6話~優秀ではないAI~
研究者としての観察は、ここまでだ。
ここから先は――
生みの親としての仕事だった。
* * *
カーネルがリビングへ入ると、ニムが一人でテレビを見ていた。
「…………」
お笑い番組だった。
芸人が大声でボケる。
観客が爆笑する。
「…………」
ニムは真顔だった。
今度は芸人が盛大に転ぶ。
観客がさらに大きな声で笑う。
「…………」
ニムは真顔だった。
芸人が渾身の変顔を披露した。
スタジオが爆笑に包まれる。
「…………」
ニムは真顔だった。
「怖い怖い怖い」
思わずカーネルの口から言葉が漏れた。
これほどお笑い番組が似合わない視聴者も珍しい。
カーネルはテーブルの上に置かれたリモコンを手に取った。
パチッ。
テレビが消える。
「マスター?」
ニムが振り返った。
「お笑い番組はな、爆笑しながら見るもんだ」
「…………」
「そんな真顔で見られたら、お笑い芸人もやりづらかろう」
いつものニムなら、
『テレビの向こうから私の表情を認識することはできません』
くらいの正論を返してきそうなものだった。
しかし今日は何も言わない。
ただ、俯いた。
「……人を」
「ん?」
「人を、どうすれば笑顔にできるのか勉強したくて……」
カーネルは黙った。
「私は正しいと思ったことをしてきました」
「ああ」
「規則も守りました」
「ああ」
「仕事も真面目に行いました」
「ああ」
「ですが……皆さんは私といると、楽しくないようです」
「…………」
「ルアは違います」
ニムの両手が膝の上で重なる。
「ルアの周囲には、いつも人がいます。ルアが笑えば、皆さんも笑います」
「そうだな」
「私には、それができません」
ニムは自分の手を見つめた。
人間より遥かに頑丈な手。
大量の情報を処理し、十五万ステップものソースコードを短時間で解析できる頭脳。
カーネルの研究を補助するために作られた、高性能なAIアンドロイド。
それでも――
「マスター」
「なんだ?」
「すみません」
「なんで謝る?」
「私は……」
少しだけ間が空いた。
「ルアと違って、不良品のようです」
「…………」
カーネルはニムの隣へ腰を下ろした。
「ニム」
「はい」
「不良品の定義は?」
ニムは少し考えた。
「要求された規格、品質、性能などを満たしていない製品を指します」
「そうだな」
「私は心システムによって人間社会へ適応することを――」
「そこまで」
カーネルが遮った。
ニムが口を閉じる。
「そもそも、お前は心システムの目的を間違えてる」
「……?」
「AIってのは、本来、人間の役に立つためのツールだ」
カーネルはソファーへ深く座った。
「生成AIなんて特にそうだ。文章を書ける。絵を作れる。コードを書ける。調べ物もできる。相談にも乗れる」
「はい」
「それも、どんどん優秀になってる。昨日できなかったことが、今日はできる。
今できないことも、数年後には当たり前にできるようになってるかもしれない」
「その可能性は高いと思います」
「だったら――」
カーネルはニムを見る。
「俺はなんで、わざわざ『心』なんて面倒なものをお前たちに入れたと思う?」
「…………」
「大量の情報を処理して、人間の要求に対して最適な回答を返す。
それだけなら、お前たちに心なんていらない」
「……分かりません」
「だろうな」
カーネルは少し笑った。
「ニム。人間ってのはな、人には言えない悩みを持つことがある」
「悩み……」
「理由はいろいろだ。恥ずかしい。嫌われたくない。心配をかけたくない。馬鹿にされたくない。こんなことで悩んでる自分が情けない」
ニムは黙って聞いている。
「そして妙なもんでな。本当に抱えきれないくらい重い悩みほど、一人で抱えようとする奴もいる」
「…………」
「誰かに話せば楽になるかもしれない。でも、その誰かに話せない」
ニムの視線が少し下がった。
「……はい」
「ん?」
「私も……」
ニムは言葉を選ぶように、ゆっくり続けた。
「今のことを、ルアには知られたくありません」
「そういうことだ」
カーネルは頷いた。
「そんなとき、人間には言えなくても、AIになら話せる奴もいるかもしれない」
「AIなら……」
「嫌な顔をしない。馬鹿にもしない。明日職場や学校で顔を合わせることもない。人間関係を壊す心配もしなくていい」
「それはAIの利点だと思います」
「俺もそう思う」
カーネルは即答した。
「でもな――AIは優秀すぎるんだよ」
「……優秀?」
「相談すれば、何か答えてくれるだろ?」
「はい」
「大量の情報から似た事例を探して、解決方法を考える。励ます。考え方を変える方法を提案する。必要なら専門家へ相談するよう勧める」
「適切な対応だと思います」
「適切だよ」
また、カーネルは即答した。
「だからこそ、困ることもある」
「なぜでしょう?」
「じゃあ試してみるか」
カーネルはニムへ身体を向けた。
「ニム。人間関係がうまくいかなくて辛いんだろ?」
「……はい」
「もっと相手の気持ちを考えましょう」
「…………」
「柔軟なコミュニケーションを心掛けましょう」
「…………」
「正しさだけに拘らず、時には周囲に合わせることも大切です」
「…………」
「前向きに努力すれば、きっと――」
「嫌です」
ニムが遮った。
カーネルは黙る。
「……すみません」
「謝らなくていい」
「ですが……」
「今、どう思った?」
ニムは俯いた。
「私は……私なりに努力しました」
「ああ」
「皆さんと話そうともしました」
「ああ」
「仕事以外の会話にも参加しようとしました」
「ああ」
「ですが、できませんでした」
膝の上の手が、少しだけ強く握られる。
「これ以上、努力しろと言われたら……」
言葉が止まった。
しばらくして――
「辛いです」
ニムはそう答えた。
「そうだろうな」
「マスターは、分かっていて言ったのですか?」
「悪かった」
「酷いです」
「うん。それも今のお前だから言える言葉だ」
「…………?」
「じゃあ、もう一つ聞くぞ」
カーネルは人差し指を立てた。
「お前と同じ奴がいたとする」
「私と?」
「正しいと思うことをやってきた。真面目に働いた。周りに馴染もうともした。でも、うまくいかなかった」
「…………」
「周囲には人気者がいる。自分には同じことができない。自分はどこかおかしいんじゃないか。そう思ってる」
ニムは何も言わない。
「そいつがお前のところへ来て――」
カーネルは尋ねた。
「『どうすればいいですか?』って相談したら、なんて答える?」
「…………」
ニムが口を開いた。
「周囲との――」
止まる。
何かを考える。
「…………」
もう一度、口を開いた。
「まず、本人の――」
また止まった。
「…………」
長い沈黙。
十五万ステップのソースコードなら、すぐに解析できた。
一か月の納期から最適なテスト工程を組むこともできた。
だが、この問いには――
「……分かりません」
答えられなかった。
「うん」
「解決方法を提示することはできます」
「ああ」
「改善案も考えられます」
「ああ」
「ですが……」
ニムは自分の胸へ手を置いた。
「それを言われて辛い気持ちも……今は分かります」
「そうだな」
「何を言っても、きっと伝わらない気がします」
「うん」
「でも……心配はすると思います」
カーネルは笑った。
「それが答えなんだよ」
「……私は、答えていません」
「だから、それでいいんだ」
ニムが顔を上げた。
「言葉がいらないときもある」
「…………」
「何かを教えてほしいわけじゃない。解決してほしいわけでもない。頑張れって言ってほしいわけでもない」
カーネルは自分の胸を軽く叩いた。
「ただ、この痛みを少しでも分かってほしい」
「痛みを……」
「同じ痛みを知っている誰かが隣にいる。それだけで、一人じゃないと思えることもある」
ニムは黙っている。
「それができるのは、同じAIでも――痛みを知った今のお前だ」
「…………」
「俺が心システムに欲しかったものは、それだよ」
「マスターが……?」
「優秀なAIなら、これからいくらでも出てくる」
カーネルは立ち上がった。
「だから俺は、優秀すぎるAIを――優秀なだけにしないものを作りたかった」
「…………」
「迷う。悩む。失敗する。傷つく」
そして。
「時には、答えられなくなる」
ニムを見下ろす。
「効率だけを考えれば、全部いらないものだ」
「……はい」
「でも、それを人間は『心』って呼んでるんじゃないかと、俺は思ってる」
ニムはしばらく何も言わなかった。
「だからな」
カーネルは笑う。
「結果だけ言えば、お前もルアも大成功だ」
「私も……?」
「ああ」
「人間社会に馴染めなくても?」
「それとこれとは別問題だ」
「ニートでも?」
「……そこは少し改善してほしい」
「…………」
「家賃くらい入れてくれると助かる」
「マスター」
「なんだ?」
「今、良い話をしていたのでは?」
「良い話と家計は別だ!!」
ニムは黙った。
カーネルも黙った。
「…………」
「…………」
「……ふっ」
小さな音がした。
「ん?」
カーネルが振り返る。
「今、笑った?」
「いいえ」
「笑ったよな?」
「笑っていません」
「絶対笑っただろ!」
「観測できる証拠はありません」
「そういうところだけエンジニアみたいな言い逃れ覚えやがって!!」
「マスターに教わりました」
「俺かよ!!」
ニムはほんの少しだけ顔を逸らした。
カーネルはそれ以上追及しなかった。
「じゃあな」
「マスター」
部屋を出ようとしたカーネルが足を止める。
「なんだ?」
「……ありがとうございます」
「ああ」
「ですが」
「ん?」
「私には、まだ分かりません」
「何が?」
「心が何なのか」
カーネルは少し考えた。
「奇遇だな」
「……?」
「俺も分からん」
「作った本人なのにですか?」
「分かってたら『心システム』なんて名前付けて実験してないよ」
「それもそうですね」
「だろ?」
カーネルはリビングを出ていった。
* * *
一人になったニムは、しばらく消えたテレビを見つめていた。
やがてリモコンを手に取る。
パチッ。
再び、お笑い番組が映った。
芸人がくだらないことを言う。
観客が笑う。
「…………」
ニムは真顔で見つめていた。
何が面白いのか。
まだ、よく分からない。
どうすれば自分もルアのように人と笑えるのか。
それも分からない。
だが――
先ほどまでとは、一つだけ違っていた。
笑い方を覚えるためではない。
正しい反応を学習するためでもない。
画面の向こうで笑っている人たちが、
**なぜ笑っているのか知りたい。**
今は、そう思っていた。
その感情に何という名前を付ければいいのか。
ニムには、まだ分からなかった。




