第169話 チヨのカフェ二号店、オープン! 後編
ベーカリーカフェ・ミツキ二号店にて。
正午以降。
細かいところでの発揮ではあるが、チヨはやはりビジネス的な彗眼があった。
まず、一風変わったランチを望んできた方々。
次に、コマを午前中に固め、それを完遂した大学生の方々。
そして、昼下がりを有意義に過ごそうとする老若男女。
十一時の間に昼食を済ませたのも正解だった。
ここから満月家の五人はてんてこ舞いとは決してならない程度に、常に何らかの仕事が発生するようになった。
イバラがパンを加熱・補充し、ワノが飲み物の機械を稼働させ、ネロアとトツカが食器から席まで、あれこれを片付け、チヨが注文を取る。
開店前にもっさりと決めていた作戦も、現場での作業を経て、みるみると分担、効率化していった。
「七百二十円です。ありがとうございます」
(そうそう。これがカフェのあるべき姿よ)
そんなこんなで時刻は十五時を迎えた。
ベタなおやつの時間にして、学生たちなど、自由になる人たちが増える時間でもある。
ベーカリーカフェ・ミツキは周辺にある有力チェーンと同等の混雑模様を実現したのだった。
少しでも流動性を高めるために、ネロアやトツカは食器洗いと、空いた席の掃除を行うことに専念する。
あるとき、トツカが空いたばかりの二人掛けの席へすかさず、布巾と消毒スプレーを携えて向った。
その右隣の席に、大学生くらいの青年が座っている。服装は普段着のようだが、やけに縮こまった背中と、膝に固定したような両手が、気弱な印象を抱かせた。
初めて見た段階では、普通の客として、特段気にはしなかった。
トツカが異常に気づいたのは、空いた席の掃除を終えたところ。
「あの、お客様……注文されていませんが……」
「後から友達、いや、知り合い、いや……待ってる人が来ますので……すみません」
「わかりました……」
また見たとき、あそこにまだ何も商品がなければ、それこそ注意しなくては。
と、トツカは頭の片隅に置いて、カウンター裏へと戻った。
それから五分くらい後。
またトツカが空いた席の掃除へ向かった。
(そういやアイツはどうなった……?)
拭き掃除の最中、パーテーションを挟んだ先にある彼の席の様子を覗く。
テーブルにはコーヒーSサイズが二カップ
向かいの席にスーツ姿の男が座っていた。
他に掃除するところがないか見て回るフリをして、もう少し近づいてみる。
後ろ姿では見えなかったが、ネクタイの色が赤と黒と金のトリコロールカラー。さらによく見るとワイシャツ内のインナーが、古着っぽいプリントのものと、かなり遊びが多い。
一.五倍速がかかっているようなまくし立てた喋りと、羽ばたきたいのかと思うほど、両腕をバタバタジェスチャーもまたおっかない。
(うわ、俺が嫌いな偉ぶった厚かましいヤツだ……)
トツカはさっさと裏に戻ろうとする。
するとどういうわけか、二人が話している内容が耳に入ってきた。
「このご時世、大学生の三人に二人は投資を行ってるのはご存知ですよね? ね? ねぇ!?」
「は、はい……」
「ですけど各社銀行や証券が提供している投資プランは、結局会社側にも儲けがあるようにしているので……うまくやってもちょびっと、言いなりになっていると逆にぶん取られることになるんですよ〜」
「は、はい……」
「そこで俺たちは、アンタみたいな真面目で賢い大学生向けに、特別なプランを提供しているんですわ。
中学高校の卒業アルバムとか、電話とかメッセージアプリのリストさえあれば簡単に、公務員初任給レベルの儲けが手に入るんだなこれが」
「は、はい……」
「あんまり大きい声で言えないんですけど……」
この時の声量は、カフェにしては相対的に小さめではあるが、男基準だと仰々しくデカかった。トツカは鼓膜が内側と外側の熱でチリチリした気がした。
「このプラン、国とか大手銀行が潰そうと目論んでやがるんすわ。自分たちのお金がなくなるーってセコいこと考えやがってさ」
「は、はい……」
(お前『は、はい……』以外の相槌ないのか? 俺は最低でも三種類はあるってのに)
「ちゅーわけで、このプランをスパイに漏らさないために、指南書は少数だけしか作ってないんスよ。で、今の在庫はたったの二冊。ちな昨日一冊売れたんだ」
「は、はい……」
「その内の一冊が今、カバンの中に入ってるんだけど……」
ここでレジの方から、イバラが食器片付口から顔を出して手招きしていた。
(あ、はい……今いきます)
トツカはその場でゴミを拾う……
「【真実の世戒】」
……素振りをしてから、カウンターに戻った。
「……で、どうします? 俺に三万円よこしてくれます? カモさん?」
「はぁ、三万!? お前オレのことナメてんじゃねえぞ! そんなの情報商材詐欺じゃねえかよ!?」
「情報商材じゃねえ。マルチ商法だ。で、どうすんだよオラ、さっさと俺に三万払ってスニーカー買わせろよアホ」
「ほらやっぱそうだ! サークルのよく知らん先輩女にしつこく言われたから来てやったと思ったら、案の定こんな目に会うとは、我ながら情けないったらありゃしない! 自分の金で買えやカス! そんなダッセーネクタイ買う余裕あったらよ!」
「んな余裕ねーよ! 俺も上にノルマ催促されてるんだからよ!
なあ早くすべこべ言わず三万払えッ! さもないと俺たちのトップ引きずり出すぞ!」
「じゃあオレは警察か消費者庁出すぞ!」
「ひぃぃぃ、勘弁してくれ〜い……!」
トツカが展開できる特殊効果を持つ結界十種の内の一つ、【真実の世戒】。
範囲内にいる人はウソが言えなくなる。
(まさか初日からこんなゴミ客の商談場にされるとは……これがカフェの宿命ってものか)
あと一歩で殴り合いに発展する寸前にまで、感情を爆発させている二人組を、トツカは片付口から脇目に見て、鼻で笑った。
「トツカ……これオーブンにいれて……」
「あ、すみません。よそ見していました」
*
二十時二十分。
そろそろ閉店の二文字がチラつく時間帯。
日が暮れる前までは大盛況だった店内も、十一時と同じくらい、席数の三分の一程度の混み具合に落ち着いた。シックなムードのBGMがよく似合う。
その席にいるのは参考書を広げた学生や、PCに歯を見せてにらめっこするサラリーマンなど。恐らく閉店間際まで各々の作業に集中するつもりだろう。
イバラは既に台に並べたパンを袋詰めして値引きし、チヨとワノは早めのレジ周りの整頓。
ネロアとトツカは、お客さんがいない席の床のほうきがけや、椅子をテーブルに乗せる作業など、掃除を始めている。
ラストオーダーまであと十分後。
今回もまた娘たちを動員せざるを得ないというアクシデントに見舞われたが、どうにか切り抜けられた。チヨはレジの調整をしながら、しみじみと思い、そして娘たちに内心感謝していた。
と、同時に、彼女には今、一抹の不安があった。
(前回(※また第60話参照)は閉店間際に、迷惑なお爺さんたちが迷惑かけにやってきたんだけど……さては今回も……あるな)
ネロアが店頭にある、おすすめ商品のポスターがはめ込まれたA看板を持ち上げる。
「わっ!」
途中、咄嗟に三歩後ろに退くと同時に、A看板をまた床に置いた。
「ここだな、生意気にもこんなハイブランドなビルに開店した個人経営のカフェは」
「パッと見雰囲気いいようだけど。クラマのほうが絶対勝ってるだろうけどね」
「ねーねー! あの席使えそうじゃん! 一番背景キレイそうだし」
男性三人、女性一人の、全員何らかのストリートブランドでギラギラ着飾った若者四人組が、ネロアの存在など無いかのようにドスドス横並びで歩いてきたためである。
その横柄さと、五メートル以上は離れているはずなのに、『潰す』という表現を用いざるを得ないほど強烈な香水の匂いから、レジにいるチヨは、眉間にシワを寄せた。
「うわ、いかにもキツそうな人たち……」
隣のワノが肘でほんのり小突く。
「こら、一応お客様っスから、ボソボソ声でも文句はダメっスよ……まだ!」
四人組は、モダンアートが掛けられた壁の真下の席に行った。
ついさっき上げていた椅子を降ろし、全椅子を壁際に寄せて設置する。
まだセリフを発していない、髭面の男一人がせっせとカバンに入れていた簡易三脚とカメラをセット。そして……
「それじゃあ撮影開始まで、六、五、四、三、二、一……うえっへふほーい! ソボロン一世!」
「シラス次郎!」
「あげたま!」
「明太です」
「「「「ジャンジャン・リーグ、はっじまりまーす!!!!!」」」
と、彼らにとってはテッパンの動画オープニングを撮った。
ネロアは看板を抱えたまま戸惑い、ワノは唇を必死にくっつけたままにし、イバラは皿洗いの音に紛らせて舌を鳴らし、トツカは天井のエアコンの状態を確認した。
そしてチヨは、レジの『六』のキーを間近にして、頭を抱えた。
(予想以上にめんどくさい人たちが来てしまった……)
ここから四人は、今の店内の雰囲気などお構いなしに、飲み会並みの遠慮のない声量で話していく。
しかしなかなか動画の本題のようなものには行かず、ダラダラと世間話と、ファンに媚びたようなキッツイ日常での失敗談を続けた。
それを続けること十二分。ついにリーダー格と思しき男、ソボロン一世が企画にまつわる話をし始める。
「動画を見ているみなさんはもうお分かりでしょうけど、この世にクラマ以外のカフェに存在意義はないんですよ」
隣のギャルっぽい女性、あげたまがゲラゲラ笑う。
「だよねー! モナークとか、アビス珈琲店とか、ドルスザクカフェとか、ロマーノとか、オッサンとガキばっかりでもう行ってなーい!」
カメラには残像が残るかもしれないほど、大げさに首を縦に振ってから、四人の中では鼻につく意味で清潔感がある男、シラス次郎。
「その説を立証するべく、僕たち四人が体を張って、弱小カフェはなんで弱小かを調べていこうってわけなんですよ」
「そういうこと。てなわけで俺たちジャンジャン・リーグはここ……ええと……」
ここでリーダーへ、髭男の明太が「ベーカリーカフェ・ミツキ」とボソッとささやく。
「ミツキベーカリーカフェに来てます! 店名からしてパンに力入れてますけど、果たしてその実力はいかほどか……確かめてみましょう!」
区切りの合図として、ソボロン一世は破裂音クラスの勢いで両手を叩いた。
「はい、じゃあ誰がレジ行く?」
「あたし無理ぃ、ショートみる」
「僕は今日出す動画の編集しなきゃいけないんだけど」
「じゃあ俺行くしかないか」
ソボロン一世は無駄に重たそうに腰を持ち上げて、歩幅を横に広げて、レジへ行った。
「まずそうなもの、まずそうなもの……」
アップルパイなどの王道メニューは外し、パンを四個ほどトレーに乗せて、レジ担当の前に立つ。
「あのホットのショート四つで」
「ブレンドのホットをSサイズでよろしいですか」
「って言いませんでしたか俺?」
「失礼しました。少々お待ちください」
チヨとワノは二人がかりで、マグカップにホットコーヒーを注ぎ入れた。
「今、三十二分っスよね、母さん……」
「しっ、ここは誤差範囲として見逃しとくの」
「アタイなら断固拒否するっスけどね……」
チヨは笑顔を作って、マグカップが四つ乗ったコーヒーをトレーに置いた。
「あー、いやー……まあ仕方ないか。あざす」
紙コップに入れて。と、言おうとしたのを我慢して、ソボロン一世が席に戻っていく様を、チヨとワノは心底苛立ちながら見送った。
その周辺で、マズイ空気を感じ取った他のお客さんが続々と退店していくのもまた、彼女たちのストレスとなっていった。
「……」
「……」
「……」
ネロア、トツカ、イバラは片付口からあの迷惑集団の動向を覗いて警戒する。
そこから四人は、パンを一つ一つ食べてレビューしていく。
一品ごとの一口目に、彼らは必ず無言になった。
「これはさては、けなすワードを考えてる時間でしょうか」
「このみせのパン……あじにすきなし……」
「そこまでして一企業に喧嘩うるのにメリットでもあるんですかね、アイツら」
動画アプリに変な履歴が残ることを気にしつつも、トツカはスマホで彼らのチャンネルの様子を調べてみる。
「チャンネル登録者、一万一千人……なんとも言えない数字だな」
ちなみに再生回数最多動画は、某ハンバーガーショップに最大何時間居られるかを検証する動画で、九千回も再生されていた。
「さいていな……にひきめの……どじょうとり……」
「ルックスはウケそうですのに、純粋に自分たちの力で再生回数を稼げないのでしょうか?」
「ああいうのは多分、大手がやってないようなことをやればウケると思ってるタイプのアホなんですよ、ネロアねーさん」
ダラダラとパンを食べては文句大喜利を繰り返し、時刻は二十時四十八分になった。
自分たち以外の客が全員退店したことをいいことに、彼らの行動はエスカレートしていく。
彼らにとってはちょっとした冗談のつもりで、袋を投げ捨てたり、パンのカスを撒き散らしたり、挙句の果てには一度口に入れたものを吐くような素振りまでやり出した。
これに堪忍袋の緒が真っ先に切れたのはイバラだった。
「あっ、ちょいまちイバラ……!?」
イバラは肩をいからせてズカズカと四人の席へと進み、声を張り上げる。
「もうじきへいてんじかんです!」
ここはイバラの異世界での裏の顔……殺し屋としての素養が発揮された。一同は雷に打たれたように身震いし、全身丸ごと引きつった。
しかしものの数秒で彼らは元の調子に乗った状態に戻り出す。
あげたまは自分のスマホのカメラをイバラめがけて構え、わざとらしく、極端に声のトーンを上げて言う。
「見てください! このお店は社会問題になってるカスハラしてくるタイプの店です!」
だがイバラは殺気を放つのを止めない。堂々とカメラの前に留まる。
これにリーダーのソボロン一世と、明太はガチガチに戻った。
すると今度は、シラス次郎が椅子を後ろに倒しつつ起立し、イバラのすぐ手前に躍り出る。
「なあお嬢ちゃん! そういう強気な態度を僕たちにしちゃあいけないよ! どうやら君は、僕たちのことを迷惑動画投稿者とでも思ってるみたいだけど……僕たちはそれだけの人間じゃないんだよ」
「ほかになにが……?」
シラス次郎は、自分のズボンのポケットから何らかのマイナーな動物革の長財布を、噺屋の扇子のように振りながら語る。
「実は僕たち、本業は投資家でさぁ。今の総資産は……生々しいから具体的な数字は言えないけど……このビルを買い取れるくらいあるんだよ?
そんな僕たちに反抗的になっていいのかな? それだけの権威と財力を持つ僕たちにかかれば、こんな身内で回してるような店、すぐ閉められちゃうよ?」
「そう……」
「わかったならさっさと裏戻ってくれ! あのずっとレジ立ってる店長っぽいオバサンに泣きついているといい!」
イバラは一旦、シラス次郎の指示に従って、レジカウンターへ戻った。
そしておばさん……チヨに目が合うなり、
「ころす……?」
「それは絶対にダメ。マジでダメ」
「けどアイツらどうどかすっスか? もうそろそろ閉店しないとマズイっスし、ビルそのものからもさっさと出ないと大変っスよね?」
「それは絶対にソー。マジでソー」
ここでネロアが手を挙げる。
「そう言えば以前(※へい、第60話おまちぃ!)のきも何やら迷惑なお客様がいらっしゃったと聞いていますが、そこではどうやって対処したのですか?」
「逆に親切にして、居づらい空気を作って出て行かせた」
「けどあの社会を舐め腐った奴ら、そういうのを単なる好意と捉えてズルズル居残りそうですが……」
「そうだね、トツカ。けど、空気で促すのはここでも使えるかもしれない」
ネロアは奥に掛けてあったモップを持って、
「では僕があの辺りを掃除し続けて、試してみます」
「わかった。じゃあひとまずそれでお願い。あたしたちはここで掃除がてら様子をうかがってるから」
ネロアは直ちに四人の集まる席に行く。
とっくに悪質動画用のVは取り終えたようで、カメラの電源を落として、時間など微塵も気にしていないような雑談を交わしていた。
「そういやソボロン、お前らこないだ打ち上げやってたとき、あげたまと一緒に個室残ってたよな?」
「いやあ、違いますよ……それがどうしたんですか。シラスさん」
「お前、あげたま掠め取ろうとしてないよな?」
「いいえ違います。本当です……酔ってましたけど……」
「マジでやったら承知しないぞ! こないだあげたまの両親に会ってんだから、僕!」
「あ、けどチューはしたかも〜」
「おい橋村ァ! テメェ当分マージン半減してやろうか!?」
「してませんって井中さぁん! ハルカのKYなジョークですって! てか明太! お前早く俺の弁護しろ! お前も同席してただろうに!」
「……」
この会話中、ネロアは彼らが散らかした床を、約三十分前と同じくらいキレイにした。
思い切りテーブルや椅子の下にモップを伸ばしたり、なんなら三脚の足元まで丁寧に掃除している。
それでも彼らは微動だに退店しようとしない。
ちょうどよく、ビル全体の閉店を意味する放送が流れていても、彼らの気持ちは変わらない。
ここまでくれば、流石の温厚なネロアも我慢のしようがなかった。
ネロアはモップを携えたまま、四人の前に仁王立ちして、優しい声色を保って告げる。
「お客様。お取り込みのところ失礼いたします。閉店のお時間になりました。どうかお帰りくださいませ」
すると、ネロアの優しさを踏みにじるように、怒髪天を衝くシラス次郎が、前にあった机を倒しながら立ち上がった。
「うるせぇ人が真剣な話をしてるんだ! 引っ込んでろ店員風情が!」
シラス次郎の体重を乗せた右ストレートが、一直線にネロアへ飛んだ。
しかし突然、シラスは両腕を大きく上へ振り上げてよろける。
ネロアはこっそりとモップの頭をひねって外し、居合めいて持ち手の棒を振り上げたのだ。
「こん、のお……!」
シラス次郎はまだ八つ当たりを止めない。壁に一度寄りかかって反動をつけて、ネロアへ飛びかかった。
今度は何もない空間でたたらを踏む。ネロアが普通に横にそれた。
すかさず身をひねりつつ、回し蹴りが放たれる
ネロアは棒を相手のスネが来るところで構えてガード。
激痛で顔を歪ませるシラス次郎の肩に、座禅中の警策のように棒を叩きつける。
ますますシラス次郎に痛みが蓄積し、片膝をついて座り込んだ。
「こらー! 何やってんだ井中! そんなヤツコテンパンにしちゃってよ!」
「ま、まじぃ……シラスじろ……あいや、井中さんがボコされてる……おい、明太!」
「ええ、何……まさか俺に加勢しろとか言うなよ」
「お前、加勢しろ! 確か昔、柔道ならってなんだろ!」
「正確にはブラジリアン柔術」
「どっちでもいいだろ! いいからはよ行け!」
「うおー!」
明太が両手を広げて、ネロアの側面めがけて突撃してきた。
ネロアはモップの棒を剣のように下段に構える。
正確に、最小限の動きでまず、相手の踏み込んだばかりの右足のふくらはぎを打つ。
そこをかばって重心が右に傾いたところで、次に左腕を攻撃。明太の体がよじれた。
さらにネロアは左脛へ突きを一閃。両足にダメージを与えて、明太をへたりこませる。
それでもなお明太は戦意を捨てず、熊のように両腕を目一杯伸ばして振り下ろした。
ところがその前に、まるで真剣白刃取りをしくじったように、脳天に棒が命中したことで、明太は無害な意味で倒れた。
死神ホイプペメギリの代理たる戦士、ネロア・ルォーナピアナの戦闘能力はいまだ衰えず。というわけだ。
横からシラス次郎が震えながら言い放つ。
「め、明太ーぁ!? こ、この野郎! 客に暴力振るう奴がいるかぁ!?」
「先に暴威の軍門に降り愚行を犯したのは、貴方たちではないか」
ネロアの異世界からの癖、威厳を出すためにセリフが厨二臭くなるアレである。
「は、はい……」
短時間で圧倒されたシラス次郎とっては、それが悪ふざけに聞こえず、予想外にも萎縮してくれた。
「な、納得してるんじゃねーぞ、お前ら!」
リーダー、ソボロン一世が目を限界までかっぴらいたまま、テーブルの前へ歩む。
どこからか取り出したハサミの片刃をそれぞれの手に構えている。
「お、おいお前! 俺は……いや、井中さんは、末端のカモまで足せば傘下六百人の人脈ビジネスの幹部なんだぞ……逆らったら金と人数で……す、するぞぉ、なんかぁ!?」
そんなガッタガタの脅しを聞き終えたネロアは、ニッコリと笑った。そのコンマ一秒後に、電光石火の早さで棒を振り、ハサミ両刃をはたき落とした。
「……退店いただけますか?」
もはや打つ手がなくなったソボロン一世は……側のテーブルに手を伸ばし、すっかり冷めていたコーヒーを一気に飲む。
その様子を見て、倒れていないテーブルの下に隠れっぱなしのあげたまがため息をついて、
「ちょいちょい、橋村。カメラカメラ」
「カメラ……ああ、そうか!」
ひょっとしたら自分たちに都合の良い映像が撮れているかも知れない。
最後の望みをかけて、ソボロン一世は三脚に手を伸ばす。
「この映像、今後の参考として本社に持ち込んでもいいですか?」
残念。カメラは既にネロアが所持していた。あの掃除中にしれっと回収していたのである。
そして万策尽きたソボロン一世は、蚊が鳴くような声で尋ねた。
「これは……暴行と窃盗になりませんか……?」
ここでワノがニタニタ笑いながらやってきた。その片手には、何らかのマニュアルが挟まっていると思しきバインダーがある。
「正当防衛になるんじゃないっスか? 先に殴りかかったのはそっちスし。
しかも昨今のカスハラ対策関係の法案をざっとまとめて言うと、アンタらがここまでやってきたこと……弁護士が裸足で逃げ出すレベルっスよ?」
トドメに、ワノはテナントのガラス壁越しにある、ビル通路の監視カメラの位置を教えてあげた。
ソボロン一世は息をすること以外何もしなくなった。
それを見かねたあげたまが、テーブル下から四つん這いで出て、シームレスに土下座する。
「ごめんなさい……そのカメラの動画ぜんぶ消していいんで……ゆるして、ゆるして……」
「わかりました。あともう本当にお店を出てってくださいね。そろそろビルの出入口も施錠されてしまいますから」
ネロアが諭すように言った後、店内のレジからはもちろん、騒ぎを聞きつけた近隣テナントの従業員からも拍手が届いた。
この後、数日も経たずしてジャンジャン・リーグのチャンネルは消滅していたという。
*
あの四人が帰った後、満月家は大急ぎで二号店の締め作業を完遂した。
二十二時、満月家はすっかりやりきった顔をして、関係者出入口を通過した。
ここは商業地区で、都会のド真ん中。
あちこちの建物から放たれる光が、クッタクタの五人にとっては星空のように沁みた。
「ネロア、最後の件は本当にありがとうね。まさかまた(※ここまで読んでいる読者ならどの回を参照したいかわかることでしょう)のっけからこんなトラブルに見舞われるとは……でもって娘たちに解決してもらえるとは、ね……」
ネロアは首を横に振る。
「いえいえ。もう少し穏便な解決方法ができるはずでしたのに……残念です」
「確かに悪い気もしたけど……いいよ。ああいうのは本当に痛い目遭ったほうがいいときもあるから。
もう一度、ありがとう。後でなんかちゃんとした御礼してあげるね」
ワノは両手を後ろに組みながら言った。
「その件で印象薄れてるっスけど、ビジネスとしては順調な離陸だったんじゃないっスか? ちゃんと混んでましたっスし」
イバラは売れ残ったパンの入ったバッグを、少し持ち上げた。
「これ……いがいと……すくなかった……」
トツカは腕を組みながら歩く。
「それにしても接客はキツかった……多種多様なお客様がいますから……」
それぞれの一日の感想を口にして、五人は帰路を歩いていく。
今は十二月。実に季節を感じさせる透き通った夜風が当たるも、五人にとっては然程冷たくはなかっ……
「ぶぇっくしょおいッ! ひー、いよいよ冬真っ只中になってきたな……服装の計算ミスったかも。みんなはどう? 寒くない?」
「いえ、僕は大丈夫です。ヒートテック着てますから」
「そうそう。なんかピコ姐が着とけって執拗に言ってきたんスよ」
「おかげで……あったか……」
「なんでそんなこと言ったかわからないですけど。第60話のラストで役に立ったとかわけわかんないこと言ってましたけど……」
満月家と、ベーカリーカフェ・ミツキはこれからも順調に進んでいく……はず。
【完】




