邂逅する
王室と似たような、豪奢な造りの扉。ただ一つ違うところは、その傍らに兵士がいないことだ。
随分と静けさの増すこの部屋に、人のいる気配は感じられない。本当はいないのかもしれないし、あるいは魔法でいないように見せているだけかもしれない。または、本当にいなかったか。
再び同行してくれたゲルハルトさんには無理を言ってしまったが、彼も何か思案があるのか、あまり不快そうな様子を見せず了承してくれた。
そして、扉の前。
彼は控えめに扉を数回ノックした。勿論返事は帰ってこない。それに落胆する様子もないことから、日常茶飯事なのだろう。
「王子、お客様がお見えになっております」
返事はない。中で死んでいるのではないか、なんて不謹慎な考えもよぎったが、それはないだろう。死んでいたらまず、私はこんなところにいない。
入れてくれる様子のない部屋の主にさすがに諦めかけた彼は、小さな嘆息と共に振り向いて首を横に振った。今回は駄目だった、と言いたげな様子に、しかし納得がいかない。
「私にやらせてもらっても、構いませんか」
「しかし、これ以上説得しましても見込みはありませんが」
「やってみるだけ、やってみたいんです。私が一方的に言いたいこともありますし」
何かやらかしそうな様子の私にてっきり止めるかと思っていたけれど、彼はしかし何も言わなかった。言っても無駄だと察したのか、それとも絞りかすのような希望に委ねたのか。
扉の前に立ち、同様にノックする。返事はない。しかし、ノックで出てきてしまったら、言いたいことも言えずに終わってしまったはずだ。これは今の私にとって物凄く好都合だ。
息を吸い込み、溜まっていた何かを吐き出す。
「初めまして、王子様。あなたの魔法でこの国に飛ばされた、薙佐アンナと申します。あなたの魔法のせいで私のいた国に戻れなくなってしまいました。どうしてくれるんですか」
段々と刺々しくなっていく口調に、さすがに危惧を覚えたのかゲルハルトさんが何かを言いたげに口を開いた。それを制するように、さらに言葉で捲し立てる。こればかりは、止められてほしくなかった。王族に対する冒涜だろうが何だろうが、言いたいことすら言わせてもらえない国はいい国とはいえない。
「明日も学校に行って、勉強する予定だったんです。来週にはまた家庭教師のバイトがあるし、友達との予定だってあります。だけどこの世界じゃ、予定を果たすことはできません。そんな、人の人生を簡単に変えてしまうような魔法を使って、あなたは一体何がしたかったんですか」
将来は不安だけれど、友達も家族もいない明日に意味なんてない。ある日突然知っている人に会えなくなるなんて、そんなおとぎ話は望まない。私の生き方を滅茶苦茶にされたのだ、せめて文句さえ言わせてもらえなければ気が済まない。
何を考えているのかわからない。相手が見えてこない。これ以上の苛立ちの原因などないだろう。これだけ人を面倒事に巻き込んだのだ、せめてそれなりの詫びをするのが普通だろう。それでなくとも、最低限の謝罪は人として当然の礼儀だ。異世界だろうと関係ない。
「そんな偉大な魔法の力がありながら、一人でこそこそと引きこもって、勝手に迷惑な魔法を使って、王子だから許されるとでも思ってるんですか。そんなのは違う、あなたはただの犯罪者だ!」
さすがに、罪を覚悟した。言ってはいけない言葉くらいわかっていたけれど、頭に血が昇っていたとはいえ、やりすぎた。
苦い顔をしたゲルハルトさんを見て、思わず小さな声で「ごめんなさい」と即座に謝る。これ以上失礼な態度を取っていたら、この場で斬り殺されていたかもしれない。
これ以上王子を刺激してしまわぬうちに戻ろうとすると、室内から何か物音が聞こえた気がした。小さな音ではなく、何かが落ちて散らばるような派手な音。音のする方を、二人して目を丸くして呆然と眺めていると、次第に近づいてくる足音。
あれほど反応のなかった扉は、ついに開かれた。勢いよく開く扉から、怒声が飛ぶ。
「俺は犯罪者なんかじゃない!」
若い、青年の声だった。
まるで黒魔術師のようなフード付きのマントをすっぽりと被り、顔は見えない。私よりも身長は少し高く、しかし頼りない体躯の男の子。恐らく成人はしてないだろう。
フードから覗く口元は怒りに歪んでいて、たぶん私を見据えて睨んでいる。ゲルハルトさんが宥めようとするも、それを押しのけて私の胸ぐらに掴みかかる。
「この無礼者! 俺は王子だ、俺が何しようと平民は黙ってろ! 大体お前になんか用はねえんだよ、誰だよお前! 俺が呼び出したかったのは……!」
そこまで言いかけて、彼ははっと我に返ったように言葉を呑みこんだ。頭を覆っていたフードはするりと落ち、その顔をあらわにする。ただ茫然と彼の罵声を浴びせられていた私は、そこでようやく驚くことになった。
「……カイ、君?」
家庭教師として教えていた生徒が、そこにいた。
随分とぼさぼさな髪だが、若干毛先の跳ねた髪に、まだ幼さの残る少年の顔。似てるなんてレベルではなく、彼そのものだ。毎週顔を合わしていたのだから、見間違えるはずもない。
だけど、この世界にカイ君がいるはずがない。きっとドッペルゲンガーか何かかと信じたいものの、ようやく見知った顔に会えたことに嬉しさが込み上げてくる。
呆然と顔を眺めている私に怪訝そうな顔を浮かべて、彼は服を掴んでいた手を離す。そして怯えるように、情けなくもゲルハルトさんの背後へと隠れてしまった。本当にこんなのが王子なのだろうか。
「お、おいゲルハルト……こいつ何とかしろよ! なんか馴れ馴れしいんだけど!」
「は、はあ……しかし王子、彼女は王子の魔法で召喚されたのですし、王子が解決しないことには」
「うっせえ! 俺の命令が聞けないのか、このポンコツ!」
ゲルハルトさんもまた、教えてもいないのに王子の名前を呼んだことに驚いているらしい。どうやら顔だけでなく名前も一緒だったのか。驚きたいのは私の方だ。
ただ一つ、性格だけは私の知っているカイ君とは別物のようだ。とても情けない彼の姿を見るというのは、精神的に堪えるものがある。
「あ、あの……すいません。私の知り合いにとてもよく似ていたので……」
「そういうことでしたか。ご紹介いたします。レーゲンバーグ第一皇子、カイ・レーゲンバーグ様にございます。王子、彼女は薙佐アンナ様です」
「ど、どうも……」
ゲルハルトさんの仲介によってお互いの紹介が済んだわけだが、とりあえず挨拶してみても、彼は隠れたまま返事をする様子もない。その怯えようは、彼の方が異世界に迷い込んでしまったような感じだ。
確かに、こんな王子じゃ王様があんな風に言うのもわかる。さながら引きこもり息子といったところだ。国民が事実を知っているのかどうか知らないが、次期王となる男がこんな人間だと知って喜ぶ者はそうそう見つからないだろう。
まだ何か話しかけようとする私達に耐えられなくなったのか、王子はゲルハルトさんの背中から抜け出して、そそくさと自室へ戻っていく。呼び止める暇も与えず、扉は勢いよく閉まった。
それにしても、王子の機嫌を損ねてしまった事実ははっきりと見られているのだし、本当に犯罪者になってしまったかもしれない。恐る恐るゲルハルトさんを見ると、彼はなぜか深々と頭を下げてきた。
「ありがとうございます」
「……え、私、何かしました?」
「王子はここ数年、自室から一歩もおいでになりませんでした。アンナ様がお声を掛けなければ、きっと王子はこのまま閉じこもっていらっしゃったでしょう」
そんな風に感謝されるようなことは、何もしていないのだけど。
それに、恩人になったところでもとの世界に戻れるわけじゃない。まだ課題は山積みなのだ。確かに王子に会えたことはよかったけれど、まだそれも第一関門にすぎないのだ。彼にもう一度日本へ飛ばしてもらうまでは、何も始まらない。
結果的に、私のやるべきことは、彼を説得して魔法を掛けてもらうことのようだ。




