旅立ちの章 第5節
「その前にお前。ジジイの結界から抜ける算段はあるんだろうな?」
汝が竜なれば、この地を出づること叶わず。
竜にあらざれば、またこの地に入ること叶わじ。
長老たるゴーシュじじ様によって、この国に張り巡らされている結界。
他種族からの侵攻を防ぐ代わりに、竜もヘルハイム国外に出ることはできない。
みだりに国外に出て、行方不明となってしまった竜も数多くいるためにとられた暫定処置である。
例え国境付近に行ったところで、竜の身であの結界を通過しようとすると弾き飛ばされる。通過を許されるのは、特別に認可された竜、または族長のみ。
堅固な壁でありながら、同時に檻でもあるのだ。
「策ならある」
自身の厚く鋭い爪先を見つめ、ぎゅうと握りしめる。
姿形を変えたところで、中身は僕に変わりない。この手段が通用するかは、運試しだ。
「ならいいけどよ。ヘマすんじゃ……やべえ、朝だ」
陽が昇り、獣達の鳴き声が聞こえてくる。
暖かい陽ざしに、ルドヴィゴの腕に抱えられた卵も弾んだように光っていた。
「いいか、2日後の夜だ。2日後の合図を待て」
そう言い残して立ち去ろうとするルドヴィゴに、すかさず食いついた。
「ちょ、ちょっと待って! あれだけ大口叩いたくせに、置いていくってこと?」
「だーうるせぇ! 聞こえが悪ィこというんじゃねえよ! その日が色々都合が良いんだよ」
声を潜めてルドヴィゴが言い返す。夜が明けてから、ルドヴィゴはしきりに周囲を気にしている。何やら事情があるようだ。
2日後といえば、統一祭の日。丁度僕が出立しようとしていた日ではあった。
まだ怪我も十分に癒えてはいないので、休めると思えば丁度良いかもしれない。
「わかったよ」
「どんな合図かなんざ、言わなくてもわかる。じゃあな」
「ありがとう、ルドヴィゴ。その子を頼むね」
その言葉に返事を返すことなく、ルドヴィゴは卵を慎重に口に咥えてその場を去ってしまった。
一言くらい返してくれたっていいのにと思う気持ちと、あいつらしいと思う気持ちが僕の心に同居していた。
『何があっても、振り返るなよ』
聞き逃しそうな小さな声の”念話”。だが今度はきっと、漏れてしまった言葉ではない。
我慢できずに、笑ってしまった。
本当に、あいつらしい。
――旅立ちの章 第5節――
いよいよ、ルドヴィゴが言った2日後の夜がやってきた。
この2日間、夜半に蝙蝠たちが食料を洞窟に投げ入れてくれたおかげで、飢えることもなかった。旅路のための食料も温存できたのは、ありがたかった。
さすがに2日で翼は完治しなかったが、こればかりは致し方ない。
暗闇を潜り、再び洞窟の入り口前に戻ってきた。
一応岩を押してみるも、やはりビクともしない。
大人しく、”合図”を待つことにした。
合図の詳細はわからずじまいだ。兆しを逃さないよう、瞼を閉じて神経を研ぎ澄ませる。
この付近だけでも複数の波動が感じられる。怒りと憎悪が混ぜ込まれた、張り詰めた緊張。
それらが一塊になって、いくつもの場所に点在していた。
だが、どこかその位置に規則性があるように感じる。
「なんだろう、なにか妙だ」
突然、洞窟内が激しく揺れる。落盤が危ぶまれるほどの振動だ。
続いて岩の向こうから、怒号や悲鳴が聞こえてくる。
『敵襲ーーーー!!』
頭を乱暴に揺さぶられたかというほどの、ルドヴィゴの強烈な”念話”。
その念話に応えるように、間髪入れず数々の咆哮が響き渡った。
一体外で何が起こっている。
脳裏に浮かんだ疑問に答えを得る暇もなく、眼前の岩が粉々に砕け散った。
その破壊の衝撃波と、砕けた石の礫が体に降りかかる。鱗が盾となり怪我こそなかったが、全身に鈍い痛みが走った。
洞窟の入り口で、紅紫色の眼がこちらを見据えていた。
一瞬身構えるも、その眼に敵意はない。
菫色の鱗を持つその竜は、僕の姿を眼に留めるなり二対の翼を広げ、すぐさま飛び立った。
上空まで飛び上がった後、飛竜特有の翼の噴気孔から炎が噴射され、あっという間に姿が見えなくなった。
飛竜の熱気流は、即座に最大速度での飛行を可能にする。飛竜が空の支配者と呼ばれる所以だ。
先ほどの岩の破壊は、飛竜の急降下によるものだったのだ。
入り口を塞ぐものがなくなり、僕は洞窟の外に脚を踏み出した。
内臓を撫で上げられるような不快な感覚が通り過ぎ、禁魔の結界を通過できたようだ。
自身の表皮に再び魔力が浸透したことを感じて、ほっと安堵する。
およそ2日ぶりの外の風景は、様変わりしていた。
緑に溢れた丘陵は影を潜め、炎の斑に彩られていた。木々に炎が燃え移り、獣達が逃げ惑っている。
火の手が上がった傍ら、そこかしこで闘竜同士が激しく組み合っていた。鱗や血が飛び散ってもお構いなしだ。
組み合っている片方の竜の身体には、文様が描かれている。闘竜族が戦場に立つ習わしである、戦化粧に違いない。
今目の当たりにしている光景は、戦そのもの。
なぜ味方同士で。
疑問は湧く。だが立ち止まる暇はない。
自らの思考を置き去りに、僕は地面を蹴った。
彼らの闘いに巻き込まれないように、細心の注意を払いつつもひたすら突き進む。
「一体どうなっている! 族長は不在ではなかったのか!」
戦化粧をした竜の声が、角に届く。
困惑と焦燥がありありと浮かんだその声に、近くにいた竜が答える。
「いや、ヴォルスレイめは確かにいない! 見ろ、ニヴルハイムに炎の三柱が灯っているのがその証だ」
「ならばなぜだ! 奇襲をしたはずなのに、奴ら乱れを知らんぞ」
「……まさか、我等は嵌められ、グ、」
その言葉を最後に、口々に話していた竜のひとりが突然口を噤んだ。
その竜の首には、今まさに話していた中のひとりの竜の牙が深々と突き立てられていた。
首に食らいついた竜もまた、戦化粧をした竜。
虚を突かれた周囲の竜が攻勢に転じようとする前に、自らの尾をしならせて打ち払う。食らいついたままの竜も軽々と投げ飛ばし、その先にいた竜へ激突した。
戦化粧をした竜達に動揺が走った瞬間、待ってましたとばかりに化粧をしていない側の竜が次々に襲い掛かる。
「味方の顔くらい、覚えてねえもんかね。この近辺は制圧したな、北上するぞ」
その竜の言葉を皮切りに、周辺の竜達が一斉に移動し始めた。
彼等の眼に映っているはずの僕に、彼らは見向きもしない。
理由は気にかかるが、今ばかりは幸運と受け取るしかない。
倒れた竜達を後に、僕は南へ歩を進める。
***
鬱蒼と生い茂った森が近づいてきた。
南の関所の名を冠する、隔絶の森。荒涼としたデーンハイムの地の最南端だ。
大地に沁み込んだ魔力を栄養として生い茂った、竜の背丈をゆうに超える巨木たち。
地面から突き出した木の根が地面を這いまわっており、進んでいるといつの間にか道が逸れてしまう。
自身が今どちらの方角に進んでいるのか、脚を踏み入れる者を惑わせる森である。
故に、この森に望んで訪れる竜は滅多にいない。
この内外を隔絶する森に飛び込みさえすれば、もう追手はこないはずだ。
国境はもう目と鼻の先だ。
ひゅ、と風を切る音。数瞬の後、地響きと共に目の前に巨体が着地した。
傷痕だらけの鈍色の鱗に、岩壁を思わせる頑強な体躯。
牡牛のごとく、向かってきたものを突き刺さんとする角。
「小童。何用でこの地に参ったか」
この地を守護し、闘竜の中でも実力者に与えられる四牙の称号を持つ竜。
その名をゼト。
先代の闘竜族長より前から、この地を守る老練な竜である。
竜は経典に基づいて生きるべしと考える、闘竜には珍しい生粋の経典信者だ。
「ここから出ていくためだよ、ゼト」
「ゼト”様”であろうが、小童!」
しゃがれ声で怒鳴りつけられ、反射的に身がすくむ。
普段ならば、南の関所にはもっと多くの闘竜が配置されているはずだが、どうやらゼトのみでこの関所を守っているようだ。
彼は数多の戦争を生き残った猛者だ、まるで隙が無い。
名前だけは知っていたが、僕の小手先の魔導では、とても太刀打ちできそうにない相手だ。
たったひとりとはいえ、他の闘竜とは比にならない覇気。
だが気持ちで押し負けるわけにはいかない。僕は震えそうになる脚を叱咤して、平然を装ってみせる。
「貴様、たしか不出来の世代であったか。不完全な身体では、宿る魂もまた不全であるとみえる」
「出来損ないなら、出て行ったって問題ないよね。引き留める理由がないじゃないか」
「囀るな!」
吠えるゼトの声に呼応するかのように、雷鳴が轟く。
その音が徐々に近づいてきたように感じ、咄嗟に振り返った。
雷雲が、逆行している。本来あるべき風向きも、高度も、すべてを無視して。
間違いない、あれはじじ様の魔導だ。僕を討つべくして放たれた、天の裁定。
本能的に直感する、あれを受ければひとたまりもない。
しかし、それはゼトもまた同じはずだった。
だがゼトは空を一瞥もせず、ただ僕だけを見据えている。
その眼に、恐怖は一切浮かんでいない。
「許しも得ずに国を出るなど、厳罰は免れぬ。このゼトが、貴様に引導を渡してやろうぞ」
緊張が限界まで張り詰める。自らの背後に、気流の渦を巻き起こして構えを取った。
ゼトが一歩、こちらに向けて足を踏み出す。
「死を以て、大いなるヘルハイムの元へ還れ」
「その子を殺してはいけません!」
甲高い声が割って入る。空を見上げると、ヴィヴィアンが翼をはためかせてこちらに近づいてきた。
デーンハイムの騒ぎを聞きつけて、僕を探しに来たのだろう。
「エレアス、どうしてこんな無茶を? 柘榴の子は、どうせもう死んでいますよ」
「君がシスカを語るな、彼女は生きてる!」
「生きていたとしても、それがなんだというのですか!」
眼を血走らせ、ヴィヴィアンは喚き散らしている。こんなに必死になっているヴィヴィアンを見るのは、初めてだった。
「待てばいいだけではありませんか。我等は永劫、巡り続ける。生死も彼我の境をも越え、再び相まみえるのですよ」
「会えたとしても。それは僕等じゃない」
死した竜の魂が混ざり合い、新たなる命として生まれ変わる。
終わりなき循環は、希望でもあり、絶望でもある。
全く同じ竜は、存在しえない。
今日という日が、二度と訪れないのと同じように。
「僕が僕のまま、シスカとして生きる彼女に会いたいんだ」
「そんな陳腐な願いのために、許されぬ行為を犯すのですか?」
「僕は、僕自身のものだ。誰の許しも必要ない」
「戯言を。貴様は竜の名折れだ」
ヴィヴィアンと僕の問答に痺れを切らしたゼトが、凄まじい勢いで突進してくる。
僕の頭部目掛けて、ゼトの右脚が振り上げられる。
凶刃が、間近に迫る。
「なら、竜なんてもうやめだ」
ゼトの脚は、あえなく空振った。
爪が捉えていたはずの竜たる僕は、既にいない。
空ぶった脚のすぐ下で、ゼトの視線と”僕”の視線が交錯する。怒りに燃えていたゼトの瞳が、一瞬にして驚きに塗り替えられる。
「人間、だと?」
極限まで圧縮した空気が、人となった僕の背後から放たれる。烈風はゼトの顎を的確に捉え、痛烈な一撃をお見舞いした。
直撃したゼトは、束の間ぐらりとよろめいた。
その僅かな一瞬は、僕にとって待ち望んだ隙だった。
続けて僕自身にも風をぶつける。竜に比べて軽くなった体はいとも簡単に吹き飛ばされ、隔絶の森へ突っ込んだ。
「待って、エレアス! いかないで!」
「下がれ小娘!」
追いすがろうとしたヴィヴィアンと僕との間に、雷光が貫いた。
僕に向けてヴィヴィアンが何事か話していたように見えたが、轟音に呑まれて僕の角には届かなかった。
木々が放つ甘ったるい匂いが、辺りに充満している。
無秩序に伸びた枝葉が複雑に組み合わさり、空さえも覆い隠している。
それらを突き破る様に、閃光が切り裂いた。
ゼトやヴィヴィアンは追ってこないようだが、じじ様の雲は執念深く僕を追ってくる。
人間の姿は、思っていた以上に足が遅い。一瞬でも足を止めれば、射程範囲に入ってしまう。
服だけは何とか羽織ったものの、サンダルを履く暇もない。
人間の素足でこの森をゆくのは、なかなかに辛い。
竜に転変すればこの枝葉に体をぶつけながら進むことになり、進む脚が一層遅くなる可能性もある。
結界の境も正確に分からない以上、人の姿で走り抜けるしかない。
息も絶え絶えになりながら、険しい道を必死に駆け続ける。ずっと酷使してきた脚が、上がらなくなってきた。
「帰れ」
「引き返せ」
「還れ」
誰の声かもわからぬ声が、僕の側で囁く。
この森の木々は、精神を惑わす成分を放出している。この声も、おそらく幻覚だ。
「うるさい、うるさい……」
ただでさえ方向感覚を失いやすいのに、幻聴まで聞かせられるときた。
度重なる全力の魔導で、魔力も枯渇している。耐え忍ぶしか、対抗手段はない。
不意に視界が、ぐらりと揺れた。
地面からむき出しになっている木の根に、足を取られたのだ。
「っあ……!」
空を仰ぐようにして、地面にひっくり返った。
頭上の暗雲に閃光が迸る。
来る衝撃に、固く眼を瞑った。
全ての音が収束するかのように、辺りが一瞬無音となる。
パリン。
内に留めていたものが溢れ出るような、小さくひび割れた音が聞こえた。
頭の中に、記憶の濁流が流れ込んでくる。
「君はだれ? ここで何してるの?」
冷たく、深い水底。暗がりの中、生まれたばかりの僕がいた。
幼い僕を見ている”僕”の視界は、僕よりふた回り以上も高い位置にある。
「……エブラスカ。ここで役目を果たしているのさ」
散らばった砂を握るようにして、言葉が音の形となって発せられる。
喉を持たないエブラスカ独特の話し方で、”僕”は話している。
「ひとりぼっちで? 寂しくないの?」
「……ほんのすこしね。私の話し相手になってくれるかい」
「いいよ! 僕の名前はエレアス。よろしくね」
無邪気に笑う僕に、愛おしげに微笑み返した。
これは、エブラスカの記憶だ。
”悔い”と”祈り”が混ざった、記憶。
つんざくような雷鳴に、意識が急に引き戻される。
「エブラスカ?」
その名の主の、返事はない。
記憶と同じ深淵が、僕を包み込んでいた。傷だらけではあるが、自身の身体に大きな負傷は見られない。
この闇が僕を守り、隠してくれているようだ。手当たり次第に襲うかのごとく、森全体に雷雨を降らせている。
僕の頭上に閃光が走る度、中和するように黒と混ざり、光を霧散していく。
どうやらエブラスカから譲り受けた腕輪を起点にして、この闇が広がっているようだった。
腕輪をよく見ると、5つあったはずの石が1つ壊れてしまっている。
先ほどの音は、この石が壊れた音だったのだろうか。
光を飲み込む度に、暗闇が薄れ始めている。直にこの闇は晴れてしまうだろう。
「っ、まずい」
すぐに立ち上がって、力を振り絞って駆けだした。
僕に付随して闇も動くために、逆に位置を悟られたらしい。
とどめとばかりに、無数の稲妻が僕の頭上に降り注いだ。
その直後、一気に視界が晴れた。同時に、僕の背後に雷が叩きつけられる。
衝撃のあまり、体が前方へ吹き飛ばされてしまった。
吹き飛ばされた勢いのまま、急斜面をごろごろと転がり落ちていく。ようやっと体が止まり、痛みに呻きながら立ち上がろうとした瞬間。
周囲の様子の変化に気づいた。
先程までの喧騒は、何も聞こえない。
転がり落ちてきた道を振り返ると、明らかに先ほどまではなかった霧深き山、その絶壁がそびえ立っていた。
まるで僕を拒絶し、断絶するかのように。
隔絶の森の姿も、彼方に見えるはずのニヴルハイムも見当たらない。
この先進むのは無理だという感覚を植え付ける、認識阻害の魔導。
じじ様の結界、その外側の景色だ。
打ち身と擦り傷だらけの体を、ゆっくりと起こす。
体中についた土を血を簡単に拭った後、服やサンダルを身に纏う。荷物を確認し、背に抱え直した。
夜明けの陽が、東の彼方から昇りゆく。
陽光に照らされ、旅路が拓かれる。
旅立つのは、これで二度目になる。
前回は道連れがいた。だが今は、たったひとりだ。
育ての親も、友も、託された子さえも。全て、置き去りにした。
今度の旅路は遠く、長く、果てが見えない。どこへ向かうべきかも、今はわからない。
何があっても、振り返るなよ。
ルドヴィゴの言葉が、身の内で木霊する。
傷だらけの体を引きずるようにして、道なき道へと足を踏み出した。
――旅立ちの章 了――
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