一目惚れは三年前 6
──奇襲出陣前夜。
カイゼンは部下達に指示を出しつつ、敵本陣の情報を集めていた。
「……? ディガリオ」
「何ですか団長」
同盟国から受け取ったこの地域周辺の地図を眺めながら、ふと違和感を覚えたカイゼンはディガリオを呼び寄せる。
カイゼンに声を掛けられたディガリオは、明日の出陣に備え武具の確認や調整をしていたがその手を止めてカイゼンの下に向かう。
不思議そうな顔をしてやって来たディガリオに、カイゼンは彼に顔を向けて広げられた地図の一箇所を指差した。
「──この地域の詳細は聞いているか? 確かハンドレ卿はこの場所は地盤が脆く大勢が行き交うには適していないと言っていたが……」
「詳細は私も聞いておりません。団長が説明を受けた通り、私もその地域の事はそれくらいしか……。この地域がどうなさいましたか? 確か、同盟国もこの地は危険だ、と言っていましたが……」
「地の利がある同盟国がそう言うのであればこの情報は確かなんだろう……」
「何がそれほど気になるので……?」
ディガリオは不思議そうにカイゼンを見詰める。
見つめられる中、カイゼンは地図に記されているその場所を指先でなぞりつつ、考え込む。
(何故、この場所だけ地盤が脆いんだ……? 周辺一帯は問題などなく硬い地層だと言うのに……。しかも地盤が脆いと言うだけでその場所の調査をしていない……)
何故、脆いのか。
周辺は硬い地層だと言うのに、その一帯だけが地盤が脆く、危険だと言われている。
(確かこの国は火山の噴火が多く、流れ出た溶岩が冷めて固まり、硬い地盤になった箇所が数多くあると言っていたな……。それらばこの周辺も溶岩が冷めた後固まり、硬い地盤が広範囲に広がっている筈なのに……。それなのに何故この付近は……)
そこまで考えたカイゼンは、顔を上げてディガリオに向かって口を開いた。
「──同盟国のアジュラ卿を呼んで来てくれ」
「分かりました」
一礼して去って行くディガリオの背を見送った後、カイゼンは再び地図に視線を落とした。
◇
ディガリオが同盟国のアジュラを連れ、カイゼンの下に戻って来たのはそれから少し後だった。
「カイゼン卿、何か聞きたい事があると?」
「──ああ、アジュラ卿。呼び立ててしまってすまない」
カイゼンより幾つか年上の、同盟国の騎士であるアジュラは燃えるような赤髪の青年だ。
カイゼンと同じく同盟国の爵位ある家の三男で、騎士としての能力が高く此度の戦線に参加している。
背の高い方であるカイゼンよりもアジュラは更に背が高く、厳しい。
カイゼンがこの軍勢に合流してからアジュラとも何度も顔を合わせ、会話をする機会が多く、年も近いため、テオルクよりも気軽に話す事が出来る相手だ。
座ってくれ、とカイゼンから促されたアジュラは素直に腰を下ろして顔を向ける。
「テオルク・ハンドレ卿とカイゼン卿のお陰で我が国は助かっている。質問には何でも答えよう。……国家機密に関しては無理だが」
「有難い。そちらの国家機密を教えろ、なんて事は言わないさ」
冗談めかして告げるアジュラに、カイゼンも口端を上げて笑う。
アジュラの正面にカイゼンも腰を下ろし、早速本題に入った。
「……この地図を見てくれ。アジュラ卿に頂いた地図だが……この部分だ」
「──? ああ、地盤が脆い場所だな。この場所は避けて通った方が良い。過去、地盤沈下により事故が起きている」
「なるほど、事故が……? それはどれくらい前だ?」
「私が騎士になってからだから……五年も経っていないだろう」
「それ以降、この部分の調査はしていないのか?」
「ああ。調査隊を送った事もあるが、事故が発生してしまってな。少人数であれば大丈夫だが大人数が通過するとなると再び事故が起きる可能性がある。だからこそ、今回戦地となった時は不運だと思ったんだ」
この部分を気をつけつつ軍に指示を出さなくてはならなかったからな、と忌々しそうにアジュラが言葉を紡ぐ。
「……この場所をどうにかする前に、敵国が動き出したのか……?」
カイゼンの言葉に、地図を見ていたアジュラが驚いたようにカイゼンに視線を向けた。
「良く分かったな。そうだ、現地調査のち地盤沈下の範囲を確認し、国で対処しようとしていたのだが……」
まったく、とぶつぶつ言葉を漏らすアジュラにカイゼンはひやりとしたものが背中を伝う。
「なるほどな。明日、我々がこのまま敵陣に奇襲を仕掛けたら敵国はこの場所を利用して最短距離で我が本陣に到達する可能性があるな。……俺ならばそうする」
「──っ、まさか……! 大勢の人間が通れない場所だぞ……!? 小部隊を送ろうにも、地面が崩れる可能性の方が高い、そんな無茶な作戦を立てないだろう?」
「何も上を通るとは限らんだろう? 何故この場所だけが地盤が脆いんだ……? 地下に通路でも築いていたんじゃないか? この戦争の時のために」
カイゼンの言葉に、アジュラは言葉を失ってしまう。
呆然としていたアジュラはハッとし、こうしてはいられない、と慌てて自分の陣地に戻って行く。
恐らく自国の自分の上役に今の話を伝えに行ったのだろう。
カイゼンの話は想像・予想に過ぎない。何の裏付けも無い想像の話ではあるが、カイゼンが話した内容をまるっきり無視する事は出来ないと判断したのだろう。
もし「本当に」そのような事が起きていたら。
地面の下に、地下通路のような物を築き、今回の戦に備えていたのであれば。
「──俺達はその危険地帯にのこのことやって来てしまっている、と言う事だからな……」
「……? カイゼン、何か言ったか?」
ぽつり、と呟いたカイゼンの声に反応したディガリオが顔を向けてくるが、カイゼンはゆるゆると首を横に振った。
不確定な事をディガリオに告げて不安を煽るような事はしたくない。
(……明日、俺達がこのまま敵陣に向かっていたらハンドレ卿が強襲を受けていたかもしれん。いや……敢えてあぶりだすか?)
予定通り、敵本陣に奇襲すると見せ掛けて身を隠し、テオルクを強襲しにやって来た敵の部隊を殲滅してしまえばかなりの兵力を削ぐ事が出来る。
(そうした方がこの戦の決着も早まる……。ハンドレ卿に伝えておいた方がいいか……。いや、だがそうするとハンドレ卿の様子でこちらが潜伏しているのが相手にバレてしまう可能性があるな。何も知らせずにいた方が反応は本物だ)
そう考えたカイゼンは、明日の準備をしているディガリオに向かって声を掛けた。
「ディガリオ。明日はハンドレ卿の側に居てくれ。敵本陣には俺が行く。何かあるやもしれん、ハンドレ卿の身を守ってくれ」
「──! 承知しました」
カイゼンが言いたい事を瞬時に悟ったディガリオは、真剣な表情で頷いた。
◇
翌日。
まだ陽も昇らない薄暗い中、カイゼンは精鋭だけを集めた小隊を率い、自陣を発っていた。
夜中の内にテオルクと面会し、カイゼンが発つ時間と、護衛としてディガリオを側に置いて行く事を告げた。
カイゼンの右腕とも言えるディガリオを自分に付けて行くと言う事を聞いたテオルクは驚いていたが、それ相応の理由があるのだろうと悟ったテオルクは頷き、カイゼンの無事を願ってくれた。
そして、自陣を出て暫く馬を走らせていたカイゼンは、側面に深い森が広がる場所に差し掛かった時に突然方向を変えた。
「──例の森だ。潜むぞ……!」
カイゼンの言葉に精鋭達は一糸乱れぬ様子で頷き、カイゼンの後に続いた。
森に侵入し、深く入った所で下馬し馬を繋ぐ。
これだけ深く侵入してしまえば外から潜んでいるカイゼン達の姿は見えない。
ここは、昨日アジュラが説明してくれた地盤が脆い地帯が良く見渡せる。
所々、確かに地盤沈下している場所が見て取れてその違和感にカイゼンは「やはり」と胸中で独りごちる。
(実際、じっくり観察してみれば所々違和感を感じる部分があるな。しっかりこの場所を調査していれば、もしかしたら地下通路の存在に気付いていたかもしれん)
直感が確信に変わる。
間違いなくあの場所には人工的に造られた地下通路があるのだ。
裏付けもなく、何故だ、と言われてもカイゼンは上手く説明は出来ないだろう。
だが、度々戦に参加していた自分の直感が、感覚があの場所には何かがあると言っている。
カイゼンは率いて来た精鋭達に「今日で殆ど片を付けてしまうぞ」と声を掛けた。
ゆっくり、ゆっくり周囲が明るくなって来る。
日が昇り始めたのだ。
きっと今頃、自国からカイゼンの姿が消えた事に敵国は気付いているはずである。
動き出すのはもう少し後か。それとも既にある程度の兵力をあの場所に潜ませているのか。
カイゼンを筆頭に、小隊はじっとその時を待つ。
気配を殺し、森の中で数時間。
潜み続けてどれだけ時間が経過しただろうか。
潜んでいたカイゼンが人の動く気配を感じ取り、地盤沈下の地帯に顔を向けた。
地上には誰一人として姿が見えない。
だが、確かに大勢の気配をあの場所から感じ取る事が出来る。
カイゼンは精鋭達に合図を送り、自らも森の中を素早く移動し始めた。
精鋭達を二つに分けた別働隊はあの場所を崩落させるために。
そしてもう一方のカイゼンが率いる別働隊はあの場所から崩落に巻き込まれず出てきた敵を急襲するために、死角となる場所からカイゼン達の別働隊は馬に跨り、駆け出た。




