なか
ミネルヴァの東京支部に入ってすぐ、圭は今日の出来事を斎藤教授に伝えた。
「そうか、小鳥遊大和に妹が…………」
齋藤教授は息を呑んだ。これまで、あまたの時間をかけてなお、その手がかりもつかめなかった自分がふがいないやら、弟子の成長がうれしいやらでどういう顔をしていいのかも見当がつかなかった。小鳥遊時雨。小鳥遊大和。この二人が研究員に隠れて何をやっているのか、知れたものではない。圭が時雨の研究室に誘われたのはこれまでにない好機と言えた。
「ただ、怪しすぎるな」
「はい。僕もそう思います。年が近いから誘ったというのがどこまで本当なのかも怪しいですし」
圭が罠だと思ったように、教授もまた、罠にしか見えないと考えた。ただ、罠だとしても、自ら
圭を飛び込ませないわけにはいかない。このチャンスをふいにしたら、いつまたチャンスが回ってくるかは分からない。弟子を危険に飛び込ませるのが教授は苦痛で仕方がなかった。
「奴らはどこまでミネルヴァのことを把握しているんでしょう。僕のことすら、ばれているんでしょうか」
「…………いや、敵対勢力の存在そのものは察しているだろうが、お前の存在までは、知らないはずだ」
教授は自分ではそう言ったものの、自分でも納得できないままでいた。相手は小鳥遊家。その中に客員教授としてではあるが潜入してきた教授だからこそ、その恐ろしさはよくわかっていた。
「お前が鷹見圭であることは知らない、として…………少なくとも、敵対勢力からやってきた人間であると疑っている可能性は、あるな……」
教授は後頭部を壁に着けてため息を吐いた。
「小鳥遊時雨は知らないが、小鳥遊大和は天才だからな。奴は精鋭ぞろいのミネルヴァの計画も何度がつぶしている。アイツのせいで俺たちが壊滅状態まで追い込まれたこともままある」
教授も、小鳥遊大和に追い込まれた覚えはあった。ミネルヴァの基地を抑えられたこともある。その時のことを思い出して、教授は軽く震えた。あれは、教授のトラウマだった。
にしても、と師匠は言う。
「大和に時雨か。趣味が悪いな」
「え?」
圭は教授がなんのことをいっているのかよくわからなかった。大和はよく聞く名だし、時雨は珍しいが読めないほどでもない。響きもかわいい。特殊と言うほどではないはずだった。
「戦艦だよ。第二次世界大戦だったかな、これは邪推にもほどがあるかもしれないが」
「戦艦の名前からとっている、と?」
「ああ。後で調べてみると良い」
第二次世界大戦。
第三次世界大戦。
戦艦の名を関した、人間。
圭はいつかの妄想を思い出す。
「まるで奴らが、世界大戦を戦う兵器みたいだな、なんて」
師匠は戯言だと首を振って、圭が入れたコーヒーを飲んだ。その甘さが、この苦い現実には必要だった。
「まぁともかく…………お前行くんだろ」
「はい」
教授には、この20にも満たない男が恋人だった彼女のためならなんだってできることを知っていた。出会ったときから、彼はある種の危うさを持っていた。保護せずにはいられないほど。
(結局、俺もこいつを利用する側か)
ミネルヴァに引き込んだのは上層部の命令と言うのもあったが、当初の予定では圭は洗脳して子飼いにするはずだったのを、教授は半ば無理やり守るために弟子にした。それなのに圭は気づいたら勝手に力をつけ、勝手に大人になってしまった。
(なんて)
そんな葛藤を、圭は知る必要はない。
教授はいつかのために準備しておいたものを圭に渡した。
「じゃあこれ渡しておくな。記録用装置だ。一度どこかに着けてしまえば見えなくなるが、触ってしまうとバレる。つけるところには気をつけろよ」
「はい。有益な情報が手に入り次第、怖いので撤去します」
「ああ。そうしてくれ…………たのんだぞ」
それが罠だとして、罠じゃないとして。
別に圭は死んだっていいと思っていた。
家族もいない圭には、本当の本当に紗奈しかいない。
紗奈しかいないのだ。
「何が何でも結果を出します」
何が何でも。
たとえ死んでも。
「…………そうか」
教授は圭の頭を優しく叩いた。
***
一週間後。
「ようこそ、私の研究室へ―!」
圭は時雨の研究室へ正式に入った。
「ああ。よろしくな」
「うんよろしく!ここ私と早川くんしかいないからこぢんまりとしてるけど、気にしないで!」
気にするに決まっている。余計この場所に呼ばれたことが疑問でたまらなくなった。
「午後1時くらいからはお兄ちゃんの研究室に行かないといけないから渡しいなくなるけど気にしないでね」
「へぇ、お兄ちゃんと仲良いんだ。いいね」
こちらから仕掛けなくても、時雨は大和の話題を出してくれた。これ幸いと圭は時雨に大和の話題を振る。
「大和お兄ちゃんはすごいんだよー優しいし、かっこいいし、頭いいし、私大好きなの」
「ひとりっ子だから普通に羨ましいわ」
「いいでしょー大好きだから分けてあげられないなー」
「や、それはいいけど」
なんでだと口をあんぐりと開く時雨は年相応で、圭は時雨がつかめない。この美しい少女はいったい何を圭に望み、この研究室に呼んだのだろうか。
「それで俺は、何をすれば?」
「今日はデバックです!」
「結局ここでも!?」
今までの1か月と少しはずっとデバックをしていた圭は、時雨の下でもデバック作業に当たることになった。口では反論したとはいえ、仕事を振られたことがうれしくはある。小鳥遊時雨がどのような研究をしているのかを知ることができるからだ。
「優秀だと聞いてるよ、頑張れ。明日は来客があるからその準備も帰るまでにはしてね。クッションだったり、インテリアだったり、見直してほしいな」
「え、それ俺がやっていいの?」
明らかに一介の助手がする仕事ではない。そんな重要そうなことをやっていいとは思えなかった。
「もともとは私がやらないといけないんだけど、お兄ちゃんの婚約者をもてなすとか本当無理だから」
圭は言葉を失った。
小鳥遊時雨の兄の婚約者。
とはつまり、小鳥遊大和の婚約者。
(桜庭、紗奈…………?)
圭の動揺もよそに、時雨は話し出す。
「あんな女といたらお兄ちゃんが不幸になるってずっと言ってるのにさーお兄ちゃんはさーもー」
笑みを作ってはいたものの、内心は大荒れだった。
(あんな女)
時雨はそういった。
(その言い方だと、まるで、小鳥遊大和が紗奈に惚れてるみたいじゃないか)
時雨が自分の動揺を誘うためにこの話題を出した可能性が脳をちらつく。絶対に顔には出せない。動揺を悟られてはいけないと思っていた。
時雨の話に相槌を打ちながら考える。
(…………紗奈)
会えるかもしれないなんて、思ってもいなかった。
もう二度と会えなくてもいいと思っていた。
だけど会えるという可能性が現実味を帯びていると気づいたとたん、会いたくて笑顔が見たくてたまらなくなる。
その声が聴きたい。
その目を見つめて、手をつなぎたい。
抱きしめてほしい。
その中で眠ってしまいたい。
そのまま目覚めなくたって、そうできれば幸せだと思う。
『小鳥遊大和にあっても嫉妬するなよ』
いつかの斎藤教授の言葉が頭を揺らす。大和が紗奈に惚れていると遠回しに時雨に言われて、二人が一緒にいるのを見て平常心を保っていられる自信が少し揺らぐ。
そんな自分を正そうと、圭はおなかに力を入れた。
「まぁとにかく頼んだ!私あの女に会いたくないし!」
「りょーかい」
「じゃあ改めてこの研究室周り紹介するわ。ここトイレ、この横の部屋が仮眠室。トイレと仮眠室入るときは靴はスリッパに履き替えてね」
「はーい」
「私がいないときは多分ここで寝てるかお兄ちゃんのところだから、用事があったら取り敢えず連絡する前にここの中見てみて。ここにいなかったらお兄ちゃんのところに行ってるから連絡して。」
圭はうなずいた。チャンスだと思った。
ここで靴を脱いでくれるのだったら、靴の先端に記録用装置を靴に着けることができそうだった。靴ならば位置に気を付ければ触れられる可能性も低そうだ。
「了解」
美しい少女は圭の返事に満足そうに笑って見せた。




