第八話 初の公務のお知らせ
それから数日後。
アイリスの私室に、控えめなノックの音が響いた。
コンコン。
「アイリス殿下」
扉の向こうから侍女の声がする。
「参謀のノリス殿がお呼びです」
「まぁ、ノリス殿が?」
アイリスは顔を上げた。
「わかりましたわ! すぐ参りますわ!」
「かしこまりました」
侍女が下がる。
アイリスは立ち上がり、傍らに控えていたヴィンセントを見る。
「では、行ってまいりますわ」
「はい!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
アルセリア皇国皇宮。
謁見室。
「お呼びとのことで参りましたわ、ノリス殿……で、よろしいのかしら?」
「うむ。それでよろしいですぞ、アイリス殿下」
参謀のノリスは穏やかに頷いた。
「此度、アイリス殿下に南方の地方都市をご視察いただくことが決まりましてな」
「まぁ!」
アイリスの表情が明るくなる。
「視察ですのね!」
「ええ。今後、正式に公務へ携わっていただくにあたり、まずは国内の各地をご覧になっていただこうということでございます」
「なるほど……」
アイリスは少しだけ背筋を伸ばした。
これまで皇宮の中で学んできたこと。
皇国について教えられてきたこと。
それらを、今度は自分の目で見るのだ。
「承知いたしましたわ」
アイリスはしっかりと頷く。
「初めての視察、しっかりと勤めてまいります」
「頼もしいお言葉ですな」
ノリスも満足そうに頷いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そして、アイリスの私室。
「ヴィンセント!」
「はい!」
「視察が決まりましたわ!」
「おお!」
ヴィンセントが嬉しそうに顔を上げる。
「南方の都市を視察することになりましたの!」
「アイリス殿下の初公務ですね!」
ヴィンセントは嬉しそうに笑う。
「それは気合を入れて参りませんと!」
「ええ。しっかり頼みますわよ」
「もちろんです!」
ヴィンセントは胸を張った。
「アイリス殿下には、傷一つつけさせません」
「まぁ」
アイリスは少し嬉しそうに微笑む。
「頼りにしておりますわね」
「お任せください!」
「ところで」
ふと、アイリスがヴィンセントを見る。
「あなた」
「はい?」
「まだ武器が届いておりませんの?」
「…………」
ヴィンセントが少し困ったような顔をした。
「それが……」
「まだなのですの?」
「はい」
「選抜試験のときには、間に合う予定だったのではありませんこと?」
「本来ならば、そうだったのですが……」
ヴィンセントは少し遠い目をする。
「なんでも、途中で鍛冶師殿の『興が乗った』とかで……」
「…………」
アイリスは首を傾げた。
「興が乗った?」
「はい」
「武器を作るのに?」
「はい」
「…………」
「私にもよく分かりません」
アイリスは少し考える。
「まぁ……鍛冶師というものは、凝り性なのかもしれませんわね」
「そうなのかもしれません」
アイリスはふと、ヴィンセントの腰を見る。
「それで、普通の剣は扱えませんの?」
「ただ、振って敵を斬ると言う点では使えます」
「では、それでよろしいのでは?」
「それが……」
ヴィンセントは困ったように頭を掻いた。
「普通の剣だと、武器が持ちません」
「…………」
「すぐ壊れてしまいます」
「まぁ……」
アイリスは少し目を丸くする。
「そんなに?」
「はい」
「…………」
ヴィンセントはさらに言葉を続ける。
「それに……」
「それに?」
「普通の剣で戦うと、少々……」
ヴィンセントは言葉を濁した。
「想像以上に悲惨な光景になりますので」
「…………」
アイリスはしばらくヴィンセントを見る。
「そ、そうですの……」
「はい」
「…………」
「…………」
微妙な沈黙。
アイリスは、ふと気になったようにヴィンセントを見る。
「……ちなみに」
「はい?」
「普通の剣で斬りつけると……」
少し考えてから尋ねる。
「敵は、どうなりますの?」
「…………」
ヴィンセントは少しだけ考えた。
「……ええ」
「はい」
「何故か、細切れになります」
「…………」
アイリスの笑顔が止まった。
「……細切れ?」
「はい」
「…………」
「剣で斬っただけなのですが」
「…………そう」
アイリスは少しだけ視線を逸らした。
「それは……」
「はい」
「……やめておきましょう」
「はい!」
ヴィンセントは素直に頷いた。
「そのほうがよろしいかと」
「ええ……」
アイリスは深く頷く。
やがてアイリスは小さく息を吐いた。
「では、武器が届くまでは……」
「はい」
「くれぐれも、普通の剣を無理に使ったりはしないでくださいませ」
「承知しました!」
ヴィンセントは素直に頷いた。
アイリスはそんな彼を見ながら、ふと思う。
――初めての公務。
南方の地方都市。
そして、自分の護衛騎士は武器すらまだ届いていない。
「…………」
なんとも不思議な初公務になりそうですわね。
そんな予感が、少しだけした。




