思考の追跡
「ったくあいつ・・・どこに行ったのよ・・・」
一度支部長に報告に行った文だったが、康太がいつまでたってもやってこないために方々を探してようやくこの場所に戻っていたのである。
協会の門を管理している魔術師に聞いたところ、何やら慌てた様子でこの場所に向かいたいと康太がいったと証言してくれた。
自分に何も相談せずに、何の連絡もせずにこの場所にやってきたということは何かしらの事実に気付いたのだ。おそらくは今回の事件の核心に迫るような何かに。
どんなに焦っていてもせめて連絡か何かしらの痕跡は残しておいてほしかったが、康太が自分への連絡をおろそかにするほどに急を要する事態だったということだろう。
康太はいなくなる直前、協会支部に残された被害者の匂いをたどるといっていた。
何かしらのにおいの痕跡があれば事件を追う手掛かりになるかもしれないということを聞いている。
そして康太は倉敷のもとへはむかわなかった。倉敷に話を聞いたところ康太は自分のところには来ていないといっていた。
つまりにおいを嗅いでいる段階で何かに気付いたのだ。いったい何に気付いたのか文にはわからない。それほどまでに急がなければならない理由も、また元の場所に戻るだけの理由も文には思い浮かばなかった。
康太の今日の行動はマウ・フォウからすでに聞いている。基本的には被害者の家屋などを見て回ったらしい。もしかしたら匂いの関係で核心に迫るだけの何かに気付いたのかもわからない。だがそれが一体何なのか、文にはわからなかった。
自分も嗅覚強化の魔術を扱えれば康太と同じ何かに気付けたのかもしれないが、生憎文は嗅覚強化の魔術を覚えていない。
肉体強化そのものをあまり多用しない文にとって、また索敵という魔術は使うが痕跡を追うということに関してはあまりしない文にとって嗅覚強化はそこまで利点のある魔術とは思えなかったのだ。
互いに情報を共有し、同じ情報を得ている状態であれば康太の考えや行動を先読みすることは難しくないが、互いの情報量が違っていると康太の行動を予測するのはかなり難しくなってしまう。
神父の話では康太はだいぶ焦った様子で教会を出ていったらしい。そうなるとこの町のどこかに康太が気づくことができる何かがあったということになる。
そこまで考えて文は町を歩くのを一度やめて康太が得ていて自分が得ていない情報について考えてみた。
今回の件に関して康太が得ていながら自分が得ていない情報はにおいだけだ。しかもそのにおいに関しても概要だけなら康太から得ている。
実際康太と文の違いはにおいが判別できるかどうか、そして教会に残された匂いという情報だけだ。
そうなってくると一つ疑問が生じる。仮に誰かのにおいが残されていたとして、なぜ康太はそこまで焦ったのか。
そもそも、これは康太自身が言った言葉だが室内においてもかなり時間がたっているとにおいというのは判別しにくくなってしまうのだという。
康太は嗅覚強化の魔術を半ば暴走状態で発動している。脳に過負荷がかかるほどの嗅覚を発動しているせいで嗅ぎ取りにくい匂いも嗅ぎ取ることができる状態にある。もちろん人間の限界を超えるレベルではないが。
その嗅覚で何をかぎ取ったのか。いくら考えても文には答えが出なかった。
そこで文は発想を逆転させてみることにした。
康太が何をかぎ取ったのかではなく、なぜ焦ったのかを考えることにしたのだ。
普通に考えてみれば焦るだけの理由があるということは、時間的に余裕がないと判断したからに他ならない。
今回の件で時間的な猶予がないと判断するだけの理由は何だろうかと考えた時、一番考えられるのは犯人が逃走する、あるいは捕まらないように工作するということだ。
だがこの時点で矛盾が生じる。今回康太の嗅覚強化の魔術によって犯人が協会の門を使っているということが明らかになった。これはつまり犯人はこのあたりを拠点にしているのではなく他の場所からやってきて他の場所へと被害者を誘拐しているということに他ならないはず。
実際康太は教会にある門付近に被害者の匂いをかぎ取っている。門を使っているのは疑いようのない事実だ。だというのに康太はこの場所に来た。しかも急いで。
可能性としては薄いが、考えられるのは康太が誰かをかばっている可能性だ。協会の魔術師たちが本格的な調査を始める前にその証拠を消そうとした。
例えば小百合、真理、奏や幸彦が今回の事件の真犯人だった場合、康太はおそらく事件の解決よりも身内を守ることを優先するだろう。もっとも小百合の場合康太がどうするかは微妙なところだが。
だがその考えを文はすぐに否定する。誘拐などという面倒かつ陰湿なやり方を康太の師匠筋の人間がするとは思えなかった。それに今回の行方不明事件を見る限り、今あげた人物がやったにしてはお粗末すぎるのだ。
小百合ならばもっと端的にわかりやすい行為をする。真理ならばもっとばれないようにやるだろう。幸彦だとしたら自分たちに解決など依頼しない。奏なら誘拐などではなくもっと別な手段をとれるだろう。
康太が誰かをかばっているわけではないというところまで思考が進むと、ではなぜ康太は急いだのかというところに疑問が戻ってくる。
協会の人間よりも早く動こうとしたというわけではないだろう。自分たちとの合流よりも優先して行動することにそれだけの価値があると思ったから康太は行動したのだ。
康太が急いだ理由、そしてこの場に戻った理由を考え、文は一つの可能性に行きつく。
康太はにおいを嗅ぎ取ったのではなく、においを嗅ぎ取れなかったのではないかと。
康太が行動を開始したきっかけはにおいだ。協会支部に残されていると思われるにおいを嗅いでいる最中に、おそらく康太はその何かに気付いた。そして急いでこの場所へと戻ってきた。
今まで文は『康太が何かをかぎ取ったからこそこの場所に戻ってきた』のだと思っていたが、実は『康太はなにも嗅ぎ取れなかったからこそこの場所に戻ってきた』のではないかと考え始めていた。
この地域にある教会にはしっかりとにおいが残されていた。もっとも近い日時で行方不明になった被害者の匂いがしっかりと残っていたのだ。康太はそれを知っているししっかりと嗅ぎ取っている。
だが、もし協会支部ににおいが残されていなかったとしたら。
協会の門は基本的に各地の教会と協会支部、あるいは本部を直接つなげている。どこか別の場所に行く場合は支部や本部を経由することになる。
だがもし、協会支部ににおいが残されていなかったら。
教会にある門付近までにおいが残されていたというのに協会支部にはにおいがない。その理由に気付くのに時間はかからなかった。
協会支部を経由せずに直接別の場所に飛んだか、あるいは協会の門を使ったふりをして別の場所に被害者を連れて行ったかの二択ということになる。
だが後者の場合康太が焦った理由がわからなくなる。これから協会の魔術師が合同で現地を調査するというのに自分だけ先走る意味はない。仮にほかの魔術師よりも嗅覚的な情報を得ていたとしても焦るだけの理由がないのだ。
そう考えると前者、つまり協会の門は使用したが、協会支部は経由していないという可能性に直面する。
協会の門を管理している魔術師は、たいていが門をつなぐ技術を有している。要するに協会の門を発動できるだけの技術を持っているのだ。
それは教会を管理している一部の神父も同様だ。
基本的に協会の門はその使用者などを管理する観点から、教会同士をつなげることはご法度となっている。だができないわけではないのだ。
荷物の運搬や非常時、あるいは何らかの事情があれば教会同士をつなぐことだって十分に可能である。
そこまで考えて、文はようやく康太と同じ思考に行きついていた。今まで先入観から除外していたその可能性を視野に入れて、ようやく康太がなぜ焦ったのかを理解する。
教会を管理していたあの神父が犯人だったのではないかというその可能性に。
教会を管理する神父なら、許されてはいないがある程度自由に門を開くこともできるだろう。だからこそ人格面なども評価に入れて採用されるかどうかが決まるという比較的難易度の高い役職になっているのだ。
それが原因で、神父は犯人ではないと思い込んでいた。だがその可能性を考えた場合康太が焦った理由もうなずける。
これから本格的に協会の調査のメスが入ろうとしている中で、犯人である神父がいつまでも同じ教会にい続けるとも限らないのだ。
教会同士の横のつながりを利用、あるいは個人的な理由にかこつけて別の土地などに移動することも十分に考えられる。
協会の人間が動き出すよりも早く、調査を本格化させるよりも早く容疑者となった神父を先に抑えるべきだと康太は考えたのではないかと文は結論付けた。
だがそうなると自分が康太の居場所を聞いた時の神父のあの言葉が気がかりである。
康太は焦った様子で教会から出ていった。これが神父から聞いた康太の行き先だ。彼は教会から出ていったといったのだ。
もし神父が犯人だったとしたら、康太がそのように推理したらまず間違いなく教会を素通りなんてことはしないだろう。間違いなく神父に詰め寄ったはずだ。
可能性としては二つ。一つは文の推理が外れていて康太は別の何かを探しに行った、あるいは追い詰めに行った。もう一つは神父に詰め寄った際に何らかの攻撃を受け、他の行方不明者と同じようにとらわれているかである。
一緒に行動していた文としては、康太の戦闘能力はある程度評価している。確かに康太は戦闘に関していえば文と同等かそれ以上の実力を有しているといえるだろう。
だが康太は圧倒的に魔術師としての経験が足りていない。なりふり構わなくなった魔術師から搦め手を受けた場合、康太が対応しきることができるかと聞かれると正直首をかしげてしまう。
文は携帯を取り出して康太へと連絡を取ろうとする。電話をいくら鳴らしても康太は出なかった。
もし何かを探しているのだとしても、何かを追い詰めているのだとしても、康太が協会支部を出て行ってからすでにかなりの時間が経過している。ある程度ひと段落しているか、あるいはすでに終わっている可能性だってある。なのに全く反応しないというのは明らかにおかしい。
これは本格的にまずいかもしれないなと、文は眉をひそめながら今後の対応を考えていた。
すでに康太を追ってこの場所にやってきてからかなりの時間が経過している。康太の行きそうな場所、康太が今日回った場所を徹底的に探していたためかなり無駄に時間を消費してしまった。
これだけの時間をかけても見つからないとなると、本格的に最悪の想像をせざるを得なかった。
康太もまた犯人に捕まり、どこかにとらわれている。しかもその相手が神父である可能性が高い。
実力面においても性質的な意味においても神父という存在はかなり上位に位置する。軽はずみな行動や言動をすれば間違いなく二の舞を演じることになりかねない。
とにかく文は神父を一時的に犯人と断定して行動することにした。
文が最初に調べたのは教会の周りだった。
神父の言った教会から出ていったという言葉から、意図的に教会から意識を逸らそうとしていると考え、康太は教会内にいるのではと思ったのだ。
実際に教会に行って神父に話を聞くというのも一瞬ではあるが考えた。だが冷静に考えてその方法は一番あり得ないものなのだ。
門の管理をする魔術師は人格だけではなく実力も高い者でなければならない。仮に神父が犯人であったとして、康太の行方を知っていたとして詰め寄ったら間違いなく誘拐された人々と同じ目にあうだろう。
もともとの地力が違いすぎるのだ。おそらく康太は焦りすぎてその考えが欠如していたのだろう。いきなり話しかけるのではなく地盤をしっかり固めるべきだったのだ。
協会の魔術師たちが動き出すと同時に神父が逃げ出すという可能性を考えれば、焦るのも仕方のないことかもしれないが、せめてだれか一緒に連れていくべきだったのだ。
もっとも、今の状態で仮に文が一人で行かずに、協会専属の魔術師たちと一緒に神父に話をしたとして、うまくうやむやにされる可能性が高い。
それなら話を聞く前にある程度下調べをしておいて損はないだろう。あの教会そのものに康太がいるかいないかだけでも調べておくべきだと考えたのである。
早速教会の周りの家屋を調べるついでに教会の隅から隅まで中を把握していく。礼拝堂からその奥にある門の付近、さらには生活スペースまで。文字通りしらみつぶしで康太のことを探したが康太の姿はかけらも見つけられなかった。
いったいどこにいるのか。教会にいないことは確かなのだがどうにも違和感が残る。
文の勘は康太はこの教会にいると告げている。だが実際康太はいないのだ。自分の魔術を疑うわけではないが、しっかりと康太がいないという結果が出てしまっている以上自分の勘が外れていると思うしかないだろう。
付近の家屋にも康太の姿はない。となれば先ほどのセリフに嘘はないのだろうか。それとも教会にいると見せかけて教会に意識を向けさせ、別のどこかに隠しているのだろうか。
だがそうなると康太の捜索は不可能に近くなる。康太がいなくなってからしばらくして文たちはあの教会に足を踏み入れた。
確かに康太を気絶させてどこかに運ぶだけなら十分可能だろうが、時間的に考えて人を一人担いで、あるいは動かして移動できる距離にだって限界がある。
少なくともこの教会の範囲一キロ以内がその移動範囲と思っていいだろう。だがその中は今日歩いている中である程度探しつくした。この半径一キロ以内に康太はいない。ではどこにいるのか。
考えられるのは門を使った移動だ。今までの被害者たちと同じように教会から直接目的地、今回の場合は神父の拠点に移動した可能性だってある。
康太を何らかの手段でとらえ気絶させ、門を開いてその中に放り込む。これだけだったらそれこそものの数分もかからないだろう。
神父が犯人であると仮定した場合これが一番現実的な仮説だった。
この仮説が正しいとなると非常に面倒だ。何せ康太が今どこにいるのか見当もつかなくなってしまう。
とりあえず文は康太の携帯を呼び出してみるが全くつながらない。コール音さえならずに無機質な音が文の耳に届くばかりだ。
携帯が壊れたか、あるいは携帯の電波が届かないような場所か、あるいは地下深くにいるのかの三択だ。
どの可能性としてもあり得るだけに文は悩んでしまう。一番可能性の高いのは携帯が壊れたというところだろう。
連絡手段をとることができる道具を犯人がわざわざ残しておくメリットがない。康太が捕まったのであれば、まず身の回りにあるものはたいてい破壊されたと思うべきだろう。
連絡手段はない。確認もできない。このあたりにもいない。八方ふさがりとはこのことかと文はため息をついていた。
もちろん文だって何も案がないわけではないのだ。考えがないわけでもない。
実際に神父は嘘を言った。この教会から出ていったというあからさまな嘘を。
携帯などでの連絡が取れないような異常事態に康太が陥った以上何かがあると考えるのが自然な考えだ。
その状況を作り出したのが神父であるということも目星がついている。問題はそれをどのように証明するか、そして康太がどこにいてどのように救出すればいいかというその二点である。
考えてばかりいても仕方がないと文はため息をついて携帯をいじりだす。
通話状態になったその先から聞こえてきたのはもはや聞き慣れてしまった声だった。
『フミかの?私は今忙しいのだが・・・ようやく主人公の後継機が出てきたところでな』
電話の相手は康太と文の同盟相手であるアリスだった。この世界の中で最も実力のある魔術師だ。この状況に対して何かしらのアドバイスがもらえないかと思って電話したのである。
最近は機動戦士系のアニメにはまっており、ファーストシーズンから通してみるというのが今の目標らしいが、文にとってはそんなこと知ったことではなかった。
「アニメ鑑賞だか何だか知らないけどちょっと緊急事態だから手短に話すわよ。康太が行方不明になったわ。行先の目星はついてないけどどうやっていなくなったかはある程度予測できてる。あんたの力を借りたいのよ」
『・・・ほう・・・詳しく話してみよ』
康太の危機ということでアリスも少しは聞く気になったのか、背後からきこえてくるメカメカしい音が少し小さくなるのを確認してから文は今の状況を詳細に説明し始めた。
可能な限りわかりやすく、可能な限り端的に、それでいてアリスにも状況がイメージできるように。
『なるほどの・・・話を聞く限りだと間違いなくコータはその教会にいるだろうな。お前の勘は間違ってはいないぞ?』
「でも私の索敵には全く反応がないのよ。魔力感知もそうだけど物質的な索敵でも全く引っかからないし・・・」
文の勘が正しいといっても索敵に全く引っかからないのではその勘が外れていると考えるほかない。
実際に探してもいないのだ、勘などという不明瞭なものではなく現に結果として出てしまっている以上勘よりも結果を優先するのは当然ではないかと思えてしまう。
『ふむ・・・さすがに一人で気づけというのは酷というものか・・・だがあまり口出ししすぎるのも・・・』
「なんかあるのね?今は緊急事態よ。康太が危ないかもしれないんだからなんかわかってるなら教えなさい」
アリスとしては自分の弟子でもないただの同盟相手である文にあまりあれこれ教えるのは良くないと考えているようだった。
弟子を導き指導するのはあくまで師匠の仕事。アリスは文の師匠ではない。そのためあまり口出しするのもどうかと思ったのだが、文の言うように確かに緊急事態であることには変わりない。
仕方あるまいと区切ってからアリスは小さくため息を吐く。
『ではヒントをやるにとどめよう。フミよ、私は今どこにいると思う?』
「へ?アニメ見てたんなら・・・康太の家か小百合さんの店じゃないの?それともどっかの漫喫にでも入ってる訳?」
『はっはっは、全くもってなっておらんな。私は今お前の後ろにいるというのに』
瞬間文は寒気がして勢いよく後ろに振り返る。だがそこには誰もいなかった。
アリスはおろか人っ子一人いやしない。索敵しても自分の周りには誰もいないのは明白だった。ここまで来て文はようやくアリスにからかわれたのだということに気付く。
「あのね・・・本当に今急いでるのよ?お願いだから何か役に立つことを」
『ふむ・・・なるほど、コータがいなくなって処理能力が落ちているのかの?普段のお前さんならこのくらい気づきそうなものだというのに』
「・・・どういうことよ」
康太がいなくなって自分の処理能力が落ちているというのは心外だった。むしろ康太がいなくなったことで全力で頭を回してその行方を捜しているのだ。頭の回転数自体は上がっているのではないかと思えるほどである。
だが文自身も気づいていないのだ。いつの間にか思考がある一定のループに陥ってしまっていることに。
『私が携帯を使って話しているということから、お前は私が近くにいるという可能性を最初から否定していたな?後ろの方からアニメの音などが継続して流れているのがまたそれを助長していたとみえる』
「・・・それがどうかしたの?」
『暗示とは、人が『そうである』と思い込む、あるいは『ありえない』と思ってしまうようなことを刷り込むもの。それは目に見えるもの、聞こえるもの、誰かの意見だけではなく、我々が使う魔術もまた同様』
ここまで言えばわかるかの?とアリスは薄く笑いながら文の反応を待っていた。
ここまで言われなければ気づけないほどに自分は思考が低迷していたのかと文は自分の頭を掻きむしっていた。
暗示の魔術は思い込みを利用した魔術だ。ありとあらゆる状況を想定して、日常や普段の行動を利用して『そうである』と思わせることができる。
理屈を知らない一般人はかかりやすく、理屈を知っている魔術師がかかりにくいのは抜け穴を知っているか否かの差だ。
手品の技術やネタを知っている人間が、実際に手品を見るときに注目するべき点がわかっているように、暗示の魔術によって逸らしたい核心部分をあらかじめ注視することができるからこそ魔術師に暗示は効きにくい。
だが逆に、仕掛けを知っているからこそ引っかかりやすいというものも存在する。
手品の仕掛けを知っているものほど引っかかりやすいテクニックというものがあるように、そういった予備知識を利用した技術もまた存在するのだ。
今回の場合であれば、いうなれば魔術師用の暗示だ。しかもおそらくだがこれは索敵にかなり効果的に作用する魔術。
それはおそらく以前アリスがやっていたのと同じものだ。
「なるほど・・・あんたが前にやってたあれと同じってことね」
『ようやく思考能力が元に戻ってきたかの?あまり気負いすぎないほうがいい。フミの思考能力は余裕のある時に最大限発揮されるものと見た。落ち着けというのは無理かもしれんが、せめて一度深呼吸してみることだの』
「・・・ありがと、ちょっと視野が狭くなってたかもしれない」
『ふふ、若者とはどんなに頑張っても視野が狭いものだ。せいぜいその目を見張るがいい。もしかしたら見たいものが見えてくるかもしれんぞ?』
「なんかそれっぽいこと言っちゃって・・・まるで年寄りみたいよ?」
『実際年寄りだからの。人類皆年下。これほど気楽なものはないぞ?少しは敬老する気になったかの?』
「見た目が幼女じゃ敬う気にはなれないわね・・・でも感謝はしておく。ありがとねアリス。今度何かご馳走するわ」
それは楽しみだといってアリスは通話を切る。魔術師用の暗示。それはつまり索敵に引っかからないようにするために施された特殊な暗示だ。
文は今まで使ったことはないがそういうものがあるのだろう。アリスが以前使っていたように今回も似たような魔術が使われていると思うべきだ。
種と仕掛けがわかっても、時として見破れないものも存在する。意識を研ぎ澄ませて索敵を行っても、先ほどと同じような結果が返ってくるばかりだ。
考えてみれば当然かもしれない。たとえその技術をある程度修めていて、なおかつ種も仕掛けもわかった状態だったとしても技術が違いすぎる相手の技というのは早々見破れるものではない。
手品でも魔術でもそれは同じだ。少なくとも文にとっては、康太にとっても格上の魔術師が行う索敵への阻害ともいえる暗示に近い魔術はそうやすやすと見抜けるものではないらしかった。
だがそんなことは百も承知だ。格上の魔術師が使う隠匿目的の魔術を、まだまだ魔術師として未熟ものである文が簡単に見抜けるだなんて最初から考えていなかった。
相手が索敵の魔術に関しての暗示を使っているのであればその魔術の抜け穴を探すのはそう難しくはない。
方法としては二つ。索敵に頼らずに自分で探せばいいという強引な方法。これは一番確実な方法ではあるが同様に相手に確実に不信感を与える。
自分を疑っていると相手に思われるというのはこの状況においてはかなり大きなデメリットだ。
最悪康太と同じように拘束、あるいは誘拐されかねない。可能な限りそれは避けたかった。
そしてもう一つは索敵範囲を徹底的に狭めることだ。
この索敵に対して働く暗示の魔術は要するに索敵の魔術における認識と無意識に働きかけているものだと思われる。
実際にその魔術を使っているわけでもその魔術の効果を知っているわけでもないために文の想像が入り混じっているが、索敵の魔術というのは基本的にかなり広範囲を一度にすることができるのが強みである。
だがそれは当然それだけ多くの範囲の情報が一気に頭の中に入ってくることに他ならない。
そうなってくると、人間の脳というのは認識の関係上無意識的に拾うべき情報と拾わない情報を勝手に識別して取捨選択してしまう。
そういうことは往々にしてあることで、実際に人間が最も使う五感である視覚に関してもそういうことが起きる。
例えば人間の視界範囲は大体百八十度に届かない程度、個人差にもよるが基本的に前にあるものしか見えない。
だが普段生活しているうえで、目的のもの以外の視覚情報はほとんどが気づかないうちに消去、ないし無視されているのだ。
無意識のうちに見ることはできていてもそれを意識的に認識するとなるとまた別のところが無意識のうちに見えにくくなる。
普段使う限られた視界の中だけでさえそういうことが起きるのだ。情報が多くなりすぎると必然的にそういうことが起きてしまうのである。
アリスが使ったような隠匿魔術や、今回犯人であると思われる神父が使っているのもそういった原理を利用しているものであると判断していた。
そこで文の考えの一つ、先ほど挙げた索敵範囲を徹底的に狭めるという方法が適切になってくるのである。
文がよく使う人よけの結界などもそうだが、基本的にその場所から意識を逸らせようとしてもその場所そのものが目的になってしまっている場合、人よけの結界魔術は効果を発揮できない。
無意識のうちに別なものを選択させようとしても、意識的に目的のものを選ぼうとしているのであれば相当強い暗示か、あるいは別の目的を与えるような洗脳に近い魔術を使わなければならなくなる。
それだけ強いものとなるとさすがに違和感を覚えてしまう。その違和感に気付かないほど文は未熟ではない。
今回やろうとしているのは、教会内部の一部屋一部屋を索敵範囲に指定し、さらに細かく場所分けして一つ一つの部屋をしらみつぶしに索敵していくというものである。
仮に部屋のどこかに康太が監禁されていた場合、さすがにかなり細かく分けられた捜索区画内のどこかにいるはずである。
探すのはなにも康太でなくてもいいのだ。いなくなった被害者の誰かがそこにいればそれはそれで神父を糾弾する理由になる。
問題なのは門を使ったかのような痕跡がある相手が教会の中に人を隠しておけるかという点である。
文が神父ならば門を使って別の場所に隠すが、文の勘はここにいるといっている。この教会のどこかにいるといっているのだ。
そしてアリスもその勘が正しいといっているのだ。
太鼓判を押されたからというわけではないが、自分の勘を信じて調べてみようという気にはなった。
康太がいない今、康太を探し出せるのは自分だけなのだ。頼りになる魔術師はほかにはいない。
アリスを連れてくればきっと康太をすぐに見つけ出してくれるのだろうが、今回の件は自分たちがかかわると決めた事件だ。自分たちが犯した失態のしりぬぐいをアリスにさせるわけにはいかない。
何より自分たちが受けたというのに、困ったらアリスに頼るということは文自身許せなかった。
実力がある魔術師がいるからといって頼りきりになってしまっては自分自身の実力がついてこない。
最悪の想定をするならば早い段階で協力を打診するべきなのだろうが、それは最後の手段にするべきだと文は思っていた。きっと康太もそういうだろうという確信を持ちながら。
文は頭を抱えてしまっていた。意を決して教会内を徹底的に調べ上げてみたものの、全くそれらしい影を発見できなかったのだ。
索敵範囲を絞りに絞ってそれこそ教会にある部屋という部屋、隙間という隙間を探しつくしたというのに康太らしき人影も、またさらわれたと思わしき人影も全く見つけることができなかったのである。
教会にあるスペースはすべて探しつくした。それこそ教会の屋根裏まで調べ上げたのに何の成果もなかった。
やはり自分の勘が外れているのではないかと疑っているときに、文は外から教会の屋根の上を眺めてみた。
屋根裏はしっかり調べたが妙な空間があるわけでも、不自然に開けられた空間があるわけでもなかった。
屋根の上に特殊な空間があるはずもなく、見えている光景のままの空が広がっている。
よもや屋根の上に光属性の魔術で隠匿して実は上の階があったとかそういうことはないだろうかと、文は徹底的に教会を調べるがやはり何もなかった。
考えすぎていて思考がループしているのを感じる。簡単にではあるが教会の見取り図を描き、チェックをつけてしっかりと調べられていることを認識すると同時に確実に各部屋を調べられるようにした。
だが結果は振るわない。むしろ本当に教会にいるのだろうかという気さえしてくるレベルである。
とりあえず上がだめなら次は下だと、文は教会の地下を探すことにした。
といっても地下にあるのは水道や一部電気のケーブルなどばかりで地下空洞などというものがあるはずもなかった。
地下に通じそうな階段もなく、漬物のようなものが置かれている床下収納が少しあるくらいでその中も調べに調べたがやはり何もない。
索敵範囲を絞っての調査というのはなかなかに時間がかかるうえに集中力が必要になる。そうした結果なにも見つけられないというのは精神的な疲労を強くさせてしまうのだ。
文の考えはほとんどが正しかった。神父が行っているのは先ほど文が考えたような索敵の際に流れてくる大量の情報から特定の情報をカットするというものだ。
意図的に相手の得る情報をコントロールするというより、相手が得た情報の中から特定のものを認識しにくくするといったほうが正確である。
効果範囲が広ければ広いほど、その恩恵は浮き彫りになってくる。そのため文の行った索敵範囲を狭めての調査というのは実際かなり真相に近づけるだけの手段だったのだ。
唯一誤算を含めるとするならば、相手が隠したい地下の部屋が地上から三十メートルも下にあるということだろう。
索敵範囲を狭めることが有効であるのにもかかわらず、その空間を見つけるには索敵範囲を広げなければいけないという矛盾。
神父はそれをわかったうえでこういった対策をしたのだ。
今まで多くの魔術師が地下の空間を見つけられなかったのにはそういうわけがあるのである。
そしてそれは文とて例外ではない。調べようとして調べられるものではないのだ。普通に考えて魔術師が管理している教会を調べようとも思わないし、何かしらの考えがあったとしても広範囲での索敵ならばその索敵用の暗示の効果によって調べることは難しくなる。
隠すという意味では最も有効で確実であるのは間違いない。
普通の魔術師であるならば教会には怪しいものはないと判断して次の場所を探しに行くだろう。
だが文は教会が怪しいと感じている。そしてそれは確信に近い。
だからこそ、文は探すのをあきらめなかった。
探した空間を一つ一つ整理していき『門を使った』という事実と『この教会のどこか』という確実ではないにせよ状況証拠的なものをつなぎ合わせて、どこならば人を何十人も攫ってそのままにしておけるだけの空間を用意できるだろうかという考えを巡らせていた。
結果的に、文の意識は地下へと向いた。
地上における教会の施設には限界がある。目に見えている空間だけが一応の教会としてある建築物なのだ。外見的な体積を変えずに、内部の体積だけ増やすなどという物理法則を無視した超常的な現象を起こすことができるはずもない。
屋根の上にも何もないことは確認した。少なくとも教会の屋根より高いところにはあれ以上の建築的な空間はない。
ならば誰にも見つからず、なおかつ門を使って移動しそうな場所はどこか。
そう考えると地下であるという考えに至ったのだ。門を使ったのも階段が存在しないからではないかという単純な理由であると考え、文は一メートルごとに区切って徐々に地下深くへと索敵していった。
これでもし考えが外れていたら自分はとんだ間抜けだなと思いながら、康太がいてくれと祈りながら文は索敵を続けた。
奇しくもその考えは正解を導いていた。
康太とは違う情報を得ながら、文は確実に康太のいる場所へとたどり着こうとしている。
正解にたどり着くという思考において、文のそれは万全の状態であれば時間をかければどのようなものにでもたどり着けるのではないかと思えるほどだ。
康太のそれとも違えば、小百合や真理、そして彼女の師匠である春奈のそれとも全く違う。
アリスが見抜いた思考能力の高さ、それは平時において発揮される彼女自身の正解へとたどり着く力でもある。
余裕のある状況であるならば、文の思考能力はそれこそアリスのそれにも匹敵するかもしれない、それほどのものである。
土曜日、そして誤字報告を二十件分受けたので六回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




