這入る
高い外壁が見えてきた。恐らくこれが城の外壁だろうが、城らしい豪華絢爛な風貌とはかけ離れ、どちらかといえば要塞と表現した方が正しい気がする。現に目の前に座る男の制服も王に仕える格好というよりは、いつ戦争が起きてもおかしくないように防御に重点を置いているように思えた。
外壁の門の前で一度馬車が止まる。少しの間待っているように告げられ、男が馬車から降りていった。窓の外から様子を伺うと、五メートルはあるだろう、大きな門の両端に男とはまた違った衣装の兵士がいるのが見える。
男は彼らのうちの一人に何かを話すと、再び馬車に乗り込んできた。その直後、大きな轟音とともに門が上へと上がっていく。
「ここから先は城の内部になります。あなたにはこれから王にお会いしていただきますので、こちらの都合で呼び寄せられて恐縮ですが、ご迷惑のないようにお願いいたします」
「え、今から王様に会うんですか?」
「はい。今後のあなたの待遇についても、お話をさせていただきますので」
言いたいことはわかるのだが、突然王様に会ってもらうと言われても平常心でいられるわけがない。ここが異世界だか何だか知らないが、私はまだ大学生で、自分より遥かに権威の高い人と対面することなど一度もなかったのだから。
勿論ここで反論したところで結果は変わらないだろうと、口を固く閉じた。
城の内部に入り、しばらく続く中庭を進んだところで馬車が止まる。男が先に馬車から降り、次に降りるよう促された。
再び地に足を付けると、目の前に広がる光景に息を呑む。
外壁と同様、大して飾り気のない、ただ大きいだけの城。白い外装にところどころ黒が映えているだけで、とてもおとぎの国の城とは言い難い。
男の後を歩きながら、城の内部に入る。入口付近には門以上に警備が厳しくなっていて、兵士の数も比ではない。
内装は外見よりは幾分か豪華で、明らかに値の張っていそうな絨毯を踏むことさえ委縮してしまう。見た目は随分とアンティークな雰囲気が漂っているのだが、途中の要所要所に近代的なものも見受けられた。
男に促されて乗ったのは、恐らく現代でいうところのエレベーターだろう。随分と原始的なものを感じるが、わざわざ階段を上って行くくらいなら多少の不安などどうということもない。
床が浮上するのを感じながら、隣に立つ男を今一度垣間見る。仕事中だからかもしれないが、随分と表情の変わらない人だ。
さすがに視線に気づいたのか、彼は私を横目で見た。目が合った気まずさにすぐさま視線を逸らすと、彼は話しかける。
「……申し訳ありません」
「……はい?」
「先程、あなたをここに連れてきたのは王子の魔法だと申しました。王子がなぜこんな真似をなさるのか、私にもわからないのです。王子の行動を未然に防げていたならば、あなたに迷惑を掛けることもなかったというのに」
硬い表情を浮かべていた男の顔が、自らの不甲斐なさに歪む。別にあなたのせいではないけれど、と出てきた本音は喉の奥につっかえた。
恐らくその王子が問題なのであって、ここにいる誰もが悪いわけではないことくらい、混乱した状況でも理解できる。だからって、納得できるわけでもないのだけど。その王子に会ったとき、人の人生を滅茶苦茶にされて怒らずにいられるか不安だ。
こちら側に連れてこられたということは、きっともとの世界に戻る魔法だってあるはずだ。ただ落胆しているよりは、これから先を見据えていた方が気が楽だ。
「そういえば……あなたのお名前、教えてもらえますか?」
「……私、ですか?」
「一応助けてもらったんですし、これからも関わりそうですから」
「ゲルハルト・アルダグと申します。以後お見知りおきを」
「えっと……薙佐アンナです」
エレベーターが止まり、閉まっていた扉が開く。男、もといゲルハルトさんが先に出て誘導する後をついていく。上の階、恐らくここに王様の部屋があるのだろう。入口付近や下の階より兵士の数も少ない。
しばらく廊下を歩いていると、一際豪奢な、大きな扉が視界に飛び込んできた。扉の前には門同様に兵士が二人両端に立ち警備を行っている。
兵士たちはゲルハルトさんの姿を見ると、途端に背筋を伸ばして頭を下げた。やはりこの人は相当立ち場の高い人なんだろうか。
先導していた彼が扉を開く。扉が閉まらない内に室内に足を踏み入れると、その先に玉座に座る壮年の男の姿があった。典型的な王様のように冠を被り、素材の良さそうな生地のマントを羽織った、あれが王様だと一目でわかる。
玉座から近くも遠くもない距離まで歩いて、ゲルハルトさんは慣れた仕草でその場に跪いて頭を傅いた。慌ててその場で彼の真似をする。まさか、生まれてこの方こんな恰好をするとは思いもしなかった。
「国王陛下、『日本』の人間を連れて参りました」
「……ふむ。またあの馬鹿息子が粗相を」
軽くしわがれた、しかし威厳の満ち溢れる声。頭を下げているのではっきりと顔は見えないが、その声から呆れた感情が伝わってくる。どうやらその王子様に随分と手を焼いているのは、聞かずともわかる。
しばらくして、溜息と共に「頭を上げよ」と声が降ってくる。ゆっくりと顔を上げると、依然難しい表情をした王様の顔がはっきりと見えた。この様子だと、歓迎されているのかいないのかよくわからない。恐らく快く歓迎してはいないだろうが。
「娘、名は」
「……はい。薙佐アンナと申します」
「アンナ……貴様、どのようにしてこの国に辿りついた」
「えっと。私の住んでいた世界で外を歩いていたら、急に辺りが真っ暗になって、意識も途切れて……気がついたら、ここにいました」
嘘は何も言っていない。思ったことを正直に告げると、彼は深い溜息を吐き出した。だけどその溜息は、私へ向けたものではない。
「ゲルハルト。その娘を客間へ案内しろ。私は別の案件が立て込んでおる、今後の処遇は貴様に任せる」
「はっ。アンナ様、参りましょう」
王様に命じられて、ゲルハルトさんは立ちあがり王室を出るように催促する。それに素直に従い、来た道を戻っていく。もう一度振り向いて王様の顔を見たいところだが、きっとそれは失礼な行為だろうと前だけを見据えた。
なんだか、大罪人にでもなった気分だ。
用意された客間のソファに腰掛け、用意された飲み物を頂く。私の世界でいうところの紅茶のような味だった。それとはまた、何かが違うのだけど。だけど、そんなことを一々質問している余裕と気力はもうなかった。
またしても、向かい側に座るゲルハルトさん。腰に差されていた剣を下ろし、同じようにカップを啜る姿は不思議な光景だった。
これから、どうなってしまうのか。今後の処遇、なんて言うくらいだから、そう安々ともとの世界へは戻れないと考えた方がいい。魔法のことに関してはまったくの無知なのだから、彼らに任せるしかないのが歯痒い。
「さて……どこからご説明いたしましょうか」
「えっと……この世界では、魔法はそこまで驚くようなことじゃないんですよね? つまり、誰でも使えるってことですか?」
「誰でも、ではありませんが、素質があるかどうかの問題です。その素質も、充分にある者と素質自体がない者、あるいは辛うじて素質を持っている者と、様々です。ちなみに私は、簡単な魔法であれば使えます」
そう言って、彼は人差し指を上に向ける。すると指の先から小さな炎が浮かび上がった。すぐにそれは消えてしまったが、どうやらそれが魔法らしい。
ということは、私をここまで連れてきた王子は、相当な素質の持ち主ということになる。人一人を別次元から連れて来られるのだから、並大抵の魔法使いではない。それを彼に聞いてみると、彼は誰もが知っている伝説でも語るように言った。
「その通りです。王子は国王の嫡子でありながら、稀代の大魔法使いでもあるのです」
「そ、そんな人がなんでこんなこと……」
「残念ながらそればかりは存じ上げません。王子はその……大変、気難しいお方ですので」
珍しく口を濁すゲルハルトさんに、王子の性格がいかに偏屈かがよくわかった。しかし、だとしたらこんなことをした本人に何とかしてもらうしかないのではないか。さっきから王子王子と聞くけれど、まだその本人には会ったこともないのだ。それはあまりにも、不条理な気がする。
そういえば、私の他に王子の魔法でこの国に来た人は、どうしているのだろう。簡単に戻れないということは、まだここに留まっている可能性だってある。
考えれば考えるほど、王子に対する憤りが募ってくる。怒りによって取り戻した余裕は、決意へと変わった。
「ゲルハルトさん。王子様に会わせてもらえませんか」
「……は?」
さすがに殴れはしないだろうか、多少怒鳴り散らすぐらい許されると思うのだ。でなければ、私は本当に怒りに身を任せた大罪人にでもなってしまうかもしれない。