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第164話 FEIGNING 〜露呈危機、ふと迫る串刺し〜

 そろそろ昼食の存在が待ち遠しくなる午前どき。

 中堅菓子メーカー、満月コーポレーション本社ビルにある、ベーカリーカフェ・ミツキのオフィスにて。


 迫る二号店の開店日に向けて、数十人の社員たちがせわしなくそれぞれの業務に勤しんでいた。


 この営業部のデスクの島で、一人の青年がインカムを装着し、都度ペンを動かしている。


 彼の名前は野木ヨウイチ。新卒で大手外食チェーン店に入社したのち、そこからここに転職して二ヶ月の若手社員だ。

 しかし彼にはまだ、大手外食チェーンの一員としての誇りがあった。


 彼の正体は企業スパイ。

 期待の同業他社を内側から荒らすべく送り込まれた人物である。


「はい、はい、あー、はい、ありがとうございます! では、はい」

 と、電話内で何らかの商談が進んでいるような相槌を打っているが、この電話は本来の所属先が用意したダミーのものだ。言っていることも適当に取り繕っている。



 野木が真に意識を向けているのは、右手で持っているボールペンの方。


 大抵の人は自分か他人が買ったのを問わず、自分が使っているボールペンがどこのメーカーなのかを意外と気にしない。

 他人が使っているものとなれば、より無関心度は高まる。


 野木が今使っているのはどの文房具メーカーのものでもない。一応インクが出て線をかけるようになっているが、主な用途はボタン部にあるレンズである。

 これは精巧に偽装されたボールペン型カメラだ。

 彼はそれを握る手を動かして、何らかのメモを書くフリをしつつ、壁の掲示物や他人のPCの画面を隠し撮りしていた。


 現行プロジェクトに関係ある情報なら言わずもがな、潜伏先が扱う個人情報、なんなら社員たちのサボりの証拠であろうとも、このスパイにはいいお金になる。


 しかし今、隠しカメラは、小柄な黄緑髪の少女の顔しか写していない。


「そのペン……スラスラかけるんだね……」

 ちょうど、ダミーの電話が一区切りついたところで、この声がして、


「はい、結構道具に凝る……!?」

 野木が反射的にデスクチェアを九十度回す。直後、彼は大事な商売道具を落としかけ、左手でキャッチする。


 野木は、企業スパイとして、ショルダーハックには何よりも気をつけるようにしていた。

 だがこの少女はまるで予兆無く、背後に回っていた。それもペンのカメラを潰せる絶妙な位置に。

 そして今は、慌てる野木を無表情で見つめていた。


(ま、まさか俺が何をしていたのかに勘づいたんじゃないよなコイツ……! てか、誰だ!?)


「どうぐにこる……あとなに……?」


「え、いや、これはただのペンですよ。ディスイズアペン」


「それちがう……」


 少女がまぶたを半分ほど降ろした。対照的に、その奥にある眼光がますます鋭くなった。

 まるで機嫌を損なわれ、あと九秒も経たぬうちに手を出す殺し屋の目つきであった。


「違います! これはただのペンなんです! たまたま家にあったよくわかんないメーカーのヤツなんです!」

 野木はペンを両手で握り、腰を前へ曲げて、はからずも命乞いをするような体勢になった。


 それでも、少女は無言を貫いていた。


 ところが、その祈りが通じたように、

「おいイバラ、母さんの大切な社員を困らせるな」

 また別の、青髪の少女がやってきた。こちらは前からいる黄緑髪の少女よりも背が高い。


 野木はそちらへ椅子を回し、またしても驚いて、背もたれと机の縁を激しくぶつけた。


 サバキもまた、限りなく無音で背後を取ってたのだから。

 野木の危機感はつゆ知らず、サバキは彼へ会釈を送る。

「すみません自分の妹が仕事の邪魔をしたようで。どうぞ、自分たちのことは気にせず集中してください」


「いえ、心配なさらず、そこまで忙しくはしてないので……」

 感情的にはかなり忙しい瞬間ではあったが、野木はそれを表に出さず、お言葉に甘えて身体をデスクに向けた。


 ここで野木はふと思う。

(てかあれ、この二人は誰だ? どうして子どもがオフィスに)

 モヤモヤを抱えたまま仕事するのも嫌なので、野木は右手でメモを取るフリをしつつ、首だけ回して、

「ところでお二人はどちら様で?」


「自分は満月サバキと言います……自己紹介くらい自分でしてくれよ」と、青髪の少女、

「わたしは……みつきイバラ……」と、黄緑色の髪の少女は言った。

「はいはい、みつきさばきさんとみつきいばらさんで……」

 野木は一応メモを取った後、そこに書いた「みつき」の文字を見て青ざめる。


「もしや……社長の娘さんで!?」

 このベーカリーカフェ・ミツキの社長、満月チヨには十人の娘がいる。

 これは入社(潜入)してから二ヶ月の若手でも知っていることだ。


「はい……そう……」

「そうです」


 サバキによると、本日は定期テストの二日目で三時限相当で放課後になった。

 このまま真っ直ぐ家に帰ることも考えたが、家では学生最大の苦役から解放された姉妹たちがハメを外して大はしゃぎするに決まっている。

 比較的真面目な方の二人はそれを避けるため、母親に連絡して、急遽会社で仕事見学させてもらうことになったという。

(なんちゅう都合がよくて都合が悪い話だ……)


 サバキはオフィス全体を見渡して、尋ねる。

「あれ、ところで自分たちの母さんは?」


「ああ、さっき他社交えた会議に備えて、緊急打ち合わせがあるって呼ばれて離れてます。昼休み後くらいには帰ってくるのではと……」


「わかりました、自分たちは社長席辺りに引っ込みます」


「わかりました。あれ? ちなみに私の名前は聞かなくて……」


「野木ヨウイチさんですよね。ネームカードにありますから結構です」


「これは失礼しました。見ればわかりますよね」


 サバキは、オフィスの隅のパーテーションで区切られた社長用スペースに行った。

 それをある程度見送って、野木はホッと一息。

「ようやく仕事に集中できる……」


 野木はインカムを戻し、電話をしてメモを取る……という体の盗撮を開始をする。


「はい、そうです、はい、じゃあそちらでお願いしま……」

 最中、野木はふと右斜め後ろに違和感を覚え、そちらへ向く。

 と、そこにはイバラが真顔で立っていた。


「では、すみません! 詳しいことはまたお会いしてからで! はい、失礼しました!」

 それらしいことを言ってから野木は椅子も回して身体をイバラに合わせる。

 そしてにこやかな表情を保つ。手もメモに置いたまま、何らかの書き物をしているようにする。

 常に動かしてこれが隠しカメラだと視認出来なくするためだ。

 下手に隠せば誰であっても怪しむという理由もある。


「ど、どうしたの、イバラさん……?」


「……」

 イバラは口を固く閉ざし続ける。だが瞳は機敏に動いていた。

 その視線は概ね、野木の右手の元を捉え続けていた。


(流石は社長の娘、まさかこんなに早くこれに注目してくるとは)

 野木の額や背中や脇下……とにかくあちこちの毛穴が段階的に開き始めてきた。


 するとまたここにサバキがやってくる。

「おいイバラ、いつまで野木さんの仕事を睨んでいるんだ」


 イバラは右手を上げ、人差し指をメモに合わせる。

「このひと……ずっとらくがきしてる……」


「は、落書き?」


 サバキは、野木がボールペンを突き立てているメモを覗いた。

 そこにはハエの軌道を追ったようなゴチャゴチャした線が描かれていた。


 しばしサバキは背もたれから五十センチほど離れて観察する。

 その佇まいは、古めの刑事ドラマにありがちな、電柱裏に立つ主人公の『毛一本も逃さない』というような強い正義感が漂っている。


 それを食らった野木は、引きつった笑みを浮かべることを強制された。


 二人が睨み合う時間が数分間続く。

 そしてサバキはこう結論づけた。

「違うぞイバラ、これは速記だろう」


「そっ……き……?」


「会議とかインタビューとか、リアルタイムで人の発言を書き残す時に使う方法だ。

 一見ミミズがサンバしているような見た目だが、それを知ってる人ならちゃんと意味のある文章として読める。

 ここは営業部の島だから、そういうメモを取っていたのだろう。

 ……でしょう? 野木さん?」


 沈黙以上に不自然な反応はない。このスパイ活動に就く前に、上から散々注意された内容だ。

「ええと、はい! 僕、商業系の大学に通ってたので、そういうのも勉強してました!」


「とのことだぞ、イバラ」


「ふうん……じゃあなんて……かいてあるの……?」

 イバラが聞くと、サバキは彼女の肩に手を置き、ぐるりと向きを変える。

「それはきっと、他社が絡む機密情報だ。無闇に嗅ぎ回るな。ほら、母さんのところに戻るぞ」


 イバラはサバキに連れられ、社長スペースに戻った。


 野木は心の底から生き心地を覚えた。本当に他社が絡む機密情報を集めていたと知られずに済んだのだ。


 この後、彼は誰にも怪しまれないように、普通に仕事をした。ただ、例の娘二人は社長スペースに留まったままなので、真面目にやって若干損した気分になった。



 昼休み。

 満月コーポレーションは本社ビルを持てるほどの規模を誇るので、社員食堂も当たり前のように用意されている。

 野木は貴重品類(お金とかスマホだけではない)が入ったビジネスカバンを置いて、席をキープする。


(ウチの本所属は外食チェーンだから、社員食堂もそれと同レベルのもの。けどここは外食にそこまで体重を乗っけていないから、そこまででもない……まあ、コンビニ行くより安いからいいんだけど)


 手始めに脳内でマウントをとってストレス穴を開放して、午後に向けての英気を養うために、注文の列へ向かう。


「よいしょっと」

 その瞬間、すれ違いで青髪の少女と黄緑髪の少女――サバキとイバラが、隣の席にトレーを置いた。


「あれ……この人……?」


「あ、野木さんでしたか。奇遇ですね……」


 野木は速やかにUターンして、カバンを背もたれに押さえてガード。

「こ、こちらこそ気づけずにすみません!」


 野木はスパイとしての勘で気づいた。

 これは奇遇などではない。

 先ほどのペンやメモのやり取りで自分のことを怪しみ、母親のために、こうして自然を装って監視しているのだと。


「いえいえ、あと、そこまで謙遜しなくてもいいですよ。社長の娘ではありますが、会社内では何の権利もございませんから……」


「いえいえ、滅相もございません!」

 野木は首をブンブン縦に振って謝意を見せた。ここに何か計算や理由があるわけではなかった。


「ヘッド……バンギング……?」


「よくそんな言葉知ってるな、イバラ」


「ピコリおねえちゃんが……おしえてくれた……」


「だと思った」


 計三十往復ほどしたところで、野木はヘドバンもどきの礼を止める。

 すると今度は、スーツの右袖をめくって、そこに時計はないのに、時計を確認するジェスチャーをして、

「す、すみません! ちょっとこの時間に連絡入れなきゃいけないお客様がいました、ので! 失礼しまっす!」

 カバンを椅子から持って抱えて、二人から逃げていった。


「二号店開店間際となると、いち社員もこれほど忙しくなるのか……」

「さあ……?」


 この後、野木は近くのコンビニのイートインで昼食を済ませた。

 食堂でも食べたかったカキフライの弁当があったのが、不幸中の幸いであった。



 昼休み後。

「すみません皆さん、随分と空けてしまって……」

 野木の予測通り、社長のチヨがようやくオフィスに戻ってきた。


「お疲れ様です!」

 野木は周りと同様の無難な挨拶を返した。予想していたので、見られては困るものはデスクに置いていない。


 チヨが真っ直ぐ社長スペースに戻ると、二人がスマホをいじって待っていた。

「おかえり母さん」

「おかえり……」


「こちらこそおかえ、いや、ただい……この場合何を言えばいいんだろうね? どう、大人しくしてた」


「ああ、程々にゆったりしてた」

 と、サバキは濁した返事をして、

「……」

 イバラは無表情を保つ。これは無表情であっても、普段遣いのものではなく、都合の悪いことを隠すときの無表情である。


 チヨにはその区別はつかないので、

「そっか。逆に退屈してない? やっぱり家に帰ったほうが色々出来て楽だと思うんだけど……」

 この提案に何よりも食いついたのは、野木だった。社長スペースから営業部の島まで十五メートルとなかなかの距離が離れているにも関わらず拾えるのは、彼の切望が強すぎる証拠である。


「結構。テスト後だから、あまりストレスはくらいたくないので」

「うるさいのやだ……」


(いやもう帰ってくれよマジで)

 儚い切望であった。


 ここでチヨは社長スペースから少し離れ、オフィスにいる全員が見える位置に立ち、呼びかける。

「すみません! 今から四十分後に例の会議があるのですが、ウチから筆記係を出してほしいと言われました。誰か立候補してくれる方いらっしゃいますか!?」


 誰も手を挙げない。名乗り出ない。

 他社が絡む会議の議事録担当となると、責任が怖くてしょうがないのだ。

 それは承知だが、こちらも一人誰か筆記を立てないといけない決まりもあるので、チヨはもう一度呼びかけようとする。

 と、その寸前、サバキが声を上げた。


「母さん、あそこの野木さんという営業部員の方が、速記を使えるとのことだが」


「え、本当に!?」

 チヨは輝かせた目を、サバキからゆっくりと、野木に合わせる。

 野木は一瞬、眩しそうに目をつむり、(やな顔したらダメだ……)と意識して、普通の表情に変える。


 チヨの照準は完全に野木へ向いている。

 なんなら周りの同僚も全員自分をチラチラ見てくる。

「……じゃあ野木さん、もしよければ筆記係、やってみませんか!?」


 ここで断ればなお目立つ。故に、野木は……

「は、はい!」

 空元気で威勢よく返事した。


 そして約束の四十分後。

 オフィスの上階にあった大会議室の、流線を描く見栄え重視の机の一辺に、野木は座った。

「他社といっても、グループ的には何度もお取引してるところですから、そこまで緊張しなくていいですよ、野木さん」

 隣にはチヨがいる。これはより重要な情報を本部に持ち込む好機だと一瞬喜んだが、いざ本番に差し掛かると恐怖でしかなかった。


「なんなら娘二人も見学していいとあちらから言われてるくらいですし」


 チヨが振り向いて指さした先……会議のドア付近には、余った椅子に腰掛けて座るサバキとイバラがいた。

 野木が追って見た時、イバラが手をゆっくりと振ってきた。ここでもまた無表情かつ、殺気すらも覚える目つきをしているのがますます彼の神経をすり減らしていく。


 続々と参加者が集まり、本番が始まる。

 ここからが野木の本当の地獄だった。


(なんでイマドキ速記術に頼るんだよ〜! 真ん中にレコーダー置いとけばいいだろうが! だいたい議事録なんていらね〜だろ! 失言掘りかえす以外使い道あるかってんだ!)

 と、胸の内で文句を垂れつつ、野木は必死にメモをひらがなで埋める。

 どれだけ頑張っても、実際の会話の五分の一のスピードしかペンが動かない。

 彼は商業系の大学に通っていて、速記を習っていたのは真実だが、実践レベルには到達していなかったのだ。


 高を括っていたのはこれだけじゃない。

 今持ってきた道具は、ペンではなく、ペン型カメラだった。

 このペンもどきは、筆記用具としての性能は最低限。五行も連続で書くと、線がカスカスになってしまった。


 この時間は、他社を交えた会議と言いつつも、あらかじめ決まっていたことの再確認や、それぞれの定期的な近況報告で、会議の『会』の字が強かった。

 故に参加者全員は和やかかつ気楽に話を進めていた。だから、野木の血眼と全身から迸る汗の量は異様に浮いていた。


 もういっそ介錯してくれ。と、言わんばかりに野木は刹那で入口付近……自分を怪しんでいるだろう二人の方を見た。

 サバキはただ背筋を伸ばしたまま、微笑んでこちらを見た。

 イバラは真顔のまま、親指を立てた。


(さては俺は踊らせてるのかコイツらァ〜〜!)

 この本音を外に出したかったが、それは自分の最期として相応しくないので、どうにか口内で噛み潰した。



 会議から三十分後。ビジネスチャットで野木はチヨに議事録のファイルデータを送れた。

 メモはまるで役にたたなかった。

 だが、本来の所属先の会社に内定を取れた決め手である『記憶力』が役に立った。

 どうにか自分の頭で覚えていた会議内容を思い出して、議事録を清書、ないしは復元したのだ。


 ちなみにペン型カメラで撮れた映像はろくなもんではなかった。必死の筆記作業で全編ブレッブレかつ、音も風を切るものばかりだったからだ。


『ありがとうございます、野木さん』と、社長からの返事メッセージが届いた。


「え、ええ、お安い御用っスよ……」

 ちなみにこのパソコンに音声入力機能はない。


『まさかここまで出来る人とは知りませんでした』

『今晩、グループの飯島社長と同席して、大きめの立食パーティーがあります』

『そこまでかしこまった場でもないですし、一緒に来て、顔見せしてみませんか?』


 ここまで来たらもう元に戻れない……野木はすみやかに返信した。

『ぜひよろこんで』


 数秒も経たずにメッセージが帰ってくる。

『ちなみに娘二人も同席させますが……よろしいですか?』


「勘弁してくれ〜い!」


「どうした急に?」


 やってしまった。急に大声を上げられたので、隣の同僚がこちらの顔を覗いてきた。


「ああ……すみません、最近観てたコントを思い出しちゃって」


「へえ、野木、お前お笑い好きなのか?」


「まあ、はい……そう、なんですかね……はい」


 この後、同僚とのお笑い談義に十分弱つきあわされた。あの台詞がとあるコントに使われていたことを覚えていた自分をほんのり恨んだ。


(っていっけないいっけない、今向き合うべきものは、立食パーティーの方だ……)


 だが向き合ったからといって、気持ちが穏やかになるわけではない。ただ怯える量が減るだけだった。



 というわけで四時間後。

 野木は心身両方の疲労でガッチガチになった身体を押して、ビル内にあった大広間にやってきた。

 チヨとサバキとイバラら、ベーカリーカフェ・ミツキの面々は言わずもがな、先ほどの他社の方々だけでなく、満月コーポレーション内の各重役もいた。


「いちいち言わなくてもいいと思うけど……このこと他の八人に言わないでよ、サバキ、イバラ。袋叩きにされるからね」

「承知している。それでもって感謝している」

「どれもこれも……おいしそ……」

「……」

 チヨ親子と一緒に会場に入ってすぐ、野木は参加者が放つ覇気に気圧され、吐き気を催したが、どうにか堪えた。

 それからチヨに連れ回され、期待の新人として方方に紹介された後、フラッフラになりながらビュッフェに並んだ。


 味が強くてわかりやすいものばかりトレーに乗せているのが、彼の状態を物語っていた。

 立食パーティーというのは参加者が席を固定せず、あちらこちらへ歩いて回って交流を楽しむのが主なメリットなのだが、その恩恵を預かることなく、野木はあからさまに孤立しているよう見えない程度に、会場の端で虚しく晩餐を味わっていた。


 パーティー用に社内お抱えの栄養士や調理師を呼んでいるのだろう。どれもこれもすんなりと疲れに効いてきた。

 食べ進めている最中、野木は手を止めた。

 小さく切ったパンの間に、様々な野菜や肉を挟んで、串刺しにした料理……ピンチョスだった。


(やっぱり、染み付いたクセって抜けないんだな……)

 これを無意識によそったことを自覚した野木は、自ずとここまでのことを思い出した。

 

 自分の生まれ故郷は、その地域の暇な人くらいしか来ない、小規模な観光地であった。

 それ目的で来るお客様向けの、値の張るレストランなどが街のあちこちに並んでいるが、有名なチェーン店は遠出しないと行けない。そういう不便を抱えた町でもあった。


 だから一家で美味しいものを食べるとなると、自宅でのパーティーがベタな選択肢だった。

 こうしたささやかなごちそうが、野木にとっては何よりの喜びであった。


 こういったピンチョス(この名前は当時は使っておらず、普通に串刺しと呼んでいた)は、小さい工夫で作れる華やかなメニューとして、毎回テーブルに登場していた。

 いっぺんにいろいろなものが食べられるので、これが野木のお気に入りであった。


 都会に出て大学に通ってからも、この思い出を忘れられず、こうした食を通じて誰かに喜びを与えたい。という思いから、野木は大手外食チェーンに入社した……時に、そういう理由を練って面接で披露した。


 本音を言えば、大学卒に相応しい会社であればどこでもよかった。

 あちこちの企業に落ちた果てに、今の本所属の会社に流れ着き、その時に過去を踏まえた偶然の産物の志望理由を思いつき、役員の胸を打てただけである。


 しかしそんな事情でいざ取り組んでも、思うように結果は出なかった。

 唯一の取り柄は物覚えと、緊急時のごまかしが上手いだけ。それ以外のスキルはてんでダメだった。

 そんなダメな人間を利用する方法として、上は企業スパイを思いつき、野木はやむなく従った。それで現在に至る。というわけだ。


 ……串刺しを一通り食べ終えた後、野木は考えた。

(もう仕事やめようかな……どっちも。

 あまりにも俺の感覚に合って無さ過ぎる……)


 トレーに料理を補充するがてら、社長に相談しようか。

 ここで重たい話を持ち込むと空気を壊すから、後日にしようか。

 伝えるなら文面か口頭のどちらかがいいか。

 などなど、何も刺さっていない串を見つめて、具体的なプランを考えた。


 すると、

「そこそこ探しましたよ、野木さん」


「あ……」


 右横に、サバキが立って声をかけてきた。

「片付け……あそこで……」

 さらに左横もイバラが押さえてきた。


 二人とも、トレーが空の皿だけになっている。どうやら回収に向かう最中に、野木を見つけてきたらしい。


 監視者二人に挟まれた……と、警戒できるほど、今の野木は体力が残っていなかった。


 サバキは野木の浮かない表情を覗いて、尋ねる。

「どうしました。ものすごく元気がないようですが……」


「まあ、今日は色々ありましたからね……新人だから甘えてはいけないのでしょうけど……荷が重すぎました……」


「でしょうね。特にあの会議、自分でもいざ筆記をやれと言われたら、なかなか難しいかと思いました」


「せんもんどうぐありなら……なんとか……」


「自分もレコーダーとか、ハイテク用意してくれればなんとか出来ますが……」


(ハイテクは用意していたんだけど、それ向きじゃなかったんだよなぁ……)

 今更ながら、なんで普通のペンも持ってこなかったのかと、野木は反省した。

「ですよね……はあ、なんかすみません。速記できるって言ってたのに、あんなてんやわんやになっちまって」


「けれども、キチンと議事録は出来上がっていましたよ」


「おかあさんと……みた……だいたいあってた……ほめてた……よ……?」


 野木は持っていたトレーの傾きを修正して、

「ええ、社長が褒めてた? あんな思い出し思い出しでどうにかエピソードを溶接した議事録で!?」


「ええ。要点はかいつまめていたとのことで。母さんとしてはこれくらいで丁度よかったとのことです」


「ぜんはつげんのせるなら……レコーダーおくし……って……」


「ふ、ふうん」

 野木はまだ鵜呑みに出来なかった。自分なんかが社長にほめられるなんて想像できない。

(しかも潜入先で……そうだ、俺今スパイだった……まあ、もういいよ……)


 サバキは、野木のトレーにある空の皿を自分のトレーに移して回収しつつ言った。

「自分は会社に属したことはないので、非常に上から目線なことかもしれませんが、これからも母さんを見てやって下さい」


「は、はい……わかりました……!」


 そして二人は踵を返し、皿の回収場所へと向かっていった。と、思いきや、イバラが瞬間的に戻ってきて、野木へ手を突き出し……


「これ……わすれてた……!」


 野木のトレーの隅に転がっていた串をつまみ、今度こそ彼の元から去っていった。


「……はあ、安心した」


 この後、野木は『自分が企業スパイをやらされていたことを然るべきメディアに流す』ことを交渉材料に、元の所属先から本当に円満退職をしたという。


 そして数日経った頃。満月家の夕食にて。

 事情を知らないチヨは、特にサバキとイバラに向けて話した。

「なんか最近、野木っていう新人の子が前以上にすごい頑張ってるんだ」


「あの人か……それはよかったな」


「だんしみっかあわざれば……かつもくしてみよ……」


「そうそう、あの人。ちょっとテンパりグセが相変わらずだけど、状況をまとめるのが上手くてさ」


「そうか。それでどうなんだ、母さん。野木さんから耳寄り情報は聞き出せてるか?」


「……え、なんのこと?」


「にじゅうスパイ……してないの……?」


「まさかぁ。そんな暗躍しないよあたしの会社は……って、二重スパイってどういうこと!? 一重ですら身に覚えがないんだけど!?」


「……すまない、最悪な冗談だった」

「サバキおねえちゃん……つくりばなしへたくそ……」


「まったくー、そういうドキリとする冗談やめてよサバキ。あなたそういう性じゃないの自分でもわかってるでしょ」


「うん、本当にすまなかった……」


 野木ヨウイチは、これからも引き続き、健気に、かつ、クリーンに頑張り続ける。


【完】

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