ホルツォーク
七月はじめの朔の日。
この日、朝食の席にはミトとタリオ、それにナウラが並んで腰かけていた。
それぞれの目の前には糸引きダルドが入った藁苞が置かれている。完成した日以来、朝に三人揃って食べることがこの夏の習慣になった。
一人一人、自分の好みの食べ方が分かり始めてきた頃でもある。
タリオは塩をかけたあと、爽やかな匂いのする青緑の香草を刻んだものを混ぜて、くさみを消して食べていた。
青緑の香草は山ならどこでも生えていたけど、似た形の赤い色は毒があるからそれだけ気を付けて摘んでくれば問題ない。
ナウラは豚の脂を熱したものと塩を入れて混ぜていた。
ミトは、日によってシラックを入れたり、豚の脂や香草、また他の食材をいれながら何が合うかを試していたが、一番好きなのは少しだけ包丁で刻んだダルド豆に塩だけを入れて食べることだった。
「――意外とはちみつも合うかもしれないわ」
タリオがぎょっとしたようにミトを見てから、自分の藁苞を隠した。
「絶対、ぼくのにはかけないで」
「美味しいのに! ナウラは」
ナウラは藁の包みを差し出したから、ミトは少しだけはちみつをかけた。
「はちみつは置いておいて――糸引きダルドはこんなに美味しいのにうちの家族ったらひどいと思わない?」
「おばさんとウダ? でもおじさんは気に入ってくれたんでしょ?」
「そう。でも、母さんが匂いが残るから絶対に、もううちでは食べちゃ駄目だって」
「まあ、うちで食べたら良いじゃない――おじさんは肩、治ったの?」
「うん。結局、薬師様に薬をもらいに行ったみたい」
薬師様。
ナウラの家だってそんなにお金持ちな訳ではないはずだ。余計なお世話と思いながらミトは聞いた。
「薬師様――どれくらいお金をとったの?」
「母さんは何も言わないから知らないけど、かなり取られたんじゃないかしら。――最近はお肉が鶏ばっかりだもの」
「どうせ薬草なんて山のどこにでも生えてるんだからただでくれたらいいのに」
「――そうはいかないんじゃない? 薬師様のお家、見たことある?」
「あるわ……」
「だったら分かるでしょ? 絶対わたしたちより貧乏よ。だから良いの。父さんも肩が治ってまた元気に畑に出てるしね」
ナウラはなんでもないことのように言って、またダルドを口に運び始めた。
朝食を食べた後は、ナウラもうちに残って一緒にオンじいを待ちながら授業の支度をする。
こないだ、ダルドを試すのが終わってからはまた少し退屈になって来ていたところだった。
昼前にやって来たオンじいに向かって、タリオが母さんそっくりの口調で問い詰める。
「どうしてこんなに遅くなったの? 最近は早くて嬉しかったのに!」
オンじいは、息を切らせながら指を一本立てて食卓についた。ミトがオンじいの前に湯呑を置くと、オンじいは指を立てたまま湯冷ましをゆっくりと飲んだ。
「ありがとう、ミト。すまんな、タリオ。やることがあっての」
「やること?」
「そうだ。お前さんたちが最近ずいぶんと退屈そうにしておったからな」
ミトは期待を込めてオンじいを見つめた。今まさに、何か新しいことをしようと言おうと思っていた。
「――炭小屋の仕事に興味がある者は?」
「炭小屋?」
「そうだ。黒炭に白炭、それに屑炭。色々あるな」
がっかりした。なんだか期待していたものとはずいぶんとずれている。ナウラも訝し気にオンじいに聞く。
「それがどうしたの? 誰も興味ないと思うわ」
「ほ、果たしてそうかの。タリオはどうだね……?」
なぜかタリオが、興奮したように椅子からがたんと立ち上がった。
「もしかして――分かったの?」
「恐らくな。随分かかったが、仲間にも確認してほぼ間違いないだろう、と言うところに落ち着いた」
タリオとオンじい、二人の間でだけ進む話にミトとナウラは追いつけていなかった。
「ちょっと! わたしとナウラにも分かるように話してよ」
「ふむ。お前さんたちは興味がないかと思ったが、話した方がいいかね?」
「オンじい! タリオも何とか言って!」
「おじいさん。仕方がないから、ミトたちも仲間に入れてあげる?」
「お前さんがそういうならば」
二人がふざけているのは分かっていたけれど、ミトは、ずっと二人だけで楽しそうなことを隠していたのではないかと疑った。
「一体なんなの?」
「健康の書の食と衛生、ここは今までお前さんが試したな?」
「そうね。オンじいがどうして人に話したらいけないって言ったのもなんとなく分かったわ」
「良い進歩だ。もう一つ、健康の書に書いてあることを覚えてるかね?」
「薬でしょう? でもずっと何の薬かも、作り方も分からないって言ってたじゃない」
「どちらも分かった……」
ナウラが答えを急ぐようにオンじいに聞く。
「炭が関係してるの?」
「急ぐな。まずは、順を追って話そう。――良いかね?」
もったいぶったオンじいに、ミトは少しだけ苛々としてきた。ナウラとタリオも同じ様だった。
ミトは何度か深呼吸をして、心を落ち着ける。三人でこくりと頷いた。
「ここに、わしが読み取った薬の作り方がある。腹痛を治す薬だ」
腹痛、とオンじいが言った途端、ミトの心臓は急に早く動き出した。タリオも一瞬ミトを見てからまた目の前の紙に目線を戻した。
「良い緊張感だの。――この紙には、わしが読み取れた部分だけを書いた。正直全部が読み取れた訳ではないから成功するかは分からない。だが、タリオの様子を見て試す価値があると感じたからお前さんたちに話している」
誰かがごくっとつばを飲み込む音がした。
子ども同士の挑戦なんかじゃない。大人に、それも村でも指折りの物知りに、認められた。そんな気がしていた。
隣で、ナウラが背筋を伸ばした。ミトも同じく背筋を伸ばしてから声が震えないように気を付けて聞いた。
「それは、どんな腹痛も治してくれるの?」
「分からん。――読み取れたのは、胃の弱い者や、食あたりなど様々な痛みに効く可能性があるということだった」
「様々な痛み……」
「そうだ。だが、具体的な作り方を話す前に皆に約束してほしいことがある。――まず、この方法は決してわしの前以外で試したり、誰かに話したりしないこと。それから、誰かに試したくなったときは、自分も含めてだが、必ずわしに相談すること。これを守れないならこの話はなしだ」
オンじいが左手を差し出した。
三人は、頷き合って一人ずつオンじいの左手に自分の左手を重ね合わせた。
指切りよりも重い、絶対に破ってはならない誓いの仕草。幼い頃から教わる約束の手だ。
ミトは左手を重ねた時に、何かが起こることを期待したけど、実際にはオンじいの手の温もりを感じただけだったので、少しだけ肩を落とした。
「これで、約束は結ばれた」
ナウラが自分の左手を見つめて言った。
「はじめて誓いを結んだわ」
ミトもまた、温もりの残る手のひらを見た。
「――母さんが言ってた。普通ははじめての誓いは結婚で結ぶって」
「うちの母さんもそう言ってた」
なんだか不思議な気持ちだった。タリオも自分の小さな左手を見つめていた。
「じゃあ、これで教えて貰えるの?」
「そうだの。まずは――どういう作り方か伝えよう」
ミトは、ウダとサオロもこの場に居たらもっと面白かったのにと一瞬頭に浮かんだけど、すぐにオンじいの言葉に引き戻された。
「炭焼き小屋の主人には、子どもたちと夏休みの見学に行くと伝えている」
「見学?」
「そうだの。先ほども伝えた通り、あくまでわしらだけでまずは試す。誰かに気が付かれてはいけない」
ミトは面白くなってきていた。
「バル婆や母さんにも?」
「そうだの。今は伏せておくのがよかろう。――炭焼き小屋の見学は真剣にやるように。後々それが効くだろうからの。あとはわしが主人の気を逸らしてほしい時はお前さんたちの出番だ」
ナウラが首を傾げる。
「気を逸らす?」
「そうだ。炭焼き小屋の主人に気が付かれないように、ことを運ばんとならん仕事がある。――ここを見なさい」
オンじいは紙の一文をさして読み上げた。
「”ホルツォーク”ドルソタの古い言葉で、炭を作る時に小屋に残る液体のことだそうだ」
ミトは、耳慣れない言葉を、とりあえず繰り返して頷いた。
「ホルトークね」
タリオはなにかに思い至ったように紙の一点をさしてオンじいを見上げた。
「じゃあ――ホルツォークをおじいさんが盗むってこと?」
「ふむ。なんだ、失敬する訳だが、主人には特に必要ないものだからの」
オンじいが咳ばらいをした。三人はにやっと笑った。
「どうやって薬を作るの?」
「そこだな、問題は。ホルツォークを手に入れたとして、もう一つ必要なものがある。――油だ」
ミトはオリ油を思い出した。
「豚の脂か、オリ油とか?」
「いや、この書には明確には書かれていない。ただ、時間が経っても腐らない、あるいは性質が変わらない必要があるみたいだ。要は、長く保存しても悪くならない油だの」
「そんな油なんてあるの?」
「まだ分からん。今、解読を進めておるがもしかしたら遠い昔に失われていたり、この国ではそもそもない可能性も考えられるからの。ただ、油はあくまで薬を作る際に一緒に練りこむもののようだから、おそらくは真に必要なのはホルツォークのみだろうの……」
オンじいが、紙の一番下を指さした。
「ホルツォークと油を合わせて、練りこんだあと、火にかけて乾燥させる。ここはダルドの時と同じようにいくつか試す必要がある。型を作って、そこに当てはめて一番書に近いものをわしが試してみよう」
ミトは食卓の下で、そっとお腹に手を当てた。




