第六十一話 海ですわ!
「まあ!」
最初の街へ入って早々。
アイリスが馬車の窓から身を乗り出した。
「皇国とは少し雰囲気が違いますわね!」
「殿下、あまり身を乗り出されませんように」
「分かっていますわ!」
街には、ウェストリアの兵士が配置されている。
そして。
その兵士たちは。
「…………」
「…………」
通り過ぎていく一行を、なんとも言えない表情で見送っていた。
「あれが……」
「第二皇女らしい」
「隣の男は?」
「見るな」
「え?」
「見るな」
ヴィンセントは普通に手を振った。
「こんにちは!」
「…………」
兵士がぎこちなく頭を下げた。
「こんにちは……」
戦争中とは思えなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
旅を続けるうち。
アイリスは、少しずつ別のものにも興味を示し始めた。
「これは何ですの?」
「この地方で多く栽培されている作物でございます」
ウェストリア側から付けられた案内役が答える。
「皇国ではあまり見ませんわね」
「気候が少々異なりますので」
「なるほど……」
アイリスが頷く。
次の街では。
「まあ! 綺麗ですわね!」
「この地方の工芸品でございます」
「皇国でも売れそうですわ!」
「……そうでしょうか?」
「ええ!」
また別の場所では。
馬車が大きく揺れた。
「きゃっ」
「大丈夫ですか?」
ヴィンセントがすぐにアイリスを支える。
「ありがとうございます」
そして。
アイリスは窓の外を見る。
「……こちらの街道」
「はい?」
「もう少し整備した方がよろしいのでは?」
「…………」
案内役の表情が僅かに引きつった。
「皇国では道路を整備してから、荷馬車の移動がかなり楽になりましたの」
「そのようですね」
「こちらでもできますわよ!」
「…………」
「必要でしたら方法をお教えします!」
「殿下」
親衛隊長が声を掛ける。
「はい?」
「海を見に来たのでは?」
「もちろんですわ!」
アイリスは胸を張る。
「こちらはついでです!」
「…………」
案内役は思った。
これは本当に。
海を見るついでなのだろうか。
だが。
アイリス本人にとっては。
本当に、ついでだった。
◇ ◇ ◇ ◇
さらに西へ。
海へ近づくにつれて、街の様子も変わっていった。
大きな倉庫。
荷車。
商人。
見慣れない品々。
そして。
「港ですわ!」
アイリスの目が輝いた。
多くの船が停泊している。
荷が積まれ。
降ろされ。
人々が忙しく行き交っている。
「すごいですわね……」
「ウェストリア西部では最大級の港でございます」
「ここから、色々なところへ荷物を運べますの?」
「はい」
「…………」
アイリスが港を見る。
倉庫を見る。
街道を見る。
「ここまで道路を繋げれば……」
「殿下」
「はい?」
「海」
「…………」
「あっ!」
アイリスが振り返った。
「そうでしたわ!」
そして。
そのまま港の向こうを指差す。
「行きますわよ!」
◇ ◇ ◇ ◇
しばらくして。
一行は海岸へ到着した。
「…………」
アイリスは立ち止まった。
目の前いっぱいに。
海が広がっている。
どこまでも。
どこまでも続く水面。
波が寄せては返し。
陽の光を受けて、きらきらと輝いている。
「…………」
「アイリス殿下?」
親衛隊員が声を掛ける。
だが。
アイリスはまだ海を見ていた。
そして、隣に立つヴィンセントへ顔を向ける。
「ヴィンセント」
「はい?」
「そういえば、あなたは海をご覧になったことがありますの?」
「ありませんね」
「まあ!」
アイリスが驚いたように目を見開く。
「では、ヴィンセントも初めてですのね!」
「はい」
ヴィンセントは、改めて目の前の海を見る。
「……随分と広いですね」
「海ですもの!」
「なるほど」
「…………」
アイリスはもう一度、海を見た。
次の瞬間。
「海ですわーーーー!」
アイリスが駆け出した。
「殿下!?」
「すごいですわ! 本当にずっと水ですわ!」
「アイリス殿下、お待ちください!」
「ヴィンセント!」
「はい!」
「行きますわよ!」
「はい!」
「ヴィンセント殿まで!?」
親衛隊が慌てて追いかける。
砂浜まで下りたアイリスは、波打ち際で立ち止まった。
「まあ……!」
波が足元までやってくる。
「冷たいですわ!」
「濡れますよ?」
「構いませんわ!」
「では」
ヴィンセントが板を取り出した。
「…………」
親衛隊長が嫌な予感を覚える。
「ヴィンセント殿?」
「はい?」
「何を?」
「せっかく海に来たので」
板から。
敷物が出てきた。
飲み物。
軽食。
さらに。
「これは何ですの?」
アイリスが丸いものを持ち上げる。
「ビーチボールです」
「びーちぼーる?」
「こうやって遊びます」
ヴィンセントが軽く打つ。
ぽん。
ボールが宙を飛んだ。
「まあ!」
アイリスが受ける。
ぽん。
「楽しいですわ!」
「でしょう?」
「皆さんもやりますわよ!」
「え?」
親衛隊員たちが固まった。
「早く!」
「…………」
隊長が海を見る。
次に。
周囲を見る。
遠くには、ウェストリア兵たちがいる。
彼らはこちらを監視している。
現在。
アルセリア皇国とウェストリア王国は。
まだ正式には戦争中である。
「…………」
隊長は静かに息を吐いた。
「……分かりました」
「やりましたわ!」
こうして。
戦争中の敵国の海岸で。
アルセリア皇国第二皇女と、その親衛隊による。
ビーチボールが始まった。
「ヴィンセント!」
「はい!」
「そちらへ行きましたわ!」
「はい!」
「…………」
ヴィンセントが構える。
親衛隊長の顔色が変わった。
「ヴィンセント殿」
「はい?」
「絶対に」
「はい」
「絶対に本気で打たないでください」
「分かっていますよ」
「本当にお願いします」
「大丈夫です!」
「その大丈夫が怖いのです!」
「?」
少し離れた場所。
ウェストリア兵たちは。
その光景を無言で眺めていた。
「…………」
「…………」
「なあ」
「なんだ」
「俺たち……戦争中だよな?」
「……そのはずだ」
「なんで皇国の皇女が、うちの海岸で遊んでるんだ?」
「知らん」
「その隣にいるの……」
「言うな」
「でも――」
「見るな」
ぽん。
「きゃー! そちらへ行きましたわ!」
「任せてください!」
「ヴィンセント殿! 軽く! 軽くです!」
「はい!」
ぽーん。
「まあ! 高いですわ!」
「追いかけます!」
「待ってくださいませ!」
「…………」
ウェストリア兵は遠い目をした。
「……楽しそうだな」
「…………ああ」
◇ ◇ ◇ ◇
その日。
アイリスたちは。
日が傾き始めるまで海で遊んだ。
海を見て。
波に触れて。
砂浜を歩いて。
見慣れない貝殻を拾って。
ビーチボールで遊び。
ヴィンセントが用意した軽食を食べた。
そして。
「楽しかったですわ!」
帰りの馬車。
アイリスは満足そうに笑っていた。
「来て良かったですね」
「ええ!」
そして。
窓の外を眺めながら。
「ウェストリアも、面白い国でしたわね」
「そうですね」
「皇国にはないものが、たくさんありました」
「はい」
「港も大きかったですし……」
アイリスは少し考える。
「道路を繋げれば、もっと色々なものを運べそうですわ」
「できそうですね」
「…………」
アイリスの目が輝く。
「帰ったら考えてみますわ!」
「はい!」
「…………」
親衛隊長は目を閉じた。
海を見に来ただけだったはずなのに。
また何かが始まりそうだった。




