それでも神父は
「なんだよ・・・どうした?」
文を起こすわけにはいかない。康太は小声でデビットに語り掛ける。
先ほどはちょっとした反応しか示さなかったのに康太が悩みの核心に気付いたとたんに姿を出してきた。
いったい何のつもりか、何を考えているのか、康太が疑問に感じているとデビットを構成する黒い瘴気は徐々に輪郭をより詳細にしていく。
今までは何とか人型を保っているだけだった。時折神父のような服装に見えなくもなかった。
だが今ははっきりとそれが人間の神父のものであるとわかる。いったい何がデビットをそうさせたのかはわからない。
そしてよくよく見れば、その姿は今にも崩れそうなほどに不安定だ。
何かを伝えたい、そのために死力を尽くしているのか。康太がそう思い上半身だけを起こしてデビットに向き合うと、デビットは手を差し出してその手をゆっくりと文のほうへとむけて見せた。
「なんだよ・・・文がどうした?」
デビットは動かない。文のほうに手を向けたまま動かない。だが康太が何を伝えたいのかを理解していないことを察するとゆっくり、大きくうなずいて見せる。
「・・・肯定しろ・・・?受け入れろってことか?」
康太の言葉にデビットは再び大きくうなずく。その時点で康太はようやくデビットが言いたいことを理解できた。
「・・・自分たちのことは気にしないで、俺自身の幸せを大事にしろっていうことか?随分と神父らしいこと言うんだな」
康太の言葉にデビットはもう何も答えなかった。そしてもう限界が来たのか、先ほどまでのはっきりとした輪郭ではなく、いつものような朧げな人の姿へと変わってしまう。
もうこれ以上康太に何かを伝えることはできなさそうだった。少なくとも今日、この時間はすでにデビットは頑張りすぎたのだ。
「お前が見せたくせに・・・それで気にすんなっていうのは無責任だろ・・・勝手すぎるだろ・・・ったく・・・お前本当に神父かよ」
神父といっても、死の間際に世界や神々を呪った神父だ。もはや正しい神父の考えがデビットの中に残っているのかも怪しいところである。
だが今デビットは、康太が幸せになるための未来を指し示したのだ。それはきっとデビットの中にある神父としての最後の良心がそうさせたのだろうか。
「お前らが関係ないっていうのはわかってるんだよ。頭の中ではわかってる。文はいいやつだし俺好みだし、たぶん普通に好きになってても不思議じゃないんだ・・・」
まっすぐに立ったデビットに対し、体だけを起こし首を垂れるようにして独白する康太の姿は、まるで懺悔をしているようだった。
自分が何を考えているのか、何を思っているのか、口に出すことで康太はそれらを強く自覚しつつあった。
「でもさ・・・やっぱ思っちゃうんだよ・・・あぁやって死んでいった人たちがいた・・・その人たちの絶望を知っちまった・・・だから踏ん切りがつかないんだよ・・・俺はあの人たちを差し置いて幸せになっていいのかって」
それは康太が抱える根本的疑問だ。文に散々諭され、最近は意識しなくとも物事を楽しむことができるようになってきた。
だが、この選択は日々の『楽しさ』を覚えることとはまるで違う。きっと、康太の一生にかかわる問題になる。
康太は我ながら重たい男だなと理解していた。だがたぶん、きっと康太は文と付き合う道を選んだら、最後まで文と共に歩み続けるだろう。
それこそ、死がふたりを分かつまで。
だからこそ安易には決められないのだ。かつて体感した二万以上に人々の死を、康太は忘れることができるのか。彼らを置き去りにして自分だけ幸せに歩み寄っていいものなのだろうかと。
文がここで起きていたら、何度言わせるのよバカと言いながらきっと康太のことを肯定しただろう。
文はそういうに決まっている。康太はわかっていた。だから文のほうを向いて小さくため息をつく。
「抱えられないものを抱える必要はないって文は言ってくれた・・・それにもうどうしようもないことだっていうのもわかってる。もう起きたことは変えられない。だから後どうするかは俺次第だっていうのもわかってる」
康太は小さくうつむいてから、デビットを見上げる。
朧げな人型の黒い瘴気を前に、康太は純粋に疑問だった。
「なぁデビット・・・お前はなんでこの世界にとどまったんだ?まだ神様ってやつが憎いのか?」
あの時、康太の中にデビットが入ってきたとき、康太はもうデビットが人を襲うことはないだろうという確信があった。
成仏とかそういうのとは少し違うが、デビットが抱えていた強い憎悪が少なくなっているように思えたのだ。
康太という理解者を得て、多くの死を経験し、同じ絶望を体験した康太を依り代にすることで、デビットは無差別に暴れることをやめていた。
だがそれでもデビットは消えなかった。無差別に暴れることはなくとも、康太を助けるように、康太を導くように今もなお康太の中にい続けている。
その理由がわかれば、康太もまた一歩前に進める。そんな確信がある。あの死を引き起こした者と、あの死を体感した者。二人をつなぐのは過去の死というもう存在しないものなのだ。
康太はどれほどデビットと向き合っていたのか、気づくころにはいつのまにか寝てしまっていたようで部屋の窓から日の光が漏れていた。
寝た気がしない、康太はずっと頭の中で今回のことを考えていたせいでどうやら夢の中でも同様の考えを抱いていたようだった。
好意とは何か、そして自分はそれを素直に表してもいいのか、そしてなぜデビットは自分を選び、そしてこうして一緒にい続けるのか。
根本的なところに行けば行くほどにその疑問が強くなる。そして疑問を抱けば抱くほどに答えから遠のいているような気がするのだ。
一向に答えに近づいている気がしない。悩んで悩んで、何とかして答えを見つけなければいけないとわかっていてもどうしても答えが見つからない。
そもそも自分は文のことを女としてみることができるのかという疑問がある。
もちろん文は魅力的だ、一人の男として文に強く魅力を感じている。だが魔術師として一緒にいることが多すぎたことでそれらがいろいろと混同してしまっているのではないかとも思ってしまうのだ。
自分でも考えが堂々巡りになっているのがわかる。それほどに康太は悩んでいた。
康太が起きていることに気付いたのか、文もゆっくりと体を起こす。あくびをしながら眼をこすり周囲を見渡して状況を確認している文は起きていきなり大きくため息をついて見せた。
「なんだ・・・夢か・・・」
「おはよう。どうした?どんな夢見てたんだ?」
「んー・・・よく覚えてないけど・・・すごくうれしい夢・・・すごく満たされる夢・・・なんでかしらね」
心のしこりがなくなったからか、悩みの原因がなくなったからか、文の夢見はとてもよかったようだった。
文とは対照的に康太は悩み悩まされ悶々としてしまっていたが。
「ていうか康太、あんた夜遅くになんか言ってなかった?」
「ん・・・それって何時ごろだ?十一時ごろだったら確かにちょっとデビットと話してたけど」
「いや、もっと遅かったわね・・・たぶん二時とか三時よ。トイレ行くときになんかぼそぼそしゃべってたのよ・・・一瞬びっくりしたわ」
二時か三時、そのころの記憶は康太にはない。ということはおそらく寝言を言っていたのだろう。
誰かに寝言を聞かれるというのは非常に恥ずかしいなと康太は少しだけばつが悪そうにしながら悪かったと謝罪した。
そしてその謝罪を受けながら、文は康太がデビットと話していたということに意識を傾けていた。
「それで?デビットはなんて言ってたの?」
「・・・気にすることはないって感じだった・・・たぶん俺の好きなようにするのが一番いいって感じ」
「・・・ふぅん・・・一応神父様ってことかしら?あんたの話を聞く限りまっとうな神父じゃなさそうだけど・・・」
魔術師で神父という時点でいろいろと破綻している。特に現代ならまだしも過去、中世における教会の神父が魔術師などということは考えられなかっただろう。
デビットの場合その過程がいろいろ特殊なのだがそのあたりは今は置いておくことにする。
「それで、迷える子羊康太君はどうするわけ?」
「・・・もう少し考えてみる。ウィルも加えて人外会議を執り行うつもりだ」
「人外会議って・・・もうちょっとネーミング何とかならなかったの?」
「じゃあ、固体液体気体会議」
「・・・ごめん、人外会議のほうがましだわ」
康太が固体、ウィルが液体、デビットが気体というわかりやすい配分だがさすがに状態を名前にするとひどく間抜けに思えてしまう。
少なくとも恋愛に関しての話をするときに出す会議名ではない。
「悩むのも相談するのも一度帰ってからだな!ここで考えててもしょうがないわ!」
「その割り切りはすごく大事だと思うんだけど、目の前にその悩みの対象がいるのに気にしないなんてことできるの?」
「割と簡単だぞ?いつも通りにこうして話してれば自然と忘れる」
「・・・忘れられるとすごく複雑な気分なんだけど・・・もうちょっと私を意識してくれてもいいんじゃないの?一応告白した身としてはもっとドキドキしてほしいんだけど?」
そういわれると康太としても反応に困ってしまう。確かに文からすればせっかく告白したのだから康太には自分が悩んだ分、あるいはそれ以上に悩み、ドキドキしてほしいものなのだが、康太はあっけらかんとしている。
康太本人の特徴というべきか、割り切るのがうまいというべきか、この辺りが康太と文の違いだなと文はため息をついていた。
「ちゃんとドキドキしてるぞ?心臓バクバク言ってる。文と一緒にいてこんな風になったのは今までなかった」
「それはそれでむかつく発言ね・・・今まで私が魅力的じゃなかったみたいな言い方じゃないの」
「いやいやいやいや、文さんはずっと魅力的でした。でもなんというか・・・あれだ、一緒にいると魔術師としての文が頼りになりすぎてさ、なんか尊敬のほうが勝っちゃうというかさ・・・」
尊敬のほうが勝る。その言葉は文としてはなかなか悪くなかったのか口元を抑えてにやにやしている。
わかりやすくて何よりだなと康太は考えながら布団を片づけていた。
日曜日なので二回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです。