第3話能力なし勇者と、美しい災害
三郎「……さっきよりマシになったけど、まだ胸が痛ぇ」
指先で胸元を押さえる。
皮膚の上には何もない。服も、血も。
それでも、確かに“刺さった感覚”だけが、神経の奥に居座って離れなかった。
呼吸をすると、肺の奥が僅かに軋む気がする。
理屈では錯覚だと分かっている。
それでも、体がそう訴えてくる。
三郎「……あそこは、なんなんだよ」
ベッドから起き上がり、パソコンの電源を入れる。
ファンが回り始める音が、やけに現実的だった。
頭の中にある記憶を、一つずつ棚卸しするように整理しながら、検索欄に指を走らせる。
三郎「今わかってるのは三つだけだ」
指を折る。
三郎「一つ。あそこは異世界。
二つ。死ぬと、ここに戻る。
三つ……次に行くと、始まりがほぼ同じ」
言葉にしてみると、余計に異常さが際立つ。
三郎「最初は夢だと思った。でも、二回目は“同じ会話”だった」
声色。
間。
相手の表情。
すべてが、再生された映像みたいに一致していた。
背筋が、ひやりと冷える。
三郎「……ループ、か?」
検索欄に打ち込む。
——異世界 ループ
——死亡 帰還
——夢 現実 区別
三郎「お、出た。やっぱ“ループ”って言うんだな」
画面を流し読みしながら、鼻で笑う。
三郎「さすがヤブー知恵袋。おばあちゃん並みに頼りになる」
だが、どの記事にも肝心なことは書いていなかった。
原因。
抜け出し方。
死なずに済む方法。
三郎「……なら」
三郎は、自然な流れで電子書籍アプリを開いた。
三郎「ループ系なろう、読み漁ればいいだけだな」
どうせ暇だ。
それに、他人の失敗談ほど参考になるものはない。
ちなみに検索履歴は——
三郎「ナレーション、それ以上言うな。命が惜しけりゃな」
……すみません。
三郎「で、今何時……って、15時!? 早起きじゃん!」
*遅いです。
三郎「飯まで3時間ある。読むぞ」
スマホを取り出し、某電子書店を開く。
指が止まらない。
気づけば、購入確認の画面が次々と表示されていく。
三郎「こ、これは……解決するまでの“必要経費”だ。
5万の投資……いや、戦略だ」
*最高貯金額6万です。
――――――
3時間後。
――――――
三郎「あ”〜……目が……」
瞬きをすると、視界が一瞬遅れて追いつく。
活字が脳に焼き付いた感覚が、まだ抜けない。
三郎「……大体わかった」
ベッドに倒れ込みながら、天井を見上げる。
三郎「第一の対処法。
“前と違う行動を取る”」
三郎「同じルート、同じ選択をしたら、同じ死に方をする」
腹が鳴る。
妙に現実的な音だった。
三郎「……腹減った」
その時。
トヨコ「三郎〜。ご飯、持ってくわねー」
三郎「は、はい!」
反射的に返事をする。
扉に手を伸ばし——止まる。
ピタ。
三郎「(……あれ? 扉って、どうやって開けるんだっけ)」
そんなはずはない。
何百回も開け閉めしてきた、自分の部屋の扉だ。
それなのに、心臓だけが妙にうるさい。
高校卒業してから、まともに顔を合わせていない母。
三郎「(なんで緊張してんだよ。相手は母さんだろ……)」
一方その頃。
トヨコ「(……なんで私、緊張してるの?
息子なのに……)」
沈黙。
一分。
二人とも、動けない。
トヨコ「……お、置いとくわね」
三郎「……うん。ありがとう、母さん」
トヨコ「……」
皿を置き、去っていく背中。
その肩が、ほんの少しだけ小さく見えた。
頬を、雫が伝う。
三郎は慌てて扉を開け、食事を手に取る。
三郎「……俺の好物、親子丼じゃん」
湯気の向こうで、卵がふわりと揺れる。
見慣れたはずの光景が、やけに眩しかった。
箸を止める。
三郎「……そのうち、ちゃんと顔見せないとな」
すぐに首を振る。
三郎「いや、今は異世界だ」
シャワーを手早く済ませ、ベッドへ。
三郎「……意識して行くのは、初めてだな」
目を閉じる。
深呼吸を一つ。
三郎の意識は、静かに闇へ沈んだ。
――――――
三郎「……ん。来たか」
頭を押さえ、ゆっくりと起き上がる。
立ちくらみはない。
代わりに、地面の感触が妙に鮮明だった。
ヒサト「こんにちは。見ない顔ね。
私は案内役のヒサト。あなたの名前は?」
三郎「田中三郎。よろしく」
間髪入れず言う。
三郎「悪いけど、行くところがある。失礼するよ」
ヒサト「……そう。
じゃあ、また会ったら案内するわね」
彼女は深追いしなかった。
それが、かえって現実味を帯びている。
二人は、別々の方向へ歩き出した。
……いい頃合いでしょう。
この最初の村のマップを、簡単に説明しましょう。
以前ヒサトと向かったのは南側。
武器屋や出立の門があり、戦士や魔法使いが集まる区域。
今回、三郎が向かったのは北側。
教会、住宅街——
生活者の多い区域です。
では、私はこれで。
――――――
三郎「……教会か。
なろう系あるあるすぎて逆に安心するな」
石造りの扉を押す。
――教会――
静寂。
外の喧騒が、嘘のように遠のく。
ルミナ「こんにちは〜」
(三郎は、思わず瞬きをした)
三郎「こ、こんにちは……」
(……可愛すぎんだろ)
ルミナ「本日は、どのような御用で?」
三郎「初めてで……何ができるのか分からなくて」
ルミナ「この教会では、礼拝、クエスト管理、
ポイントの換金、経験値変換などを行っています」
ルミナ「また神父様がいれば、
能力発見・強化などの“加護”も受けられます」
三郎「神父さん以外でも、できるんですか?」
ルミナ「私は“能力検査”だけですね。
それでも良ければ」
三郎「お願いします!」
祈りの言葉。
ルミナ「神よ、汝の緑の力をお借りします、アニマ・スコプム」
緑の光が、三郎を包む。
*神の加護
緑:能力発見
黄:能力強化
赤:制裁
青:回復
ルミナ「……能力は、ありませんね」
三郎「……え?」
ルミナ「無いです」
三郎「……無い?」
ルミナ「……しつこいですよ?」
三郎「すいません」
ルミナ「ですが、魔法は扱えます」
三郎「え?」
ルミナ「身体系、斬撃魔法、四大元素——
炎・水・風・岩。基礎は一通り」
三郎「……能力なしで?」
ルミナ「珍しいですね」
三郎「魔法、教えてもらえますか?」
ルミナ「三日後が私の休日です。その時に」
ルミナ「あ、お金と宿は?」
三郎「あはは……どっちも無くて」
ルミナ「なら、教会を出てすぐの金融屋へ。
私の紹介だと伝えてください」
――――――
三郎「ここか……」
扉を叩く。
三郎「すみませーん!
シスターのルミナさんの紹介で——」
チハル「うるせぇな。聞こえてるよ」
(チハル/金融屋チハルンの女オーナー)
チハル「ルミナの紹介なら話は早い」
三郎「一週間分、宿代を——」
チハル「いいよ。
本来5万だが、4万5千でいい。借金だ」
三郎「ありがとうございます」
契約書を書く。
チハル「あんた、名前は?」
三郎「田中三郎です」
ペンが止まる。
チハル「あんた……
この街の“美しい災害”に巻き込まれるとはな」
三郎「……え?」
書く手が、止まった。
沈黙が、金融屋の室内に落ちた。
三郎は、止まったままのペン先を見つめる。
インクが紙に滲み、名前の最後の一画だけが、やけに太くなっていた。
三郎「……それ、どういう意味ですか?」
チハルは答えない。
代わりに、意味ありげな視線で三郎を一度だけ見上げる。
チハル「この街じゃな。
“運がいい奴”と“運が悪い奴”は、だいたい紙一重だ」
カウンターの奥で、帳簿が一冊、ひとりでに閉じた。
チハル「で、あんたは——
その両方をまとめて引き寄せる顔をしてる」
胸の奥が、わずかにざわつく。
三郎は、返す言葉を見つけられないまま、
乾ききっていない署名から、そっとペンを離した。




