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ヴォイド

さらに、時間が流れる。


村の様子は、目に見えないかたちで変わり続けていた。


肉は焼かれるようになり、塩が使われる。

腐臭は薄れ、虫の数も減る。


以前なら当たり前だった不快が、静かに消えていた。


理由を説明できる者はいない。

だが——


「あいつがやった」


それだけが、全員の中で揺るがない事実になっていた。


次に変わったのは——服だった。


オーガたちは、ほとんど裸だった。

腰に巻いた粗末な蓑だけ。


寒さは耐えるもの。

傷は塞がるもの。


そういう生き物だった。


だが——


皮を剥ぐ。

血を落とす。

干す。


乾いたそれを叩き、繊維をほぐす。

引き延ばす。

形にする。


肩にかける。

巻く。

結ぶ。


風を遮る。

体温が逃げない。


(……軽い)


さらに——


細く裂いた皮を、足に巻きつける。


踏みしめる。


土。

石。

木の根。


(……痛くない)


踏み込みが深くなる。

力が逃げない。


走る。


(……速い)


ただ、それだけだった。


「……なんだそれ」

「巻いてんのか?」


答えない。


一匹が、皮を手に取る。

真似る。


足に巻く。

歩く。


「……楽だ」


別の一匹。


跳ぶ。


「……痛くねぇ」


また一匹。

また一匹。


気づけば——


全員が身につけていた。


誰も命じていない。

だが全員が理解していた。


「……あいつがやった」


転ぶ個体が減る。

足裏の傷が減る。

踏み込みが安定する。


狩りの動きが変わる。


獲物に追いつく。

逃がさない。


結果として——


死ぬ個体が減った。


それは、群れにとって絶対的な変化だった。


だが、その意味を言葉にできる者はいない。


ただ——


空気だけが、確実に変わっていた。


ただのガキを見る目ではない。


測る目。

値踏みする目。


そして——試す目。


同じくらいの大きさのオーガたちが、自然と集まる。


円を作る。


これは、いつもの形だった。


オーガ同士の争い。


雌の奪い合い。

地位の奪取。

単独で生きていける力の証明。


理由はいくらでもある。


だが、やることは一つ。


殴る。


ただ殴る。


避けない。

受ける。


殴り返す。


骨が鳴り、肉が裂け、血が飛ぶ。


それでも止まらない。


半日。

あるいは一日。


互いが立てなくなるまで続く。


それが——普通だった。


周囲のオーガたちも、そうなると思っていた。


距離を詰める。


「……気に食わねぇ」

「ずっと黙ってやがる」

「偉そうなんだよ」


何も言わない。


ただ、立っている。


視線を逸らさない。


その態度が——火種になる。


一歩、踏み込む影。


拳が来る。


——遅い。


見えている。


体が、勝手に動く。


半歩、ずれる。


擦るように外す。


踏み込む。


打つ。


みぞおち。


鈍い音。


空気が、一瞬で抜ける。


「……っ」


声にならない。


膝が折れる。


倒れる。


追撃はしない。


次。


顎。


正確に。


脳が揺れる。


視線が泳ぐ。


そのまま崩れる。


また次。


踏み込み。


横から。


肋。


呼吸が止まる。


悶える。


立てない。


一撃。


一撃。


一撃。


すべてが短い。


すべてが終わっている。


だが——


誰も死んでいない。


追撃が、ない。


音だけが残る。


鈍い衝撃音。

崩れる音。

呼吸が壊れる音。


それだけで——終わる。


静寂。


立っているのは、一体だけ。


息は乱れていない。


時間にして——数十秒。


誰も、動かない。


理解が追いつかない。


(……なんだ、今の)


殴り合っていない。


削り合っていない。


耐えていない。


ただ——


壊された。


最小で。


正確に。


倒れている側も、理解していた。


骨ではない。

筋肉でもない。


“中”をやられた。


脳が揺れる。

呼吸が奪われる。


動けない。


——違う。


その場の空気が、変わる。


一番年老いたオーガが、一歩前に出る。


「……決まりだな」


低く、言う。


誰も否定しない。


否定できない。


「お前が、この群れの頭だ」


沈黙。


視線が集まる。


逃げ場はない。


興味もない。


ただ——


(……面倒だ)


そう思った。


だが、否定もしない。


老いたオーガが続ける。


「どう呼ばれたいかは——お前が決めろ」


沈黙。


視線。

圧。


考える。


何もない。


空っぽだ。


(……空)


(……虚)


言葉が、浮かぶ。


口が、わずかに動く。


「……ヴォイド」


誰かが、息を呑む。


「……ヴォイド、か」


別の声。


「ヴォイド……」

「ヴォイド……」


それは、広がる。


繰り返される。

定着する。


意味は誰も知らない。


だが——


理解した。


これは、強さの名前ではない。


“上に立つもの”の音だと。


「……ヴォイド」


その日、


“名もなき存在”は——


初めて、王になった。

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