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バイバイまたね、クドリャフカ  作者: くろのあずさ
コルネフォロスの本音―ヘルクレス座―
22/36

2

 出発前夜、私が体調を崩し急遽帰省するのは母と妹だけになった。父は仕事だし、ふたりは私を置いていくか悩んみ、中止にしようかとも言いだした。


 それを私が断固反対した。飛行機のチケットも取っていたし、なによりおばあちゃんが待っている。


『ほのか、本当にひとりで大丈夫? お父さんは夜には帰ってくる予定だけど、つらかったら遠慮なく連絡しなさいね。お父さんにも言ってるから』


 家を出る直前まで、母と妹は私の部屋で名残惜しそうに心配していた。


『寝てれば平気だよ。おばあちゃんによろしくね』


『お姉ちゃん、なにか欲しいものある? お土産買ってくるよ。お年玉はばっちりもらっておくから、それ以外で』


 必死に尋ねてくるまなかに私は苦笑した。みっつ年下の可愛い妹。成績は普通だけれど、明るくて朗らかで優しくて。友達もたくさんいる。


 人懐っこくて、誰からも愛されるような性格だ。私とはまるで正反対。


『じゃぁ、お守り買ってきて』


 ベッドからふたりの顔を見上げ、私は母と妹に告げた。東京で学問の神様として有名な神社の名を挙げる。


 一度、お参りしてみたいなと思っていた。祖母の家に行くときに、もし寄れたら行ってみよう。それくらいの気持ちだったけれど、せっかくなのでねだってみる。


『お姉ちゃん、それ以上頭よくなってどうするの?』


 呆れた様子のまなかに母は『ほのからしいわね』と笑った。


『わかった。ほのかの分もお参りして買って帰ってくるわ』


 母が私の額にそっと手を乗せた。ひんやりとして熱が奪われていく。心地よくて手が離れたときは、寂しく思えた。もう小さい子どもでもないのに。


『早くしないと飛行機乗り遅れちゃうよ。年末で混んでるだろうし』


 気持ちを誤魔化すように指摘すると、母は時計を確認した。


『そうね、そろそろ行くわ』


『お姉ちゃん、またメールするからね。しんどくなったらお父さんに電話するんだよ』


『うん、ありがとう』


 ベッドから母と妹を見送る。部屋のドアがゆっくりと閉まり、ふたりの姿が消えると、なぜだか私の頬にひと筋の涙が伝った。


 待って。行かないで。私を置いていかないでよ。


 心の奥底にあった本音が溢れる。でも声に出せない。体調を崩しているから心が弱っているのかな。


 胸騒ぎが収まらない。吐き気とは違うなにかが体の中をかき回しているような不快感だ。


 きっと予兆だった。第六感とでもいうのか。


 この日、政府から地球に月が落ちてくるという発表があった。瞬く間に人々はパニックに陥り、人の多い都心部はとくに酷かったらしい。そして――


「自棄になって暴走した車が、ごった返す人たちの中に突っ込んだの。そこにお母さんたちもいて………」


 場所は私が話した神社前の大通りだった。ふたりとも即死だったらしい。


 遠くに飛ばされ、後から返ってきた母のバッグの中には、私の頼んでいたお守りが大事そうに入っていた。


 私がお守りなんて頼まなければ。私が体調を崩さなければ。私が……。


 月が落ちて世界は終わる。けれど、その前にうちの家族は壊れてしまった。


 世界の行く末を伝える大きなニュースを前に、母や妹の死はメディアに取り上げられることもなかった。それがいいのか、悪いのか。


 運転手はかろうじて命は助かったらしいが、重傷を負い不自由な体になったと聞いた。なにを望んでいたのだろう。知る気さえも起きない。


 混乱のさなか、ひっそりと葬儀が執り行われ、母と妹は白い灰になった。あの厳格な父が静かに泣くのを初めて見た。


 誰を、なにを恨めばいいんだろう。この感情をどこにぶつけたらいいの?


 それから父は以前にも増して仕事に力を入れるようになった。正義感や使命感に燃えていると、周りの人は口々に評する。


 でも、そうじゃない。きっとがむしゃらになにかをしていないと押し潰されそうだったんだと思う。それとも私と距離を取りたかったのか。


 母と妹が亡くなり、喪が明けた頃だった。


『ほのか、父さんは仕事に行く。状況が状況だからあまり頻繁には帰って来られないが、戸締りはちゃんとしておけ。当分、必要なものはこちらで用意するから極力外を出歩くな』


『うん』


 言葉通り父は仕事に精を出し、私とじっくり話す機会もなくなった。とはいえ、まなかが一緒ならまだしも元々私と父が一対一で過ごした思い出もあまりない。


 あまり口数が多い人でもないし、仕事も不規則で忙しそうだったから。そんな父にまなかは懐いていて、いつも素直に甘えられる妹が羨ましかった。


 父もきっと私より妹の方が可愛かったと思う。


 家族ふたりになったのに、家に父がいても居たたまれなくなり私は部屋にこもってしまう。そして、気づけば父は仕事に向かっている。父とこの状況で真正面から向き合うのが怖かった。だって――。

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