「メルのココア」
とある日の夜。
静かな心理ケア室には、メルの姿があった。
メルはイスに座ったまま、くるくると回転している。
すると扉が開き、アルが入ってきた。
その手には、湯気の立つピンク色のマグカップがあった。
甘いココアの香りが、ふわりと室内に広がる。
「お待たせしました。どうぞ」
アルはメルの前まで来ると、そっとマグカップを差し出した。
「お、サンキュー♪」
メルは嬉しそうに受け取り、そのままグイッと飲む。
「うまぁ!」
ぷはぁと満足そうに息を吐く。
「フフ、よかったです」
その様子を見て、アルは柔らかく微笑んだ。
◆
「オルフェはどうですか?」
アルは柔らかな口調で問いかけた。
「ん〜?めっちゃ住みやすいよ〜」
メルはココアを飲みながら、気楽な調子で答える。
「それは何よりです」
アルは安心したように微笑んだ。
今、アルはメルのカウンセリングを行っている。
メルにとっては人生で初めて受けるものだった。
天華にいた頃は、身体検査や適性検査の類はいくらでも受けてきた。
だが、こうして誰かと向き合い、心について話をする時間など、一度もなかった。
もちろん、天華にも大規模な医療室は存在していたが、そこは常に張り詰めた空気が漂っており、こことはまるで雰囲気が違う。
——居心地がいい。
メルは、ぼんやりとそう思った。
それはこの部屋だけではなく、施設全体に対しても、同じことを感じていた。
◆
「メルさんは、ここに来てから、ご自身の中で何か変化はありましたか?どんな些細なことでも構いません」
アルはメルの方へ身体を向け、穏やかな声で問いかけた。
「変化か……うーん」
メルはマグカップを両手で持ちながら、少し考え込む。
「——天華にいた頃はさ、任務以外の時間、ずっと部屋にこもってネトゲやってたんだよね」
「ここ来てからも、ネットでPC買ってさ、ネトゲやってたんだけど……なんか、前ほど楽しくなくなった」
「ちなみに、どんなゲームですか?」
アルが優しく尋ねる。
「KILL BREAKっていうFPSゲーム。知ってる?」
「そのゲーム自体はわかりませんが、FPSというジャンルは知っていますよ」
アルはにこりと微笑みながら返した。
「あとさ、メルって、なんかめちゃくちゃキュートアグレッション?ってやつで——」
「可愛いもの見ると、壊したくなるんだよね」
アルは特に驚いた様子も見せず、静かに耳を傾けている。
「だから、可愛いぬいぐるみとか買って、よくズタズタにしてたの」
メルは淡々と話す。
「で、ここ来てから、またぬいぐるみいっぱい買って部屋に置いてるんだけどさ」
「ひとつも、ズタズタにしてない」
「なるほど。ありがとうございます」
アルは静かに頷いた。
評価するでも、否定するでもなく——ただ、メルの変化を大切に受け止めるような、柔らかな声だった。
◆
「今、メルさんは何をしている時が楽しいですか?」
アルは穏やかに問いかける。
メルは、マグカップを両手で包み込みながら、小さく唸っていた。
少し考えたあと、ぽつりと口を開く。
「……みのりとか、アンジュとか、せっちゃんたちと一緒にいると、楽しいなって思う」
昔の彼女なら、きっとこんな言葉は口にしなかっただろう。
「とても、いいことですね」
優しく返されたその言葉に、メルはなんとなく気恥ずかしくなり、誤魔化すようにマグカップを掲げた。
「ねぇ、おかわり!」
すっかり空になったマグカップを、アルへ差し出す。
「えぇ、もちろん」
アルはくすりと笑い、マグカップを受け取った。
◆
その後も、2人はのんびりとした調子で会話を続けた。
好きな食べ物の話から、最近オルフェ内で流行っているもの、みのりたちの話——気づけば、あっという間に30分ほどが過ぎていた。
そして、メルのカウンセリングは終了する。
「メルさん、ご協力ありがとうございました」
アルは丁寧に頭を下げた。
「全然いいよー。ヒマだし」
メルは気楽な調子で答えた。
そして、ふと思い出したように目を輝かせた。
「あとさ!ココアめちゃくちゃ美味しかった!」
そう言って、メルはアルへ軽くウインクを飛ばす。
「また、いつでも飲みに来てください」
アルはふわりと微笑んだ。
「それって、建前ってやつ?」
メルはイタズラっぽく目を細めながら聞く。
するとアルは、笑顔で迷いなく答えた。
「いいえ、本音です」




