灰色の幻想
◇◇◇◇◇
緩やかに落ちる。ひたすら落ちる。道中暇にならない為か、複数のギミックが用意されたりもして。
それは案外、地球にあったアトラクションを思い出し、楽しかったりもする。夢の国にでも迷い込んでしまったかのように、俺はしばらくその余韻に浸っていた。この城にネズミはいないがな。
しかし、何事にも終わりはある。
今回それが、最悪の終着点だっただけで……よくよく考えみれば目の前の角を生やした男、そんなに悪い奴ではないのだが。
三の頭を持つと言われ、地獄の番狼と恐れられるグレイは、俺を一瞥して、顰めっ面を隠そうともせずに言う。
「貴様、何してる?」
「……さあな」
俺は、ベッドに寝転ぶ状態で訓練場に着いてしまった。
上を見上げると、さっきまでポッカリと空いていたはずの穴も、もうない。アースンは事後処理も素晴らしいようだった。
「いや、或いは本当に、さっきまでの事は夢と現の狭間。俺は黒のネズミに惑わされていたのかもしれない。手元にクランクチョコレートが無いのが気にくわないが」
「……まあいい」
グレイは俺の言葉を一蹴すると、右手に握りしめる剣をその場で薙いだ。
結構離れているのだが、フワッと前髪が浮き上がる。
ーー奴は、完全に戦闘態勢だった。
上等だ。俺も、準備は済ませてある。
ベッドは脇に放り投げて、腰にぶら下げた銘無しを構えた。魔力を流すと硬くなるくらいしか力はないが、これでもデスオとの修練で役に立った、世界に二つとない名剣。
……いや、銘無しならば、俺がつけなければ。むしろ今まで、己のネーミングセンスに尻込みしたせいで敢えて無視してしまった気概がある。
それはダメだな。よくない。
……
ん、俺と共にいく剣。天才の剣。
命名しよう。
今からこいつはーー
「天才剣! 」
「正気か?」
もしかすると、今までで一番の心配を掛けられたのは、今日この時だったのかもしれない。
グレイの反応からわかる通り、天才剣は受けが良くなかった。
キラキラネームはよろしくない。変えよう。アリスは天たる才を持つ者。何にだってなれてしまう。ならば、今の俺は役所にだってなれる。道理だ。
「訂正しよう。こいつは天身剣。定まった形はなく、可能ならばどんなものにでもなれる。これから共に、俺の側にあり続ける唯一無二の剣だ」
その時、刀身が己を主張するが如く輝いたーーような気がした。
剣の声など俺には聞こえないが、あとでもう一つの銘無し、短剣にも名付けをしてあげようと、そう思った。
「お前は、どうなんだ。グレイ、こんな所に俺を呼び出しておいて、お前こそ誠意を見せてみろ」
「……」
「名乗れよーーその剣」
グレイは自らの剣に視線をやった。
「名……か。面白いことを言う。こいつに名前など、考えもしなかった」
それは本音なのだろう。剣を左右前後から見つめ、口を閉ざす。
どうした、何を迷っている。
晒せ。貴様のネーミングセンス!
「よし、決めた」
グレイは俺と同じように、剣を構える。その剣はーーなんの装飾もされておらず、だからといって戦いに特化しているわけでも無い、例えるなら百円均一の代物。
「こいつはーーテイカハンバイ」
テ、テイカハンバイ……!!
イカすぜこの野郎。
まさかグレイに、ここまでのセンスがあったとは脱帽だ。
流石に、認めなくちゃあな。
俺もヒバイヒンにすれば良かった。
「ーーで、そんなテイカハンバイとやらで、一体何を始めるつもりだ? まさか本当に、俺と一戦交えるつもりか?」
本題に入る。
そういえばまだ、グレイが何故俺を呼んだのか、理由を聞いていない。
休めとカグヤは言った。それを無視する形を、平気でグレイが取るとは思えない。
譲れる何かが、そこにある。
「ああ」
グレイは俺を、黒の戦士を睨む。
その目には、灰色の意思が宿っていた。
「俺はアッシュ・グレイ。仕えるべきは黒の国でもなく、サクヤ姫でもない。
俺が共に歩むと決めた男はーー」
男は、今は亡き、その名を言う。
「先代黒の戦士、シュヴァルツだけだ」
◇◇◇◇◇
一方、その頃。
アリスの部屋から音もなく退出を果たしていたウサギは、デコボコ道をかなりの間落ちて、しかも落ちたその場所は城の外の川であった。
当然、びしょ濡れである。
カレハナも辿った過去ではあったが、それは空をサマードラゴンが謳歌する夏の事。その時は水浴びとして気分転換にでもなったのだろうが、今は冬が近づこうとしている。
当然、寒い。
究極の嫌がらせである。
「な、なんだぁ……?」
頭の弱い彼女は、直前までアリス達が話していた事を思い出し、これがアースンのした事だと気づくのに10分かかった。その間何をしていたかと思えば、川の中で自分の服をどうしたら効率的に乾かせるか考えていたのだから、生粋のアホである。アホなのに二つの事をいっぺんに思考するから仕方のないアホである。
けれど今回はたまたま、それが運命を引き合わせた。
その事が幸か不幸かはともかく、その先に何が起こるかはともかく。
彼女は久しぶりに、姉の声を聞いたのだ。
「これは!」
兎の聴力は確かに捉えた。
慌てて水中に顔を突っ込むと、複数の泡が漂っている。幾つかのそれが足にぶつかり、音が発生した。
この現象は知っていた。
姉の、伝言手段だ。
耳をピンっと立てて、泡を破る。そこに詰め込まれた音を、今度は注意して、一字一句聞き逃さなかった。
〝真っ直ぐ森に 一人で〟
理由は不明だが、魚の継承者である姉は、ウサギがここにいる事を知っていたらしい。
まあ、そんな事はどうでも良かったりする。姉がいるのだから、私は行くのだと、アホみたいに馬鹿正直な考えで森に入ろうとしてーー
頭痛のように浮かぶ記憶が、彼女に迷いを生み出していた。
あの時は無我夢中で気付かなかったが、水に溺れるウサギに手を差し伸べたアリス。
傲慢不遜の不思議なアリス。
妹がいるアリス。
特に何も糾弾する事なく、忌々しい粘着物を取ってくれたサクヤ姫とメイド長。
何か怖いグレイ。
久しぶりに会えたカレハナ。
アリスの部屋。
ベッドの上のアリス。
すぐ下の自分。
アリスの声。
アリスの……
ーー彼女に恋愛心などという大層な感情はまだ育っていないが、それでも心の片隅に芽生える何か。
煩わしいとも思い、それでも見逃す事はできない思い。
金の国が一番だと教わってきた。他は敵だと教わってきた。沈黙の姫の為に生きるのが当たり前だと思っていた。姉と一緒にいるのに疑問を持った事はなかった。
けれど……
考える事が苦手なウサギには、やはり、分からない。
アリスは優しかった。……多分、性格は良くないのだろうけど。それでも、側にいることが心地よいと思ったのは確かだった。もちろん他のみんなも、敵であるはずの自分に対して寛大な処置をとった。
だからこそ、分からない。
分からなくて、歯がゆい。
「ウヴゥッ!」
足元を蹴り払う。
たくさんの泡が弾けた。
姉の声が重なり耳に入ってくる。まるで呪詛のように。
〝真っ直ぐ森に 一人で〟
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
兎は今、魚を求め森に入る。




