邂逅の章 第3節
酒場を出てしばらく大通りを歩いていると、どこからか視線を感じたような気がした。
立ち止まって辺りを見渡すも、それらしい人影は見つけられない。
人の流れを横切るようにして、道の端に寄り、建物の外壁を背に瞼を閉じた。
竜に比べ、人間あるいは獣の民の波動は、幽かであり、小刻みだ。
加えて数も多いとくれば、まるでたくさんの羽虫が飛び交っているようだった。
朝早くとはいえど、人は決して少なくない。この中からこちらに意識を向けている者を選別するのは、至難の業だった。
「せめて、どんな奴かわかればな」
ヘルハイムの洞窟に閉じ込められていた時、ルドヴィゴの波動はなんとなくわかった。――もっとも、久しぶりで誰かまではわからなかったけれど。
幾らか交流があるものであれば、この羽音を聞き分けられるかもしれない。
やがて、視線自体を感じなくなってしまった。こちらの警戒を気取られてしまったらしい。
僕の金品が狙いなのか、はたまた別の目的なのか。意図が分からない以上は、警戒するに越したことはない。
大通りから少しでも道を外れれば、人気のない路地などいくらでもある。
なるべく、人通りの多い場所を行った方が良さそうだ。
今の僕は、ささやかな魔導しか使えない非力な人間だ。
強引に魔導を使うことは、できる。ただ鱗も持たない人の身では、どんな反動があるかわからない。
つくづく、用心棒の誘いを断ったことが悔やまれる。
気を引き締め直して、再び大通りを歩き始めた。
ナンファの話では、じきに大門が見えてくるはずだ。
「あれかな」
街に入る時の門と似た、大きな門が見えてきた。
黒い四葉のシロツメクサが台座となって、太陽と天秤を支える姿が描かれた看板が、その門から垂れ下がっていた。
やや傾いている看板をよく見ると、中心に文字らしきものが書かれている。
街のあちこちでよく見る、流麗な文字だ。
竜の爪で書かれるために、直線的な文字である竜言語とは、似ても似つかない。
あれには何と書いているのだろう。
「この役立たず、看板が歪んでるじゃねえか! ボードレール様に殺されてぇのか」
突然飛んできた怒号に、思わず飛び跳ねそうになってしまった。
怒号の出所に視線をやると、門の脇で年かさの男が、若い獣人の青年を殴り飛ばしているところだった。
青年は小さな声で謝りながら、高い門の上にするすると身軽に登っていった。
不愉快な心地を抱きつつも、門の向こう側に視線を向ける。
「ここが、昼市」
大通り以上の喧騒が、そこにあった。
ここまでにあった建物群とはうってかわって、天幕を張っただけの露店が並んでいる。
鳥、豚、猪の肉を吊り下げた店。香ばしい匂いを漂わせる食べ物を売る店。細部まで織り込まれた衣服の店。色とりどりの宝石が並ぶ装飾品の店。
何に使うのか想像もつかないものが並んだ店さえある。右も左も、見たことのないものばかりだ。
一歩進むごとに、店の品々に眼を奪われそうになる。
ふるりと首を振って、好奇心を押しとどめた。
遊びに来たわけじゃない。シスカの手がかりを探さなければ。
「そこの兄さん、新鮮な林檎はいかが? ひとつ3オーレだよ」
にこやかに呼びかけてきた女店主の前には、みずみずしい果物が籠に山積みされていた。
昨日の宿屋の主人の様子を見るに、注文もせず尋ねる行為は失礼にあたるらしい。
そろそろ新鮮な果物も食べたいと考えていたところだし、と懐から金塊を取り出そうとした。
あまりひけらかさない方が身のためよ、紫眼の坊や。
昨日のフードの人物が言っていた言葉が、僕の手を留まらせた。
金塊なんか出してしまえば、昨日と同じような騒ぎになってしまう未来は容易に想像できた。それに、本物と信じてくれる保証もない。
よくよく周りを見ると、貨幣――それも銅貨ばかりで支払っているようだった。
懐に手を突っ込んだままの僕と、店主の視線が交錯する。
「えーっと……赤い竜を、見たことは?」
気まずさを笑いでごまかすと、店主の顔から途端に表情が消えた。
「冷やかしなら帰っとくれ」
しっしっと手で追い払われ、仕方なくその場を離れる。
市場で情報収集するにも、元手が必要だ。
何も買わないまま、赤い竜はどこだと問いかけたところで、返ってくるのは罵声くらいのものだろう。
かといって黄金はどこで貨幣に交換できますか、なんて下手に聞いたらどうなるか。
早々に行き詰ってしまった。
あてどなく歩いているうちに、気づけば市場の最深部まで辿り着いてしまっていた。
市場の入り口と同じ門がそびえたっていて、その門を抜ければ、大通りとは反対側の道に出るようだった。
露店もほとんどないこの場所には、木で作られた簡素な舞台がぽつんと佇んでいる。
中心には大きな布で覆われた何かがあり、簡単に剝がされないように固定されているようだ。
どことなく近づきがたくて、元来た道を引き返すことにした。
お金を払わず答えてくれる人はいないかと、ダメ元で聞いて回ってみた。
店だけでなく、道行く人々へ声をかけてもみた。
だが、やはり収穫は得られなかった。
市場の中心部にある噴水の縁に腰を落ち着けて、深くため息を吐き出した。
これからどうしたものだろう。
「何かお困りで?」
前髪と同じ、黄土色のふんわりした毛並の耳がぴょこりと生えている、僕よりも背丈の高い青年が目の前に立っていた。
浅黒い肌の腕には、びっしり文様が彫られている。その入れ墨は上腕まで続き、肩にはひときわ目立つように何かの意匠が描かれている。
青年は人当たりの良さそうな笑みを浮かべながら、僕の隣に腰かけた。
そして、これ見よがしに林檎を一口かじる。
さっき僕が諦めた店の林檎だ……。
「君は?」
フードを被り直し、目の前の青年をまじまじと見つめる。
「俺はこの辺の案内人。ぼったくりも多いし、旅人向けに案内させてもらってんの。路銀がなくなっちまったって人もよくいるから、質屋とか働き場所の斡旋もやってるよ」
「しちや」
聞きなれない単語を、おうむ返しに聞き返す。
「そそ」
「質屋ってなに?」
「質屋を知らない!? んー、あー。えっと、値打ちのあるもんを、カネに換えてくれるところ、かな」
「貨幣に交換してくれるってこと?」
「そゆこと。良かったら案内するけど、一緒にいく?」
「い……」
行く、と言葉にする前に、思いとどまった。
あまりに話が旨すぎる。
自らを案内人と名乗る彼が、”本当に案内人なのか”までは、僕にはわからない。
案内される先が別の場所で、罠という可能性もある。
「いいや、道順を教えてくれれば十分だよ」
「あ、そう? まあ得体のしれない奴だもんね、警戒するのも無理ねえか」
「声をかけてくれて嬉しかったんだ、本当に。けど……まだ、君のことを信用できない。ごめん」
信用に足る相手と、信用できない相手。
今の僕には、その区別さえ出来やしない。
「ま、いいよ。気が変わったら戻ってきてよ、オレこの辺りでぶらついてるからさ」
彼は気を悪くした風もなく、快く質屋への順路を教えてくれた。
やや複雑な道筋であったが、何とか頭に叩き込んだ。
「ありがとう。恩に着るよ」
「いいのいいの。じゃね、気をつけて~」
***
質屋を目指して、彼から聞いた通りの道を進んでいく。
辺りを見回しながら歩いているうちに、再びどこからか視線を感じた。
不意に後ろを振り返ると、遠く離れた位置の男と目があった。
淀んだ目つきの男は、こちらに足早に近づいてこようとする。
人のいる場所に紛れて、何とかして撒くしかない。
その男と逆方向へ、人が多い方へと駆けだした。
男と僕の彼我の距離は、少しずつ空き始める。それでも、男は急ぐ素振りを見せない。
ただ淡々と、僕を追い詰めているように見える。
男の真意がまるでわからず、薄気味悪ささえ感じていた。
とにかくその男から離れようと走っていると、真横から腕を勢いよく引っ張られる。
大声で叫ぼうとするも、素早く口に布を詰め込まれてしまった。
待ち伏せされていた。
そう気づいた時にはもう、露店と露店の狭間の路地に引きずり込まれていた。
袋小路に連れてこられた僕は、羽交い絞めにされて身動きひとつとれない状態に陥っていた。
後から路地にやってきた人物が、「こいつが例の奴で間違いないか?」と周囲の男たちに声をかける。
尾行がバレたから追いかけたわけではなく、初めからこの場所に誘導されていたのだ。
フードをはがされ、乱暴に顎を掴まれたかと思うと、2、3発殴られた。
唇が切れ、血痕が辺りに点々と散る。
「変な気起こすんじゃねえぞ。これ以上痛い目にあいたくなかったらな」
「紫色の眼だ。ちげえねえ」
「護衛なしにうろつくなんてな。襲ってくださいって言ってるようなもんだぜ」
「見ろよ!金塊に、鉱石ももってやがるぞ! こりゃ磨けば相当値打ちが出る」
あまりの衝撃に視界がぐらぐらと揺れているうちに、腰袋をはぎ取られ、中にある金や鉱石を奪われてしまった。
抗議の声をあげようとするも、口から出るのは意味のない呻き声だけだ。
再び顎を掴まれ、男の一人に顔をしげしげと眺められる。
「よく見りゃ随分綺麗な顔してやがる。高く売れそうだが……その前に、ちいと可愛がってやるか」
「ちっ、さっさとすませろよ」
「ああ、すぐすませるさ。すぐにな」
おい、と太っちょの男が声をかけると、羽交い絞めにしていた男たちが僕を解放する。
下卑た笑いを浮かべながら、男が僕に馬乗りになった。
図体のでかい男に乗られているので、ろくに身体を起こせもしない。
ゆっくりと顔を近づけてきた男は、僕の首筋にぬるりと舌を這わせた。
ぞわり、と全身に寒気が走る。
痛めつけられるのかと思っていたのに、どうやらそうではないらしい。
この男が何をしようとしているのか、全く想像がつかない。
だが決して、この男の好きにさせてはいけない。それだけは確信していた。
解放された手で必死に押しのけようとするも、男はびくともしない。
「抵抗されるのが興奮すんだ、いいぞ……いいぞ……」
徐々に鼻息が荒くなってきた男は、興奮した様子で僕の首筋に吸い付いてきた。
ままよ、と間近にあった男の耳を蓋するように、自らの掌を押し付けた。
他愛ない抵抗だと感じたのだろう。振り払いもせず、嘲るように男はただ笑っていた。
男の耳に、今出せる最大風速の風を放つ。
細く鋭い風の槍は、そのまま男の鼓膜を貫いた。
耳を抑え、男は僕から飛びのいた。
痛みに絶叫しながら、その場にもんどりうっている。
何事かと周囲の男たちは混乱していた。
今のうちだ。
口に詰め込まれた布をその場に投げ捨て、無我夢中で駆けだした。
「誰か! 誰か助けて!」
大声で叫びながら、市場にむけて走る。
市場に戻れば、人の眼もある。そう派手な動きはできまい。
だがその試みはうまくいかず、あっという間に男たちに追い付かれてしまった。
力任せにフードを引っ張られ、再び地面に引きずり倒されてしまう。
男達に囲まれ、蹴り飛ばされる。
容赦ない暴力に、体を丸めて眼を瞑り、ただ耐えるしかなかった。
その時、間延びするような高音のうなり声が路地に響き渡った。
ゴキッと何かが折れる音と、男の叫び声が続けざまにあがる。
「ギャアア!」
そこにいたのは、一匹のハイエナだった。
ハイエナは顎の力が発達していて、骨すら砕くほどの力を持つ。
男に躍りかかったハイエナは、腕をいとも簡単に噛みちぎっていた。
口元から垂れ下がる腕を振り飛ばすと、その空いた口で別の男のふくらはぎに嚙みつく。
「ガアァッ! やめろ! 離せ!」
男はすぐに振り払うが、鋭い牙が離れるとともに肉を食いちぎっていった。
男たちから半歩後ずさった状態で、ハイエナは唸り声をあげ、彼等を威嚇している。
むき出しにした牙から、血が混じった涎が滴り落ちていた。
「腕が、俺のうでが」
「ケダモノが! 誰の許しで転変を……!」
思わぬ襲撃者に、男達は大混乱に陥っていた。
「誰の許しだァ……?」
口の周りを血まみれにしたハイエナは、光の粒子を纏い、みるみるうちに一人の青年へと姿を変えた。
案内人を名乗る、彼だった。
「これを見ても、まだそんな寝ぼけたこと言えんのか?」
彼がそう言うと、男たちは一瞬の逡巡の後、途端に狼狽し始めた。
彼が一体何を見せたのか、倒れ込んでいる僕の眼には入らなかった。
「クソ、唾つきかよ」
「うで、おれの」
「馬鹿野郎、言ってる場合か! 行くぞ!」
耳を抑えて転がっていた男がいつのまにか立ち上がり、残りの男たちを引き連れて、一目散に逃げて行ってしまった。
彼と僕だけが、その場に取り残された。
長い沈黙の後、僕はどうしても気になったことが口をついて出てしまった。
「……君、服も転変できるんだね?」
「あ? 当たり前だろ。ガキじゃねえんだから」
「ガ、ガキ……」
転変にも、熟練度があるようだ。僕が人に転身する時、裸だったのに。
別の意味でも気落ちしている僕の顔を、彼が膝をついて覗き込んできた。
「それにしても、ひっでー顔! 派手にやられてんじゃん」
「まったく酷い目にあったよ。本当に助かった、ありがとう」
「いったろ、気をつけろって。この辺は人さらいも多いんだからよ」
「人なんかさらってどうするの?」
心からの疑問だった。
すると彼は眼を丸くさせた後、僕の顔を見て鼻で笑い飛ばした。
「この街でそれを聞くかねえ?」
彼はすっくと立ちあがり、大仰な仕草で、人差し指を空に向ける。
「ここはステウレグ。ラグナル神聖公国、東西南北の交差点。ここには”値なきものなし。量れぬものなし”。あんたも商品になりたくなきゃ、身の振り方を考えるんだな」
なるほど、人もここでは売り物にされるのか。
僕の顔を見て、高く売れると言っていた男の言葉に合点がいく。
「肝に銘じるとするよ」
なぜそんなことをするのかまでは、微塵も理解できないけれど。
「ほらよ」
男たちに強奪された僕の腰袋を、放り投げてきた。
中身は一切失われておらず、ほっと息をつく。
「ありがとう、でもいつの間に?」
「そりゃ俺の華麗な手さばきでチョチョイよ。てか、こんなところいつまでもいてらんねえよ。行こうぜ」
彼が差し伸べてくれた手をとって、僕はゆっくりと立ち上がる。
僕の膝程に伸びた、石畳の隙間から生えた生命力豊かな雑草が、視界の隅に映った。
こんな雑草、初めからあっただろうか?
「おーい、おいていくぞ」
「ごめん、すぐいくよ」
先を歩く獣人の彼のもとへ、痛む体を引きずるようにして歩き出した。
僕が過ぎ去った後も、雑草たちはなお成長し続けていた。
石畳に残った血痕の最後の一滴までを吸い取るべく、石畳の隙間から生えた雑草の根が伸ばされようとしていた。
***
「君は何者? 君の姿に慄いたにしては、違和感があった。あの人数なら、君に立ち向かえたと思うけれど」
「俺がすげえ強いと思ったのかもよ?」
「まったく君は意地悪だね。わからないから質問してるのに」
「質問したらなんでも答えてくれるとでも思ってんの? そっちが甘いんだよ」
嘲るような笑いに、思わずむっとした顔を浮かべそうになった。
だがすぐに思い直す。まったくもって、彼の言う通りだったからだ。
彼は僕の何でもない。僕にすべてを包み隠さず教える義務なんて、どこにもない。
僕はいい加減、甘えを捨てるべきだ。
彼と、そしてこの世界への。
「ただ今の状況的にはさ。俺がどんな悪党だったとしても、あんたは俺に頼らざるを得ない。ちがう?」
「そうだね、君は正しい。少なくとも、さっきの奴らに襲われることはなさそうだ」
そうだろうというように頷いている彼は、笑みを浮かべながら僕の言葉を待っていた。
「なんでも答えてくれない案内人さん。名前くらいは教えてもらえない? 僕はエレアスっていうんだ」
「……ハジャイ」
「よろしく、ハジャイ。さっそくだけど、僕を質屋に案内してもらえない?」
彼が信用に足る人物なのか、分からない。
だが今は、信じるしかない。
ハジャイは八重歯を光らせ、にっこりと笑ってみせた。
「お安い御用で」
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