表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
53/53

第53話 口を塞ぐ理由――誓いは救いじゃなく、徴収口だ

落下は、今までで一番長かった。

 裂け目が“通れる幅”になった代償だ。

 幅を広げた分、深さが増える。


 闇が肺に入る。

 音が消える。

 鐘の余韻すら届かない。


 ユナの口を塞いだまま、俺は落ち続けた。

 乱暴だと分かっている。

 でも、今のユナは危険だった。


 「絶対に――」

 その続きは誓いになる。

 誓いは鎖になる。

 鎖は徴収口になる。


 椅子は言った。

「次は、ユナの誓いを回収する」


 回収するには、先に作らせる必要がある。

 だから椅子は、恐怖を使う。

 恐怖は誓いを生む。


 地面が迫り、俺は身体を捻った。

 背中から落ちる。

 ユナを抱えたまま、衝撃を吸う。


 ゴン。


 痛みが走る。

 だが骨は折れていない。

 薄い感情の中でも、痛みだけは濃い。


 俺はユナの口から手を離した。

 ユナが息を吸い込み、声を出しそうになる。


 俺は短く言った。


「息だけ」


 ユナは喉を震わせ、

 声の代わりに息を吐いた。

 ふぅ、という音。


 賢い。

 怖いのに、賢い。

 だから守りが必要だ。


 周囲は暗い。

 だが完全な闇じゃない。

 壁に、微かな青い苔光。

 地下水の滴る音。


 ここは廃聖堂の“下”。

 地上と地下の間。

 背教が掘った、古い空洞。


 壁に刻まれた印が見えた。

 舟の刻印――背教。

 そしてその横に、知らない印。


 円の中に、折れた矢。

 折れ矢の印。


 俺の胸の鍵が、ひときわ強く鳴った。

 カチ。


 ユナが壁の印に触れ、指を引っ込める。


「冷たい……」


 声が出た。

 でもここは裂け目の底。

 観測が薄い。

 言葉が鎖になりにくい。

 それでも油断はできない。


 俺はユナに視線で合図した。

 指一本。

 「一つだけ話せ」。


 ユナが小さく息を吸い、囁く。


「……ここ、誰の場所?」


 誰の場所。

 答えれば形ができる。

 だが答えないと、ユナは勝手に意味を作る。

 意味は誓いへ繋がる。


 俺は最小限で答えた。


「背教の穴」


 ユナが眉を寄せる。

「背教って、敵だよね……?」


 敵。

 味方。

 その二択は危険だ。

 この世界は二択を嫌う。

 二択は確定を呼ぶ。


 俺は首を振らず、

 手で“横”を示した。

 敵でも味方でもない、横。


 ユナが理解できない顔。

 その時、遠くで水の音が変わった。

 滴りが止まり、代わりに細い流れ。


 誰かが来る。

 足音じゃない。

 水を踏む音。


 俺はユナの肩を押し、苔光の薄い方向へ移動した。

 隠れる。

 声を使わない。


 水の向こうから、人影が現れた。

 ローブではない。

 軽い革装備。

 背教でも教会でもない服。


 女だ。

 長い髪を束ね、腰に短剣。

 歩き方が静かすぎる。


 彼女の目が、こちらの闇に向く。

 見えている。

 でも敵意がない。


 彼女が、低い声で言った。


「欠けを整えたのは、あなた?」


 俺の背筋が凍る。

 あの声だ。

 幻の中で聞いた声。


『欠けは残せ。完全にすれば、椅子が笑う』


 同じ温度。

 冷たいのに、妙に優しい。


 ユナが驚き、声を出しそうになる。

 俺はユナの手首を掴み、止めた。


 女はゆっくり近づき、

 壁の折れ矢の印に指を当てる。


「私は“折矢せつや”。

 背教でも教会でもない」


 背教でも教会でもない。

 第三勢力。

 この世界で一番危険で、一番頼れる種類。


 折矢が俺を見る。

 視線が喉元へ刺さる。

 名の空白を見ている。


「あなた、名を欠かせたまま生きてる。

 珍しいね」


 珍しい。

 特別。

 それは狩りの合図にもなる。


 俺は答えない。

 代わりに台帳を少し見せる。

 地球の書式。


 折矢の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。

 彼女は紙を読まない。

 “匂い”だけ嗅いだ。


「……地球の癖だ」


 知っている。

 彼女は知っている。

 つまり彼女は、裂け目に関わっている。


 ユナが震える声で囁く。


「……誰、なの……?」


 折矢がユナを見る。

 琥珀の瞳を見て、眉を僅かに動かす。


「芽吹き。

 椅子が好きそう」


 ユナが息を呑む。

 誓いが生まれかける。


 俺は即座にユナの口元へ指を当て、

 強くは押さえず、触れるだけで止める。


 折矢が俺を見て、微かに笑った。


「口を塞ぐの、上手いね」


 褒める。

 褒めるのは近づくため。

 でも彼女の褒めは、奪う匂いが薄い。


 折矢は言った。


「誓いは徴収口。

 君の判断は正しい」


 俺の胸の鍵が、カチ、と鳴った。

 彼女は“理解者”だ。

 少なくとも仕組みを知っている。


 折矢が指を鳴らす。

 苔光が一瞬だけ強くなり、

 壁の印が青く浮き上がる。


 折れ矢の印が、道を示した。

 狭い横穴。

 上へ続く。


「第七鐘の余波はまだ残ってる。

 受領の司は追ってくる」


 折矢が俺をまっすぐ見た。


「だから選びなさい。

 ユナを置いて逃げるか、

 一緒に上へ行くか」


 二択。

 確定の形。

 椅子が好きな形。


 俺は答えない。

 だが行動で示す。


 ユナの手首を掴み、離さない。

 そして折矢の示した横穴へ向かう。


 折矢が小さく頷き、先に入った。

 頷きは形。

 でもここは観測が薄い。

 形が鎖になりにくい。


 横穴は狭く、途中で梯子があった。

 古い木の梯子。

 地上へ抜ける。


 上りながら、折矢が言った。


「椅子は君の真名を欲しがる。

 でも今、椅子は少し焦ってる」


 焦る。

 椅子が焦るなんて。


 折矢が続ける。


「封緘枠は一つじゃない。

 君が噛ませた核も、完全には隠れない。

 だから椅子は“人”を取る」


 人。

 ユナ。

 そして――俺。


 折矢が言った。


「君がユナの口を塞いだ理由、

 ちゃんと伝えなさい。

 誓いを作らせないためだって」


 伝える。

 言葉は鎖になり得る。

 でも誤解が残れば、ユナは誓いで埋める。

 なら、必要な言葉だけ使う。


 梯子の上の蓋が開き、

 夜の空気が入ってきた。


 ここは王都の外れ。

 廃倉庫の中。


 折矢が先に出て、周囲を確認する。

 彼女は振り返り、言った。


「次の場所は“背教の礼拝堂”。

 教会が知らない穴だ。

 そこに封緘枠の“原本”がある」


 原本。

 俺が作った封緘具の原型。

 核を封じる真の器。


 それがあれば、仮を“仮のまま固定”できる。

 椅子の確定を止められる。


 ユナが小さく囁いた。


「……あなた、さっき……

 私の口、塞いだよね」


 来た。

 誓いの前の誤解。


 俺は短く言う。


「誓いを止めた」


 ユナが目を見開く。

「誓い……?」


 俺は必要な分だけ言う。


「誓うと、奪われる」


 ユナの唇が震える。

 恐怖。

 でもその恐怖が誓いへ行く前に、

 折矢が静かに割って入った。


「誓いは救いじゃない。

 徴収の入口」


 ユナが青くなる。

 でも理解した。

 理解すると、今度は怒りが生まれる。


「……じゃあ、私、さっき……

 危なかったんだ……」


 危なかった。

 その言葉は事実だ。

 事実は形になる。

 でもここは必要な確認。


 俺は一拍だけ置き、短く言った。


「……そう」


 ユナが拳を握りしめる。

 誓いを作る代わりに、怒りを握る。

 それでいい。


 折矢が倉庫の扉を開け、夜の路地へ出た。

 遠くで教会の鐘が、もう鳴らない。

 第七鐘は終わった。


 でも余波は残っている。


 その証拠に、路地の端に子供が立っていた。

 あの笑い方。

 輪になる瞳。


 子供が小さく言った。


「見つけた」


 折矢が舌打ちし、短剣を抜く。

 だが彼女は切らない。

 切れば血が出る。

 血は誓いより強い形になる。


 折矢は俺を見て言った。


「走って。

 背教の礼拝堂へ」


 俺はユナの手首を掴み、走る。

 折矢が後ろにつく。


 子供の声が背後で揃う。


「回収」


 追跡が始まる。

 次の章は、背教の礼拝堂。

 封緘枠の原本。

 そして――折矢の正体。


 俺の喉の奥で、

 “ほ”の音がまだ疼いていた。


 堀口健太。

 名を戻せば、椅子の入口が減る。

 だが戻すほど、椅子は嗅ぎつける。


 その矛盾ごと抱えて、走る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ