後日談
後日談である。
いつもならば『エピローグ』と称するこの部分だが、今回の場合、こうまで『後日談』という表現が適切なこともそうそう無いだろうというくらいなので、『後日談』と称することにした。
つまり、都合六日間の特別休暇を終えて、七日目と言うよりも休暇明けの一日目と言うべき日に、わたしはADF寮の自室で目を覚ました。
「んん……朝か……」
今日は自然に目が覚めた。
休日ではないのだから、いつもならば梨乃ちゃんに叩き起こされることも多いのに……ならば、今朝は寝坊をせずに済んだか、梨乃ちゃんが今この部屋に居ないかのどちらかだろう。
そう思って横を見てみると、わたしを悩ましい表情で見つめる梨乃ちゃんの顔があった。
「え?……おはよう」
「おはようございます、篠守さん」
あ、あれ。
梨乃ちゃんは床に立っていて、決してわたしと添い寝をしている訳ではないという事実を意図的に言わず、更には『悩ましい』という如何わしく思われる可能性のある表現を用いたのにも関わらず、梨乃ちゃんはそれに対して突っ込んでこない。
いつもなら、『私があなたの寝込みを襲おうとしていたかのようにも解釈できる言い方は控えてください。難しそうな顔とか、難儀そうな顔とか、他の言い方でお願いします』くらいのことは言ってきそうなものだけれど……
「篠守さん。話があります」
「……くっ!」
「逃しませんって」
「ぐえああああ!」
『話があります』とかいう嫌すぎる言葉を聞いて、わたしは脱兎の如くベッドから降りようしたが、梨乃ちゃんはそれを抑え込むと見せかけて、むしろ手伝うかのようにわたしを引っ張り下ろしてきたので、わたしはバランスを崩して床に転げ落ちた。
気付けば、わたしは梨乃ちゃんにマウントポジションを取られ、両手をがっちり掴まれていた。
……何事?
「り、梨乃ちゃん…?もしもわたしが、何かをしちゃって怒らせちゃったのであれば、慰めるから……」
「謝りはしないその姿勢は流石ですが……それより篠守さん、これ」
「え?『これ』って……」
言いながら、梨乃ちゃんは自分の手を見せてくる。
より正鵠を期すなら、それはわたしの手を見せているのでもあって、手と手ががっちりと結ばれ、繋がれている様子を見せつけてくるのだが……一体、何が言いたいのだろう。
あれ?待てよ、なんかこの繋ぎ方……
両掌と両掌を合わせて、指をしっかり絡めてお互いに握り合うという、この形は……ええと、漫画をよく読むわたしだけれど、何かの漫画で一度だけ、見たことがあるような……
「篠守さん。昨日、こんな風に私の手を握ってきたことがありましたよね?」
「そ、そうだけど、ちょっと待って、これって…」
「こんな恋人繋ぎで、手を握ってきましたよね」
「ああ!ああああああああ!!!」
……今気付いた。
昨日、ロッカーに隠れた時の話だ。わたしが梨乃ちゃんを落ち着かせようとして(あわよくば自分も落ち着こうとして)、梨乃ちゃんの手を適当に握ったのだった。
だが、互いに向かい合って密着した体勢からお互いの手を握る場合、可能な握り方は、自ずと限られる。
しかしその限られた握り方こそが、あの状況に最もそぐわない握り方だったのだ。
そうか、梨乃ちゃんが妙な反応をしていたのは、そういうことか!
「ごめんごめんごめん!あれは無意識…じゃなくて、不本意…でもなくて、いやその、他意は無いから!ほんとに!」
わたしはそれ以前にも、梨乃ちゃんに対して故意にセクハラ行為に及んだことが無い訳ではないのだけれど、こんな不可抗力に基づく行為を指摘されてしまっては、いくら何でも否定せざるを得ない。
恐らく今、わたしの顔は赤い。
しかし両手をがっちり掴まれているので、顔を覆い隠すことも背けることもできない。
「違うの!許して!お願…」
「ありがとうございました」
「……え?」
不意に発せられた言葉に、わたしは固まる。
対する梨乃ちゃんは、珍しく微笑みながら続けた。
「あの時私の手を握ってくれて、ありがとうございました。篠守さんも篠守さんでしたけれど、私としても、あれで結構落ち着きを取り戻せていたのですよ」
「う、うん……」
お礼を言われるのは、悪い気はしないけれども。
それを言うためだけに、人をこんな乱暴に制圧するかね…?
どうしちゃったのこの子?
「先程から、私は考えていたのですよ。昨日、『今後お互いに死なないようにしましょう』と約束しましたけれど、しかし考えてもみれば、人はいずれ死ぬものです。無論、あの約束を取り消すつもりは毛頭ありませんが、だからこそ、その解釈について反芻していました」
「…………」
真面目な話に入ってしまったけれど、ちなみに今の絵面は、依然として『押し倒してきた梨乃ちゃんと、押し倒されたわたし』という構図である。
「別に、寿命による老衰まで禁じようという訳ではありません。それに、戦死することを禁じるという解釈だと、考慮しなければならない場合の数が多くなりすぎます。ですから私は、篠守さんの自己犠牲癖を禁止しようと思ったのですが……」
「ん?自己犠牲癖?」
と、流れるように違和感のある言葉が出てきたので、思わずわたしは反応した。
「いや、わたしにはそんなの…」
「ただ、よくよく考えてもみれば、あなたはそれを抑制するためのものを最初から持っているのでしたね。ですから、これ以上禁止するのは現実的ではありません」
「ちょっと待って、何の話?まず自己犠牲癖っていうところからわからないよ……いや、それだけなら、多少はわかるけれど」
私立金足大学での鬼ごっこ。
高層ビルからの投身他殺。
そして、赤団のアジトでの遊撃。
それらは確かに、自己犠牲だったかも知れない。自己犠牲なんていう、柄にもないことをしてしまっていたかも。
しかし、柄にもないことは柄にもないことに過ぎないのであって、むしろそれはレアケースだ。
それくらいのことで『自己犠牲癖』呼ばわりって、一体どういう了見なのだろう?わたしは普段から、自分の損得のことばっかり考えているのに……
「……ああ、やっぱり。篠守さんは、まだ自分という人間の本質を理解していないのですね」
「な、なん、なっ……何よ」
わたしの質問に間を置いて返ってきた答は、あまり気持ちの良いものではなかった。
どうしてだか、わたしもわたしで何かを失念しているような妙な感覚になったことも相まって、わたしはやけに言葉が詰まった受け答えになってしまった。
「まあ良いでしょう。とにかく、そうであるならば、あの約束に対してできる解釈は一つです。篠守さんも私も、死因が他殺や事故死になることだけは避けましょう、と」
「それはわかったけれど、そろそろ離し…うわっ!?」
突然、わたしの手を引っ張り上げる梨乃ちゃん。
わたしは上体を起こされ、代わりに梨乃ちゃんが仰向けで寝そべるという、さっきまでとは逆の体勢になったが、そこでわたしが床についていた膝を梨乃ちゃんが足で押さえてきたので、わたしはバランスを崩して、もろに梨乃ちゃんの上に倒れ込んだ。
梨乃ちゃんに覆い被さるように、梨乃ちゃんの身体の上にうつ伏せに倒れ込んだ。
依然として、手はがっちりと繋がれたままだ。
「ちょっと!?何するの!?」
「静かに。あと15秒だけこのままです…」
「なんで15秒…?」
「13…12…11…」
「何…?何…?」
柔術のテクニックでわたしに足を絡め、わたしが立ち上がれないようにしつつ、梨乃ちゃんは急に小声になったので、わたしもつられて小声になる。
一体、何のつもりなんだか……
そもそもさっきの会話も納得いかないというか、なんか中途半端なところで切り上げられてしまったような気がするし……
やれやれ、今日は何だっていうんだ?
「5…4…3…」
「…?」
と言うかこの体勢では、傍目に見れば、まるでわたしが梨乃ちゃんを押し倒したみたいに…
「おい起きてるか……え?お前ら何してんの?」
「あっ!?」
ちょうど15秒が経過した辺りで、部屋に日倭さんが入ってきた。
「お、おい篠守、流石にそういうのは……」
「違いますから!違いますから日倭さん!」
まずい!日倭さんが変に誤解してる!
「どいてください篠守さん。そして寝ぼけないでください、もう休暇は終わりましたよ。こういうことをするのは、休みの日じゃないと」
「あっ……ふーん、仲良しなんだなお前ら……」
おのれ紫野梨乃!
嵌めやがったな貴様!
「ふっ……花見の時期か」
「どういう意味で言ってますそれ!?」
確かにそろそろ花見の時期だけれども、このタイミングで言う台詞としては、日倭さんの発言には別の意図があると考えざるを得なかった。
『いやあ、邪魔して悪かったな』などと言って、いつもは朴訥とした無表情の日倭さんが珍しくにやけながら部屋を出ていった後、冗談も程々にしようということで、わたし達は着替え始めた。
こんなおふざけに、あまり時間をかけるものではない。
流石にもう、梨乃ちゃんとはお互いの身体を見慣れすぎてしまっているので、お互いに肌を晒し合うことについて、今更何の恥じらいも無い。
ADFに入りたての頃は、お互い、人になるべく素肌を見せたくはないという感じだったのになあ。
「それともう一つ、考えていたことがあります。あなたの寝顔を眺めながら、あなたに対する自分の認識について」
「寝顔を眺めるな」
と、何気無い雑談のように話す彼女に対して、わたしも着替えの手を止めずに、ツッコミを入れる。
「昨日は色々なことがありましたからね。改めて振り返ると、あなたに対する一通りの感情を、一日にしてほぼ全て体験したような気すらしますよ」
「わたしもまあ同じような感じだったわ」
「ですからここで、あなたという人間に対する私の感情をまとめて、あなたという人間に対するスタンスをはっきりさせておこうと思いましてね」
「ふーん……それで、結論は出たの?」
「はい」
ちょっと気になるので、わたしは梨乃ちゃんの話にそこそこ耳を傾けつつ、着替え続ける。
対する梨乃ちゃんも、やはり着替えの手は止めず、平然とした口調で言った。
「私はあなたを信頼しています。家族のように」
……はあ。
なんだ。
「そりゃどうも。わたしも梨乃ちゃんを信頼してるよー」
「でしょうね。知っています」
何を言い出すかと思えば、そんなことか。
信頼ね。
『家族のように』と言う。それがどの程度の信頼度を意味するかと言えば、まあ人それぞれの解釈にもよるのだろうけれど、梨乃ちゃんにとっては、やはりそれ相応の相当な程度だろう。
無論、わたしもそれは同じで。
それは何だろう、言うのも恥ずかしいくらいに、文章化することが白々しいくらいに、当たり前のことだった。
「朝ご飯の後は……確か、集合だったよね」
「そうですね。早めに着替えて、早めに食べ終えないと」
わたし達は部屋を出る。
たかが着替えに、時間をかけるものではない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
食堂に着く頃には、わたし達二人は完全に仕事モードとでも言うべき心持ちに切り替わっていた。
日倭さんは既に来ている筈だけれど……あの人のことだ、ひょっとするともう食べ終わっているのかも知れないなと、そんな余計なことを考えながら、わたし達もいつも通りに食事の用意を始める。
食べなければやってられない。
今日からまた、命懸けの仕事を始めるのだ。
流石にもう食べ終わっているということは無かったものの、日倭さんが食べ終わるタイミングは、わたし達が食べ始めたタイミングと大体同じだった。早い。
追いかけるようにわたし達も朝食を終えて、そうして部屋に戻ってからは、いつものように日倭さんから本日の予定を通達された。
昨晩から聞いていた通り、今日はまず屋外のグラウンドに集合することになっているらしい。
ということは合同訓練でもするのかしらと思いながら、わたしはまた部屋を出て、日倭さんも含めた三人で移動した。
ところが、いざグラウンドに到着してみると、そこにはADF以外の部隊も含めたおびただしい数の自衛官が、ぎっちりと集結していた。
葉川駐屯地に所属する全ての自衛官を一箇所に集めたのだろうか?この広いグラウンドに所狭しと並んでいる光景には、圧巻に思ったというよりは、流石に辟易してしまった。
「えっと、日倭さん、本当にここで合ってます?」
「合っている。そして私のことは日倭准尉と呼べ」
そう言えば最近日倭さんの階級が上がったらしいが、その情報はあまり重要ではないから置いとくとして……
グラウンドに集まっている自衛官を見ると、ところどころ、制服が異なる人達が固まって並んでいるのがわかる。
わたし達ADFも普通とは違う制服だけれど、こうなってくると、本当に全ての部隊が一堂に会しているんじゃないのか…?
「もたもたするな、早く行くぞ」
日倭さんに先導されながら、わたし達はその中のとある場所に、例によって固まるように並ばせられた。
周囲には、ADF長野県支部のお馴染みの顔触れが揃っている。
「用件を説明する!」
案の定、壇上に用意されたマイクの前に立って、陸将のとある男性が喋るという流れになった。
何度か見たことはある人だったが、名前は思い出せない。
顔と、陸将という階級しか憶えていない。
「我々自衛隊は、大獣害が発生してからおよそ1年間に渡って、貪食獣の駆逐を続けてきたが……」
陸将は挨拶も手短に済ませて、いきなり本題に入り、熱を帯びた口調で話し始めた。
いや、熱を帯びた口調だからと言って、別にそれが熱弁だという訳でもない。その話自体はすぐに終わった。
こうしてほぼ全隊員を集めて話している以上、ここで事の全容を話そうという訳でもなければ、今ここで各部隊それぞれの作戦を打ち合わせようという訳でもない筈だから、当然のことだ。
それはただ、『今から皆でこういうことを始めるから、そのつもりでいろ』という、大まかな報告に過ぎなかった。
過ぎなかったのだが……しかし。
しかしその短い話を聞いただけで、引き締めていたつもりの自分の気持ちが、実際には甘く緩んで綻んでしまっていたのだということを、わたしは思い知らされた。
「今回、我々は遂に、東京の奪還を試みる!」




