第三十三話 西方視察・西方都市到着
数日後。
一行は、目的地である西方の都市へ到着した。
国境に近いこの都市には、普段の街とは違う緊張感が漂っていた。
街道を行き交う人々。
周囲を警戒する兵士。
そして、どこか落ち着かない空気。
そんな中でも、皇女たちは予定通り視察を始める。
「まずは道路ですわ!」
アイリスが張り切って言った。
「そして料理改革ですわ!」
エルナも頷く。
「はい。こちらの都市でも、道路の整備と料理の普及を進めましょう」
補佐官が資料を確認する。
「ですが……道路の整備は危なくないですか?」
西方は緊張状態にある。
国境付近で何が起きるか分からない。
そんな状況で大規模な道路を作れば、軍事的にも利用されかねない。
「ヴィンセントがおりますもの」
アイリスは当然のように答えた。
「…………」
補佐官はヴィンセントを見る。
ヴィンセントは何でもない顔で立っている。
「まあ、都市内とその周辺だけに留めておきましょうか」
エルナが現実的なところへ落とす。
「西方ウェストリアとの緊張が収まった時に、すぐ取り掛かれるように準備だけ進めておきましょう」
「それがよろしいですわね」
こうして、都市内の道路整備計画と料理改革が進められていった。
◇
視察は着々と進んでいく。
都市の施設を確認し。
兵士たちの配置を確認し。
住民の暮らしを聞き。
国境付近の状況を確認する。
ウェストリアの動き。
国境都市特有の緊張感。
街を歩く人々の表情。
エルナとアイリスは、それを実際に肌で感じていた。
ただの書類では分からない。
ここは確かに、緊張状態にある。
その一方で――
「ヴィンセント殿!」
「はい?」
「こちらの化粧品なのですが……」
「私も、その……」
「これも素敵ですわね!」
エルナ付きの親衛隊の美への欲求は、止まることを知らなかった。
視察の合間にも、ヴィンセントの持つ化粧品へ興味津々である。
そんな日々が続く中。
「ヴィンセント殿!」
リゼットが声を上げた。
「はい?」
「道中、少し鈍ってしまいましたので!」
リゼットが拳を握る。
「手合わせをお願いできますか!」
「もちろん! 大丈夫ですよ!」
「ありがとうございます!」
すると――
「ヴィンセント」
アイリスが口を挟んだ。
「身体強化は無しですよ?」
「かしこまりました! アイリス殿下」
「……それが少し残念ですが」
リゼットが小さく呟く。
「致し方ありません」
訓練場。
リゼットとヴィンセントが向かい合っていた。
「では、両者。準備はよろしいですか?」
親衛隊隊長が声を掛ける。
「はい!」
「はい!」
――ごーん。
「……」
「……」
一同が鐘鎚を見る。
なぜ鳴ったのか。
誰にも分からない。
「では――始め!」
リゼットが構える。
ヴィンセントが踏み込んだ。
「っ!」
身体強化はしていない。
それでも速い。
リゼットが身構える。
しかし、わずかに遅れた。
「そこです!」
ヴィンセントの鐘鎚が下から振り上げられる。
ごぉん!
「ぐふぅっ!」
鐘鎚が、リゼットの腹部を正確に捉えた。
身体がくの字に折れる。
「――っ!」
そのまま。
リゼットの身体が、ゆっくりと浮き上がっていく。
まるで時間が引き伸ばされたかのように。
くの字になった身体。
振り上げられた鐘鎚。
そして――
淡い金色の光が、二人を包んだ。
ふわり。
どこからともなく羽が舞う。
「…………」
「…………」
アイリスとエルナが呆然と見上げる。
リゼットは苦悶の表情を浮かべたまま、ゆっくりと宙へ持ち上げられていく。
ごぉん……。
鐘鎚が鳴る。
ごぉん……。
羽が舞う。
光が揺れる。
あまりにも神々しい。
「……なんですの、あれ」
アイリスが呟いた。
「さあ……」
エルナも答えられない。
そしてアイリスは、しばらく考えた後。
「……と言いますか」
「はい?」
「一瞬で吹き飛ぶ方が、見た目的にはまだマシですわね」
「……確かに」
エルナも頷いた。
「ゆっくり殴り上げられる方が、しんどそうですわ」
宙に浮いたリゼットは、ようやく落下を始めた。
「…………」
神々しい光景とは裏腹に。
「痛い……」
本人は普通に痛がっていた。
◇
その頃。
太陽教総本山。
「……?」
神殿内で、一人の司祭が顔を上げた。
ごぉぉぉん……。
「…………」
鐘の音。
「今……鳴りましたか?」
「はい?」
別の司祭が振り返る。
ごぉぉぉん……。
今度は、はっきりと響いた。
「鐘楼です!」
「誰か鐘を鳴らしているのか!?」
「確認を!」
司祭たちが慌てて鐘楼へ向かう。
だが――
「誰もいません!」
「では、なぜ鳴っている!?」
鐘楼には誰もいない。
なのに。
ごぉぉぉん……。
巨大な鐘が、ひとりでに鳴り響く。
「……」
「…………」
「…………何が起きているのです?」
司祭たちには分からない。
ただ一つ。
西方のどこかで。
あの鐘鎚が振られた、その瞬間。
総本山の鐘もまた、鳴り響いていた。
そして――
誰も、その理由を知らなかった。




