かん
「こちらこそよろしくお願いします」
圭がそう言って頭を下げると、
「私の方が年下なので敬語は使わなくても使ってもどちらでもいいですよ。話しやすい方で。一番年が近い人だと伺っていたので、会えるのを楽しみにしてたんです」
時雨はそう言って年相応の笑顔を見せた。
「それで言ったら先輩ですよね?僕もどっちでもいいです」
情報を集めるべく、圭は質問を繰り出す。
「オッケーじゃあ敬語はやめるね」
「俺もやめる。いつからここに?もう長いの?」
なんてことない言葉に聞こえるように細心の注意を払う。
「んー、ひみつー」
「え?」
「ほら、年がばれちゃう!」
少女は適当に言って誤魔化せばいいのに、そうやって誤魔化していることを明らかにする。何言ってるんだと笑って、圭はさらに質問した。
「えー、じゃあなに研究してるの?」
「生物工学系」
「ここにいる人みんなそうだろ!」
「へへ」
「で、なんなの?」
「ひみつー」
よほど掛け合いが面白かったらしく、少女はクスクスと笑い声をもらす。
「あー生まれてから一番面白いな」
「退屈な人生すぎでしょ」
「嘘じゃないよう」
「嘘であることを願うレベルだそれは」
圭は時雨の笑顔を見て眉を下げた。
「早川くんは、確か1ヶ月だっけ。そろそろ研究室決めだ!」
「あーうん。ちょうど朝言われたよ」
「遅。もう決まった?」
「いや、まだ、だけど…………」
実際、休憩時間中ずっと考えていたが答えは出なかった。圭の専門分野を考えると齋藤教授の元一択なのだが、今回の潜入は研究を目的とはしていない。
小鳥遊大和に最も近づくためにはどこが一番なのかを考えてはいたものの、小鳥遊大和の研究室は孤島のように独立しており、関わることができない。助手を必要ともしていないようで、『ここから選んで』と渡された紙には名前が入っていなかった。
つまり詰んでいたのである。
だから、それは行幸だった。
「じゃあ私の研究室も候補に入れてよ」
「え?」
時雨はそう言って、圭にデータを送信した。
「これね。確認してて」
「あれ、でも候補に入ってなかったけど…………いいの?」
狼狽えながらデータを見る。室長の名は『小鳥遊時雨』とあった。どうやら本当に彼女の研究室らしい。
「うん」
当然と言うように彼女は自信満々に頷いた。
「君ならいいよ。年の近い人と直接話してみたかったんだ」
そんなの学校でいくらでも話せるだろう、と言おうとして済んでのところで踏みとどまる。そもそも行っていないのかもしれないと何故かその時はそう思った。
小鳥遊大和が学校に行ってなかったように。
直接尋ねるかどうか迷うこと1秒。尋ねることにした。
「ん?学校は?」
「ひみつー」
予想通り。ただ、ここまでのやり取りで圭にはある疑問が生じた。
どうして嘘をつかないのだろう。
嘘は誤魔化すよりも余程、相手を惑わせることができるいい手段だ。圭は紗奈以外には躊躇なくいくらでも嘘をつく。嘘を吐かずに生きていけるのであればそれが一番いいだろうが、そんなのは不可能。
他人や自分を傷つけるくらいなら、適当な嘘を吐いてその場を切り抜けた方が百倍いいと圭は思っていた。
ひみつー、なんて。
後ろ暗いことがあると圭に教えているようなもの。
(もしかすると、人と関わりが少ないせいで会話のいろはが分かってない、とか?)
圭には理解できない。
(それとも、あえて後ろ暗いことがあると教えようとしているとか?)
自分で考えて馬鹿らしくなった。
(まさかな)
圭は送られてきたデータから目を離し、時雨を見た。
「大体読んだよ。ありがとう。考えとく」
「うん、決まったら言ってね」
時雨は圭に手を振って去っていった。
「そろそろお兄ちゃんのところに行かないと!」
急いで、先に走り出す。分かれ道で圭が行く研究室に行く方ではない、大和の研究所がある方へ曲がった。圭が時雨が完全に見えなくなって、圭はこの数分の出来事が夢ではないかと頬を抓りながら研究室への道を急ぐ。
(あ)
そこで気づいた。
(そもそもなんであそこにいたんだ?)
1ヶ月しかいない圭はともかく、1年近くいる齋藤教授が彼女に今まで一度も会ったことがないことを考えると、どうも圭達がいつも使っている生物工学ブースの主要通路を使わないように行動しているとしか思えない。
その存在を秘匿する必要があるのだろう。
(そんな人が、俺を年が近いからって理由で研究室に誘うだろうか)
一番最初に浮かぶのは、罠の可能性。
あの美しい少女が自分を嵌めにきていると考えると説明がつく。しかしそうとは思えなかった。
『ひみつー』
嘘を吐かずに誤魔化したあの美しい少女には、そんなことはできそうにない。
(でも、めっちゃ頭いいんだもんなぁーあー)
圭は項垂れる。
(わっかんねー)
まぁ罠にしても、罠じゃなくても。
追い詰められた圭に取れる手段などない。
圭が彼女の研究室に入ることは確実だった。
(その前に、先生に言わなきゃ)
圭は足取り重く、研究室への扉を開けた。
***
「お兄ちゃん」
「んー」
小鳥遊大和の研究室。兄妹二人は椅子に腰掛けて母が来るのを待っていた。
「お兄ちゃんの方はどう?うまく行ってる?」
「上々だな」
「紗奈ちゃん可愛い?」
「可愛いよ」
「好き?」
「秘密だ」
兄のことが好きでたまらない妹は、兄に詰め寄る。
「私よりかわいい?」
「ああもちろん」
自分の可愛さに圧倒的自信を持つ少女はむくれた。
「そんなわけないのにー」
「そんなわけある…………お前の方は、どうだった」
兄の問いに少女は目を細めた。
「上々」
先ほどまでの可愛らしい女の子は鳴りを潜め、少女というよりも女と呼称する方が正しいような姿になった。
「鷹見圭のことは私に任せてお兄ちゃん」
「…………そうか」
「彼は私たちの計画に外せない。大丈夫。彼は私たちほどではないけれど十分賢い」
そう言って笑顔を消した。
「きっとうまくやるよ」
「無理すんなよ」
兄の言葉に彼女は嘲笑した。
「そんなことする必要ない。私たちの計画が狂うことはない」
子供特有の、無邪気で、自分のことを世界の中心だと思っている、自信に満ちた姿。タチの悪いことに、彼女はその自信を持つに相応しいだけの美貌と頭脳と身体能力を持っていた。
「私たちは天才だから」
「そうだな。俺たちは天災だ」
その時、扉が開いた。
「あら?もう時雨も来てたのね」
母の登場に兄妹は押し黙る。
「ちょうど良かったわ。じゃあ始めましょうか」
母に向かって両者は返事をした。二人の首元でチョーカーが揺れていた。




