観測者
盆地。
戦いの終わり。
静寂。
風はある。
だが——音がない。
血の匂いだけが、残っている。
立っているのは——
一体。
ヴォイド。
その周囲。
倒れ伏す私兵。
百。
誰一人、動かない。
高所。
観測のために配置された者たち。
王国の使者。
記録係。
数名の護衛。
誰も——動けない。
筆が、止まっている。
紙の上。
書きかけの文字。
「……なんだ、これは……」
誰かの声。
震えている。
返答はない。
理解が追いつかない。
記録係が、無理やり手を動かす。
書こうとする。
だが——止まる。
何を書けばいいのか、分からない。
「……事実を、書け」
使者が言う。
低く。
自分に言い聞かせるように。
「見たままを」
一拍。
「盛るな。削るな」
声が、わずかに硬い。
だが——
その目は、揺れている。
(報告になるのか……これが)
使い手の魔法使いがその場に倒れる。
視線が、盆地へ戻る。
ヴォイド。
動き出す。
女騎士が剣を振り抜く。
高い金属音の後、膝をつく。
磔台へ。
誰も止められない。
誰も動かない。
ただ——見ている。
鎖が外される。
音。
小さい。
だが、やけに響く。
雌のオーガ。
持ち上げられる。
担ぐ。
そのまま——歩き出す。
出口へ。
一歩。
また一歩。
その背を——
誰も、遮らない。
遮れない。
高所。
誰かが、呟く。
「……追うか?」
即座に否定される。
「やめろ」
強く。
「これ以上関わるな」
沈黙。
全員が分かっている。
あれは——
触れていい存在ではない。
それでも。
使者は、目が離さない。
最後まで。
仲間の声が耳に届くまで。
走り出す。
完全に見えなくなって——
ようやく、息を吐く。
長く。
重く。
「……記録をまとめろ」
低く。
現実へ戻る声。
記録係が頷く。
震える手で、書く。
・私兵百、全滅
・対象、単体
・交戦時間、極短
・魔法使用、身体能力向上
ペンが止まる。
「……これ以上、書けません」
正直な言葉。
使者は一瞬だけ黙る。
そして——
「なら、空白にしろ」
短く。
「分からないものを、分かったように書くな」
責任の言葉。
重い。
その意味を、全員が理解する。
これは——
報告すれば終わりではない。
誰かが責任を問われる。
いや——
“誰に押し付けるか”の話になる。
一人が小さく言う。
「……ボーダイは」
使者が遮る。
「終わりだ」
即断。
感情はない。
事実として。
沈黙。
誰も否定しない。
盆地を思い出す。
死体。
静寂。
そして——何も残っていない中心。
使者が呟く。
「……討伐対象ではないな」
誰も返さない。
だが——
全員が同じ結論に触れている。
“これは扱えない”
風が、吹く。
わずかに。
全員が、同時に顔を上げる。
空。
何もない。
だが——
一瞬だけ。
“通った”感覚。
視線。
のようなもの。
誰も動かない。
ただ——待つ。
何も起きない。
風が止む。
静寂が戻る。
使者が口を開く。
「……引くぞ」
短く。
誰も逆らわない。
理由はない。
だが——分かる。
ここに長くいるべきではない。
斜面を下る。
振り返る者はいない。
ただ一人。
使者だけが——最後に一度だけ見る。
盆地。
静かなままの地。
その中心。
何もない場所。
そこに——
“いたもの”を思い浮かべる。
そして、理解する。
(これは——報告では終わらない)
視線を切る。
歩き出す。
その背に——
重いものが乗る。
責任。
判断。
そして——触れてしまった何かの気配。
森の奥。
影が動く。
速い。
オーガたち。
迎えの部隊。
すでに配置されていた動き。
ノゲシは運ばれる。
治療へ。
ニズムが指示を飛ばす。
正確に。
速く。
声は冷静。
だが——拳は強く握られている。
ナイザーとメントが並ぶ。
短く確認する。
命は繋がる。
それだけで、十分だった。
少し離れた場所。
オーガの兵たち。
見ていた。
すべてを。
誰も、騒がない。
ただ——
静かに立つ。
やがて。
ヴォイドが歩いてくる。
血を浴びたまま。
無言。
何も変わらない。
その姿に——
兵たちが動く。
整列。
一斉に。
槍を——地へ。
ドン。
低い音。
揃う。
もう一度。
ドン。
言葉はない。
だが——それは、最大の敬意。
ヴォイドは止まらない。
ただ歩く。
その中を。
当然のように。
誰も、それを咎めない。
それが——“長”だからだ。
ボーダイ領。
屋敷。
シンショーは、座っていた。
酒を手に。
「……そろそろ終わる頃だな」
軽い声。
扉が開く。
部下。
顔色が、終わっている。
「……報告を」
声が震える。
「私兵、全滅」
沈黙。
「……は?」
笑う。
乾いた音。
「冗談はよせ」
誰も笑わない。
「サタモも——戦死」
その瞬間。
手から、酒が落ちる。
割れる。
音。
現実が、刺さる。
「……逃げるぞ」
即断。
椅子が倒れる。
「宝石だけ持て!」
「証拠は燃やせ!」
叫ぶ。
走る。
振り返らない。
「……化け物が……!」
その声は——崩れていた。
神殿。
報告が届く。
ウヒシミエ=ミヒエビは、最後まで読む。
静かに。
一言も挟まず。
やがて。
紙を置く。
「……単体」
小さく。
確認するように。
目が細くなる。
「興味深い」
感情は薄い。
だが——思考は動いている。
「制御できるか」
一拍。
「あるいは——」
それ以上は言わない。
ただ、指先で机を軽く叩く。
結論は、まだ出さない。
だが——放置する気もない。
さらに奥。
光の届かない場所。
それは——見ている。
愉しむように。
「……いい」
低い声。
「実に、いい」
目が開く。
闇の中で。
ただ一つ。
「壊れる」
小さく。
確信のように。
その声だけが——残った。
突拍子もないことが起こったとき、その人の本性が現れますよねー




