第166話 トツカのせいなんだから、責任とってよね。
百式高校の休み時間。
校舎内のなんでもない廊下を、ユノスとトツカが横並びで歩いていた。
まるで葦の海を割るモーセのように、廊下にいた同学年生たちが脇へ避けている。
そこで彼らは、ひそひそと話し合ったり、息を呑んで二人の姿を見つめたりした。その果てには、気を失って窓際にもたれかかる人まで現れたりした。
ユノスは目線を隣へやって、ほのかに笑う。
「いつもながらものすごい注目度だね、トツカ」
一方のトツカはユノスどころか、周りの同学年の誰にも顔が合わないように苦労しながら言った。
「いや、これは普段の比じゃ、ないですって……」
「けど二日に一回は男装してるよね? これが平均値じゃないの?」
百式高校はかなり先進的な風土のある学校である。
公序良俗に反さず、余程かしこまった行事がない限りは、最悪、指定制服付属のネクタイさえ巻いておけば服装自由。という校則もそうした緩めの校風の一部を担っている。
トツカはそれに甘えて、女性的に優れたスタイルを覆い隠すために、男装をして登校している。
もっとも、彼女の桁違いのルックスからすれば、それはそれでまた別な魅力が生じてしまうのだが……
「ええ、確かに半々の頻度で男装して登校してますよ……ただ、これは、そういう趣向に特化しすぎてますもの……!」
トツカは燕尾服のジャケットの裾を、必死に握り続けていた。
……本日のトツカは、男装は男装でも、執事服を着て、ユノスのお供をしていた。
今のトツカの姿はまさしく、少女漫画からぶっこ抜いたような、高貴な主に相応しい美麗な従者そのもの。
このトツカの凛々しさの可能性を広げる御姿に、百式高校の生徒は見惚れざるを得ないのだ。
「くぅぅ……マジで今日は誰も俺のことジロジロ見ないでくださいよ……
そしてユノスねーさん、これはいくらなんでも罰として重すぎやしませんか」
「いや、相応だと思うよ。だって今日までだもん」
「けど、まさか学校でまでやらされるなんて……」
何かが触れればジューと言いそうなほど顔を赤くし、ゴニョゴニョと不服をつぶやくトツカ。
ユノスはそちらから目を離し、なんとなく頭のアホ毛を触った。
そこには彼女のトレードマークである、赤いベレー帽は引っかかっていなかった。
*
これは昨日の夜に起こってしまったことだ。
「ただいま上がったぞ。次は誰が行く?」
サバキがタオルで頭を拭きながら、寝間着姿でリビングにやってきた。
「なら次は私に入らせておくれよ」
間髪を入れず、マジナが手を上げる。
「じゃあ俺が行きます」
数秒遅れてトツカが手を上げた。
「わかった。じゃあトツカ。行ってこい」
「ありがとうございます」
トツカはテレビ横にある充電器に、スマホを挿して、風呂場へと行った。
「……あのさ、サバキ。私の方が早かったよね?」
「『早いもの勝ち』と自分は言った覚えはないが?」
「けどこういうのは慣例的に、先に手を上げた方が……」
「……いちいち言わなきゃダメか。『貴様は風呂場で好き放題するから信頼されてない』と」
外の照明スイッチを点け、脱衣場に入ったトツカ。
すると彼女は、洗濯カゴの上にあるちょっとした棚へ視線を吸い寄せられる。
「これ、ユノスねーさんのアレだよな……」
いつもユノスがアホ毛に引っ掛けている赤いベレー帽。それと、彼女の忠実な執事、電子生命体アザレアを呼び出す端末でもある。
トツカはそれを持って、ハンドルのようにクルクルさせながら思い出す。
サバキの前には、持ち主のユノスが入っていた。だからここに置いたままにしていたのだろう。
(ならサバキねーさんも気づくはずでしょうけど……思慮深いあの人のことだから、自分に次いでしっかりしてるユノスには、何らかの意図があると思って、このままにした……と、考えるのが自然か)
なら自分はそういう事情をすっ飛ばしてユノスに渡すべきだろうか。と、考えている中、トツカはハンドル回しを止めて、ふと気づく。
(そう言えばこれ、洗っているのか……?)
繰り返す。この赤いベレー帽はいつもユノスがアホ毛に引っ掛けているもの。
冷静に考えると、彼女がこれを洗っている瞬間を観たことがない。外でも家でも、ほぼ必ず定位置にいた。
さっき自分より先に風呂へ行こうとした変態と同類にならないよう、トツカは理科の実験のように手で仰いで、ニオイを確かめる……特に危険な傾向はない。
しかし、スマホの画面のように、常に利用しているものは雑菌が溜まったりしているということが有り得る。
(ユノスねーさんのためにもやっとこうか)
なので、トツカは洗濯機の横の棚からネットを取り出して、このベレー帽を入れた。
そしてトツカは、先にこのネットを、続いて自分の服を洗濯カゴに投げ入れて、浴室に入った。
*
「根本的には、ボクがうっかりアザレアのベレー帽を置き忘れちゃったのが悪いと思うよ。
けど、トツカもトツカで、あなた何考えてたの?
どんな機械でも洗濯機に入れたらダメになるんだもん。そこは考えなかったの? 時折、完璧超人と噂されるあなたが?」
見た目がベレー帽なのに、ああいう電子生命体を出せるという異世界の産物なのだから、防水などあって当然だと思っていたが……まさかその原則には従っていたとは思いもよらなかった。
一応、二十四時間干しておけばすっかり元通り復旧するというのが不幸中の幸いだった。同時に、ここだけが異世界仕様だった。
「常識的に考えればそうでしたね……すみませんでした」
トツカは両手指を腰脇でピンと伸ばし、ユノスに向かって頭を下げた。
「それじゃあダメだよ、トツカ」
顔を上げる寸前、トツカはしかめた顔を隠した。
「何ですか。さては今の格好以外に罰を与える気では……」
「違う、礼の仕方が今の格好にあってない。
執事なら片手を胸において、もっと深く礼するでしょ?」
「……そこまで徹底するんですか」
「だって今のトツカはアザレアの代わりだよ。ならアザレアと近い挙動をしなきゃダメだよ」
「……それは失礼しました、ご主人様」
トツカは自分の頭にある執事のイメージで、左手を胸に、右手を背後に回し、上体を四十五度ほど倒した。
「それでいいよ」
「ありがとうございます……ところで、手はこれで左右合ってますか?」
「それはボクも覚えてないからいいよ」
*
この後、トツカはあまりユノスの従者として、傍に立つことはなかった。
ユノスが1−D、トツカが1−Eと、二人のクラスが違うこともあるが、普段から学校内ではアザレアを使う機会はない。
なので、その代役のトツカも同様に出番がなかったのだ。
常にいるとトツカの執事姿を見せびらかすようになり、ユノスが意地悪に見えすぎてしまうからという事情もある。
唯一、二人が揃ったのは昼休みだったが、ここでもトツカは執事っぽいことをせず、ユノスも主っぽいこともさせず、普通に食事と休憩を過ごした。
同席していたイバラとルシェヌは、
(なにこの……こうけい……?)
(変なのは格好だけかのう……?)
ただただ内心むず痒い思いをしていた。
そして放課後。
トツカは自分の部活動の練習場所である、校舎から離れた武道場に来た。
トツカの所属は薙刀部。ここでは当然、それ専用の道着と袴に着替えなければならない。
なので、一時的とは言えどユノスが強いてきた燕尾服から逃れられる。気持ち一.五倍ほど練習に精が出た気がした。
一時間半経過……部活終了後。
(見えないところでも気を抜くなとか言いそうだから……)
トツカは道着から、不本意ながらも燕尾服に着替え直し、武道場の外へ出た。
「来た! トツカ様だ!」
「流石は完璧超人! いかなる新衣装もお似合いで素敵ですわ〜!」
「執事トツカは世界を救う……!」
でもって、トツカにとっては恒例行事である厄介ファンの出待ちが、池に餌を投げ込まれた鯉のように、出入口付近を制圧していた。
「はいはい、押さないで押さないで……【純潔の世戒】」
これをトツカは、半径四メートル以内にいる人を無欲にする結界を、こなれた様子で展開して対処。
取り巻きたちはそこはかとなく冴えたような顔をして解散した。
トツカは効果が切れた後の追撃を警戒し、早歩きして校門を過ぎ去った。
学校の最寄り駅まで向かうその道中、メッセージアプリの通知音が鳴る。
スマホのロック画面には『ユノスさんから新規メッセージが届きました』の文字があった。
(ユノスねーさんは美術部だから、兼部の生徒会執行部で臨時対応がなければ、比較的早く帰れてたはず……で、俺に何を)
メッセージアプリを開くと、二件の未読があった。
『漫画作業に気合入れたいからドーナツ買ってきてほしいの
お金はちゃんと補填するよ』
『希望は以下の四つ
WSC MRS OF』
それに適当なスタンプを送るや否や、トツカはまず、『WSC』で検索をかけた。
「ワールド・スカラーズ・カップ……世界中の中高生を集めて、クイズやテスト、ディベートなどで教養と学力を競う国際大会……これがドーナツと何の関係があるんだ……ハッ!」
トツカは、スマホを持つ右手の燕尾服の袖口から、電撃的な記憶の紐づけを起こした。
(そうだ、なんとなく聞き覚えがある。ユノスはアザレアさんにドーナツを買いに行かせる時、こういうコードで指示を出していた。
けど、これは何なんだ……?)
そういうやり取りこそ聞いたことはあるが、いちいちその内容を考えることは、満月家の誰であってもしなかった。というよりする必要はどこにもない。
(ユノスねーさんは、ドーナツセットを食べる時、だいたいオールドファッションがついているイメージがある。
つまり三つ目のOFは、『オールドファッション』の略語だと思う。
となると残る二つもなんかしらのイニシャルを取ったものだろうが……)
ユノスは自分にアザレアの一日代理としての役目を負わせている。
だからこの暗号を自力で理解し、指定のものを買ってこなければならないはずだ。
トツカは、ベレー帽を洗濯してしまった責任を今一度自覚して、ブラウザアプリをそのまま動かす。
ユノスが最も利用しているドーナツチェーン店、『モモキノドーナツ』公式サイトのメニューページを開いた。
するとここで、またユノスからメッセージが。
『ごめんトツカ
いつものクセでアザレアしかしらないコードを言っちゃった』
『・ホワイトシュガーチョコ
・もっちリングストロベリー
・オールドファッション
この三つを買ってきて』
トツカはスマホをしまい、向こうの最寄り駅から家までにあるモモキノドーナツ店舗のことを考えつつ、
(流石のユノスねーさんも、暗号解読までやらせるほど悪魔ではなかったか……)
と、内心ホッとしていた。
*
帰宅後。
アザレアになるつもりで、トツカは買ってきたドーナツ三つを皿に盛る。
ついでにたまたまあったティーバッグを利用し、ミルクティーを作った。
この二つをトレーに乗せて、二階で作業中のユノスに持っていった。
「ただいまです、ご主人様。こちら注文の品になります……」
ユノスはぐるりと椅子を回して、トツカへ向いた。
「おかえりトツカ。」
ユノスはすぐにトレーの上のものを凝視する。
「うん、ボクの食べたいもの通りだね」
「おまけにミルクティーも淹れました。これは余計だったりしますか?」
「全然そんなことないよ。アザレア並みに気が利くね」
トツカはユノスの机の空きスペースに、皿とカップを置く。
机の中央には、スケッチブックが置いてあり、何らかのキャラクターの設定画が途中まで出来上がっていた。その端には『モブD』とタイトルが。
ユノスは出版社からたびたびライトノベルのコミカライズが舞い込んでくるので、恐らくそれのために用意したのだろう。
(モブもキチンとデザインをまとめておくとは、やはりねーさんはしっかりしていますね……じゃあなんで脱衣場にベレー帽忘れたんだか)
と、色々と考えていたトツカに、ユノスが自分のタブレットを差し出した。
そこにはラフな薄い線がいくつか描かれた漫画の一ページが映っている。
「……これは、どういうお望みで?」
「仮清書をお願い。この薄赤の線をなぞるだけでいいから。あとあまり完璧にやろうとしなくていいよ。ボクが最後の最後で直すもん」
アザレアは元々、漫画家をサポートするために開発されている。
なのでトツカがこういうアシスタントをするのは必然だった。それでいてトツカ自身も予測していた。
「仰せのままに、ご主人様」
トツカは二つ返事で了承して、タブレットを手に取った。
当人がいないことをいいことに、ピコリの机を使い、言われた通り赤線レイヤーの指示に従って仮の清書をしていく。
その横で、ユノスはドーナツを味わいつつ、トツカのミルクティーを飲む。
「わあ、これおいしい……カフェとかと同じくらいかも」
「普通のティーバッグと常備されてた牛乳使っただけですが」
「けど配分とかがしっかりしてる気がするよ。実はよく作ってたりするの?」
「……過去にね。お茶の淹れ方をこと細かく習っていた時期がありました」
「そういう習い事をしていたんだ。絵とかも?」
気がつくとユノスが、トツカ(正確にはピコリ)の机の横に立ち、タブレットの中身を見ていた。
「ちゃんとボクの下書きの雰囲気を保ちつつ、絵を形にしてるね。だからひょっとして、絵の習い事とかもしてたの?」
トツカはペンを動かしたまま、目線をタブレットに向けたまま返す。
「ええ、一応。それとピアノ、裁縫、書道、生け花、バレエ、そろばん、英会話、パソコンとかも軽く」
「ものすごく多芸になろうとしてたんだね……時間あったの?」
「放課後は常にカツカツでした。土日はほぼ習い事で埋まっていましたよ……」
「今で言う教育虐待の亜種かな?」
「かもしれないですね……正直、この絵を描きなぞってて自分でもびっくりしましたよ。『まだ腕が覚えていた』とはね」
元いた異世界での文化慣習を引きずって、かつては自分の感情をほとんど出さず、仕事をすることに取り憑かれていたユノスも、これにはうまく感想が言えなかった。
自分は物心ついた頃から漫画家としての技術のみを学ばされ、それに特化した人間になれた。
けれどもトツカは役に立ちそうなことを何でもかんでもやらされていただけ。
ユノスはその違いを感じ取ったからこそ、上手く気の利いたことが言えなかったのだと、自分を分析している。
けれども、小説家などの文学に準ずるくらい、言葉を使って創作をする身分として……もとい、そもそも、姉として、ユノスは一旦自分のデスクに戻り、冷めかけのアイスティーを飲み干してから、
「やっぱりトツカは完璧超人なんだね」
するとトツカは鼻を鳴らして、言い返す。
「超人はギリいるとして、完璧なのはどこにもいませんよ。俺の場合は見た目はともかく、中身は人当たりの悪い不器用な奴ですから」
「それはそうかもね……あと、ごめんね。かくいう、ボクも、同じ屋根の下にいる妹のことまだまだ知らなくて」
執事としても妹としても失礼であることに今更ながら気づいたトツカは、ようやくペンを置き、ユノスと目を合わせる。
「だから完璧超人なんていないってわけですよ……」
そして二人はしばし見つめ合った後、互いに照れくさくなって、それぞれのデスクでの作業に戻った。
作業再開から一分くらい経つ前に、トツカはつぶやく。
「……っていうより、今朝から思ってましたが、誰です、俺のこと完璧超人って呼んでるの?」
「トツカに黄色い声を浴びせてる不特定多数だよ」
「そうですか。色々褒め言葉は聞きすぎて、いちいち覚えてないんですよこれ」
夕食後。
ようやくベレー帽の不調が直り、アザレアが一日ぶりに姿を現した。
自分の服に着替えたトツカは、直角に迫るほど、本来のユノス主従に頭を下げた。
「この度はほんっとうにすみませんでした!」
「いいのです、トツカ様。私も洗濯機には弱いことを伝えそびれていた責任がありますから。ここはさっと水に流しましょう」
(洗濯機で始まった事件を水に流していいんですかね……)
「はい、けど一応礼儀として、すみませんでした。アザレアさん」
そしてユノスとアザレアはお互い向き合い、
「じゃあこれはちょっとした休暇として、明日からまた一緒に頑張ろ、アザレア」
「イエス、マスター!」
と、小規模な心機一転を誓ったのだった。
この時、トツカは右手を自分の顔に当てていた。
「『イエス、マスター』だったか……俺ずっと『仰せのままに、ご主人様』って無駄に堅苦しいこと言ってた……ああ、地味に恥ずかしい」
これを外に出しても『細かいこと』でしかないので、トツカは何も言わずうなだれた。
【完】




