第五十五話 開戦
ウェストリア侵攻軍。
「皇国側に動きあり!」
伝令の声に、将軍が振り返った。
「増援か?」
「いえ!」
「では砦から兵が出たか?」
「それが……」
伝令が困惑する。
「一名です」
「…………」
「何?」
「砦より、一名がこちらへ向かっております」
「一名?」
「はい」
「斥候ではないのか?」
「いえ。こちらへ真っ直ぐ進んでおります」
「…………」
将軍が嫌な予感を覚えた。
「特徴は?」
「若い男です」
「…………」
「金色の……」
伝令が目を凝らす。
「鐘のような形をした戦鎚を持っています」
「奴だ」
将軍が即座に答えた。
周囲の士官たちに緊張が走る。
「ヴィンセント……」
「本当に一人で来たのか?」
「そのようです」
「…………」
将軍はしばらく黙った。
理解できない。
こちらの兵力を把握していないはずがない。
それでも。
一人で出てきた。
「……予定通りだ」
将軍が告げる。
「正面から相手をするな」
「はっ」
「前衛は距離を保て。奴を例の地点へ誘導する」
「術式ですね」
「ああ」
設置型精神操作魔法。
奴の速度がどれほど速かろうと。
術式そのものが置かれている場所へ踏み込めばいい。
「魔術師!」
「準備はできております」
「確実に作動するのだな?」
「はい」
魔術師が頷く。
「術式内へ入りさえすれば」
「よし」
将軍は前方を見る。
遠く。
平原の向こうから。
一人の少年が歩いてくる。
軍勢を前にしているとは思えないほど、普通に。
「……気味の悪い奴だ」
誰かが呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇
「…………」
ヴィンセントは歩いていた。
前方には。
地平を埋めるほどの兵士。
槍。
盾。
旗。
騎兵。
その後方には、さらに多くの兵が続いている。
「多いですね」
ヴィンセントは呟いた。
それだけだった。
やがて。
ウェストリア軍の前衛が動く。
「来たぞ!」
「構えろ!」
兵士たちが盾を構える。
槍先がヴィンセントへ向けられる。
「…………」
ヴィンセントは立ち止まった。
「ウェストリア王国の方々でよろしいですか?」
返事はない。
「こちらはアルセリア皇国領です」
ヴィンセントが告げる。
「これ以上進まれると困ります」
「…………」
兵士たちは動かない。
「お戻りいただけませんか?」
やはり返事はない。
「…………」
ヴィンセントが少し困った顔をする。
「駄目ですか」
その瞬間。
「後退!」
ウェストリア軍の前衛が下がった。
「?」
ヴィンセントが首を傾げる。
逃げる。
というより。
一定の距離を保ちながら、後ろへ下がっていく。
「…………」
ヴィンセントはそのまま歩き出した。
「来ます!」
魔術師が声を上げる。
「そのまま……」
将軍が地図と前方を交互に見る。
ヴィンセントが進む。
一歩。
また一歩。
ウェストリア兵は、戦わず後退する。
「もう少しだ」
術式の位置。
そこまで。
あとわずか。
「…………」
ヴィンセントが踏み込む。
魔術師の目が見開かれた。
「入りました!」
「発動させろ!」
「はっ!」
魔術師が術式へ魔力を流し込む。
瞬間。
地面に描かれていた魔法陣が光った。
「!」
ヴィンセントが足元を見る。
光が広がる。
逃げる暇はない。
術式はすでに発動していた。
淡い光がヴィンセントの身体を包み。
そのまま消える。
「…………」
ヴィンセントが動きを止めた。
「かかった!」
ウェストリア軍の指揮所に歓声が上がる。
「成功したのか!?」
「はい!」
魔術師が術式の状態を確認する。
「間違いありません! 対象への干渉を確認!」
「よし!」
将軍が拳を握る。
「効果は?」
「精神へ直接作用しております!」
「具体的にはどうなる?」
「理性や判断力へ干渉し、思考を乱します」
「…………」
「身体能力がどれほど高かろうと、正常に判断できなければ意味はありません」
「なるほど」
将軍が笑みを浮かべた。
成功した。
正面から倒せないのなら。
正面から戦わなければいい。
「奴の様子は?」
「動いておりません!」
「効いているのだな」
「はい!」
将軍は大きく息を吐いた。
最大の懸念。
あの異常な護衛騎士。
その動きを封じた。
「……よし」
将軍が命じる。
「前衛を進ませろ」
「はっ!」
命令が伝わる。
ウェストリア兵が。
ゆっくりとヴィンセントへ近づき始めた。




