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【第84話前編:重量の移動と見えない書類】

【Scene 1:朝の規律と電撃の配備】


 海帆市の朝は、まだ身を切るような冷気が立ち込めている。

 リパルテンツァの拠点の納屋には、昨夜のLED設置の熱気を引きずったメンバーが全員顔を揃えていた。 佐藤が一同の前に立ち、真っ直ぐな視線を投げた。


「おはよう。昨夜は遅くまでお疲れ様」

「「焼肉ごちそうさまでした!」」


 納屋の空気が、一気に熱を帯びて弾けた。 昨夜の24本の紫光、そして腹を満たした上等な肉が、リパルテンツァの結束を一段階引き上げている。

 佐藤は満足げに一つ頷くと、手元の工程表に視線を落とした。


「舞さん、七海さん。今日はお二人に、中村会長のスクラップ場から1トンタンク50本の回収をお願いしたい。トラックを使って、ここから離れた『ぼろ納屋』の方へ運び込んでくれ。二人とも大型免許を持っていて、リフトも動かせると聞いている。任せていいか」


「はい! お任せください。二人で回せば、今日中に終わらせてみせます」

 舞が力強く答え、七海も隣で深く頷く。 新人とはいえ、重機と大型車両を扱える二人は、今のリパルテンツァにとって機動力の要だ。


「助かる。中村会長には話を通してある。向こうのフォークも貸してもらえる手はずだ。無理な積載はせず、安全第一で頼む」

 続けて、佐藤は現場組の牧野たちへ向き直った。


「牧野、藤田、米田、森田、稲葉。追加で、健治工務店の3名の従業員も。550坪の建設予定地は今日で2日目だ。引き続き、牧野の指揮下で丁張りと道作りを進めてくれ」

 大型の資材搬入が始まる前に、地盤の規律を固めておく必要がある。


「おう、分かってるぜ。昨日で大体の筋は見えた。工務店の連中も使い倒して、今日中に一気に形にする」

 牧野の野太い声が、朝の静寂を切り裂く。 佐藤は最後に、事務所側のデスクに座る北脇と智子、そして千尋へ視線を移した。


「北脇さんと千尋さんは、昨日の配電盤の続きをお願いします。では、智子。そっちはどうなっている」

 佐藤の問いかけに、智子がテキパキとした口調で応じた。


「ええ、私はこれから消防署へ連絡して『消防同意』の書類がどう回っているか、状況を電話確認するわ」

「それから、全員の健康診断の件だけど、今月末の2日間に分けて、バラバラに予約が取れたわよ。そのスケジュールは後で皆に共有するわね」


 智子は手元のメモを確認し、さらに付け加えた。

「事務作業が一段落したら、私も現場に出てボイラーの修理に入るから。1台でも多く、4月までに仕上げてしまいましょう」


 智子の迷いのない言葉に、佐藤は短く頷いた。 融資の着金を控え、現場、事務、技術のすべてが、時計の歯車のように正確に噛み合い始めている。


『マスター。人員配置の論理的整合性は完璧です。大型免許を持つ女性陣によるタンク輸送は、この町の古い固定観念を粉砕する、極めて合理的な一打となるでしょう』

 ヴェルの冷徹な声が、佐藤の耳元で響く。


『佐藤様。皆さんの瞳に、昨夜の光がまだ宿っていますね。規律を守りながらも、どこか楽しそうな足取りです。今日も一日、実りある時間になりますように』


 フレイヤの穏やかな言葉を背に、メンバーはそれぞれの戦場へと散っていった。 佐藤は、550坪の土地と18台のボイラー、そしてこれから届く50本のタンクを見据え、静かに思考を研ぎ澄ませた。



【Scene 2:静かなる熱量】


苗プラントの重い扉が開き、米山が一人で中へ足を踏み入れた。 昨日目にした、あの異常なまでの「発芽の揃い方」が頭から離れなかったのだ。 背後から砂利を踏む音が聞こえ、振り返ると見覚えのある2人の老兵が歩み寄ってくる。 リパルテンツァへの復帰を宣言した島田と木村だ。


「島田さんに木村さん。お二人、今日は休みでしょう。月水金の契約だと聞いていたが」

米山が意外そうに声をかけると、島田は作業着の襟を正しながら、悪びれる様子もなく笑った。


「いや、なに。長年ぼんやり隠居していた反動で、体が動きたくて仕方なくてね」

「俺たちはただ、近所の農家である米山さんと休みの日にお話をしているだけだ。これなら規律違反にもなるまい」


木村が油の匂いのする手で作業帽子を直しながら、島田の言葉に乗っかる。 3人はそのまま、25坪の苗プラントの奥へと進んだ。 島田と木村にとって、この中へ入するのは今日が初めてだ。

「これは、想像以上だな」


島田が眼鏡をかけ直し、整然と並ぶ鉄製の棚を見上げた。 そこには300枚もの苗箱を収容できる巨大な育成台が鎮座している。


だが、その広大な空間の真ん中に、たった1枚の苗箱だけがぽつんと置かれていた。 実験育成されている、例の30粒だ。 昨日まではなかった24本のLEDバーが棚に固定されており、そのうちの2灯だけが、苗の真上で紫色の光を放っている。


「今日は曇りだからな。センサーが反応して補助光がついているんだろう」

米山が昨日覚えたばかりの知識を披露するように言った。 3人は無言で苗箱を覗き込んだ。


昨日、米山の目には「種籾の殻を破り始めたばかりの、わずかな白い点」に見えていた。しかし、今日その姿は、農家の直感を揺さぶる変化を遂げていた。 単に芽が出たのではない。30粒すべてが1ミリの狂いもなく同時に休眠を破り、数ミリほどの力強い芽として一斉に顔を出しているのだ。


本来なら、浸種もせずに直撒きした種が、これほど見事に足並みを揃えることなどあり得ない。さらに、今日のような曇天で日光が足りなければ、出たばかりの芽は光を求めてひょろひょろと頼りなく上へ伸びる「徒長」を起こす。 だが、この30粒にその気配は一切ない。 まるで地面を足元で踏みしめているかのように、太く、力強く上を向いている。


「島田さん、見てくれ。この『揃い方』は異常だ」

米山の声には、昨日よりもさらに深い戸惑いと、隠しきれない敬意が混じっていた。


「ただ芽を出すだけなら温床を熱くすればいいが、乾燥した種が1粒のズレもなく完全に同期して目覚めやがった。この時期の海帆市で、ハウスの温度管理だけでここまでの『発芽の斉一化』を実現するのは至難の業だぞ」


島田が指先で、出たばかりの瑞々しい芽に触れようとして、ためらって手を引いた。 木村は苗そのものよりも、その上部で静かに光るLEDの配線や、微かに聞こえる水の循環音に目を向けている。


「この配線、無駄がない。そしてこの25坪の空間そのものが、一つの精密機械として呼吸している」

静まり返ったプラントの中に、どこか気品と慈愛を感じさせる、澄んだ女性の声が響いた。


『米山様、島田様、そして木村様。リパルテンツァの苗プラントへようこそ。私は苗の管理を担当しております、サブAIのフレイヤと申します』

不意に頭上のスピーカーから流れてきた声に、3人の老兵は驚き、思わず顔を見合わせた。


「この声は、佐藤が言っていたAIか。姿は見えんが、しっかり俺たちの名前まで把握しているとはな」

島田が驚きを隠せずに呟くと、フレイヤの声はさらに柔らかく、丁寧に続けた。

『はい。皆様の技術と経験がリパルテンツァに加わったこと、心より歓迎いたします』


『発芽率100パーセント。事前の浸種工程を省略したにも関わらず、全粒が完全に同期して休眠を打破し、現在数ミリの出芽段階を完璧に維持しております』

米山は、スピーカーを見上げながら尋ねた。


「フレイヤと言ったか。この紫の光は、どうして2本だけついているんだ? 24本全部つけた方が早く育つんじゃないのか」

『いいえ、米山様。植物には「光飽和点」という規律がございます。必要以上の光は、苗にとってストレスとなり、かえって体力を削りかねません』


『本日は屋外の照度が不足しているため、2灯の補助光により、成長に必要な最低限の光補償点を維持しております。これにより、曇天時特有のひょろつきを抑え、繊維の詰まった、寒さに負けない強い苗を育てているのです』


フレイヤの言葉には、機械的な冷たさはなく、どこか現場の泥臭い苦労に寄り添うような優しさがこもっていた。


「徒長をさせないために、光を足して『ブレーキ』をかけているというわけか。機械がそんな洒落たことを言うようになるとは。だが、この出始めの芽の『力強さ』を見れば、その規律とやらがデタラメでないことは分かる」


木村が感心したように腕を組み、再び苗箱に視線を落とした。

『佐藤様の志は、この小さな命を一つも取りこぼさないことにあります。皆様の熟練した知恵が加われば、このプラントの規律はより強固なものになるでしょう。どうぞ、本日は存分にご見学ください』


3人は、見えないAIの案内を受けながら、最新鋭の技術と古き良き経験が交差する不思議な空間に、改めて背筋を正した。

25坪の小さな空間では、AIの慈愛に満ちた管理によって、新しい農業の形が確実にその根を広げていた。



【Scene 3:規律の増殖と事務所の静寂】


 事務所のデスクには、色とりどりの100均のタッパと、緑色のマイコン基板が整然と並んでいた。 佐藤は手慣れた動作で電動ドリルを扱い、プラスチックの筐体に次々と穴を開けていく。


 ケーブルグランドを締め込み、基板を厚手の両面テープで固定する。 北脇があらかじめ仕上げておいたハーネスを接続し、最後にシリカゲルを一粒放り込んで蓋を閉じる。


 一つ、また一つと、事務所の片隅に「海の聴診器」が積み上がっていく。 五個目のタッパのロックをパチンと閉めたところで、佐藤はスマートフォンを手に取り、木下へ発信した。


「木下か。例のブツ、できたぞ。お前の分と、この間話に出た三人の分だ」

 受話器の向こうから、木下の弾んだ声が聞こえる。 だが、その声には申し訳なさそうな響きが混じっていた。


『あー、佐藤! すまん。実はな、他にも「俺の船にもつけてくれ」って言ってきた奴が三人いてよ。合計で六人分、いや、俺の分を合わせて七個、いけるか?』


 佐藤はデスクに並ぶ残りの部材をチラリと見た。 33セット分の部材はすでにある。作業工程に淀みはない。

「分かった。足りない分を今から作る。一時間後にはそっちへ行く」


 電話を切ると、隣で書類を整理していた智子が、呆れたようにペンを止めてこちらを凝視していた。

「ちょっと、佐藤さん。いつの間に漁船のものまで作ってるのよ。今は農業プラントの立ち上げで、猫の手も借りたいくらい忙しいはずでしょ」


 智子の指摘は正論だ。 550坪の土地整備、ボイラーの修理、苗の管理、そして10万円分のセンサー部材。 リパルテンツァのタスクは、すでに一人の人間が抱える許容量を遥かに超えている。


 佐藤はドリルのビットを交換しながら、淡々と答えた。

「ん? 忙しいか。そうか。なら、さらに人を増やした方がいいか?」

「はあ? 何言ってるのよ」


 智子が声を荒らげる。 佐藤の思考は、常に「不足があれば補う」という物理的な合理性に直結している。


「牧野さんたち現場組も、工務店も、新人もフル稼働だ。それでも足りないなら、あと数人、大型やフォークが動かせる奴を引っ張ってくる。規律さえ守れるなら、数は力になる」


「そんなポンポン増やさないで。給与計算も社会保険の手続きも、全部私のところに降ってくるのよ。今はある戦力で回すことを考えなさい」

 智子は溜息をつき、再びキーボードを叩き始めた。 佐藤は「そうか」とだけ返し、六個目のタッパにドリルを当てた。


『マスター。智子様の計算能力は優秀ですが、佐藤様の「増殖の速度」に感情が追いついていないようです。リパルテンツァの処理能力を拡張するには、確かに人的資源の追加投入は論理的な帰結ですね』


 ヴェルの冷徹な声が、事務所の空気に鋭く刺さる。

『佐藤様。智子様は、佐藤様の体が心配なだけなのですよ。でも、こうして新しい「繋がり」が海へ広がっていくのは、リパルテンツァの志が街に溶け込んでいる証拠ですね』


 フレイヤの穏やかな言葉が、ドリルの音にかき消される。 海帆市の海を監視する五個のタッパが、紫色の光を反射して静かに出撃の時を待っていた。


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