光るお腹
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世界の中枢からは遥か遠くに位置する、地図に名前も無いような田舎の村。
村は新年の祝い事も終わって、ただ新しい実りを待つように、寒さをしのいで春が来るのを待ちわびていた。
その村の中でも一際小さな家の、さらに小さな寝室。
暖かいはずの布団の中で、少女は腹を抱えていた。目を開けるより先に手が動いて、はじめての感覚に怯える。
「……なに?」
腹に手を当てると、そこは誰かに掴まれてゆっくりとねじられているみたいな、そんな痛みを感じた。
布団は寝汗を吸って冷たく、じっとりとした重みをもって小さな体を潰している。毛と植物を粗く編んでできた寝間着も湿っていて、思わず体がぶるっと震えた。
藁を束ねた天井の隙間からは朝の光が細く落ちている。いつも通り。なのに、腹の奥だけ明らかにおかしい。
息を吸った瞬間、胃が持ち上がった。口を押さえるけど間に合わなくて、冷たい石の床に夕飯がそのまま落ちる。
べちゃ、と嫌な音と匂いが広がった。
「うぅ。もったいない」
昨日の山菜がゆ、あんなに美味しかったのに。
四杯目を我慢して腹八分目にしておいたのだが、やっぱり食べ過ぎたのだろうか。
それでも、吐いたら腹の感じが少しだけ楽になった。動くのが億劫で出したものをそのままにして目を閉じていたら足音が近づいてくる。頬にひんやりとした手が触れた。
「盛大にやってくれたねえ」
「バル婆……」
目を開けると祖母が傍らに立っていた。ところどころ栗色が残った白髪を黒いかんざしで団子にまとめていて、つぎはぎの着物には薄布を巻いたまま。朝の支度を放り出してきたみたいだった。小柄な体が、すぐ横にしゃがみ込む。
「だから言ったろ、お前はいっつも食べすぎだって」
第一声のすぐ次の言葉がそれ。バル婆は吐いたものを手早く片付けていきながら、まったく、と言った。
そうして少女の額に手を当てる。顔がすぐ近くに来て、普段は黒に見える祖母の瞳の色が、暗い緑に沈んで見えた。
「熱はないみたいだね……」
少女の腹の奥がぐっとまた締まって、同時にうめき声が漏れる。吐き気は収まったけど、痛みが消えない。
「ミト、どうしたの?」
顔をしかめて振り向くと、弟のタリオが布団から起き上がることなく大きな伸びをしていた。寝る前に束ねていたはずのクルミ色の髪がいつの間にか解けて布団の上に広がっている。
普段は大きな琥珀色の瞳が、今は細められてじっとミトに向いていた。
「また、変なもの食べたの?」
「食べてないって……」
言い返しながら腹をさする。バル婆が立ち上がって腕を組んだ。
「しばらくしても治らないようだったらちゃんと言うこと。いいね?」
「はあい……」
「よし。――でも、午後までには治るだろうさ」
バル婆の足音が遠ざかる。タリオが体を起こして、ミトの腹にそっと小さな手を当てた。
「本当は、何食べたの?」
「山菜がゆだけだってば!」
言い返したあとタリオが寒そうに布団を首まで手繰り寄せた。弟に半分剝ぎ取られた布団を奪い返しながら、ミトの口の端が少しだけ上がる。
心配されるのが新鮮だった。
「なに笑ってるの?」
「いつもと逆だなって」
言いながら軽くタリオの頬を叩いた。タリオの方が、ミトよりずっと体が弱くていつも腹を壊したり熱を出すのだ。
横になっていても、また痛みが来る。一定の間を空けて痛みは襲ってきて、目を閉じると一瞬意識が遠くなった。
タリオが布団から出て、ミトの顔を覗き込んだ。大丈夫?、と声をかけてくる。ミトは心配するタリオの顔を押しのけた。
「大丈夫だって! あんたはごはん食べてきな」
「――でも」
「いいから!」
すぐに着られる毛の上着をタリオに渡して、そのまま部屋の外に追いやった。寝室の戸を閉めて、すぐに布団に戻って突っ伏す。そのままぎゅっと目を閉じた。
お腹が痛いのは大嫌いだ。だって、ご飯を食べられなくなるんだもの。
痛みは、遠ざけようとするとかえってすぐにやってきて、腹を強く締めつけていく。息がうまく吸えなくて、視界の端がじわじわと暗くなっていった。
「ミト?」
声がする。
「……姉さん?」
――タリオ?
ミトは目を開いた。苦しくて、口を大きく開けて、必死に空気を取り込む。
あえぐように息を吸い込んで、そうしてせき込んだ。
涙目になりながらひたすら呼吸を整えていると、タリオがおびえたような顔をして自分を見つめていることに気が付いた。
なに?
「ミトのお腹、光ってる! ――バル婆呼んでくる!」
タリオの足音が遠ざかってから、ミトはすぐに腹に手を当てた。タリオが言った通り、確かに自分の腹はぼんやりと青く光っていた。
でも、そんなことより腹が痛いのだ。
なんとか楽になりたくて横になって体を丸める。息を浅く吐いて、痛みが一度引くのを待った。昨日食べたものを思い出しながら、ゆっくりと寝間着をめくる。
光の正体を確かめないと。
たくさんおかわりした山菜がゆはさっき出ていってしまったし、まさか蛍が生きたまま入っていて、腹の中で光ることなんてあるはずもない。
寝ている間に誰かが自分に何かを食べさせているのでもない限りきっと変なものは食べていないのだ。
腹の右側。へその少し下のあたり、寝間着の上からは弱い光だったのが、肌を直に見ると小さな太陽でもあるかの様に眩しい。いつもは薄暗い寝室が、今は蝋燭ででも照らした様に明るかった。
そこは自分の腹だから触って確かめたいのに触りたくないような、そんな気持ち悪さがある。
それでもミトは、指先に意識を集中させて、ゆっくりと光の中心に指の腹を押しこんだ。
その瞬間、息が止まる。
さっきまでとは比べものにならない鋭い痛みが突き刺さって、反射的に体が跳ねた。目から涙がこぼれていく。
そこは、指を離したあとも、ドクン、ドクンと鼓動に合わせて痛みが残っていた。
「これ、なに?」
光を見ていると、胸の奥がざわついた。
ミトは布団を引き寄せて、腹の上に重ねた。それなのに、合わせ目から細い光が漏れてくる。
目を閉じていよう。
寝室の引き戸が開く、木の音が鳴った。足音が二つ、近づいてくる。
閉じたばかりの目を開けると、バル婆の後ろからタリオが覗き込んでいた。バル婆はさっとしゃがみ込んで、険しい顔で迷いなくミトの腹に手を伸ばしてくる。
「布団をどけな」
ミトは震える手で硬く握っていた布団を放す。バル婆はそれをめくって目を見開いた。
「――こりゃあ一体」
バル婆の指が光の箇所に徐々に移動する。そこに近づくにつれてミトの背中に嫌な汗が流れはじめる。
そしてまた、息が詰まった。
体が自分の意思とは関係なくバル婆の手をはじいて、さっきと同じ場所に何かで刺されたような痛みが来る。バル婆は驚いたようにミトを見た。
「――痛むのはそこだけかい?」
「わかんないよ! ――これ、なに?」
ミトは、震えていた。朝の寒さのせいなんかじゃない。ただ、恐ろしかった。
バル婆が口を真一文字にして、立ち上がる。
部屋が静まった。外の風の音と三人の吐く白い息の音だけが部屋の中に聞こえていた。
「――ミト、なんの病気なの?」
タリオが、病気、と口にしてミトの肩に力が入る。
バル婆は荒い息をしていたと思ったら、急に頭をかきむしって白髪がぼさぼさになった。そしてため息をついてタリオに向き直る。
「――タリオ」
「う、うん」
「あたしはこれから薬師様のとこに行ってくる。モルトとエダにも知らせにいくからね。薬師様はすぐに来るはずだから、湯呑と甘いものを用意して待ってるんだ。――薪はもう割ったものがあるから切らさないようにね。寝室にも火を入れて暖かくして待ってるんだよ」
「わ、わかった」
タリオが勢いよく駆け出す。
「走らなくていい! ――間に合えばいいんだ」
バル婆は誰かに言い聞かせるようにそう言って、すぐ戻るからね、とタリオの背中に声を投げた。
――父さんと母さんにまで知らせるなんて、どんどん大事になるみたいで嫌だ。
バル婆は、そのまま寝室を出て行こうとして足を止めてミトを振り返る。
「おとなしくしてなよ」
寝室の戸が静かに閉まった。外へ出たバル婆の足音は、すぐに駆け足に変わって、遠ざかっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
地図に名前も無い村から、ミトの物語は始まります。
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