一目惚れは三年前 8
◇
それから。
カイゼン達同盟国と敵国の戦争はカイゼン達が思っていた程拗れる事もなくあっさりと終結した。
やはり、この戦争を長引かせる事を第一の目的としていたらしく、今回カイゼンの師団がテオルクの居る本陣から離れる情報を得た敵国が欲を出し本陣の兵力を、そしてそれと同時にテオルクを屠ろうと考えたようだ。
だがその欲が結局は身を滅ぼした結果となった。
戦後処理を行う傍ら、カイゼンやテオルク、そして同盟国のアジュラは敵国が築いた広大な地下通路を細部まで調査した。
日数を掛けて調査し、捕らえた敵国の指揮官に尋問をした結果地下通路の全長は数キロに及ぶ事が判明し、これだけ巨大な地下通路──最早地下空間を作り出していた敵国にテオルクやアジュラは言葉を失っていた。
だが、カイゼンだけはその予想をしていて。
数キロにも及ぶ地下通路が築かれている事を知った時は「やっぱり」と何処か腑に落ちた。
戦後処理、戦争が終わった後はやらなければならない事が山ほどある。
そのため、戦争が終わった後もこうして現地に残っている面々だがカイゼンは自分の天幕で一人考え込んでいた。
(……あの地下通路、今回の戦のために造られた物では無いな。実践で効率的に活用出来るかどうか、試作段階だったんだろう……。だが、試作段階だと言うのであれば何処を本番として見据えていたのか、疑問が残る。今回、敵国はこの戦争の長期化を狙っていた……ハンドレ卿の命は俺が彼の側を離れたからその隙を突いてやろうと考えただけだろう……最初から狙っていた訳ではない……)
では、この違和感は一体何だ? とカイゼンは考え続ける。
(戦争の長期化によって敵国はどんな得をする……? 長引けば敵国の兵も疲弊し、兵糧も消費してしまう……ハンドレ卿や俺を長くこの地に留まらせたかった……?)
そこでカイゼンはこの戦争に出て来る前に宰相が零していた言葉を思い出す。
(あの違法薬物の件もそうだ……長期間調査したにも関わらず、何も出てこなかった……そしてあの花の茶会の際に見た人影……。宮殿内で姿を消した人物……何だか嫌に繋がっているような気がする……)
あの違法薬物の一件も、そして今回のこの戦争に関しても。
得体の知れない何かに上手い事手のひらの上で転がされているような不快感を覚える。
カイゼンは寝転がっていた簡素な寝具からがばりと起き上がり、呟いた。
「──早く王都に戻らないといけない気がするな」
カイゼンがそう考えていた調度その日。
幸か不幸か、王都から一通の手紙がテオルクの下に届いた。
◇
「カイゼン卿、少し良いだろうか?」
「──ハンドレ卿? もちろんです、何かありましたか?」
翌朝、早朝。
戦争が落ち着いた後、戦後処理を行う傍らカイゼンは変わらずに剣の稽古を行っていた。
一頻り鍛錬が終わり、汗を拭っている時にやって来たテオルクに話し掛けられてカイゼンはくるりと振り向いた。
朝早い時間だと言うのにテオルクはかっちりと軍服を気込み、硬い表情でカイゼンに向かってやって来る。
(ハンドレ卿に、昨日考えていた事を話したかったし……調度良いタイミングだったが……。ハンドレ卿の表情が、何か……。何かあったのか……?)
薄らと顔色が悪く見えるテオルクに、カイゼンは何か大変な事でもあったのだろうか、と思いつつ向き直り、テオルクが話し出すのを待つ。
「──その、早急に処理を終えて、王都に戻りたいと考えているのだが……」
「……! 奇遇ですね。それは私も考えていました」
「本当か……? それならば、良かった……。どうしても早急に邸に戻る必要が出て来てしまってな……」
申し訳なさそうに言葉を紡ぐテオルクに、カイゼンはぴくりと反応する。
(邸に戻る必要、が……? 何か……家でハンドレ卿がこんなにも動揺する事があったのか……?)
カイゼンが不思議に思い、そう考えているとテオルクがぽつりと呟いた。
「──良かった、有難い。……何故、突然婚約破棄など……」
「……えっ?」
テオルクの口から放たれた婚約破棄、と言う言葉にカイゼンは反応してしまい、勢い良くテオルクに顔を向けてしまう。
そして、その拍子にカイゼンが肩に掛けていた汗を拭うための厚手の布が地面に落ちた。
布を落としてしまったと言うのに、それにすら気付いておらず呆然としているカイゼンにテオルクは「布が」と声を掛ける。
だが、カイゼンの頭の中は先程テオルクが放った「婚約破棄」と言う言葉がぐるぐると頭の中を支配していて、テオルクの言葉など耳に届かない。
「……カイゼン卿? どうした? 大丈夫か……?」
普段のキリッとして、騎士として堂々とした佇まいからは想像も出来ない程、傍目からでもカイゼンが衝撃を受けているように見える。
そんなカイゼンを見た事が無かったテオルクは大丈夫だろうか、とカイゼンに近寄り肩に手を置いた。
「──っ、婚約破棄、とは……。ハンドレ卿のご息女が何故……」
「え……? ああ、すまない口にしてしまっていたか……。少し確認しなければならない事が出来てな……、早めに邸に戻らなくてはいけなくなっただけだ、気にしないでくれ──」
テオルクの言葉に、何故かカイゼンは戸惑い衝撃を受けている様子で。
そして間近で会話をしているテオルクはカイゼンの顔を、瞳を見てハッと目を見開いた。
──動揺。
──戸惑い。
──そしてほんの微かな期待。
期待のような感情は一瞬だけカイゼンの瞳にちらりと浮き出たがそれも瞬きをした次の瞬間には綺麗に消え去ってしまう。
気の所為、と思えばそれで済むくらいのほんの僅かな感情の揺れ。
だがテオルクは自分の娘──とりわけリーチェに関する事にだけはとても敏感だ。
だからこそテオルクはじっとカイゼンを観察するように見詰めた。
「……カイゼン卿は、娘のリーチェと面識があったかな……?」
何故リーチェの話題にカイゼンが反応したのか。
テオルクはリーチェを良く思わない貴族達の反応を知っている。
変な噂を信じ込み、そんな人間なのだと思い込むような貴族達を知っている。
だから、いくらカイゼンと言えどリーチェをそんな風に思うような人であれば近付かせる事も、接点を持たせる事もしたくない。
だからこそテオルクは厳しい視線をカイゼンに向けていたのだが。
「──そのっ、ご息女の事は私がっ、勝手に知っているだけで……っ」
「リーチェを……?」
テオルクがリーチェの名を出した瞬間、カイゼンがピクリと反応した。
そして、髪の毛の間から覗く耳が僅かに赤くなっている事に気付いたテオルクは驚きに目を見開く。
(──そうか……師団長を務め、騎士としての側面しか見ていなかったがカイゼン卿はまだ十九歳の青年だったな……そんな簡単な事を失念していた……)
ちらり、とカイゼンに視線を向けたテオルクは何だかムズ痒い気持ちになってしまう。
だが。
「そうか。リーチェの事を知っていたんだな……。リーチェに関する事で、少し急ぎの用事が入ったんだ。大事な娘の事だ、申し訳ないが早急に王都に戻らせてもらう」
「──それは、もちろん……! ご家族の事ですから急がれるのは当然の事です」
こくりと頷き、同意してくれるカイゼンにテオルクは緩く笑みを浮かべてお礼を告げた。