Kaoruko
『──おや、神坂君。度々珍しいですね。何かトラブルですか?』
「え、ええ、実はですね──」
カオル──薫子との邂逅……いや、衝撃的事実を知ったその日の夜。
僕は安っぽいコンビニ飯を膝に置き、諸事情により、連泊確定となったネットカフェの薄暗い個室で、柏木マネージャーに電話をかけていた。
『そうそう、例の件(百合エロゲ)ですが。先方に君のボイスサンプル(喘ぎ声)を送ったところ、即決で採用が決まりましたよ』
「マジかよ!? ……い、いえ、今はそっちじゃなくて……いやいや、それも大問題だけど、それよりもですね、ちょっと伺いたいことが──」
もし、薫子の話が冗談じゃなく、本当だとしたら……。
『──ええ。確かに映画公開に合わせる形で『終末アオハル』の原作者による新作アニメの企画が動いているようですね。深夜枠ではなく全日帯とのことですが。……この情報は関係者以外非公開だったわけですが、どこでそれを?』
「え? ……あ、ええっと、その、し、東雲、さんからの情報で──」
ってか、詰んだ。
これで彼女の言っていることに、嫌な信憑性が伴う。
「……ちなみに、その新作の配役って、オーディション制なんですか?」
『そうですね。ただし、大手同士のコンペ形式になるかと。何しろ夕方枠ですからね。各事務所もエース級を投入することでしょう。神坂君、どうしました? 声が震えていますよ』
さすが腹黒メガネ……。電話越しでも僕の動揺をペースメーカー並みに計測してくる。まさか「その原作者に橙華の正体(♂)を見破られた挙句、オーディションに強制参加──脅されている」なんて口が裂けても言えない。
「……あ、いえ、ちょっと、その……原作者の方が、終末アオハルで僕の演技を気に入ってくれていたら、自分にもワンチャン、あるかも……なんて思って、あはは……」
『ああ、あの件ですか』
やばっ、柏木さんの低音ボイスが一段と低く……。
『──「終末アオハル」での君の演技は、現場でも相当な物議を醸しましたからね。何せ、彼女(彼)の尊い自己犠牲の美を、あのアドリブ《ざまあみろ》ひとつで覆してしまったのですから。……本来、プロとしてあるまじき越権行為ですが、結果として採用されたのは、ひとえに原作者の裁断があったればこそ。もっとも先生は、若くして相当な拘りを持つ方だと聞いています。……もしや、《《彼女》》から直接何か言われたのですか?』
「へ……か、彼女? い、いえ、直接というか、その、これも東雲さんからの情報というか、(メインヒロインの)オーディションを受けろ、じゃなくて、何ていうか、その──」
『……ふふ。原作者のお墨付き、ですか。それは願ってもいないチャンスですね。全国ネットのメインを張れば、君のアイドル声優としての地位は不動のものになります。事務所としても全力でバックアップすることをお約束しましょう。……何か不満でも?』
不満? あるに決まっている。夕方のお茶の間で注目を浴びれば、身バレした瞬間に人生が詰む。声優生命どころか、今後の社会生活までも危うい。……いや、文字通り社会的に抹殺される。
『忘れないでください。君は今、絶賛売り出し中のアイドル声優「橙華」なんです。今後、この業界で生きていく限りは』
柏木マネージャーのメガネが怪しく光っているのが、スマホを通し目に浮かぶ。この男にとっての僕──橙華はあくまでも金を稼ぐための道具に過ぎないのだ。
「……と、ところで柏木さん。さっき原作者のことを『彼女』と呼んでいましたが、本人を知っているんですか?」
兎にも角にも、今は確認をせねば、本当にカオル──薫子が『終末アオハル』の原作者かを。
『ああ、「Kaoruko」先生ですか。業界内では自らの描くキャラクターに過剰までも愛着を持つ、かなりの変人……失礼、個性的な人物で有名です。覆面作家だそうですが、噂ではまだ十代、現役の女子高生らしいですね』
「じょ、女子高生!?」
昼間のあいつの言葉が脳内でリフレイン──激しく殴打する。
『──ボクが男? ……残念。ボクの名前は薫子、正真正銘の女の子ですよ』
カオル。薫子──Kaoruko。
『終末アオハル』の原作者。
あいつは、ただのファンでも、ましてやストーカーでもなかった。
それこそ僕、橙華は、彼女が愛するキャラクター──佐伯比呂の純粋無垢なイメージを完膚なきまでに破壊した張本人、まさに恨むべき存在、それこそ「ざまあ」だったりする。
「……ちなみに、柏木さん。オーディションを断ったら、どうなります?」
『あはは。決まっているでしょう。事務所に多大な損失を与えたことによる解雇。そして、業界からの追放です』
ですよね……。




