夢:作戦
ひろは、その日の夜、いつもより早くベッドへ入った。
約束の時間まで待てない。
一秒でも早く。
一秒でも早く、止めなければ。
そんな焦りを抱えたまま、ゆっくりと目を閉じる。
意識が遠のく。
暗闇の向こうに、一瞬だけ鬱蒼とした森が見えた気がした。
⸻
ぼんやりとした意識の中で、目を開く。
体育館裏。
「ああ……ここからか。」
ひろは大きく息を吸い、首を何度か振った。
一度夢だと理解しても、放っておけば意識は少しずつ夢に飲み込まれてしまう。
それは明晰夢だとよくあること、ダイちゃんとファミレスで立てた作戦の注意点だった。
その時だった
「どうしたの?」
声がした。
振り返ると、転校生が立っていた。
「急にいなくなって。」
「ナイショ話?」
そう言って、不思議そうに顔を覗き込んでくる。
ひろは迷わず、その手を掴んだ。
「抜け出そう。」
「駄菓子屋、行こう。」
転校生は困ったように笑う。
「だめだよ。」
「えっと……ダイちゃんとよく遊んでる……。」
そこで言葉が止まる。
斜め上を見ながら、一生懸命思い出そうとしている。
「ごめん。」
「名前、分かんないや。」
「山田だよ。」
ひろは即座に答えた。
転校生は照れくさそうに頭をかく。
「同じクラスのみんなの名前は覚えたんだけどね。」
そう言って笑ったあと、急に真面目な顔になる。
「表彰式があるんだから、だめだよ。」
「それに、抜け出して駄菓子屋なんて行ったら、先生に怒られる。」
その瞬間。
ひろの頭の中に、小学生の思考が流れ込んできた。
――先生に怒られる。
――親に連絡がいく。
――反省文を書かなきゃ。
帰らなきゃ。
怖い。
「っ……!」
ひろは勢いよく首を振る。
違う。
夢に飲まれている。
これはまずい。
大人の意識が、小学生の記憶に塗り潰されていく。
今日、ファミレスでダイちゃんと話したじゃないか。
こいつの名前は、佐藤ケースケ。
なのに夢の中では、「転校生」としか認識できなくなっている。
もう一度、強く首を振る。
「いいから行こう!」
ひろはケースケの手を握り締めた。
「ケースケ!」
その名前を呼んだ瞬間、ケースケは驚いたように目を見開く。
「え……?」
ひろは答えず、そのまま強引に学校の外へと駆け出した。
駄菓子屋の前。
古びた木のベンチに腰を下ろし、二人は瓶のコーラを掲げる。
「乾杯。」
カチン。
瓶同士が軽くぶつかる。
ケースケは嬉しそうにコーラをひと口飲み、大きく目を丸くした。
「うまい!」
思わず笑みがこぼれる。
「悪いね。奢ってもらっちゃって。」
さっきまで「学校を抜け出しちゃだめだよ」と言っていた少年とは思えないほど、無邪気な笑顔だった。
ひろもコーラをひと口飲む。
炭酸が喉を駆け抜ける。
「ぷはっ。」
思わず小さくゲップが漏れた。
「いいもんでしょ? たまには悪いことするのも。」
ケースケは吹き出して笑う。
笑い声が少し落ち着くと、どこか寂しそうな顔で呟いた。
「初めてなんだ。」
「学校を抜け出したのも。」
「下の名前で呼ばれたのも。」
ひろは横目でケースケを見る。
(……まずい。)
(感情的になると、夢に飲まれる。)
頭の奥がぼんやりと霞み始める。
ここで流されちゃいけない。
ケースケはコーラの瓶を両手で包みながら続ける。
「山田君って、こういうことするタイプには見えないけど……。」
「ひろ、でいいよ。」
ひろはすぐに言った。
「僕も、ケースケって呼ぶから。」
ケースケは少し照れくさそうに笑う。
「……じゃあ、ひろ。」
その一言だけで、少し距離が縮まった気がした。
ひろは小さく笑う。
「ダイちゃんと遊んでるからね。」
「こういうのは慣れてるんだ。」
少しだけ空を見上げて続ける。
「本当は、タイプで言えば。」
「ケースケの方に近いと思うよ。」
その言葉に、ケースケは意外そうな顔をした。
その時だった。
「おい、ひろ! 寝るの早ぇよ!」
聞き慣れた声に、ひろは勢いよく振り返る。
肩で大きく息をしながら駆け寄ってくる小学生のダイちゃん。
その姿は昨日までと変わらない。
――ただ一つだけ違っていた。
口には煙草がくわえられていた。
ひろは思わず笑う。
「なるほど。」
「その手があったか。」
煙草を吸っているわけじゃない。
ただ口にくわえているだけ。
それでも、二十五歳の自分を強く意識できる。
ダイちゃんなりに、夢へ飲み込まれない方法を見つけたのだ。
ケースケは目を丸くして立ち上がる。
「ダイちゃん!」
「煙草なんてだめだよ!」
その声に、ダイちゃんがケースケを見る。
同時に、ひろもダイちゃんを見た。
目が合う。
――やばい。
一瞬で理解した。
二人とも、同じことを考えている。
ケースケは夢の中の存在。
「小学生が煙草なんて吸っちゃだめだ。」
その当たり前の感覚が、夢の世界の理屈と一緒になって押し寄せてくる。
意識が沈む。
二十五歳の記憶が薄れていく。
小学生の自分が、ゆっくりと上書きしてくる。
「……っ!」




