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食卓の革命、じゃがいも大作戦

ヴェルサイユ宮殿の厨房から漂う香ばしい匂いは、いつの時代も宮廷人たちの食欲をそそるものだったが、この日の調理場はいつもと違う異様な緊張感に包まれていた。

銅製の大きな鍋の前で、額に汗を滲ませながら真剣な眼差しで木べらを動かしている男がいる。アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエ。薬剤師であり、優れた農学者でもある彼は、王太子ルイからの極秘の呼び出しを受け、この王宮の奥深くまでやってきていた。


「パルマンティエ、その焼き加減はどうだ?」

背後からかけられた落ち着いた声に、パルマンティエはハッと手を止め、慌てて振り返って深く頭を下げた。

「はっ、殿下! す、少々お待ちを……これより最高の状態に仕上げてみせます」


パルマンティエの手元にある鍋の中では、茶色くゴツゴツとした見慣れないイモが、香ばしいバターとハーブと共に黄金色にローストされていた。

ヨーロッパにおいて、当時のじゃがいもは「悪魔の植物」「泥土の毒草」「ハンセン病や結核を引き起こす不吉な作物」として忌み嫌われていた。主に家畜の飼料、あるいは飢饉の際にどうしようもなくなった貧民が泥水を啜るようにして口にするだけのものであり、まともな人間の食卓に上ることは絶対にない代物だった。


しかし、前世の歴史を知るルイにとって、じゃがいもこそがフランスの飢餓を救う究極の救世主であった。

前世の史実において、パルマンティエは七年戦争の虜囚時代にじゃがいもの栄養価の高さに気づき、その普及に生涯を捧げたが、当時の為政者や民衆の頑迷な偏見の壁を前に、普及には途方もない苦労と時間がかかった。

(――だが、時間が惜しい。小手先の啓蒙活動など悠長な真似はしていられない。今すぐ、フランス全土の農村でこの作物を大量に栽培させなければ、数年後に訪れる冷害と凶作の波を乗り切ることはできない)


ルイはパルマンティエの前に歩み寄り、ローストされたばかりのイモの塊をフォークで一つ刺し、口に運んだ。

ほくほくとした素朴な甘みと、バターの豊かな風味が口いっぱいに広がる。


「うまい。相変わらず見事な腕だ、パルマンティエ」

ルイが満足そうに頷いたのを見て、パルマンティエは安堵のため息を漏らしつつも、どこか複雑そうな表情を浮かべた。

「お褒めにあずかり光栄ですが、殿下……いくら味が良くとも、民衆はこれを『毒草』だと思い込んでいます。いくら私が『栄養があるから食べなさい』と説いて回っても、誰も見向きもしません。むしろ、怪しげな薬を売りつける詐欺師のように扱われる始末です」


当然の反応だった。長年染みついた恐怖や偏見を、理屈だけで覆すのは至難の業である。

だが、ルイはふっと不敵な笑みを浮かべた。

「理屈でダメなら、人間の『心理』と『虚栄心』を利用すればいい。パルマンティエ、君は一般の民衆が何を欲しがり、何に憧れるかを知っているか?」


「……は? 民衆が憧れるもの、ですか?」

「そうだ。人間というものはな、『自分たちが容易に手にできないもの』や『身分の高い特権階級だけが口にできる禁断の美食』と聞くと、途端にそれが欲しくてたまらなくなる生き物なのだよ」


パルマンティエはきょとんと首をかしげた。

ルイはテーブルの上に置かれた羊皮紙の地図を広げ、その計画の全貌を語り始めた。

「これから、我が王家主導で大規模なじゃがいもの国家栽培プロジェクトを発足させる。まず、パリ郊外にある王室直轄の広大な農地――サブロン平原の土地をすべてこのじゃがいもの栽培にあてろ」


「さ、サブロン平原のすべてをですか!? あれほどの広大な土地を、あの『毒草』の栽培に……?」

「そうだ。そしてここからが肝心だ。その広大な畑の周囲に頑丈な木製の柵を巡らし、昼夜を問わず、選り抜きの王室近衛兵たちに厳重な警備をさせなさい」


パルマンティエの目に見る見るうちに疑念の色が浮かんだ。

「……警備、ですか? 毒草なのに、なぜわざわざ厳重に守る必要があるのですか? 盗まれる心配など、誰も……」


「いや、盗ませるのさ。わざとね」

ルイは含み笑いを浮かべた。

「考えてもみろ。見渡す限りの広大な畑が頑丈な柵で囲われ、武装した兵士たちが昼夜を問わず目を光らせている。そして、立て札にはこう書くのだ。『この王室専用の特別農地にある作物は、極めて高価かつ秘匿された王家の秘薬であり、許可なき者の立ち入りおよび持ち出しを厳禁する。違反者は厳罰に処す』とね」


その言葉の意味を理解した瞬間、パルマンティエは絶句した。

「そ、それは……! まるで、ものすごい貴重な宝物が隠されているかのような演出ではありませんか!」


「その通り。人間心理の裏をかくのさ。『王家だけが独占し、庶民には絶対に手に入らない究極の高級珍味』だと思い込ませれば、人間というものは、どれほど危険を冒してでも手に入れたくなるものなのだよ。夜陰に乗じて柵を越え、畑からじゃがいもを盗み出す者が必ず現れる。そして、その盗人たちが『これほど厳重に隠されているのだから、さぞ美味い違いない』とこっそり調理して食べてみたら、驚くほど美味かった――そうなれば、もうこっちのものだ」


噂は野火のように広がる。人間は、他人が隠すものほど暴きたがり、手に入らないものほど欲しがる。

パルマンティエは、目の前の若い王太子が持つ人心掌握の恐るべき巧妙さに、背筋が凍るような衝撃と、言い知らぬ感銘を覚えた。これは農学の知識ではない。国家の欲望と大衆の心理を完全に手玉に取る、天才的な政治的演出だった。


「……恐れ入りました、殿下。あなたのその知略の前には、どんな頑迷な偏見も消え失せるでしょう。この命に代えても、最高品質のじゃがいもを大量に育て上げてみせます!」


計画は瞬く間に実行に移された。

パリ郊外のサブロン平原に突如として現れた、厳重に警備された謎の王室農地。昼夜を問わず銃を持った近衛兵が巡回するその光景は、パリ中の好奇の目を一気に釘付けにした。

「おい、聞いたか? あの平原で作られている怪しげなイモは、王家が独占している極秘の不老不死の薬らしいぞ」

「いや、東洋の王侯貴族しか口にできない幻の黄金の果実だとか……」

噂は尾ひれを付けて広がり、パリのカフェやサロンではその話題にもちきりとなった。マリー・アントワネットが主催する知的サロンでも、貴族たちの間で「あの王室農地の作物は一体どんな味がするのか」という好奇心が最高潮に達していた。


そして、ルイの狙い通り、夜の闇に紛れて農地に忍び込み、じゃがいもをこっそり盗み出す者が続出した。

警備にあたっていた近衛兵たちは、ルイの密命に従い、盗人を見つけてもあえて深追いせず、むしろ「見つかって慌てて逃げ出す芝居」を演じ、盗賊たちがイモをいくらでも持ち帰れるように見逃した。


「やったぞ! これが噂の王室の秘宝だ!」

「どれ、毒があるっていうから気をつけて食えよ……おや? これ、茹でて塩を振ったら、とんでもなく美味いぞ……!」


盗み出した者たちが恐る恐る口にし、その圧倒的な美味しさと腹持ちの良さに気づくのに時間はかからなかった。

「毒など嘘だ! あれは王家が独占するために隠していた最高の美味に違いない!」

その秘密の噂は、盗人たちからその家族へ、そして近隣の農民たちへと瞬く間に伝播していった。禁じられた果実ほど魅惑的なものはない。人々はこぞって隠れてじゃがいもの栽培方法を真似し始め、かつて「悪魔の植物」と蔑まれていた作物は、わずか数ヶ月のうちに「民衆がこっそり育ててでも食べたがる垂涎の的」へと変貌を遂げていた。


その頃、ヴェルサイユ宮殿の一室で、報告書に目を通していたルイは満足そうに微笑んだ。

「計画通りだな」

「はい、殿下!」

報告に戻ってきたパルマンティエは、興奮を隠しきれない様子で声を弾ませた。

「パリ周辺の農村だけでなく、すでにノルマンディーやブルターニュの農民たちまでもが、我先にと自主的にじゃがいもの栽培を始めています。『王室の秘宝を自分たちも育てている』という誇りすら持っている者も少なくありません。これほどの規模であれば、数年後に冷害が起きて小麦の収穫が激減したとしても、餓死者の数を劇的に抑え込むことができます!」


食糧危機の最大の引き金を、まさかの「心理誘導と盗みの演出」によって事前に回避した瞬間だった。

歴史の教科書に刻まれるはずだった「飢饉による大暴動」の芽は、こうして見事に摘み取られたのである。


その夜、宮殿の自室に戻ったルイを、マリー・アントワネットが温かい笑顔で出迎えた。

テーブルの上には、パルマンティエが特別に調理した、焼き立てのじゃがいものバター和えが上品な銀の皿に盛られて置かれていた。


「あなた、聞いたわよ。最近パリの街ですごい噂になっているのよ。『王太子殿下の秘密の畑』にある作物が、ものすごく美味しくて栄養があるって、みんなこっそり探検気分で育て始めているんですって」

マリーは楽しそうに目を輝かせながら、ルイの隣に腰掛けた。


ルイは苦笑しながら、その皿から一つまみ口に運んだ。

「ふふ、噂の力とは恐ろしいものだな。だが、これで我が国の民衆の胃袋は、いかなる天候不順が訪れようとも絶対に守られる。飢えに苦しむ人々を出さないことこそが、王の第一の責務だからね」


マリーは愛おしそうにルイの横顔を見つめ、そっと自分のフォークで同じイモを口に運んだ。

「うん、とっても美味しいわ。これなら、私の開くサロンでも、次回のメインディッシュとして貴族たちに振る舞ってみせましょう。『王妃が愛する最高の贅沢な食材』としてね」


妻のその言葉に、ルイは力強く頷いた。

テュルゴーによる財政改革が国内の経済の血流を整え、フェルセンによる外交網が王国の背後を固め、マリーのサロンが新しい文化とトレンドを創り出し、そしてパルマンティエのじゃがいもが民衆の命の防壁となる。

ルイ16世の第二次人生は、もはや誰も止めることのできない圧倒的な勢いで、フランス王国を光り輝く未来へと導き続けていた。歴史の歯車は完全に書き換えられ、かつて断頭台の露と消えた男の周りには、最強の布陣と揺るぎない平和の礎が築かれつつあったのである。

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