皇帝は首を振った。
分からないことは。
未だに多い。
ヴィンセントがなぜあれほど強いのか。
なぜ鐘が鳴るのか。
なぜ光るのか。
結局。
何一つ分からないままだった。
だが。
分からないままでも。
国は続いている。
むしろ。
以前よりも。
「うまく回り始めておる」
皇帝が呟いた。
周辺国との争いは減り。
交易は増え。
皇子も生まれた。
娘たちも。
それぞれ自分の将来を考え始めている。
「これも」
皇帝は庭を見る。
アイリスが笑い。
エルナもその隣へ歩いていく。
ヴィンセントは。
当然のように二人のそばにいる。
「なるべくして、なったことなのかもしれんな……」
「では」
後ろから声がした。
「ん?」
皇帝が振り返る。
いつの間に来たのか。
リゼットが立っていた。
「どうした?」
リゼットは。
いつもの真面目な顔で。
静かに言った。
「私も」
「ええっ!?」
皇帝の声が。
今日も。
皇宮いっぱいに響いた。
――完




