吸血鬼のあれこれ
病が大流行した当時、夢に出てくる人間というのは実際に会ったと同じ程度の考え方だった。夢自体が自分の頭の中で完結するものではなく、夢を利用して実際に会いに来たと考えられていたのである。
疫病によって多くの人が死ぬ中で、当然遺族たちは死んだ家族の夢を見ただろう。そして疫病によって死んだ者の親族は同じように疫病にかかったものが多かった。
その時の時代の多くの者たちはこう考えたのだ。死者が夢で親族に会いに来て疫病の呪いをかけていったのだと。
一人二人ならまだしも、多くの親族、そしてさらに多くの人々が同じような状況になっていく中で不安に思った人々が墓を掘り起こし死体の確認をするのである。
ここで問題なのは死体の状況だった。生き物の腐敗というのは基本的に空気中よりも土の中の方が腐りにくい。生き物が腐るためには適度な通気や温度湿度などが必要になるが棺桶などに入れた場合菌や空気の侵入が無くなるために比較的腐りにくくなる。
もっとも腐りにくくなるというのは外見上、つまり皮膚や表層的な肉の部分だけであってもともと体内に細菌や微生物がいるために内側だけが腐っていく。そうなってくると腸内でメタンガスなどが発生するが外側は腐っていないため逃げ場を失くし体を押し上げるようにするため太って見えるのである。その為見た目はきれいでも腐敗臭のする、生前より少し太った死体が出来上がるというわけである。
しかも膨らむ過程で姿勢が変わったり、微生物が分解などを行うたび熱を発生させる効果もある。その為死体を棺桶に入れた状態と異なり、なおかつ体温まであるとなると当時の人々はこの死体が生きているのではないかという錯覚に陥った。
当時は医者が一度死亡判定をしたら仮にその人物が生きていたとしても『すでに死んでいる』という烙印を押され、生きている状態でもそのまま埋葬されるということもたびたび存在した。
所謂早すぎた埋葬というものである。当時流行したペストと呼ばれる疫病ではこれが多く行われた。未熟だったり若い医者がペスト医師としてこの死亡判定を行っていたためにより誤診率は高かったと言われている。
しかも土を掘り起こして棺桶を取り上げてみると中から咀嚼音のようなものが聞こえてくるという証言もあった。
これはメタンガスによって膨張した結果、体内にある肋骨などが折れた結果した音なのだが、当時の人間はそんなこと知る由もない。
当時の人間達は夢に出てきたすでに死んだ者が何故か体温を持ち、何故か生前より太り、咀嚼音をさせ、なおかつ口から血を流しているところを見てこう思っただろう。
この者は吸血鬼となり夜な夜な血を吸っていたのだと。
そうして暫定吸血鬼となったものの心臓を杭で突き刺してみた結果、大量の血がガスと一緒に噴き出す。これは血を吸っていた証拠だと思い込む。さらには突き刺した瞬間にうめき声のようなものが聞こえたという記述もある。これは体内にあったメタンガスが突き刺した拍子に声帯を通って声のように聞こえたというのが原因だが、当時の人間はそんな医学的な根拠など知ることができるはずもない。
体温を持ち、いつの間にか肥え、姿勢を変え、口から血を流し、心臓を突き穿つとうめき声をあげる。
このような状況をいっぺんに与えられた当時の者たちがこの死体は吸血鬼だったと考えるのは自然な流れだったのかもしれない。
特に当時は現代と異なり情報の伝達方法もほとんどなかった。大抵が旅人や商人からの言伝で伝えられる程度でしかなく、半分以上の人間が文盲であったという。その為にこの状況を説明できる知識もない。だが周りでは疫病が流行り貴重な人材が死んでいく。当時はまだ農業などの方法も確立されていないために人が一人死ぬだけでもかなりの痛手だった。
そうしている間に飼育している家畜なども死ぬ。そうして食料が無くなればさらに餓死で死ぬ。
そう言った負の無限ループの中にいる人間が不安を紛らわせるために吸血鬼という存在は都合がよかったのである。
不可解かつ説明できない状況をどうにか説明しようとした結果、吸血鬼という概念がより鮮明になり血を吸う化物という形で定着したのだ。
もっとも吸血鬼の伝承はありとあらゆる場所で、しかもありとあらゆる形で存在している。だが血を吸うという一点に限ってはほとんどがこの事情に帰結する。
化物を目で見て実際に血を吸っているところを見たという記録は今のところ存在していないのである。
「つまり、疫病がめっちゃ流行って精神的に不安定だった人たちが口から血を流してる死体を見て『うわこいつ吸血鬼で血を吸ってたんだ』っていう風に思ったのが吸血鬼が血を吸ってたっていう根拠ってことか?」
康太の話をまとめた倉敷は凄くがっかりした声をしている。不完全な仮面であるとはいえその仮面の下は見えないが、きっとがっかりした表情をしているだろう。
「そう言う事。人の妄想力は恐ろしいって話だな」
「仕方ないと思うわよ?当時は今みたいに情報の伝達速度も遅いし何よりそう言った現象が科学的に説明されてるわけでもない。少しでも安心したいからこれはこういう事なんだって断定するのも無理ないんじゃない?」
「なんで吸血鬼って断定するのが安心につながるんだよ。むしろ化物がいたら逆に不安にならないか?」
「それは単純よ。化物がいるならその対策をすればいい。昔から割と民間伝承で化物の対処法ってのは伝わってるから、それを実践すれば少なくとも多少はましになる。何もしないで意味不明な恐怖におびえるよりは精神衛生上ずっとましだったってことでしょ」
文のいう通り、人間は説明できないことを異常に恐れる。何が起こっているのか、どうしてこのようなことになっているのか分からないことを非常に恐れるのだ。
その為どのような形でも説明できることを求めた。その結果元々あった民間伝承の中で生きた死体の化物に当てはめた結果、吸血鬼という概念の始まりともいうべき血を吸うという特徴が付与されたのである。
もっとももっと昔から血を吸う化物の民間伝承は伝わっていたのだが、このペストの大流行を境に大きく普及していったのは言うまでもない。
「じゃあ他の特徴は?十字架が弱点とか」
「それはもっとわかりやすいだろ。疫病が蔓延してたくさん人が死んで求心力が落ちたキリスト教が打ちだしたもんだ。ちなみに流水を渡れないってのはまた別の理由があるけど最終的に魔女裁判代わりに使われるから似たようなもんだな」
流水を渡ることができない。これを利用したのがインディキウム・アクアエと呼ばれる儀式である。
魔女、吸血鬼と思われるものを縛り重りをつけた状態で川に沈め浮かんで来れば吸血鬼、沈めば人間という形での裁判だった。
当然縛られた状態で沈められれば人は死ぬ。結局吸血鬼だろうと結局やられた人間は死ぬ。
ちなみに吸血鬼がこの流水を渡ることができないという迷信の一端は当時のペストによる大量の死者が原因である。
ヨーロッパではほとんどが土葬や棺桶葬が行われており、死者が大量に出てくると当然墓地が足りなくなる。
さらに言えばその中で吸血鬼の話が広まったことで吸血鬼になる可能性のある異教徒や少々特殊な事情の遺体は町の外れや十字路に埋めることになるのだが、人の遺体を、しかも吸血鬼になるかもしれないと思われている遺体をそこまで労力をかけて埋めるという事を当時の人はあまりしたがらなかった。
これも当然の話だろう、なにせ同じような死体が他にも大量にあるのだから。
そこで行われたのが水葬、要するに川に流すという行為だった。
遺体そのものが見えなくなるしなにより処理をする手間が省けるという理由から精神衛生上都合がよかったのだろう。
さらに言えば中世の場合川だけではなく湿原の泥炭地なども多く存在し底に沈めることも多かったという。泥炭は燃料になるため掘り返すことが多く、そこにできた穴に遺体を沈めるという方法をとっていた。
当然遺体をそのままその泥炭地に沈めれば浮いてきてしまうために重りをつけて沈めるのだがここで問題が発生する。
遺体というのは腐敗することにより体内にある菌がメタンガスを発生させる。よほど重い重りでない限りそのガスの発生により浮いてきてしまうのだ。
この現象を見た当時の聖職者たちはその理由を考えた。
キリスト教にとって水は聖なる意味を持つ。聖水や洗礼の際にも水を使う事から邪なものや化物などは『水』が受け入れるのを拒否したと考えたのだ。
つまりその遺体が浮いてきたのは洗礼を受けた聖なる水が邪なものを拒んだためだと考えたのである。
これがいわゆる魔女裁判の一つとなった吸血鬼が流水を渡ることができないという迷信の根拠になっているのである。
「なんか一つ一つ吸血鬼の存在が陥れられてる気がするな・・・ちなみに狼とかが弱点だったり使役したり姿を変えられるとかあった気がするけどそれは?」
「それこそ簡単な理屈だ。当時は疫病のせいで大量に死者が出た。当然埋葬するために穴を掘るけどたくさん死体があったら掘り返すのも面倒だから浅く掘るようなこともあるよな?土を固めたりもしないだろうし」
「・・・あぁそう言う事ね。腐敗臭を狼とかがかぎつけて掘り返すわけだ」
「そう言う事。墓地を掘り返して死体を漁るところを見た人たちは『狼が吸血鬼を攻撃した』あるいは『吸血鬼が古い肉体を捨てて狼に変身した』と思ったわけだ。それが吸血鬼と狼の関係性」
「一つ一つの事を考えていくとそこまで不思議なことでもないわね・・・なんて言うか今までの吸血鬼像が音を立てて崩れていくようだわ・・・」
今まで吸血鬼にちょっとした憧れというかかっこよさを求めていたところもあったのかもしれない。そのイメージがほとんど人間の妄想によって形作られていたというのはかなりショックが大きいようだった。
「ちなみに杭を刺すっていうのは?弱点で心臓に杭を刺すっていうのがあるじゃない?」
「あぁ、何でもあれは当時の魔術的な要素だったらしいぞ。当時は杭を刺すっていうのは魔術的用語で『動きを止める』っていう意味があったらしい。だから弱点っていうわけじゃなくて吸血鬼らしい死体への対処だな」
「なるほど。もう夜中に悪さできないように杭で動きを止めるっていうのが時間の流れと共に対処法から弱点に変貌したのか」
実際にこの魔術というのが康太たちの覚えている本物の魔術なのか、それとも一般に普及していた所謂おまじない程度の魔術なのかは康太も調べることはできなかった。
さらに言えばこの杭で動きを止めるということを掘り返した後に行った結果、血を吹き出しうめき声をあげたというところから弱点に発展したという説もある。
うめき声に関しては前述のとおりメタンガスが声紋を通った際の疑似的な声で実際に声を出していたわけではないのだがそのあたりのことを当時の人間がわかるはずもなかった。
今回吸血鬼について調べたのはあくまで一般的、常識的な範疇からの調査だ。
もしここで科学的な根拠などが出てこなかった場合康太は吸血鬼の存在を疑ったかもしれないが、ここまで理由づけと根拠が付け加えられていては康太も吸血鬼の存在がただの妄想であると思うほかない。
「てことは、他の吸血鬼の特徴とかもほとんど訳があったりするのよね?そうなると吸血鬼の可能性は否定されそうね・・・」
「そうだな・・・だから今回お前たちを呼んだのは血を吸う魔術についてだ。ぶっちゃけ相手の魔術一つ調べたところで意味はないけど相手が吸血鬼ではないってことの後付けになればと思ってな」
今回の相手である封印指定二十八号が『吸血鬼』と呼ばれるようになったのは単純に血を吸うという行為を行っていたからに他ならない。
康太が調べたところ一般人も予防として生き血をすするという行為をしていた者もいるようだが、封印指定二十八号の場合魔術的な行為によって血を吸っていた可能性がある。
そこで血を吸うことによって発動する、あるいは効果を増す魔術というものが存在すれば封印指定二十八号が吸血鬼ではないという確信を得られるのではないかと思ったのである。
誤字報告五件分受けたので二回分投稿
そういえばいつの間にか四百回超えてましたね
なお吸血鬼についてあたかも存在しないかのように記述しましたが、自分は吸血鬼の物語は大好きです。HELLSINGとか大好きです。
これからもお楽しみいただければ幸いです




