「烈火の如く ~前編~」
烈が8歳の頃、たんぽぽ荘には烈を含めて11人の子供たちが暮らしていた。
その中で最年長だったのが、15歳の清司。
清司は物静かで控えめな性格だったが、誰よりも優しく、思いやりに満ちた青年だった。
彼は、烈がたんぽぽ荘に捨てられた頃からずっとこの場所にいる、赤子だった頃の烈を知る数少ない存在でもある。
だからこそ烈をはじめ、たんぽぽ荘の子供たちは皆、清司を兄のように慕っていた。
◆
清司は、たんぽぽ荘の手伝いや子供たちの世話を、いつも率先して引き受けていた。
「清ちゃん、いつもありがとうね」
そう言って微笑む美晴の言葉が、清司にとっては何より嬉しかった。
清司がたんぽぽ荘へ来たのは、5歳の頃。
両親の離婚が決まり、そのどちらも清司を引き取ることを拒んだ。
清司は——両親にとって“望まれない子供”だったのだ。
行き場を失った末に、彼はたんぽぽ荘へ引き取られることになった。
幼いながらも清司は、自分は誰からも必要とされていない、価値がないのだと、そう思い込んでいた。
だが、たんぽぽ荘での暮らしは、少しずつ彼を変えていった。
自分と似た境遇の子供たち。
そして烈のように、生まれて間もなく捨てられた子供。
そんな彼らと日々を共にしながら、互いに支え合い、笑い合って生きていくうちに、清司の心には少しずつ温かなものが芽生えていった。
さらに、美晴や結菜の優しさは、孤独だった彼の心を静かに包み込み、今の清司という人間を形作っていった。
◆
清司は、数いる子供たちの中でも、特に烈のことを気にかけていた。
もちろん、烈がエーテルコードであることは、たんぽぽ荘の誰もが知っている。
だが、それを理由に偏見を向ける者は誰もいなかった。
少なくとも、この場所には、烈を“普通ではない存在”として扱う人間はいない。
清司には、大好きな漫画があった。
それは『空手道一直線』。
清司は、その主人公である“リュート”に強い憧れを抱いていた。
「烈って、なんかリュートに似てる」
清司は、よくそんなことを口にしていた。
そして清司自身もまた、リュートのように強くなりたいという夢を抱いていた。
その影響を受けて、いつしか烈も『空手道一直線』を好きになっていた。
気づけば2人で並んで漫画を読み、技を真似し合うことが、日常のひとつになっていた。
◆
清司は高校へ進学すると、ずっと憧れていた空手部へ入部した。
だが、それからというもの、彼の身体には絶えず傷が増えていった。
頬の痣、裂けた唇、包帯の巻かれた指。
「部活だよ。心配しないで」
清司はそう笑いながら話していたが、その傷は日に日に増えていき、帰宅する時間も次第に遅くなっていった。
美晴や結菜も異変には気づいていた。
「清ちゃん、本当に大丈夫なの?」
心配そうに尋ねても、清司は決まって困ったように笑うだけだった。
「空手だから。これくらい普通だよ」
その言葉を繰り返すばかりで、詳しいことは何も話さなかった。
そしてある日——ついに烈も口を開いた。
「清にぃ……本当に大丈夫かよ」
まだ幼かった烈にも、清司の様子がおかしいことくらいは分かっていた。
だからこそ、胸の奥がざわついて仕方がなかった。
すると清司は、一瞬だけ目を丸くしたあと、いつもの優しい笑顔を浮かべた。
「はは、大丈夫だよ、烈。このくらい平気さ」
そう言って烈の頭を軽く撫でる。
だが、その笑顔はどこか無理をしているようにも見えた。
烈の胸には、言葉にできない重たいもやもやだけが残った。
◆
ある日のことだった。
「清ちゃん、遅いわね……」
美晴が、不安を隠せない声音で呟いた。
時刻は、すでに21時を回っている。
部活の日でも、清司が帰ってくるのは遅くとも20時過ぎまでだった。
もし、それ以上に遅くなる時は、必ず事前に連絡を入れてくる。
部屋には、どこか落ち着かない空気が漂っていた。
そして烈は、胸の奥に嫌な予感が広がっていくのを感じていた。
「俺、探しに行ってくる!」
勢いよく立ち上がり、烈は玄関へ向かう。
「あっ!烈!ちょっと!」
結菜の制止の声が飛ぶ。
だが、その言葉が届くより早く、烈はたんぽぽ荘を飛び出していた。
◆
清司の居場所は、スマカを使えばすぐに分かる。
烈は走りながら端末を操作し、清司の位置情報を確認した。
「……!!」
表示された地点を見た瞬間、烈の表情が強張る。
(清にぃの学校の近くだ……!)
烈はさらに速度を上げた。
夜風が頬を打つ。
胸のざわめきは、走るほどに大きくなっていった。
◆
高校近くの、人通りのない路地裏。
薄暗いその場所にいたのは、4人の大柄な男たちと、地面に倒れ込む清司の姿だった。
「オイオイ、せっかくセンパイが鍛えてやってんだぜ〜?」
「ほら、さっさと起きろよ!」
嘲るような声とともに、清司は1人に無理やり引き起こされる。
その直後——鈍い音が連続して響いた。
腹部へ、容赦なく叩き込まれる拳。
複数人が代わる代わる、清司を殴り続ける。
清司は苦しげな声を漏らしながら、再び地面へ崩れ落ちた。
「お前、根性なさすぎー」
「つか、弱すぎ」
4人はゲラゲラと笑い声を上げた。
「つーか、お前センス無さすぎ。空手辞めたら?」
彼らは、清司の所属する空手部の先輩たちだった。
清司に限らず、気の弱そうな部員を見つけては、“特別指導”と称して暴力を振るう。
部活終わりの人気のない場所で、複数人が1人を囲み、憂さ晴らしのように痛めつけていた。
最初は、標的は清司だけではなかった。
だが、他の部員たちは耐えきれずに次々と辞めていき、最後まで残ったのが、清司だった。
「いや、やっぱ辞められたら困るわ」
1人がニヤつきながら言う。
「サンドバッグいなくなるし」
「あー、それもそっか!」
次の瞬間。
「オラッ!!」
男の蹴りが、倒れていた清司の腹部へ容赦なく叩き込まれた。
「っ……!!」
清司はその衝撃に身体を折り、口から血を吐く。
激しく咳き込みながら、苦しそうに地面へ手をついた。
◆
「——ッッオイ!!!」
鋭い怒声が、路地裏に響いた。
4人は一斉に振り返る。
そこに立っていたのは、自分たちより遥かに幼い、1人の少年。
それは、烈だった。
烈の視界に飛び込んできたのは、血まみれで倒れ込む清司の姿。
その瞬間、烈の顔から血の気が引いた。
「清にぃっ!!」
烈は反射的に駆け出す。
だが——
「れ……つ……! 来ちゃ……ダメだ……!!」
清司が、途切れ途切れの声で叫んだ。
その前へ、4人の男たちが立ち塞がる。
「あー、コイツ多分、清司と同じ“みなしご荘”のガキだわ」
1人がニヤつきながら言った。
烈は男たちを睨みつける。
その瞳には、幼い子供とは思えないほど濃い怒りが宿っていた。
「……清にぃを、こんなふうにしたのは……テメェらか?」
低い声だった。
「あぁ!?“テメェら”だぁ?」
「生意気なクソガキだなァ、おい」
男たちは苛立ったように笑う。
「“清にぃ”はよぉ、オレたちのサンドバッグなんだよ〜。なぁ、ボクちゃん?」
からかうような口調。
その言葉に、烈の表情が止まった。
「……サンド……バッグ……?」
ぽつりと呟く。
増え続けていた痣、帰りの遅さ、そして——無理に浮かべていた笑顔。
烈の中で、全てが繋がった。
あれは部活の傷なんかじゃない。
こいつらが。
こいつらが、ずっと。
清にぃを、殴っていた。
「なぁ、このクソガキもサンドバッグにしね?」
「いいねー。どうせみなしごだろ?1人死んだところで、誰も気にしねーって」
下卑た笑い声が響く。
その言葉を聞いた瞬間、清司が叫んだ。
「烈にはっ……!!烈には、手を出さないでくれぇぇっ!!」
「あぁ?うるせぇよ」
男の1人が、無造作に清司を蹴り飛ばした。
その瞬間——
烈の中で、何かが切れる音がした。




