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第29話 狩人の名――烙印は“弱まった”代わりに向きが変わる

 矢は放たれなかった。

 でも狙われている。


 森の闇から、女が姿を見せた。

 フード。

 短弓。

 腰には短剣。


 動きが軽い。

 訓練された“狩り”の歩き方。


 彼女は俺を見て、舌打ちした。


「……首、熱そう」


 銀鎖が反応して熱を上げた。

 俺は一歩下がり、木剣を構える。

 身体が勝手に“正しい位置”へ入る。


 女は笑わない。

 目が冷たい。


「名前、言わなくていい。

 言わせたいのは教会の仕事」


 教会じゃない?

 背教でもなさそう。


 セラが低い声で問う。


「あなたは誰」


 女は迷わず答えた。


「狩人。

 悪魔狩りの“名なし”」


 名なし。

 名を持たない集団。

 だから教会に縛られにくい。


 でもさっき、彼女は言った。

 “第三候補、見つけた”。


 セラが目を細める。


「名なしが、どうして第三候補を知ってる」


 狩人は肩をすくめた。


「匂いで分かる。

 穴、刺したでしょ」


 刺した。

 第三候補登録の針。

 穴の匂い。


 やっぱり漏れている。

 逃げても匂いは消えない。


 狩人はリナを見て言った。


「そっちは烙印。

 でも今は…薄い。

 誰かがズラした」


 セラが少しだけ目を細める。

 評価か、警戒か分からない。


 狩人が言う。


「取引しない?

 私、教会の回収を一回だけ止められる」


 一回だけ。

 現実的すぎる提案。


 リナが掠れ声で言った。


「どうして助けるの」


 狩人は即答した。


「助けない。

 “貸す”」


 セラと同じ言葉。

 借りる、貸す。

 対価と奉納の外側の技術。


 狩人は俺の銀鎖を見て言った。


「その首輪、世界の視線も付いてる。

 放っておくと、森があなたを噛む」


 森が噛む。

 免疫が自然現象みたいに介入する、という意味か。


 アークが胸の奥で言う。


 ――こいつは“境界”の者だ。

 ――教会でも背教でもない。

 ――だが安全ではない。


 安全じゃない。

 でも味方は増やせない。

 ヒロインは二人で十分。

 この狩人は、仲間にならなくていい。

 必要なのは“情報”だけ。


 セラが一歩前へ出る。


「貸して。

 何が欲しい?」


 狩人は短く言った。


「あなたの背中の地図」


 セラの肩が僅かに跳ねた。


 狩人は続ける。


「それ、処置室の“次の出口”まで描かれてる。

 あなたはまだ気づいてない」


 次の出口。

 礼拝堂の裏口のさらに先。

 教主の席のさらに奥。


 セラが低く言った。


「……見たの?」


 狩人は頷いた。


「私の師匠が、同じ地図を背負って死んだ」


 死んだ。

 地図を背負った逃亡者は、狩られる。

 予定通りに。


 リナが震える声で言う。


「取引したら、セラも死ぬってこと?」


 狩人は淡々と言った。


「取引しなくても、匂いで死ぬ」


 冷たい真実。


 セラが息を吐いた。


「……一回だけ、回収を止めて」


 狩人が頷き、指を折る。


「一回。

 その代わり、地図を“写させて”」


 写す。

 奪うじゃない。

でも写した瞬間、追跡も精度が上がる。


 セラは迷い、そして言った。


「写して。

 でも条件がある」


 狩人が眉を動かす。


「何」


 セラが俺を指した。


「この子の“内側の名”には触れない」


 狩人は一瞬だけ驚いた顔をし、すぐ頷いた。


「興味ない。

 名は首を締めるから」


 狩人はセラの背へ手を伸ばし、

 薄い炭筆のようなもので線を写し始めた。


 その間、俺はリナを見る。

 烙印は確かに薄い。

 でも――向きが変わっている。


 燃える位置が、首から喉へ。

 喉から胸へ。

 “名を吐かせる”だけじゃない。


 リナが小さく言った。


「……楽になったのに、怖い」


 セラが顔を上げずに言う。


「ズラしただけ。

 烙印は“目的”を変える。

 次は名じゃない、別のものを吐かせる」


 別のもの。

 誓約。

 告白。

 裏切りの言葉。


 教主のやり口だ。

 空白に偽記憶を入れるのと同じ。


 狩人が写し終え、言った。


「終わり。

 じゃあ貸す」


 彼女は小さな骨の護符を放って寄こした。

 俺は受け取らず、セラが受け取った。


 狩人は淡々と言う。


「これを持ってる間、教会の“回収”は一回だけ外れる。

 名簿の鎖が滑る」


 滑る。

 ズラす。

 同じ概念。


 セラが護符を握りしめた瞬間、

 森の影が遅れて揺れた。


 免疫が、どこか遠くで呟いた気配。


「観測:例外」


 例外。

 世界が嫌う言葉。


 だから――例外は高くつく。

 後で必ず回収される。


 狩人は背を向けて言った。


「八年、頑張って」


 その言葉が、教主と同じくらい怖い。

 予定を知っている者の言葉。


 狩人が闇へ溶ける直前、最後に言った。


「器の健太、追ってるよ。

 あいつ、あなたの“死”を餌にする」


 俺の胸が冷えた。

 死の記憶を捨てた空白。

 そこが餌になる。


 セラが護符を握り、短く言った。


「移動する。

 次の朝までに“匂い”を切る」


 匂いを切る。

 どうやって。


 セラは俺を見て言った。


「健太。

 次は“奪う”番。

 器から、あなたの死を取り返す」


 取り返す。

 捨てたはずのものを、奪い返す。

 それは――代償より危険だ。


 でも必要だ。

 空白がある限り、

 教主は何でも入れられる。


 俺は心の中で名を杭にする。


(堀口健太)


 そして、もう一つだけ決めた。

 奪い返すなら、俺は俺の手で奪う。

 誰の都合でもなく。

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